flumpool、パーソナルヒストリーとアルバム『experience』を山村隆太が語る
遂に覚醒した3枚目のアルバム『experience』、
そして遂に覚醒した山村隆太の生き様。
ポップミュージックとして背負うべきものを鳴らした、
その音楽としての進化と、
山村隆太の人生の真価をすべて語り尽くす、
3度めの表紙巻頭特集!!!
■『experience』というアルバムは、flumpoolにとっても隆太の音楽人生にとってもひとつの明確な到達点だと思うんです。なので、今回はまず、ここに至るまでの隆太の人生を振り返っていく、「ヒストリー・オブ・隆太」をさせてもらおうと思います。
「はい。どうなるかわからないですけど(笑)、よろしくお願いします」
■こういう時は一番初めに「音楽原体験がどういうものだったのか」ってことを訊いていくんですけど、このバンドの場合、一生と元気と隆太が幼稚園時代から同じ人生を歩んでるので、3人の出会いから振り返らざるを得ないんだよね。
「家も近所なんで、小さい頃からふたりの顔は昔から見たことあったと思うんですけど、実際にしゃべったことはなくて。最初はお互い存在は知ってるというぐらいで」
■小学生の時のふたりの印象はどうだった?
「えーっとね……元気はランニングに短パンでっていうのはこれまでも結構言ってますけど」
■ライヴでも写真が映し出されたりしてね。
「あの感じで校長先生に朝礼で褒められてたりとか。それに明るい性格だったし、周りからも人気者で。小学校の高学年とかになったら一緒に遊ぶこともあったんですけど、元気はどっちかというと真面目なほうのグループで、僕は真面目じゃないグループにいて(笑)」
■隆太は結構、幼少時代から結構荒ぶっていた感じだったわけ? 大切に育てられながらも、何か自分自身の中で荒ぶるきっかけのようなものがあったとか?
「いや『荒ぶる』ってほどのものじゃないですけど(笑)。でも、小学校高学年の頃は学校を途中で抜け出しちゃったりとかするグループで」
■それは、いつぐらいの頃の話なの?
「小学校……高学年ですね。5、6年くらい」
■学校を抜け出しちゃうのって、僕の世代では中学から始まることだったんですけど。
「ですよね(笑)。まあどっちかっていうと、僕が仲良くしていたのは、母子家庭の奴がいたりとか、家庭的に貧しいというか、不満を抱えてる奴らがいるグループでしたね。僕自身は両親もちゃんとふたりいて、そのグループの中では結構恵まれてたほうだと思います――でも今になって思うのは、家ではすっげえ仮面被ってるというか、優等生ぶってたところがありますね。だけど外に出ると違うっていう。母は幼稚園の先生だし、お婆ちゃんもふたり――祖母とその姉妹なんですけど――いたので、凄く過保護で」
■それは過保護というか、教育熱心だったんだと思うよ。
「そうですね(笑)。家では凄い愛情を注いでもらってた分、いい子でいなきゃいけないって思ってたんですよね。だけどそうじゃない自分もいる気がしてて。で、外では結構やんちゃというか」
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text by 鹿野 淳
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