Posted on 2012.11.18 by MUSICA編集部

Ken Yokoyama、本当の願いを歌に託す

「作りたかった」ではなく
「作らねばならなかった」アルバム『Best Wishes』。
アンチテーゼへのアンチテーゼとして今、
愛を歌い鳴らす覚悟に迫る、猛ガチトーク。
ロックの旗を振るのはやはり横山健、その人か!

■5枚目のアルバムで節目となることもあるし、今回は『Best Wishes』というタイトルで、3、4枚目のように数字にちなんだアルバムタイトルでもないですよね。そういうことも含めて、健くんにとって非常に特別なアルバムになったんじゃないかなと思うんですけど。

「そうですね。毎回特別は特別なんですけど、今回は自分でもまったく違った質感だなと、根本的に特別なアルバムだなと思ってます」

■1枚ごとに毎回コンセプトの変化やサウンドの変化はしてきたと思うんだけど、「結果的にこうなった」じゃなくて、今回のように「こうならなくちゃいけなかった」っていうアルバムを作ったっていう意味では、ファースト以来の作品になるのかなと僕は思っていて。

「そう! そうなんですよ。それ、僕も自分で考えていて、確かにちょっと質感の違うアルバムだと思うんですね。ファーストは僕ひとりで曲を作って、近くにいる友達のミュージシャンに演奏してもらって、その後にバンドを組んでって流れの中で作っていって。……このアルバムは、それのバンドヴァージョンなのかなっていう気もしますね。だから、1枚目に近いのかなって」

■あれは「自由の代償」っていう意味のタイトル(『The Cost Of My Freedom』)の通り、張り裂けそうな想いを自分ひとりで音楽にしていないとやってられなかった。そういう必然があのアルバムにはあったわけで、今回も震災以降のことを歌にしていかないとやってられなかった。で、そこに至るまでにスランプのようなものがあったのも聞いていて。その辺の流れを聞いていきたいんですけど。まず震災があって、すぐにミュージシャンとして音楽にしていきたいなっていう気持ちが出てきたんですよね?

「でも、やっぱり3日間くらいは悩みましたね。『音楽って何もできねぇじゃねぇか。俺は何してたんだ? 今までやってたことはなんだったんだ?』って。だって、そういう職業というか、生業が通用しない時間でしたからね。何が一番必要とされてるかっていうと、駆けつけることだったり、物資だったり、瓦礫を乗り越えていく足だったり。でもそれってね、音楽家だけじゃなくてみんなが向き合ったことだと思うんですよ。自分がこの震災で何ができるかって、自分のやっていることと照らし合わせて。で、僕はやっぱり音楽なんて何もできないんだなってあの時は思いましたね。で、72時間経過後くらいからやっと少しずつ自分を取り戻し始めて、『よし、時間はかかるかもしれないけど、いろんなことと音楽家として向き合っていこう』って腹が括れた感じでしたね」

■それで実際に被災地にも足も向けたし、ライヴもやったし、Hi-STANDARDもやってAIR JAMもやって。BBQ CHICKENSに関しては、ある意味、健くんにとってストレス発散の場とか自由な遊び場だったと思うんですけど――。

「はい、まったくその通りですね、それは(笑)」

(続きは本誌をチェック!)

text by 鹿野 淳

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Posted on 2012.11.17 by MUSICA編集部

エレファントカシマシ、偽りない胸の内を曝け出す

孤高の強さ、孤独の哀しみ、
10月14日野音以降の想い、そして24年間
歌い続けた誇り――
その胸中をすべて語る

『MUSICA 12月号 Vol.68』P56に掲載

■今日は10月23日です。野音も終わって――。

「あれからちょうど10日くらいかぁ……」

■そう。気持ち的には落ち着いてきましたか?

「そうですね。野音はねぇ、凄く嬉しかったんですよ、自分が歌えるっていうのが。ちょうど退院して1カ月くらいだったんですけど、最初はもう…………やっぱり混乱するじゃないですか。自分が健康だっていう自信を持っていれば持っているほど、入院したりとか、耳が聞こえにくくなったりっていう状況に混乱しちゃって。その中で、1回コンサートを中止にすると言いながらも、やっぱり歌いたいっていう気持ちが出てきて……でも、俺がそんなこと言ってやったとしても、みんな来てくれないんじゃないかってことも、冗談じゃなく本当に思ったりしましたし」

■うん。

「そういうことをいろいろ考えながらも、ひとりで弾き語りで練習してたんですけど。でも(野音の)前々日の12日に、久しぶりにコンサートスタッフとか蔦谷さん、ヒラマさんと会って……新曲の練習を(リハーサルスタジオで)したんだけど、それが凄くいい雰囲気で楽しくて……だからまず、あの12日の日が本当に嬉しかった。で、14日に野音をやって、お客さんが本当にたくさん来てくれて。ステージに出ていった時に割れんばかりの拍手をもらっちゃって、ちょっと困っちゃうくらいで。『おい、今から歌うのにちょっとうるせぇぞ!』というか――」

■ははははは。

「いやいや、あの……本当に嬉しかったんです(笑)。いろんな思いをあの形にできたのは、凄くよかったですね。まぁ張り切り過ぎちゃったみたいで、この前また検査に行ったら、ちょっと悪くなっちゃってたんですけど……」

■やっぱりまだ大きい音の中で耳を使うと、影響が出ちゃうんですか?

「そうなんですよねぇ。だからね、検査なんてしないほうがいいんですよ!」

■いやいや、そんなことはないよ!

「ほら、検査する時って右も左もするんですよ。そうしたら記録上は右耳も難聴だっていうふうに出ちゃって。右耳はなんともないですよ? でも大きい音を聴いてると、小さい音が聴こえづらくなくなるじゃないですか。コンサートの後ってそうなんだけど、でも記録上は難聴だっていうふうになってしまうという………ただ実際、右耳もちょっと難聴なんですよ。それは経年劣化というか、ピート・タウンゼント(The Whoのギタリスト)とかもそうですけど、長年大きい音でバンドやってるとどうしても仕方ない部分はあって。まぁでも、右は大丈夫です」

(続きは本誌をチェック!)

text by 鹿野 淳

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Posted on 2012.11.16 by 有泉智子

MUSICA12月号発売&ニコ生やります!

MUSICA12月号、発売しました!
表紙巻頭はflumool!
さらにサカナクション自宅REC独占密着や星野源、エレカシ、Ken Yokoyamaに tricot、plenty、BIGMAMA、トクマルシューゴなどなど盛り沢山でございます。 詳しくはこちらをご覧くださいませ。

で、今日の夜21時くらいから、鹿野のトーク生番組「discord」で 最新号のことからその他まで、フリーで語り合うトークストリーミングやります。 読者のみなさんとのコミュニケーションの一環としてやってみよう!という試みなので、
MUSICAを読んでの感想や意見などコメントでバシバシ送ってください。 正直、何を話すかとか何も打ち合わせしてないので、 みんなの意見で内容変わります(笑)。 1回目なのでどうなるかわかんないけど、いろいろ話したいなと思ってますので、 みなさん是非ご参加を、よろしくお願いします!

■番組名 discord
■出演   株式会社FACT代表取締役・鹿野 淳/MUSICA編集長・有泉智子
■放送日程 11月16日(金)21時~(約1時間を予定)
■試聴URL ニコニコ生放送 http://ch.nicovideo.jp/channel/discord
■試聴環境 
PC及びiPhone等※ツイッターでのハッシュタグは「#discord」です。つぶやく際にはお忘れなく!!

写真は、巻頭のflumpoolを撮影した時のひとコマ。
記事の頭で使ってる写真と同じタイミングでケータイでカシャッとしました。
こんな光に出会えるのって、ほんと奇跡。

text by 有泉智子

Posted on 2012.11.16 by MUSICA編集部

星野 源、止まらぬ快進撃

またしても名曲誕生!
いくつもの終わりを越えながら、生命は進む――
そんな、儚さの向こうにある力強さを
大きく歌い鳴らした新曲“知らない”
僕らの星野 源、快進撃はますます続く!

『MUSICA 12月号 Vol.68』P48に掲載

■“夢の外へ”に続き、またしても名曲が生まれちゃいまして。

「ありがとうございます!」

■バラードというのは憚られるような、抑えた曲調の中にも非常に強いエネルギーが迸る素晴らしい曲だと思います。

「うん、力強くなりましたね」

■これを聴いて、やっぱり“夢の外へ”を出したことで完全に音楽を作るスケール感が上がったんだなぁと感じて。“夢の外へ”は曲調的にも新機軸だったわけですが、今回の“知らない”は、言わば星野さんらしさをポップミュージックという大海の中で大きく羽ばたかせた曲だと思いました。

「それはよかったです、本当に。まさにポップミュージックにしたかったから」

■ご自分では、どんな気持ちでこの曲に向かっていったんですか?

「これを作ったのは、“夢の外へ”の発売直前ぐらいで。その時、衝撃というか、ショックな出来事があって……大体、昔からショックなことがあると曲ができるんですよ。で、これもそのショックなことが起きた日に、発作的にバッて全部できて。歌詞はまだなかったんですけど」

■歌詞は、まさに苦しんでいる様子が初回盤のDVDに……(笑)。

「思いっ切り収められてますね(笑)。でも、曲ができた時点でもう『次にシングルを出すならこれをやりたい!』と思ったんですよ。“夢の外へ”で自分がずっとやりたかったポップスの片鱗というか、そこに片足突っ込めたかなぁみたいな気持ちだった時期だったんですけど、そんな時に凄く生理的にできた曲がこれで。“夢の外へ”はコマーシャルがきっかけで作った曲だったんですけど」

■はい。明確にポップスを意識して、今までの自分を壊す心意気で作った曲ですよね。

「そうです。だから、どう自分にブーストかけながらやるか?みたいな感じだったんですけど、この曲は本当に突発的に、自分の心の変化と同時にできてしまったので……真逆なんですよね。でも曲ができた時に、もう瞬間的に『これは“夢の外へ”の音像と同じ形、つまり俺なりのポップスの形で演奏したら凄くよさそうだな』と思って。だから音のイメージに関しては、できた時から完全にこの感じでしたね。で、そこから実際起きたショックな出来事に対する自分の心の整理というか、どう向き合うかっていうところでの作詞作業に入っていって………今までも突発的に曲ができてから、そのショックなことに向き合って、乗り越えたり認めたりするために詞を書くことは多かったんですけど、今回はそれにかなり時間がかかって。それこそ2ヵ月ほど苦しんで………」

(続きは本誌をチェック!)

text by有泉智子

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Posted on 2012.11.15 by MUSICA編集部

サカナクション、独占レコーディング潜入!

一郎の自宅を私設スタジオ化し、
超クローズ空間で行われている作曲&レコーディング。
バイノーラル録音、ブレイカー落ち、
めくるめく団らんと紛糾――
今、サカナクションは大きな変貌を遂げている!

『MUSICA 12月号 Vol.68』P40に掲載

10月11日 
山口一郎宅にて録音

 14時50分頃に入室すると、江島以外の4人とエンジニアの浦本雅史さんが、えらくミニマルなトラックをずっと流しながら「これからどうやって“夜の踊り子”へ繋げればいいのかな? だって売れたシングルだから前へ持ってこなきゃいけないでしょ?」という話をしている。つまりは、このえらくミニマルなトラックを、アルバムのかなり前半部へ持って行こうとしているということだ。いきなり大胆なイメージを突き詰めていることに驚いていると、「どうすか? 地味でしょ? でも、ここにいいメロディ入れられると思うんだ……うん、見える」と一郎がつぶやいてくる。
「ドイツへ行くと、こういうミニマルでシンプルなトラックって、既に文化になっているんだよね。それこそクラフトワークとか、珍しくもなんともなくて当たり前というか……国民的ミュージックというか」とか、いろいろな話をひねり出し、メンバーにそれとなく話しかけている。
 部屋に流れているのは、ミニマルテクノというべき、均一なリズムが徐々に増幅したり変化を起こし、その音の粒ひとつひとつが脳内神経に働きかけ、やがてさっきまでの自分には想像もできない覚醒を覚えるという、電子音楽ならではのリズムトラック。そのリズム音がとっても硬くて、しかも硬いのに微妙に跳ねていて、何しろ気持ちがいい。今までの彼らのリズムトラックとは、少し位相が違う音にどんどん引き込まれていく。
 実は、このレコーディングの6日前に一郎の連載を彼の自宅で行ったのだが、その時にレコーディング進行中だというトラックを2曲、聴かせてもらった。
 それが本当に素晴らしくて。
 まだ歌詞も入っていないものだが、イントロからもう、空気感が出まくっていて、音だけで物語が始まっていくような、繊細にして大胆なトラックだったのである。あの時僕は、少々大袈裟なことを口走った。
「お前、もう勝ってるじゃん、この時点で」

(続きは本誌をチェック!)

text by 鹿野 淳

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Posted on 2012.11.14 by MUSICA編集部

flumpool、パーソナルヒストリーとアルバム『experience』を山村隆太が語る

遂に覚醒した3枚目のアルバム『experience』、
そして遂に覚醒した山村隆太の生き様。
ポップミュージックとして背負うべきものを鳴らした、
その音楽としての進化と、
山村隆太の人生の真価をすべて語り尽くす、
3度めの表紙巻頭特集!!!

『MUSICA 12月号 Vol.68』P18に掲載

■『experience』というアルバムは、flumpoolにとっても隆太の音楽人生にとってもひとつの明確な到達点だと思うんです。なので、今回はまず、ここに至るまでの隆太の人生を振り返っていく、「ヒストリー・オブ・隆太」をさせてもらおうと思います。

「はい。どうなるかわからないですけど(笑)、よろしくお願いします」

■こういう時は一番初めに「音楽原体験がどういうものだったのか」ってことを訊いていくんですけど、このバンドの場合、一生と元気と隆太が幼稚園時代から同じ人生を歩んでるので、3人の出会いから振り返らざるを得ないんだよね。

「家も近所なんで、小さい頃からふたりの顔は昔から見たことあったと思うんですけど、実際にしゃべったことはなくて。最初はお互い存在は知ってるというぐらいで」

■小学生の時のふたりの印象はどうだった?

「えーっとね……元気はランニングに短パンでっていうのはこれまでも結構言ってますけど」

■ライヴでも写真が映し出されたりしてね。

「あの感じで校長先生に朝礼で褒められてたりとか。それに明るい性格だったし、周りからも人気者で。小学校の高学年とかになったら一緒に遊ぶこともあったんですけど、元気はどっちかというと真面目なほうのグループで、僕は真面目じゃないグループにいて(笑)」

■隆太は結構、幼少時代から結構荒ぶっていた感じだったわけ? 大切に育てられながらも、何か自分自身の中で荒ぶるきっかけのようなものがあったとか?

「いや『荒ぶる』ってほどのものじゃないですけど(笑)。でも、小学校高学年の頃は学校を途中で抜け出しちゃったりとかするグループで」

■それは、いつぐらいの頃の話なの?

「小学校……高学年ですね。5、6年くらい」

■学校を抜け出しちゃうのって、僕の世代では中学から始まることだったんですけど。

「ですよね(笑)。まあどっちかっていうと、僕が仲良くしていたのは、母子家庭の奴がいたりとか、家庭的に貧しいというか、不満を抱えてる奴らがいるグループでしたね。僕自身は両親もちゃんとふたりいて、そのグループの中では結構恵まれてたほうだと思います――でも今になって思うのは、家ではすっげえ仮面被ってるというか、優等生ぶってたところがありますね。だけど外に出ると違うっていう。母は幼稚園の先生だし、お婆ちゃんもふたり――祖母とその姉妹なんですけど――いたので、凄く過保護で」

■それは過保護というか、教育熱心だったんだと思うよ。

「そうですね(笑)。家では凄い愛情を注いでもらってた分、いい子でいなきゃいけないって思ってたんですよね。だけどそうじゃない自分もいる気がしてて。で、外では結構やんちゃというか」

(続きは本誌をチェック!)

text by 鹿野 淳

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