Posted on 2014.04.16 by MUSICA編集部

米津玄師、
「許し」と「肯定」の先に辿り着いた境地とは

自分が子供の頃って、漠然と
「許されてないんじゃないか」って思うことがあった。
でも、子供達っていうのは許されなきゃいけないと思うんですよ。
ちゃんと肯定してくれる他人がいないと、
カラカラなまま生きていかざるを得なくなる

『MUSICA 5月号 Vol.85』P.100より掲載

 

■『YANKEE』は『diorama』と比べると、どこか清々しさを感じるアルバムだと感じて。歌ってる内容が晴れやかだということではなく、音楽を作る覚悟がスッとしていたり、全体に人と向かい合う風通しのよさがあるアルバムだと思う。ご自分ではどうですか?

「清々しさ……確かに『diorama』の頃の暗さというか、そういうのが薄くなったのかなという気は自分でもしてますね」

■悲しさは今も色濃くありますけどね。ただ、鬱屈としてない。

「そうですね。やっぱり前を向いて生きなきゃいけないっていうか………『diorama』の頃は鬱屈としたエネルギーがほぼ全部を占めるようなところがあったんですけど(笑)、それも健康的じゃないというか、生産的じゃないなと思うようになってきたので。もっとプラスの方向に向かって行かなきゃ、もうやることなんてないんじゃないかなと思いまして。それでこういうアルバムを作りました」

■今回、バンドメンバーは『MAD HEAD LOVE』の頃と同じ?

「そうです」

■ということは、同じメンバーと1年近く一緒にやってるってことになるんでしょうか。

「はい。去年の夏からだから、そろそろ1年って感じですかね」

■曲作りの仕方は、その中で変わったところもあるんですか?

「『diorama』を作ってた頃は、人と一緒にものを作ることができない、人からやってくる感性っていうのを自分の中に受け止めることができなかったんですけど、最近はデモをまず作って――デモの段階である程度作っていくんですけど、それを相手に投げて、返ってくるものをあんまり拒まなくなりました。それはそうしようと心がけてるところもあるし、それが嬉しいというか、面白いと思えるようになったところもあって。心境の変化は確かにあります」

■『サンタマリア』の頃、『MAD HEAD LOVE』が出るよりも前は、やっぱり他の人と一緒にやるのは難しいと言ってたし、実際よく録り直したりもしてたと思うんですけど。

「今のメンバーで固まるまでは録り直すことが多かったですね。録り直したドラムとベースを弾いてた人が技術的に未熟だとか完成度が低かったとか、そういうわけではないんです。本当に、自分が許すかどうかだったんですよ。それが許せるようになったのは、自分自身の変化によるところだと思うんですけど」

■今回のアルバムって、「あなた」への想いが凄く強いと思うんですよ。昔から米津くんは、自己を決定するのは他者である――つまり自分というものは他者の認識によって成り立つものだという話をしていましたけど、その他者を受け入れられるようになったというか、他者に向けて自分の表現をしていくんだというふうに根本的な部分が開けたんじゃないかと、この作品を聴いてると強く感じるんです。『diorama』は本当にひとりの脳内が全部詰まっている、ある種、密室性の高い作品だったと思うんですけど、今回は他者の中で生きている自分としての表現だと思うし、そういうメッセージが多い。

「そうですね。やっぱり聴いてくれる人と距離の近いものを作りたいと思ったんですね。『diorama』の頃は、自分が思う美しいこととか、自分が思う楽しいこと、悲しいことだけを抽出して形にするっていう音楽の作り方をしてたんですけど、それが『diorama』を作り終わって『サンタマリア』を出してから今に至るまで、どんどんわかりやすいというか、相手の懐にちゃんと入り込めるような音楽を作っていこうと思うようになって」

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text by 有泉智子

MUSICA5月号 Vol.85