Posted on 2014.01.15 by MUSICA編集部

サカナクション2014年始動
ニューシングルに込めた想いと新たな決意に迫る

ロックってなんですか?
――今は人がどう思うかとかじゃなく、
自分がその渦中にいる人間としてその問いに答えられる気がする。
この一年間、ロックじゃない世界を知ったことでそれがわかった気がします

『MUSICA 2月号 Vol.82』P.32より掲載

 

■“グッドバイ”を昨日のCOUNTDOWN JAPANでやってみて、反応をどう受け止めた?

 

「みんな、“ユリイカ”をやると思ってたみたいで、『“ユリイカ”じゃなかったけどよかった』って反応が一番多かったかな(笑)。感動したっていうのとか、いろいろあって。でも正直、あの曲をやってる時はお客さんの顔を一切見てなくて……2013年のことがグワーッと走馬灯のように頭の中を巡ってきて。正直、リスナーのことを全然考えてなかったんですよね」

 

■そうだったんだ。MCで、『挑戦の年でした。だから得たものと失ったものがあったけど、それでもいいんじゃないかと思ってます』って言ってたのが印象的だったんだけど。あの言葉にはどういう気持ちが発露してたんだろうね?

 

「『これをやるとこうなる、これをやらないとこうなる』っていうようなことをずっと僕は気にし過ぎてたのかなって思ってて。オーヴァーグラウンドとアンダーグラウンドの間とか、マジョリティとマイノリティの間を行ったり来たりするっていうのが僕らがずっと言ってきたスタンスだったんだけど、そのスタンスはライヴとメディアを別々に考えてて……たとえば『メディアでこれをやるとダメだな』とか『ライヴではこれをやらなきゃファンが離れていくな』みたいなことばかり考えてて、自分がエモーショナルに歌うっていうことを自体を見失っちゃってたんですよね。だから、そんなことはもう気にしなくてもいい、失うなら失ってもそこに発見があればいい、と。そこに一種、達観した感じはありましたね」

 

■あと、自分を信じてみようっていう気持ちが出てきたのかもね。そんなこと気にしなくても、今までの自分の中の経験値でバランスを取ってきた自分のセンスを信じてみようって。

 

「あぁ、そうかもね。たぶん、やっぱり俺って心配性なんだよね。でも、きっとそれが変わらないまま変わり続けていこうとする原動力になってる気がして。……あの日(COUNTDOWN JAPAN)、バンプのライヴ観て、変わらないっていうことは一種の凄い才能がないとできないなって思った」

 

■自分の中に絶対的な何かをちゃんと持ってて、それを音楽として打ち立てていくっていうことだから?

 

「うん、バンプもそうだけど、俺にとってはレイ・ハラカミさんもそうだったんですよ。あの人は変わらないことが本当にカッコよくて。変わらない何かを求めるっていう意味で、バンプのリスナーがバンプに求めてることと僕がレイ・ハラカミさんに求めていることは一緒で……変わらないでいて欲しいんですよね。でも、サカナクションに求められていることはたぶん違って、『変えて欲しい』って思われていると思う」

 

■間違いないね。

 

「でしょ。それに応えるためには、失うものと手に入れるものを同時に漁っていくようなことが必要で。今、それをやってる」

 

■そんな中、前号のインタヴューの時はまだ未完成だったシングルがいよいよ完成しました。デモテープとか途中までの音源と比べて、“ユリイカ”はとてもポップなものになったと思うし、“グッドバイ”は非常にシンフォニックなものになったと思うんだけど。一郎の中では改めてどう感じていますか?

 

「“ユリイカ”は、前も言った通り、映画のタイアップっていうのが決まってて、そこからスタートした曲で。その中で、ここまでミニマルに音数を減らして、バンドで歌モノを作ったことなかったから、正直、作りながらよくわからなくなってたんですよ(笑)。でも、落ち着いて聴いてみると、めちゃくちゃフォーキーな曲だなって思って。そういう曲をダンスミュージックの要素と一緒にミニマルなものにしていったら、“三日月サンセット”とか“夜の東側”とか“ワード”とか、当初自分達の中で思い描いてた曲の進化系みたいな曲になったんだなって。そういうことを、でき上がってから改めて感じ始めてますけどね」

 

■今日は大晦日なんですが、大瀧詠一さんが亡くなられました。だから言うわけじゃないですけど、大瀧さん(はっぴぃえんど)や山下達郎さん(シュガー・ベイブ)やYMO以前の(高橋)幸宏さん(サディスティック・ミカ・バンド)がやってたような、昭和の東京シティポップな匂いが非常にする曲だなぁと思って。

 

「あぁ、俺もそれを意識して作ったわけじゃないけど、感じてはいた。だって東京に住んでるし、自分は北海道から東京に出てきた人間だけど、こんな生活してたら自分があたかも東京で生まれたかのような気もしちゃって……『釣りビジョン』とか観てて、フィッシングフェスティヴァルが幕張でやってたりすると、『あぁ、行けんじゃん! 俺、東京にいるんだな』って思ったりね(笑)。……“ユリイカ”の歌詞書いてる時に思ったのが、リアルに自分が生活の中で感じてることを歌にしなきゃダメだなってことで。そうじゃないと、自分達がテレビに出た時とかに横に並んでる人達と一緒になっちゃうなと思ったんだよね。バンドとかロックが何かなんてよくわかんないけど、1個言えるのは、人生を歌うとバンドになるし、ロックになるんだなって思った。だから、自分の部屋の中の歌だったり、自分に起きていることを歌にするっていうのは凄く自然で。それがシティポップのようになったのは、俺が今回、街の中で感じたセンチメンタルとか郷愁を歌にしたからだと思うんだけど」

 

(続きは本誌をチェック!

 

text by 鹿野 淳

『MUSICA2月号 Vol.82』