Posted on 2014.04.15 by MUSICA編集部

爆弾ジョニー、
新世代ロックのヒーロー、現る!!

運とかもあるけどさ。
自分はこうやる!っていかに強がれるかっていうか、頑固になれるか。
それで決まってくるじゃん、生き方とかさ。
そういうことを誰かが言わないといけないから
ロックバンドが言えばいいなって

 

MUSICA 5月号 Vol.85P.32より掲載

 

■メジャーデビュー目前だし、この半年で状況もかなり変わって周りがザワザワしてきてると思うんだけど、どんな感じですか?

「楽しみ。早くリリースされたいってことしか考えてない(笑)」

■2月に札幌から東京に出てきたんだよね。何か変わりました?

「変わったことしかないですね。逆に札幌と同じ部分が全然ない」

■それは、どういう感じに変わったの?

「んーとね、給料が出る!」

■はははは、そりゃデカいね。

「デカいよ! みんな自分のバンドで稼いだお金だけで生活してるから。ひとり暮らしで、親がいないところで生活して……生活リズムも、メジャーデビューでバンドの仕事が増えてるから、バンドバンドしてる。あと、みんなバラバラの街に住んでるから受ける刺激とかはそれぞれ違ってて、それもいいなって思う。札幌だとみんな近いところに住んでたからさ、受ける刺激とか限られちゃうけど」

■同じものを見て、同じ刺激を受けてた感じだよね。

「うん。だからこっからメンバーみんながどういうふうになっていくのかなっていう楽しみはあるね、これから変化を楽しみたい」

■なるほど。自分的に新しい刺激はどういうところに感じます?

「食いもんが不味い」

■ま、札幌と比べたらそうだよね(笑)。

「あと北海道は無菌状態だから。東京に来ると臭いとこ多いし、やっぱり人が多いよね。いい刺激は……近くに会社があるのはいいな、レコード会社も事務所も。札幌にいた時はやり取りもメールか、東京に来た時とかしかできないけど。たぶんみんな、遂にちゃんとミュージシャンになったんだなっていう感じがしてると思う」

■それはワクワクすること? それともちょっと怖さもある?

「怖いことは考えないようにしてる(笑)。だからワクワクすることしか考えてないです」

■前回のインタヴュー(本誌2月号掲載)は5人でやったので、今回はりょーめーくんにフォーカスしたいなと思っていて。まず、りょーめーくんが一番最初に歌を歌いたいって思ったのはいつでしたか?

「歌を歌いたいって思ったことは、実はあんまりないんだけど。最初はギタリストになりたかったから。でも、周りにこの人に歌わせたらいいなって人が特にいなくて。爆弾ジョニー組んだ時、しょうがないから俺はもうヴォーカルに徹して、ギターは諦めようって思ったの。だから歌いたいって思ってヴォーカルになったわけじゃないんだよね。今はそれこそヴォーカルだっていうちゃんとした自覚があるけど、それもいつ具体的に芽生えたとかはないんですよ。ほんと、ロックバンドをやりたいって気持ちで始めたから、正直なんでもよかったのかもしれない。ただメンバーがいて、そのメンバーが1個のものをガーンと作ってやるっていうことをやりたいっていう気持ちが先行してたから。それは今もそうだし。だから、歌いたいより、俺が歌わなきゃっていうほうが最初は大きかった」

■ロックバンドをやりたいって思ったのはいつだったの?

「それは小学校3年生の時にハイロウズを聴いて、これやりたいって思った時。俺、小学生の時はカードゲームのカードを集めたり、フィギュアを集めたり、自分の中でカッコいいと思うものをとにかく集めてて。そのカッコいいものの中のひとつとして、ロックバンドというものを知ったの。それまでは人間じゃないもの――たとえばドラゴンとか、そういうのが好きで。でもロックバンドってものを知って、人間がやってるものでもそれと同じぐらいカッコいいものがあるんだっていうのを見つけて。ロックバンドが人間の中でたぶん一番カッコいいなと思ったので、だったら俺はロックバンドをやりたいと思ったのが最初ですね」

■どんなところがカッコよかったんですか?

「ヒーローみたいな感じ。男の子はみんな好きじゃん、戦隊モノとか『仮面ライダー』とかさ。ロックバンドも俺にとってそういうもののひとつなんだけど………でも大きく違うのは、戦隊モノっていうのは正義の味方っていう肩書があってさ、ヒーローにはものごとの半分の『いいほうの面』しかなくて、残りの半分は悪役っていうものが担ってるでしょ。でも、ロックバンドってそのふたつが1個になってる。明るいとか暗いとか、プラスとマイナスとか、正義と悪とか、そういうのがハイロウズには両方感じられて、超カッコいいと思って――」

(続きは本誌をチェック!

 

text by 有泉智子

MUSICA5月号 Vol.85