Posted on 2015.05.20 by MUSICA編集部

cero、シーンも時代をも超越する
大傑作『Obscure Ride』誕生!

この2015年って、とても美しいものではないじゃないですか。
なかなかいい未来を想像できそうにもないし、暗さも全然あるし。
そういう暗さや危なさも含めて、
都市の音楽として表せたらいいんじゃないかと思ってます

『MUSICA 6月号 Vol.98』P.78より掲載

 

■昨年末に出したシングルの『Orphans/夜去』のインタヴューの時に、今作ってるアルバムは影っていうのがひとつのテーマになっていくだろうっていう話をしていただいて。

髙城晶平(Vo&G&Flute)「そうでしたね」

■表と裏があって、裏の裏は表になるんだけど、その裏は元々の表とは少し違う表になってるんだ、と。そうやってパラレルワールドに行って帰ってきた人間っていうのは、一見同じように見えてるけど実は影がないっていう、そういう話を描きたいんだって言ってて。

髙城「そこまで話してましたか(笑)」

■はい(笑)。で、実際にでき上がった3枚目のアルバムを聴いてみると、なんとなく記憶っていうものをイメージして――。

荒内佑(Key&B&Sampler)「あぁ……」

■記憶って、どんどんあやふやになっていって、自分の中で書き換えられたり、忘却するんじゃなくても自分の中でまた違うストーリーになっていったりするじゃないですか。そういうものが全体として語られてることなのかなと感じました。サウンド的には、ビートやリズム感みたいなものはもの凄く洗練されていて、一方で上音はもうちょっと猥雑な感じになってる。そういうのも、記憶の深層と表層で別々のストーリーが進行していくイメージとして映ったんですが。

髙城「このアルバムに向かう契機となったのは、音楽的なことで言うと――前も話したかもしれないですけど――『Yellow Magus』っていうシングルがあって。その楽曲に合わせて、ドラマー、ベーシストに光永渉さんと厚海義朗っていう専門的なふたりを迎えて。で、これまでドラムを叩いていたあだち(麗三郎)くんをサックスに変えたりして」

■新しい編成になったよね。

髙城「はい。本当にバンドをリニューアルするつもり、新しいバンドを始めるつもりでやって、“Yellow Magus”っていう曲を再現できるように自分達をヴァージョンアップしていって。そこからできることが増えたっていうか、ガラッと変わってきたんですよね。『このアイディアでアルバム1枚作れちゃうんじゃないの?』っていうぐらいのエンジンのかかり方をしていって。それで、“Orphans”の時に言ったように、初めて合宿をして曲を貯めていったんですよね」

■具体的に言っていくと、前の編成だった時と現状の編成って、自分達の中で何が一番違っていて、どういうことができるようになったっていう感じなんですか?

髙城「それに関してはさ――光永さんと義朗さんを入れようって最初に話したのはあらぴーだったっけ?」

荒内「うん」

髙城「今サックス吹いてるあだちくんがやってるあだち麗三郎クワルテットで、別バンドとして荒内くんが鍵盤弾いてたんですよね。そこのベースとドラムが義朗さんとみっちゃんで、そっちのほうであらぴーと彼らとの会話があったんだよね?」

荒内「そうそう。『My Lost City』も出して、それまで貯めてた持ち曲のストックが出払って、新たに1から楽曲を作っていこうってなった時が2012年ぐらいで。その頃にクロスオーヴァージャズっていうか、昨今の新しいジャズの潮流がちょうど隆盛してきて、そこら辺の音楽を聴き始めたのと、リズム隊のふたりと出会ったんですよね。ふたりはブラックミュージックをたくさんプレイしてきた人間で、彼らにどうやって演奏したり、どう聴いたら面白いかみたいなことを聞き……そういうふたつの要素が重なったのが『My Lost City』を作った後だったんですよね。結果、“Yellow Magus”ができて、そこからまた新しいジャズの潮流に影響を受けて。それまで高城くんがベース&ヴォーカルで、僕もベース弾いたり鍵盤やったり――いわゆるUSインディバンド的な楽器の持ち替えの手法でやってたんですけど、それだと再現できないような楽曲が増えてきたんで。よりリズムが強固になって、より高城くんが歌に専念できる、さらにライヴだとパフォーマーとしての特性も生かせるような、そんな編成への変化がありましたね」

■それって、単純に音楽的な面白さや新しい発見がそこあったからっていうことなのか、それとももうちょっと積極的に自分達で表現できることの幅を広くしていきたいっていう表現欲求みたいなものがあったのか。どんな感じだったんですか?

荒内「両方ですね。純粋な音楽的な面白さのほうが割合は断然大きいですけど。幅を広げたいというよりかは、今やりたい楽曲だったり方向性のために変えたっていう感じで、前の編成でしかできないようなことも多々あるし……だから、必ずしも手を広げたいっていうよりは、アップデートしたいっていうか。自分達がやりたいことをやるために変えたって感じで」

髙城「あと、これまでやってきたようなスティールパンを含めた日本語のポップスだったり、あだちくんのサックスだったり――まぁ主にスティールパンかな。そういう楽器って、いわゆるブラックミュージックっていう音楽に、使われることもあるんですけど、少なめで。ビル・ウィザースの“(Just the)Two of Us”とかは、何気にスティールパン入ってたりするんだけど――」

荒内「え、そうなの?」

髙城「入ってる入ってる。でも、まぁブラックミュージックで使われることは少ないんですよね。だから、自分達がそうやってアップデートはするんだけど、前の楽曲との距離ができ過ぎておかしなことにならないように、これまで通りMC. sirafuだったりあだち麗三郎だったり、ああいう特殊な音楽家を活かした上で、ビートの強いブラックミュージックにするっていう折衷の仕方が自分達の立ち位置になるだろう、と。やり様によってはかつて自分達が作ってきたブランディングが足枷にもなっちゃうし、ともすれば新しいものがより面白いものになるし。その辺のやり方を探りながら、楽曲を作る時も『この楽曲に対して、sirafuさん、あだちくんにどう動いてもらおう?』とか考えて。それがなかったら、本当にただただ演ってて楽しいR&Bだったり、新しいジャズをそのままゴックン呑み込んだものになったかもしれないけど、微妙にそうはならなくて結局自分達のものになっていくっていうのが結構面白かったですね」

■じゃあ、最初から狙って両義的なものを作っていったというよりは、どちらかって言うと結果的に折衷的なものになっていった感じなんだ?

髙城「それもまぁ、曲によりけりですけどね。“ticktack”とかはいいスティールパンの入り方してんなって思いますし、かつ、今までのceroにはなかったところに落とし込まれてる気もしますし……っていうか、全部ですね。別に“ticktack”に限らず、すべての楽曲がそうなんですけど」

橋本翼(G&Cl)「うん。変わっていく中で新しい曲も出てくるんですけど、ライヴでは前の曲もやるし、そのままやるとちょっと変な雰囲気になって合わないものがあるのをリアレンジして今の雰囲気にするっていう。それでまた新たに楽曲を通して面白さが見えてくるんですよね」

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text by 寺田宏幸

『MUSICA5月号 Vol.98』