Posted on 2014.08.23 by MUSICA編集部

奥田民生&岸田繁&伊藤大地によるサンフジンズ、
白衣に聴診器のロックバンドがMUSICA初登場!

学生の時にバンドやってた時みたいな、
1アイディアでバッとやる感じに戻れたっていうか。
だから昔みたいにバンドでずっと遊んでる感じ、
でもゲームの腕はめっちゃ上手なってるみたいな

『MUSICA 9月号 Vol.89』P.108より掲載

 

■まずは自己紹介をお願いできますか?

Dr.カイ ギョーイ(奥田民生)「えーっと(笑)、カイ ギョーイでーす」

Dr.ジューイ ラモーン(岸田繁)「ジューイ ラモーンです」

Dr.ケン シューイ(伊藤大地)「ケン シューイです」

■たしかこのお名前は岸田さんがTwitterで募集したんですよね?

シューイ「あ、そうだった。してましたね」

ラモーン「そういえばそうや。忘れてました(笑)。でも俺は『お前はジューイ ラモーンだ』って民生さんに言われた記憶がある(笑)」

■ギョーイさん、その心は?

ギョーイ「別に心なんてないですよ! メンバー紹介する時のオチとしてね、これを最後に言いたいだけっていう(笑)」

■(笑)。実は2009年のMUSICA11月号で、ギョーイさんとラモーンさんには、奥田民生、岸田繁として対談表紙を飾っていただいてまして。

ギョーイ「ああ、そうだ!」

■で、あの時におふたりで一緒に何かやりたいねっていう話も出てたんですけど、実際このサンフジンズ結成の経緯はどんな感じだったんですか。

ギョーイ「……特になんの理由もきっかけもないんですけど、ただ時間が空いたから岸田となんかやろうってことになって」

ラモーン「『ふたりで曲作りませんか?』っていう話をしてて――僕はずっと一緒に作りたかったんで、そういう話をしてたら、いきなりギョーイ先生から弾き語りが送られてきて。家でポローンってやってるヤツやったんですけど、それが凄いよかって、『おぉ!』と思って続き作って送り返したりして、それで何曲か一緒に録音したりしたんですけど。それがやってるうちにだんだんライヴバンドのような感じになってきて今に至る、と」

■つまり最初はギョーイさんとラモーンさんふたりでやってた、と。そこにシューイさんはどう加わったんですか?

ラモーン「JAPAN JAMでライヴをやることになった時にドラマーが必要だってなって。で、ちょうどスケジュールが空いてると聞いたので(笑)」

シューイ「ある時、岸田くんが民生さんと録音してるっていうツイートを見て『うわ、このふたりが一緒にやってる!』って思ってたんですけど、そしたらその何日か後にふたりからJAPAN JAMのお誘いをいただいて『うわぁ!』みたいな(笑)。めちゃくちゃ嬉しかったな。僕、初めてドラムのコピーしたのってユニコーンだったんですよ。それこそ楽譜を買ってきて叩いたんですけど(笑)」

■そうだったんだ。サンフジンズは2013年に4回ライヴをしてますけど、最初の頃は民生さんの曲やくるりの曲のカヴァーもしてましたけど、最終的には全曲オリジナルになって。

ギョーイ「うん、それが目標でしたからね。まぁでも、サンフジンズに関しては軽い出来心のような気持ちでやりたいなと思ってて。だから頭はそんなに使ってない」

ラモーン「3人とも普段は割と難しいことをやってるほうやと思うんですけど、このバンドに関してはギョーイ先生から『難しいことはやるな』って言われるんで」

ギョーイ「そうです。だから、一応くるりの岸田を真っ当な人間にするためのバンドって言うんですかね」

ラモーン「ふはははははははは!」

ギョーイ「やっぱり暗いからね、岸田は(笑)。実はサンフジンズって『岸田を明るくしよう』っていうプロジェクトなんですよ」

■裏テーマとしてね(笑)。

ギョーイ「裏テーマっていうか、むしろメインテーマなんですけど(笑)」

シューイ「はははははははは」

ギョーイ「放っとくと暗くなっていくからね。そしたら僕が後ろから蹴るみたいな。『真面目にやるな!』って(笑)」

(続きは本誌をチェック!

text by 有泉智子

『MUSICA9月号 Vol.89』