Posted on 2012.12.23 by MUSICA編集部

ACIDMAN、その壮大かつ独創的世界を改めて紐解く

結成15年、デビュー10周年の年の暮れに
掲げる最後の光、それは“新世界”。
直情的に始まり=終わりを唱えるスピードナンバーは、
アシッドマンを如何なる新世界へと誘うのか?
集大成にして新たな地平を見せるシングルを、
オオキ大いに語る。アルバムももうすぐだ!!

『MUSICA 1月号 Vol.69』P102に掲載

■今年2枚目のシングルなんですが、♪ウォ~ウォ~!と叫び歌ってまして。

「はい(笑)。確かに歌ってますね」

■しかもその部分の歌詩に<今日>という言葉が当てられていて、文学と掛け声が合わさってる。これが象徴的なんですが、非常にアグレッシヴで直情的な曲ですよね。タイトルも“新世界”だし。

「とことん真っ直ぐですね(笑)。前作を録り終わったくらいに、結構衝動的に作ったんですけど。詩はまだでしたけど、いつものようにメロディだけは先に作ってて。ちょうど凄くスロウな曲を作ってた時だったので、その反動で何も考えずにバーっとやって。で、何通りもの言い回しの歌詩を書いたんだけど、どう逃げても真っ直ぐ行くしかなくて。“新世界”というタイトルも、今までずっと言ってきたことなんだけど、やっぱりこの言葉しか当てはまらなくて。これはもうストレートにいってみようっていう感じでしたね」

■前作のシングル“アルケミスト”は、感動というものにダイレクトな曲だったと思うんですが、今回の“新世界”は、衝動というものにダイレクトな曲だと思っていて。

「まさにそうですね」

■結成15年、デビュー10年の後って、もの凄く素直な曲が続いてますよね。これは、ひと区切りをつけた後っていう自分なりの気持ちなのか、今という時代に対してなのか、教えてください。

「一番大きいのは振り返ることができたからだと思いますね。俺、元々照れ屋ではあるから、真っ直ぐな表現は好きではあるけど、自分がやるならちょっと濁した表現が好きだったんですよ。でも改めて振り返ってみると、曲とか詩の中での本音ってどんなに隠そうとしても隠せてないんですよね。どんなに着飾っても人間がもの凄く表れる。そこに気づいて。なるほど、隠すことってそんなに意味ないんだなって思った。であれば、もちろん真っ直ぐな表現も好きなので、もっともっとそこを推し進めていくべきだなと思うようになったんです。10年やれたからこその自信というか、強みというか、そういうものが最近出てきましたね。あと同時に、誤解を招くかもしれないけど、諦めというかね。カッコつけてもしょうがないんだなっていう諦め。やっぱり人間の生き様が出るのが音楽であり、表現であるってことに気づいたから。自分の日々の生き方がカッコよければカッコよくなるし、カッコ悪ければカッコ悪いものができる。だからもう、カッコつけようとはしないというか。………でも、前も言ったかもしれないですけど、“赤橙”の歌詩を改めて読んだ時に、『あ、俺は本当に昔からこんなこと歌ってたんだな』って思って。あの時は今のような感覚も知識もまったくない、本当に感覚だけで言葉を書いていたのに、今と同じように黄金のメロディを探している少年の歌だったから。それで、俺は間違ってないんだなっていうことに気づきましたね」

■今話したことは歌詩がメインの内容だったけど、音楽的にもそれは際立っていて。“アルケミスト”でも感じたことなんですけど、バラードとアッパーソングの違いはあれど、どちらも曲調的に高揚感が溢れていて、上がり続けていく曲になっているんですよね。カーブがないというか直線的。

「そう言われてみればそうかもしれない………あんまりそこは意識はしてなかったです。まぁ思うがままなんですよね。実はこの曲、一番最初のイントロダクションからAメロまでは、デビューしてすぐのセカンドアルバムを作ってた頃に作ったものだったんですよ」

■え、そうなの?

(続きは本誌をチェック!)

text by 鹿野 淳

『MUSICA 1月号 Vol.69』のご購入はこちら