Posted on 2014.06.17 by MUSICA編集部

エレファントカシマシ、新たな四半世紀へ――
宮本浩次が語るバンドの現在地

 

僕らにとって、さいたまスーパーアリーナの25周年記念ライヴは
「ベルリンの壁崩壊」」みたいなもので、その前と後では全然違うんですよ!
『あなたへ』と『Destiny』の間では、
歴史に一区切りがついちゃってるっていうか

『MUSICA 7月号 Vol.87』P.58-63より掲載

 

 

■今回の曲は、宮本さんが病から回復してからの流れで言えば『あなたへ』に続く第2弾シングルであり、バンドとしても、さいたまスーパーアリーナでの25周年記念公演という集大成的な時期を駆け抜けた流れを受けてのものなんですけど。僕はVIVA LA ROCKで“Destiny”を聴いて、この曲は効きが早く、凄く開かれたものだと思ったんです。

「なるほど。はぁー」

■“あなたへ”はファンへの手紙のような、ある意味でクローズドの関係性の中で届けていく名曲だったと思うんですが、“Destiny”はもっと多くの人達に向かって開かれていて。

「曲の違いは絶対その通りだと思います。“あなたへ”の頃は、いろんな意味でビビりまくってたから。基本的なところで言えば『音楽を続けられるのだろうか?』ということ、かつ病気直後の最初のシングルだったという緊張感もやっぱりあったし。だからその分、凄く神聖な気持ちというか、『生きてるっていうこととは?』みたいなことを割と真面目に……というか、(療養中)ずっとそういうことばっかり考えてたんで」

■そうですよね。

「はい。それこそゲーテの『ファウスト』をまた一文字一文字読み解くみたいな時期だったので、そういう、本当に指の先まで慎重に、丁寧に、神聖な気持ちで書いていくというかね。だって、それこそ電車の中でパン食ってる人を見るだけで感動してた時期だから(笑)。だからあの時期は、凄く独特の研ぎ澄まされ方をしてたんだと思うんです。それを“あなたへ”でちゃんと出せて。で、その後にさいたまスーパーアリーナ(ワンマン)があって……さいたまスーパーアリーナはね、1年前、つまり病気になった直後に(公演を)決めなきゃいけなかったんですよ。だから最初にどうするか?って話になった時は、本当はやりたくなかったの」

■いきなりそんな大人数の前で自分は歌えないだろう、と。

「そう! 歌えるわけがないと思ってた。でも、いろんな人にやるべきだって言われたのもあったし、もちろん最終的には自分でやるって決断して――せっかくいい場所で、いい時期に会場が取れてるのに、それを中止するのはあまりにも消極的だって思ったから。ただ、まだ調子悪い時に決めなきゃいけなかったから、本当は凄いビビってたんだよ」

■おそらくその時に宮本さんは、いろんな人から「いやいや、宮本くん達のことをみんなが待ってるんだよ、だからこの場所でやるんだよ」と言われたと思うんですよ。

「そうそう、みんなにそう言われた」

■そう言われて、当時の宮本さんはどう思ってたの?

「いやぁ、だから鹿野さんには話してたけど、『次はソロにしようかな?』とか思ってたことも含めて――要するに、音楽をやるっていうことに対する自分の中のストーリーを凄く細かく考えちゃってたの。しかも俺がさいたまスーパーアリーナで観てるのってレッチリとU2だからさ」

■スーパーバンドばかりで。

「だから『病気上がりであんなところで、あんな大人数の前でできるわけないじゃん!』って思って。ましてや、今まで武道館でやった時だって9000人くらいの人数なのに、いきなり1万何千人とかって話になっちゃってて――まぁみんな夢を見るからさ。でも俺的には『いやいやいや……そんな上手く行くわけないじゃないっすか!』って気持ちもあったし、同時に、自分ではまず病気を治して、歌を形にしてからじゃないとって気持ちもあったし……やっぱり病気中に作った歌っていうのはセンチメンタルというか、慎重になってる歌が多いから。だから、まずそういう曲でソロアルバムを出して、自分の中のステップをちゃんと踏みたいって思ってたの。『今だったらわかってもらえるかもしれない』と思ったところもあったしね。でも、ソロの話は全員にもの凄く反対されて(笑)。まぁ確かにバンドでやってるんだからバンドでってところもあるし、当然みんなに言われるまでもなく、俺はバンドマンだと思ってるしね。で、結局ソロはやらないで、“あなたへ”っていう曲をバンドでやって最初のシングルにしよう、と。あの曲は病気の時にソロ用に作ってたものの一環なんだけど、その中でも一番わかりやすい曲を出そうと思って出したものなんです。ほら、山下さん(山下敦弘)という人が監督をやってくれた復活ドキュメントDVDがあったじゃないですか」

■宮本さんがかなり乱暴な言葉でメンバーを叱咤してるシーンも収録されていた、あのドキュメンタリー作品ですね。

「そう、みんなをヒヤヒヤさせたという(笑)。だからまぁ、ああいう感じだったんですよ。よりワガママっていうか――まあ普段もそうなんだけどさ、でも、普段以上にいろんなことに神経質になってる時期だったんですよね。でもその後――やっぱりね、何しろさいたまスーパーアリーナをやったことが凄くデカかったんです。あれは本当に、自分の音楽っていうもの、自分達の活動っていうものを、改めて信じることができるくらいの、本っ当に凄く嬉しい経験だった。まさか本当に1万4000人も入るなんて思ってなかったし――もちろん自分のスケール感としては東京ドームくらい行ってもいいんじゃないか!っていう想いは常にあるんだけど、でも実際、病気の直後で、まぁ25周年というのはあるにせよ、今のエレファントカシマシの状況として人がそんなに入るとは思えなかったんですよね。でも、本当に1万4000人が入って、しかもそれだけじゃない、それこそ“奴隷天国”のああいうの(1万個の風船を降らせた演出)も含めて、大成功だったと僕は思っていて。みんなにとっても僕らにとっても凄く素敵な時間だった。それを経て!ですね……VIVA LA ROCKでも僕は“Destiny”をハンドマイクで歌ったんですけれども、この曲って実は自分のギターが大事なフレーズを弾いてるんですよ。Aメロのジャッジャー! ジャッ!とか、サビのジャカジャーンッ!とか、全部俺が弾いてるから、今までだったらライヴでもギターも歌も自分でやりたい、そのためにクリック聴きながらギター弾いて歌うっていうことをやってたわけですよ。でも今回はそういうの全部取っ払って、バンドに任せて、ハンドマイクで歌ってるんです。そうなれた一番大きい要因は、さいたまスーパーアリーナのライヴで。僕はみんなの前で歌うのが大好きだし、バンドが大好きだし、お客さんが好きなんだって、そういうふうに思える経験ができたってことが凄くデカいんです。しかもタバコをやめたことで、声がもの凄くちゃんと出てる。だからこそ、ハンドマイクにして、もう細かいことは気にしないで歌だけを精いっぱい歌うんだ!って思うようになった―――まぁ(“Destiny”が)自信のある曲だっていうのもあるんですが、でもそれよりも何よりも、俺は歌い手としてここで歌うんだ、俺がそうやって歌えばみんなが喜んでくれるんだ!って、強く実感できる経験をできたんです」

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text by 鹿野 淳

『MUSICA7月号 Vol.87』