Posted on 2015.04.15 by MUSICA編集部

野田洋次郎(RADWIMPS)、
初の主演映画『トイレのピエタ』から“あいとわ”まで、
野田洋次郎にとっての表現/音楽とは何なのか、
今だからこそ語る

撮影終盤は毎日家に帰って泣いてた。
悲し過ぎて、死にたくなくて泣けてきてしまって。
しかも、中盤からほんとに食べられなくなって、どんどん痩せていくし。
ほんとに死ぬのかなみたいな、ほんとに怖かった

『MUSICA 5月号 Vol.97』P.42より掲載

 

■こういうRADWIMPSのアルバムタイミングではない時期に、しかも映画主演を機にインタヴューって、なんだか凄く新鮮な感じですね。

「ほんとですね。まさか音楽誌があると思わなかったです(笑)」

■(笑)お久しぶりですが、元気に過ごしてましたか?

「そうですね、結構忙しくしてますね。3.11の(新曲“あいとわ”を映像作品と共に発表)もあったし。充実してます」

■映画を観せていただいたんですが、初主演にもかかわらず宏という人物をとても生々しくリアルに演じていて。演じているというよりも、洋次郎くんは宏という人生を生きたんだなと感じました。それが凄くよかった。

「ああ、ありがとうございます」

■映画に出ることを決めた理由として「宏があまりにも他人とは思えなかったから」というコメントを拝見したんですが、改めて、何故この役に挑戦しようと思ったんですか?

「でも、本当にそこが一番大きかったですね。脚本を読ませていただいた時に、なんか宏が他人とは思えなくて、何かしらこの作品に携わりたいなって思ったのが一番大きいです。俳優としてオファーを受けたんですけど、最初は『それはちょっと無理だと思います、でも音楽で関わりたいです』っていう話をしつつ。だけど役者じゃない人物を求めてるみたいな話をされて、そこから監督とキャッチボールをして、メールでやり取りして、実際に何回も会って。監督は凄いまっすぐな人で。当然、ミュージシャンが役者をやるっていうことのリスクもわかるし、そのリスクを背負わせることだっていうのもわかった上で、それでも洋次郎にやって欲しいって言ってくれて。それで、わかりましたっていう話になりましたね」

■そこは自分の中ではすんなりと承諾できたんですか?

「いや、やっぱり役者をやるって決断はすんなりとはいかないです(笑)」

■そうですよね(笑)。お話をもらったのはいつ頃だったんですか?

「一昨年の夏前ぐらいですかね」

■ということは2013年か。『×と○と罪と』を作っている頃だ。

「うん、2013年の5月とか6月頃じゃなかったかな。俺が28になるちょっと前で、この28になる宏という若者が死んでいくんだなっていう……ほんとに脚本読んだ時、その時の脚本は最終的な完成形とはまたちょっと違うだけど、とにかく凄まじいエネルギーを感じて。こういう奇跡みたいな出会いがあるんだなと思ったし、ほんと宏が他人とは思えなかったし」

■一番シンクロを感じた部分はどこだったんですか。

「もう全部ですね。この人の行き場のなさと、この人の世界の見方と、斜めから見るその姿と、他人を見下して自分の居場所はここじゃないって常にどっかで自分に言い聞かせながら、だけどそこにどっぷり浸かってる感じと……自分の才能を自分はわかってるんだけど、近い人達に自分を凄いって認めてもらいながらも、世間にはまったく受け入れてもらえずにいるっていう……自分がやってきたこともそうだけど、ものを表現するっていうことだったり、それが認められる/認められないっていうのは、本当に世間とのちょっとした重なり、奇跡みたいなことでしかなくて。俺がもし世間からまったく受け入れられなくても音楽やってるかなって思うと、たぶんやってないと思うんですよ。宏が絵を描くのをやめたように、俺も音楽やめて、でも宙ぶらりんのままダラダラと生きてしまうんじゃないかって思う。だから宏のことがすべて理解できたし……俺がもし余命がこれぐらいだっていきなり言われたとして、真衣みたいな凄まじい存在が目の前に現れたとしたら、最後の最後で音楽を作るのかなって思ったし。その時どんなものができるんだろうっていうのは凄い不思議だし……うん、本当に宏っていう存在全部がシンクロというか、納得しました」

■撮影は実際どうでした?

「朝が早くて、起きるのが大変だった(笑)」

■(笑)。

「でも、僕ができることは限られてたんで、凄い苦労したみたいなことは特になかったです。やっぱ素人だから、中途半端なことをしないっていうのだけは心がけようと思って。モニターを見ないこと、もう一回やらせてくださいって言わないこと、そういうことを自分に課して。監督がいいって言ったらOK、監督がまだって言ったらやり続けるっていうことだけを意識してやってました。でも楽しかった。モノ作りの現場って、これまでは常に自分が主導権を握る場所だったから。いいも悪いも自分が完成形のイメージを持って舵を切る立場だし、その責任を常に負ってやってるから。でも今回は、主演ではあるけど作品は監督のものだし、監督がいいって言うかどうかだったから。モノ作りの現場にいながら自分が主導権を握らないっていうのが初めての経験で、それはとても楽しかったですね」

■それって、具体的には何が楽しいの?

 「みんなで作れる感じ。音楽はもっと孤独だから」

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text by 有泉智子

『MUSICA5月号 Vol.97』