Posted on 2012.08.16 by MUSICA編集部

編集の現場から その2 ~「色」にこだわる、職人の目~

長らく更新が滞ってしまってすみません。

誌面デザインもリニューアルしたMUSICA9月号は、8月16日より絶賛発売中です! 書店でお見かけの際は、ぜひご一読ください。

 今回も雑誌の編集部に入って「これは面白いな」と思ったことを書いていきます。

 少し前のことになりますが、MUSICAを印刷・製本していただいている大日本印刷の工場に見学に行ってきました。

巨大な機械から次々と出てくる印刷物、インクだらけの作業着を身にまとった従業員の方々…一冊の本ができるまでに、これほど複雑な工程があるのかと驚くことしきりでした。

 中でも印象的だったのが、発色の具合を確かめる従業員の方のするどい眼差し。

編集者の指定した色のイメージと突き合わせながら一枚一枚丁寧にチェックをしていくその様は、まさに「職人」と呼ぶにふさわしいオーラを発散していました。

 日常の会話では「赤」「青」「黄色」と大ざっぱに表現している色ですが、実際にはとても複雑なグラデーションがあります。(Wikipediaで「色」と検索してみましょう!)

さらに、すべての色はシアン(青)、マゼンタ(赤)、イエロー(黄)、黒の4色の掛け合わせで表現しているので、それぞれの色を何%で掛け合わせるか、その微妙な調整で仕上がりの色が大きく変わってきます。

 ミュージシャンのイメージに合わせた写真を撮ったり、レイアウトの色を考えるのはアートディレクター&カメラマン&編集者の仕事ですが、実際にインクの調整をしながら印刷をしてくださるのは印刷工場の工員さんたち。

印刷所には「プリンティング・ディレクター」という、カメラマンが撮った写真やレイアウトの色味を実際の印刷で再現するべく監督してくださる方がいて、

仕上がったページの色が「イメージと違った!」なんてことにならないよう、その方と編集部&AD(アート・ディレクター)とで細かくコミュニケーションをとりながら、実際の印刷へと持っていきます。

具体的には、本印刷の前に「試し刷り」を出してもらい、色味の確認や調整作業をしていくのです。

(この試し刷りのことを、「色の校正紙」、略して「色校」と言います)

ちなみに、シアン(青)、マゼンタ(赤)、イエロー(黄)、黒の4原色の組み合わせ(家庭用プリンタと同じです)では表現しづらい、さらに微妙な色合いを出したい時に用いるのが、「特色」と言われる特別に配合された色インク。

上の写真のような見本となるカラーチップがあって、この中からイメージに近い色を選定し、使用しています。

(MUSICAでも表紙の文字色や、はがきの色などに使っています)

 

最新号を手に取っていただいた際には、このような「色」にかけるこだわりにも思いを馳せていただけたならうれしいです!

text by 関取 大

Posted on 2012.08.16 by MUSICA編集部

The Mirraz、電撃メジャー移籍の真相を語る第一声

『MUSICA9月号』P.100に掲載

誰にも頼らず、己を貫き通しながら、
シーンと真っ向勝負した日々。
そこで経験した苦悩、葛藤。そして選び取った、
「勝つための新たな道。」
畠山承平、メジャー進出発表後、第一声インタヴューを奪取!

■まずは今年1月の『言いたいことはなくなった』リリース以降の話から始めさせてください。この作品を出すまでに、畠山さん自身も、バンドとしても、ミイラズの音楽性や活動の仕方というところで迷いや葛藤があって。その上で、多くの人が抱いていたミイラズらしさではなく、自分にとっての音楽ってものを純粋に追いかけて、形にするという選択をしたと思うんです。で、あの作品をリリースして、ツアーを回ってみて、どんな手ごたえを得ましたか?

「セールスとかに関しては、爆発的に伸びたというよりも、バンドの知名度が上がってきた状況に応じて、着実に階段は上れたかなとは思ってて。ただ、あのアルバムは、俺自身というよりはミイラズってバンドにとっては凄いチャレンジだったから、不安はあったのは確かです。でも、ツアーを回ってみて、結局、俺が作った曲を俺がギター弾いて、俺が歌えば、それでミイラズなんだってことをリスナーも普通にわかってくれるんだなってことは実感できましたね。その上でひとつ意外だったのが、ZEPPのファイナルではシングルで出した“観覧車に乗る君が夜景に照らされてるうちは”とか“ラストナンバー”の時に一番お客さんが盛り上がってくれたことなんです。シングルを切るってことに対してバンド自体のリアクションもよくなかったし、数字的にもそこまでよくなかったからあまりいい印象は持ってなかったんですけど、盛り上がってるお客さん達を見て、時間はかかったけど、ちゃんと俺達の思いが伝わったんだなってことも感じましたね」

■迷いながら進んできたけど、ツアーファイナルでしっかりと手ごたえは感じられたんですね。じゃあそこから次の展開に入るところで今回のメジャー進出という発表がなされたわけですけど、この決断をした経緯を詳しく教えてもらえますか?

「ほんとは、サードの『TOP OF THE FUCK’N WORLD』を出した時からメジャーに行こうとは思い始めてて。それでいろんな人と話をしたりもしたんですけど、タイミングがあまりよくなかったりとか、外に事務所を作ったほうがいいんじゃない?って話もあって。それなら、いきなりメジャーにいくんじゃなくて、もう少し土台を作ってからでもいいんじゃないかと思ったんです。それで自主レーベルを作って活動してみようってことになって。で、その1年間で思ったのが、もちろん音楽を必要としてくれてる人はいっぱいいるんだけど、根本的に音楽が全然売れない時代になってきている状況があるなってことで。そこで、やっぱり音楽を職業としている立場としてもうちょっとシーン全体が盛り上がって欲しいなって考えるようになったし、同時にインディとかメジャーとかってことを考えてる場合じゃないなって強く思って」

(続きは本誌をチェック!)

text by 板子淳一郎

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Posted on 2012.08.16 by 有泉智子

MUSICA9月号&NICO Touches the Walls「旅の軌跡」、発売しました!

学生の方は依然として夏休み真っ最中だと思いますが、いかがお過ごしですか??

東京都内は嫌になるほど暑いです。

先週末、ライジングサン~Galileo Galileiの取材で4日ほど北海道に滞在していたので、

余計に暑さがこたえます….。

 

ONE OK ROCK表紙のMUSICA9月号と、

そして長らくお待たせしてしまった(本当にごめんなさい)

NICO Touches the Walls初のインタヴューブック『旅の軌跡』が発売になりました。

どちらもめちゃくちゃ充実した内容になっていると自負しています。

是非にお買い求めいただけますよう、よろしくお願いします。

 

NICOの『旅の軌跡』は、過去5年間にMUSICAに掲載した

インタヴューや密着ドキュメントが丸ごと入ってます。

(バンド的にはインディーズ最後の作品『Eden』の頃から、

 そしてMUSICA的にはまさに創刊イヤーからの5年です)。

初期の頃は鹿野が、シングル『ホログラム』の頃からは私が主にインタヴューを担当してきたのですが、

取材していた自分でも、こうやってまとめて読み返してみると改めての発見もあったりして、とても面白いです。

MUSICAに掲載したものの他に、この単行本のために録り下ろした最新インタヴューも収録してます。

是非じっくり読んで欲しいです。

詳しくはこちらをご参照ください→ http://www.musica-net.jp/nico

 

また、MUSICA最新号にも、鹿野と私のリレー形式でここまでのNICOを振り返る原稿を書いてます。

そちらもぜひチェックしてください。

 

写真はライジングでのひとこま。

フィッシュマンズのライヴ中に、そのステージテントの前で撮った写真です。

わらの塊の上で、フィッシュマンズの音楽に合わせて子供が踊ってたのですが、

うっすらと夕焼けに染まる空にはためく色とりどりの小さな旗と、その子供達の姿が、

とてもフィッシュマンズだなぁと思って。

フィッシュマンズの音楽って、とても柔らかで優しくて心地いいけれど、

一歩先に少し得体の知れない怖さも見える。そこに惹かれてやまないのです。

 

今週末はSUMMER SONIC。広島ではSETSTOCKですね。

夏フェスシーズンも後半戦、みんな熱中症には気をつけて、思い切り音楽を浴びましょう。

Posted on 2012.08.16 by MUSICA編集部

KESEN ROCK FESTIVAL’12、東北に再びロックが花開いた至福の瞬間を徹底ドキュメント

『MUSICA9月号』P.84に掲載

すべてを失った今だからこそ、
あの山の上から奇跡を生み出したかった――
手作りの自由と手作りのロックが固く握り締めあった
生きてくためのロックの天国KESEN ROCK FES、
歓喜の復活ドキュメント!

 手作りのフェスと書けば聞こえはいいし、さも楽しそうなだけにしか映らないかもしれないが、この便利な時代に何でも手作りでやろうとすると、必ずストレスと摩擦を生み出す。
 KESEN ROCK FESは過去2回、素晴らしい場所に素晴らしいバンドが集まって、素晴らしい1日をロックと共に朝から晩まで過ごしていた。しかし開催まで寝る間を惜しんで会場設営をし、その上で赤字が計上される時もあった。スタッフもだんだん年齢を重ね、結婚したり子供を授かったり、誰もが脇目も振らずにフェスと向かい合うことができずに開催云々を悩んでいた真っ最中に、去年の3月11日が訪れ、けせん地方と呼ばれる大船渡、陸前高田、住田町の多くを津波が奪っていった。よって去年のフェスの開催は、話し合うまでもなく無くなったのであった。
 4月になり、このフェスを昔からサポートしていたthe band apartの原(昌和)と共に、物資を送り届けるだけじゃ仲間の気持ちがどうなっているかわからない。だから逢いに行こうと、54-71というバンドをやっていた川口(賢太郎)が持ってきたソーラーパネルと共に現地へ向かった。行く先々で「昨日、TAKUMAさんがトラックに布団を積んで来てくれたんだ」と、これまたこのフェスに最初っから深く関わり応援し続けている10-FEETが訪れたことを心から嬉しそうに語る彼らと、フェスの今後を含め、いろいろ話をした。
 そもそも自信を失いつつあった彼らが、津波に持っていかれたのは家や親族だけではなく、己の希望や可能性だったのは言うまでもない。彼らは明るく振る舞うし、びっくりするほど屈託なく震災のことをギャグにしたりしたが、これまたびっくりするほど「明日以降」のことだけは語りたがらなかった。音楽の話もそう。流された家の周りで所持品を探していたら、1枚だけ出てきたアジカンのCDが大切で、そればっかり聴いてるからカラオケで全部唄えるとか言い出したり、途方に暮れて津波にやられた場所を歩いていたら、木に去年のKESENのスタッフパスがぶら下がっていたんだと言って、写真を見せてくれたりする。
 彼ら彼女らは、生きることに、そしてここで起きたことを認めるために一生懸命生きていた。スタッフのひとりでもある新聞記者の女史は、帰る家もないし、だから帰らないし、3日間も髪の毛洗ってないと言いながら、輝いた目でいろいろな場所を飛び回っては取材に明け暮れていた。
 そんな彼らが明日のことだけは語りたがらない。
 しかし仲間である彼らが、あり得ないほど自由で手作りなロックフェスを開催できるのは事実だし、そのフェスをまた開いて欲しいし、彼らの心の大切な部分にロックが今もあるのはわかった。だったら「別に12年にKESEN FESを彼らが開催しなくてもいいじゃないか。もしやりたくなったら、その時に一気に事が進むように、東京で勝手に準備を始めよう」と始まったのが、KESEN FESの支援プロジェクト「KESEN ROCK TOKYO(以下KRT)」だった。

(続きは本誌をチェック!)

text by 鹿野 淳

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Posted on 2012.08.15 by MUSICA編集部

10-FEET、3年を経て遂に完成したアルバム『thread』迎撃インタヴュー!

『MUSICA9月号』P.76に掲載

3年かけて搾り出された、最高傑作にして「ただのロック。」
絶え間なき後悔と、それでも生きていく事だけを歌ったアルバム『thread』。
部屋の隅でひとり膝を抱えるすべてのあなたにロックは今、このアルバムを捧げる

■最初からおかしなこと言いますけど、正直、僕は間に合わないと思ったんですよね。去年の11月にインタヴューした時のことを考えると、当分できないだろうなと思ってて。だから京都大作戦の時に「アルバムどうなの?」ってスタッフに訊いたら、「2日前にできました!」って言われて、びっくりして疑ったぐらいで。

「あははははははははは、そうですか。それは鹿野さんが僕のことをわかり過ぎてる証拠です」

■逆に言うと、よくあの精神状態とか楽曲を作っていくモチベーションからここまで仕上げてきたなっていう感じがするんですけど。この半年の中で、一気に覚醒してった感じなんですか?

「スタートダッシュがちょこっとあって、あとはもう半年かかって1曲か2曲、みたいな。で、なんとか目標の量に届いたなっていう感じでした。楽曲ができる時ってポーンとできたりするんですけど、出ない時っていうのは一向に出てこなくて。結果、自分に対して思い悩んでるのかなって思ったり、このまま枯れてまうのかなと思ったこともあったし。でも、そんな中で既にでき上がってる曲とかを聴いたらそこから勇気もらったりとか、1滴1滴でも何かが出てきて1曲でき上がる度にそこから勇気もらったり……3年という時間以上に長旅でしたね、このアルバムは」

■結果的に最上級の意味で、「ただのロックアルバムが生まれた」と思うんです。普遍的でもあり無防備でもあり、振り絞ったものしか鳴ってないという意味で、ロックアルバムとしてのロックアルバムだなと思って。そういうアルバムを『thread』と名づけたのはどうしてなんですか?

「ピック・アップ・ザ・スレッドっていう言葉があって、その意味はずっと続けてたことをもう一度やるっていうことなんですね。ずっと連絡取ってなかった奴と久々にもう一回繋がる、みたいな。今回のアルバムって、全曲ビッと1本の糸で結びついたイメージがあるというか、ひと筋の人生とか旅のような……常に選択肢がたくさんあって、その時その時の選択って一回しかないんですよね。それが人生であり音楽であり……そういうのを選びながら繋がってきてるというか。自分が作り出して選んできた道の中に、どんな時でも『あぁ、俺やな。俺そういう選び方するな』みたいな、自分らしさみたいなものがあって、そういうものを今回の全楽曲に感じてアルバムタイトルつけたところがあって。自分の人生、自分がずっとやってきたことがあって、もう一度それをやろう、自分のところにもう一回引き上げてピックアップしてみようっていう。そういう意味で、このタイトルをつけたかったんですよね」

(続きは本誌をチェック!)

text by 鹿野 淳

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Posted on 2012.08.15 by MUSICA編集部

ASIAN KUNG-FU GENERATION、震災後の日本に希望の塔を打ち立てる

風吹かぬ地に風吹かす
アジカンの決定打アルバム
『ランドマーク』
ここに新たなロックの塔が立った

■待望のアルバムが、遂に届きました。

「いやぁ、やっと終わりましたね(笑)。長かった」

■震災直後からスタジオに入り始め、結果、1年半くらいかけて完成に至ったわけですけど。アジカンとして今歌うべきことを歌い切った強いメッセージが明確に提示されていると共に、音楽的には非常にバラエティに富んだ作品になっていて。アジカンの培ってきたいろんな引き出しを散りばめた総決算的な趣もあるし、潔さん作曲の曲が初めて収められていることも含め、予想以上に個々の嗜好が自由に表れた作品になったなぁと思ったんですが。まずは、ご自分ではどうですか?

「正直言って、どう伝わるかわからない、このアルバムは(笑)。もちろん、ちゃんと決意を持って書いたものだし、自分が今書くべきだ、歌うべきだって思うことは全部歌ったし、鳴らしたい音は全部鳴らしたと思うんですけど。でも、それがどういうふうに人に受け取られるかは全然想像できてないですね。だから、今までで一番ドキドキしてる(笑)。それはきっと、曝け出してる部分があるからかもしれないですけど」

■はい。リードシングルになった“それでは、また明日”を筆頭に、歯に衣着せぬ物言いで今私達が生きている現実に言及しているし、そこにある闇やネガティヴも逃げることなく真っ直ぐに鳴らしていて。でも最終的には、ここにある音楽は未来へと繋がっていくためのタフな希望として鳴っているという……そこが素晴らしいと思いました。

かもしれない、『俺達はライヴハウスに夢を見に来てるんだよ、どうしてこんな現実のつぶてを投げつけてくるんだ?』っていう気持ちが湧き上がる人もいるかもしれないとも思うんですけど。でも、俺は今のタイミングでこういうことを書けないんだったら、ペンは置かなきゃいけないって思うから。そういう気持ちで書きましたね」

(続きは本誌をチェック!)

text by 有泉智子

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Posted on 2012.08.15 by MUSICA編集部

サカナクション、新たな季節の到来を鳴らす

混乱よ、哲学よ、夜よ、シーンよ、さあ踊ろう。僕らはこれを待っていた!
久しぶりのアッパーチューン“夜の踊り子”をサカナに、
新しい季節の到来を山口一郎、告げる

『MUSICA9月号』P.60に掲載

■ようやくこの曲のインタビューができると思うと嬉しいな。完成してから長かったね。初めて聴かせてもらってからどのくらい経つっけ?

「いつだっけなぁ。冬だったんだけど……」

■たしか1月末だったような気がするんだけど。

「マスタリングが終わった日にここ(MUSICAのオフィス)に持ってきて聴かせたんだよね。スタッフの人には内緒で持ってきたから、聴いたって言わないでくださいって言いつつ(笑)」

■あれは、自信作ができたと思ったから持ってきたんだよね?

「そう。『鹿野さん、これでしょ?』っていうのを確認しにきたんですよね」

■完全にドヤ顔だったのを憶えてる(笑)。自分の中ではスマッシュヒットなシングルができた手応えがあった、と。実際、本当に素晴らしいシングルとして届けるべきシングルだと思うんだけど、こういうアッパーかつ音楽的な魅力が前面に表れている曲は、シングルとしては久しぶりだよね。

「そうですね。“アイデンティティ”とも違うし、“ルーキー”ともまた違う、サカナクションの表としての新しい感覚がまたひとつ、この曲で出せた気がしますけどね」

■制作面でいくと、これは『DocumentaLy』後の1発目の曲でもある(“僕と花”よりも先にできていた曲です)し、ここから走り出そうという気持ちが歌詞には凄く赤裸々に綴られていて。まずは『DocumentaLy』以降、どういうモードでこの曲に着地していったかを教えてもらえますか?

「『DocumentaLy』っていうアルバムには、音楽が日常だっていう、当たり前のことを切実に伝えるのがひとつのコンセプトだったんですよね。それをやって、アルバムとしての目標はもちろん、セールスの目標だったり、ライヴ動員の目標だったりが思い描いたところにいけたんですよ。で、その結果を出した後に、スタッフと一緒に目標を新しく設定して。具体的には今までの倍の結果を出そうっていう目標なんですけど」

■たしか、アルバムのセールスが20万枚、幕張メッセが2daysという目標値を掲げてるよね。

「そう、そこに行きたいっていう気持ちがあって。そのためにどうしていこうかって話し合いながら自分で思っていたことを精査していった結果、やっぱり、外へどんどん挑戦していくっていうことをもっとはっきりやっていかなきゃいけないと思った。そのための新しい一歩を『表』に発信したい――前から言ってるように、僕は表裏一体っていうところを上手く表現していきたいわけですけど、その『表』の曲を作りたいっていう気持ちが強くなったんですよ。そんな時にモード学園のCMタイアップの話があって、これはその表という目標をクリアするためのひとつの材料だなとも思ったし、チャンスだなとも思って。だからすぐに作りましたね」

text by 鹿野 淳

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Posted on 2012.08.14 by MUSICA編集部

BUMP OF CHICKEN、「GOLD GLIDER TOUR」密着連載――最終回

七夕の東京の夜、そして去年から続いた長き旅路の果てで辿り着いたファイナルの仙台。
いつだって頑張って考えて探し続けた音楽の力を、
4人の蛍(firefly)が照らし出した新たな光。
4年ぶりのツアー、その最終章のすべてを、
忘れがたきすべての瞬間を、どうしてもあなたに――

 去年のGOOD GLIDER TOURから続いた、久しぶりのツアーに完全密着したこの連載も、7回目にしてファイナルを迎えました。ツアーに参加した人も、できなかった人も、みんな自分のいろいろな鏡と照らし合わせながら、このレポートを毎回読んでくれたことと思います。
 ありがとう、最後の物語を始めます。
 今回はツアーが終わった後なので、楽曲含めてすべてを露にしながら綴っていこうと思います。

7月7日 代々木第一体育館

 13時ちょうどに体育館に入る。外は雨が降ったり止んだり微妙な雲行きで、早くから並んでいる多くの客は、傘をさすというより、簡易雨合羽を着て静かに開場を待ったり、グッズ売り場に並んだりしている。
 楽屋に入ると、ギターを弾きながら発声しているフジが「ご飯を食べなよ」と迎えてくれる。
 そして唐突に「しかっぺ、キズパワーパッドって知ってる?」と言うから、知らないと答えると、「実は名古屋で“Smile”やってる時に、この指(右手の人差し指)が切れちゃって大量に流血してさ。よく見ると肉がもう抉れちゃってるんだよ。で、その日は何とかこなせたんだけど、そこから代々木までの間にどう治せばいいのかって落ち込んでたら、秀ちゃん(升)が『キズパワーパッドがいいよ』って言うから試したのさ。したら、びっくりするほど早く治って、ほら、もうこの通りだよ」と、いつものような繊細な指を自慢げにこっちに掲げてくる。既に代々木では2日ライヴをして今日を迎えているが、その後この日までに2日の休息日があったので、体は軽いし調子はむちゃくちゃいいようだ。
 その後増川が入ってきて、「外の雨の調子はどう?」と心配そうに訊いてくる。降ったり止んだり、でもなんとなくずっと降ってるかなと話すと、「みんなもう集まってるんでしょ? 申し訳ないよな。なんとか開場までの間だけでも止ませることができないのかな?」と眉間に皺を寄せて話す。そんな増川は、舞台監督に「今日は湿気が多いってことでしょ? だったらやっぱりギターの音もだいぶ湿ってくるんだよね? その辺どう仕上げようか?」と、プレイヤーとしての積極性をぶつけながら、ライヴまでの時間を過ごしている。東京だと意識も変わってくるものなの?と尋ねると、「もうずっとツアーやってるからさ、東京もどこもあんまり変わらなくなってきてるよ。というか、変わらないほうがいいと思うからさ、この代々木の間もメンバー同士で飯食ったり遊んだりしてるよ(笑)」と話しながら、サウンドチェックに向かって行った。
(続きは本誌をチェック!)

text by 鹿野 淳

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Posted on 2012.08.14 by MUSICA編集部

THE DEEP STORY OF ONE OK ROCK-#5 All Member Interview 新世代のカリスマバンド、ONE OK ROCK 初の全員個別インタヴューにて、今に至る軌跡を徹底的に紐解く決定版大特集!!

僕らの叶えたい夢は、生きてる間にしか叶えられないから。
やり続ければ数字をも動かせる、そんなロックの夢を見せたい。

■最後に4人で「世界」と「明日」を語りましょう。6月に台湾、韓国、シンガポールと行ってきて、常々「世界に飛び出したい!」と言ってきたバンドとしてはひとつのきっかけを作ったと思います。まずはその実感から語ってもらえますか?

Tomoya(Dr)「もっとアウェイな感じやと思ってたのが、ほんまに『こんなに俺らのことを待っててくれてたんや』っていうのが凄い伝わってきて。ノリも日本とは全然違ったんですけど、でも熱量は、ライブ中めっちゃ伝わってきましたね」
Ryota(Ba)「日本人のお客さんがいっぱい来るのかなって思ってたんですけど、それ以上に現地の人達や、あと他の国の人もいっぱいいて……こんな体験できるとは思わなかったです。『なんでこの人達、俺らの音楽聴いてくれてるんやろう?』って……でも凄い嬉しくて。みんな温かい雰囲気で迎えてくれて、新しい形で一体になれた気がします」
Toru(G)「どこの会場でも、もうイントロ始まるとすぐ歓声が上がって。俺、イヤモニつけてないんで、(歓声が大き過ぎて)自分の音も聴こえなかったんですよ(笑)。自分で何弾いてるかわかんなくなるくらい凄い歓声でしたね」
Taka(Vo)「凄かった、本当に。でも、僕らにとって世界は、『行きたい』じゃなくて、『行かなきゃいけない』場所だったし、時代もこれからそうなると思うんですよ。日本人が今まで『海外』というものに対して抱いてた憧れや、『負けたくない』っていう精神みたいなものは、どんどん古い考え方になっていくんじゃないかなって体で感じました」

■根本的な質問を改めてしたいんですけど、ONE OK ROCKは、なんでそんなにも「世界に行く」という具体的なビジョンを掲げているんですか?

Taka「『世界でやる』ということが、そんなに難しいことだと僕は思ってないからです、元々。『え、なんで無理だと思うの? 絶対大丈夫でしょ!』みたいな。また根拠のない自信なんですけど(笑)」

■でも、人が思ってるほど実際は難しくはないとは思うんだけど、Takaが言うほど簡単なことでもないとも僕は思う。この何十年の中で、日本のロックが認知され始めている現実はある。でも一方で、ヨーロッパ、アメリカと視野を広げた時、ペイラインとか現実的な問題も含めていくと、海外でライヴをしてみんなが幸せになったり、ビジネスとして勝っていける状態を作るまでには、相当シビアな挑戦が必要だと思う。

Taka「それはわかります。でも、大事なのは、自分達の作った音楽をしっかりそこに届けるっていう、超シンプルなことで。確かに、世界との壁として言語やお金の問題は大きいですけど、今現在の僕らができること、やるべきことっていうのは、自分達の思いを届けるためにどんな時でも死にもの狂いで自分達の信じる音楽をやることだけだと考えてて。それに僕らには、下の世代の子達のためにも、日本のバンドが世界を回るってことを当たり前にしていく使命があるとも思っているんです」

(続きは本誌をチェック!)

text by 鹿野 淳

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Posted on 2012.08.14 by MUSICA編集部

THE DEEP STORY OF ONE OKE ROCK-#4 Toru 新世代のカリスマバンド、ONE OK ROCK 初の全員個別インタヴューにて、今に至る軌跡を徹底的に紐解く決定版大特集!!

憧れのバンドの雰囲気に呑まれたくて、
メンバーだけでアメリカに行こうとしたこともありました。
当時、高校生で、制服を着たまま
Takaと旅行代理店にチケットを取りに行って。
その時の勢いって凄いものがありました


MUSICA9月号 P.36に掲載

■個人インタヴューとしてはラストパーソンになります。まずToruにとって、「Toru」はどういう人なんですか?

「凄く入り込んだら、とことん考え過ぎちゃうタイプですね。バンドやり出してから、音楽始めてから、神経をバーッと使うようになりました細かいことまで考え過ぎないと落ち着かないっていうか。それは考えないといけないことでもあるし、考えてないと、たぶんいろんな道のりを自分で乗り越えられてきてないと思うんで」

■でも、裏を返せばバンドのリーダーっていうポジションには凄く合ってるってことだよね。

「そうですね、たぶん。考えてることっていうのは全部バンドのことなので。……でも果たして合ってるのかなぁ」

■(笑)そうやってバンドをやろうと思う前は、Toruは何をしたいと思ってたんですか?

「バンドをする前……全然、何も考えてないです(笑)。その時その時、好きなことややりたいと思ったことをただやって。俺、結構長続きするタイプじゃないんですよ。趣味とかもそうなんですけど、同じことをずっとやろうと思うことはあんまりなくて。でも、バンドをやろうと思った時に、今までになかったハンパない熱量があったんですよね」

■音楽にはいつ頃から興味を示し始めたの?

「小学生の時から音楽は聴いてたんですよ。ヒップホップとか、いわゆるダンスミュージックとか」

■それって、ただのヤンキーだったっていうこと?

「いや、違いますよ! 周りにはあんまりいなかったんですけど、単純にラップとかが好きだったんです。それで結構聴いてて、中3とかでバンドをやり出すっていう時にバンド系の音楽に出会ったんでよね」

■ヒップホップが好きだったんなら、たとえばフリースタイルのラップをやろうとか、そういうのはなかったの?

「まぁ、実はちょっとやってましたね(笑)」

■マジで!?

(続きは本誌をチェック!)

text by 鹿野 淳

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