Posted on 2012.08.19 by MUSICA編集部

ART-SCHOOL、劇的変化の理由を今こそすべて語る

『MUSICA9月号』P.124掲載

シーンを揺るがす傑作『BABY ACID BABY』をものにした
今だからこそ洗いざらい語る、
メンバーチェンジ、レコード会社移籍、
シカゴレコーディングの真相のすべて!
バンドの革命的変化のインスピレーションとなった
Cloud Nothingsとの特別対談も交え、木下理樹が吠えに吠えまくる!
「日本よ、これが本当に危険なロックだ!」

■間違いなくART-SCHOOLのキャリア史上最大の変化作にして、ロックシーンに大きな楔を打ち込む決定的な作品になりましたね。どうしてこんな凄い作品を生み出すことができたのかについて、これからじっくりと話を訊いていこうと思ってるんですけど、まずは「おめでとう!」と言いたい(笑)。

「ありがとう(笑)。すべては、中尾(憲太郎)さんと(藤田)勇さんと一緒に初めてスタジオに入った時のケミストリーから始まったんですよ。4人で音を出せば出すほど、どんどんヘヴィにどんどんハードになっていって、このスタジオに渦巻いている爆発的なエネルギーをなんとか作品に封じ込めたいと思って。そこから『どこでどうやって録ればいいんだろう?』っていうのが自分の中のテーマになって。そこで思いついたのが、シカゴの(スティーヴ・)アルビニのエレクトリカル・オーディオ・スタジオで。正直ダメもとでスケジュールを確認したら、奇跡的に一つスタジオが空いてて、そこから俄然モチベーションが高まっていったんですよね」

■メロディも詞も、そうした新たな態勢が整ってから本格的に作り始めていったんですか?

「曲自体は去年から地味に作ってきたものが元になってるんですけど、結局マテリアルとしては半分くらいしか残ってないんじゃないかな。この態勢になってから新たに作っていった要素もかなり大きいですね」

突然のメンバー脱退と、
中尾憲太郎&藤井勇加入までの全真相

■最初にちょっと時間を遡って、昨年の、バンドが生まれ変わっていった経緯について訊いていきたいのですが。これだけ説得力のある作品を生み出した今だからこそ、語れることもあると思うので。

「うん。もっと具体的に言うと、昨年1月にO-EASTでワンマンがあったんですけど、その時に『もう限界かもな』っていう感触があったんですよ。それで、その2日後くらいにメンバー全員とマネージャーで集合して『どうしようか?』って話になって。自分としては、もうその時点で行き止まりにいるような気持ちだったんですけど、基本的にその場はみんなの意見を聞くためのものだったから。そこで俺が『これからどうする?』って言った時、みんなはそれでもやってみようって言ってくれてたんで、一度は『よし!』って思って、そこから曲作りに入ったんです。でも、それからはほとんどまったくうまくいかなかった」

(続きは本誌をチェック!)

text by 宇野維正

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