Posted on 2015.07.17 by MUSICA編集部

Base Ball Bear、
3ヵ月連続エクストリーム・シングルに込めた信念と闘志

わかりやすさっていう面で、完全にロックバンドは劣る。
これからの時代が「わかりやすさ」を求めるのであれば、
僕らロックバンドは圧倒的に不利だと思ってます

『MUSICA 8月号 Vol.100』P.76より掲載

 

■1年以上振りのインタヴューで楽しみにしてました。いきなりですけど、この「エクストリーム・シングル」っていうのはなんなの?

「僕がつけたんですけど……かましておこうかなって(笑)」

■シングルってマーケットに対する半分ギャグ、半分自虐みたいな?

「シングルを連発するって、このご時世ちょっとやり方が古いじゃないですか? 特にタイアップがついているわけでもなく、3ヵ月連続で3タイトルって……『いやいや無謀なんじゃないの?』ってなると思うんですよね。だからちゃんと考えたいと思って。普通はCDにDVDをつけてとかだと思うんですけど、むしろ逆にCDにCDつけて、楽曲で攻め倒そうと(笑)。しかも入っている容量が異常なんですよ。スタミナ丼みたいな」

■いや、完全にそうだよね。おまけ分のDISC.2、基本容量いっぱいだからね。容量はいいけど、要領が悪いみたいな。

「はは。まあ70分以上入ってますから」

■ここまでシングルを切り続けることには、どんな意味があるんですか?

「この企画のそもそもの部分をいえば、この先に控えるアルバムを見越したロングプロモーションをしたいからというのはあるんですよね。こうしておけば、3ヵ月は継続的に露出していけるわけなので。だけど、さっきも言ったようにプロモーション盤として1曲、2曲入りで500円で売り出すっていうのも現時代的じゃないわけで。っていうか、古いわけですよ。だから、ちゃんと大義があるシングルにしたかったんですね。だったら『エクストリーム』とか言っちゃって、アイテムとして買う価値のあるものにしたいなって。シングルが売れないとか、意味が見出せないって言うなら自分で意味をつけていけばいいんじゃないの?って思ったんです」

■定額配信がここまで出揃ったことによって、いよいよ音楽は所有するものか、否かという問題に本当の賽が投げられた感もあるけど、この状況はどう捉えているの? 

「まだAWAやLINE MUSICが始まって1ヵ月も経ってないじゃないですか? だからまだ様子を見ている段階ではあるんですけど、アメリカとかはみんなそっちに行っちゃってますよね。で、日本でも若い子はスマホに流れていってると。そこでひとつ危惧してるのは……フィジカルではなく、本格的にストリーミングで音楽を聴く流れになると、再生環境が変わるじゃないですか? 今みたいにCDで、もしくは、CDから取り込んで、という作業を飛ばして、全部をスマホで済ませて、スマホばかりで聴くことが当たり前になった場合、作り手側もそこで映える音を作ろうと考えますよね。そうなると、まず、ギターの『ジャジャジャジャーン』みたいな音って聴きにくいってなると思うんですね」

■そうだね。そのギターの歪みなどをちゃんと聴かせようとすると、今度は歌が耳に入ってこなくなるしね。

「そうなんです。だから、たとえば、歌の音量が大きくなって、Aメロはキメ主体とかで、ギターもコンプとエディットでバキバキにしたりして。スマホで聴いた時に映えるメロディとかアレンジになっていくというか、聴き方に合わせた音楽の作り方をしていくと、わかりやすいものをやろうって流れになると思っていて――実際今って『わかりやすい≒いいもの』、っていうかむしろ『わかりやすい=いいもの』っていう風潮があると思うんですよね。それはJ-POPだけじゃなくて、ロックシーンでもそうなのかなって」

■野音のMCで小出くんはアイドルとかソロのアーティストと比べて、バンドっていうスタイルは圧倒的にわかりにくくて不利だと、そういう構造をBase Ball Bearも持っているし、自分達はそれに悩んでいるって言ってたよね。小出くんの中にはロックジャンキーな部分と、それとは別に今の時代や、ポップってものを冷静に見渡していく引き出しがあるじゃない? その両方を持っている自分として、結果的に何を一番あそこで伝えたかったの?

「まず今回の一連のレコーディングで、ロックバンドでいることがこんなにもわかりにくいのかって。チューニングの話から始まるんですけど。……やっても、やってもチューニングが合ってないように感じるんですよ」

■それはどうして?

「実は当たり前のことなんですけど、同じチューナーを使ってチューニングをしたとしても、俺と湯浅(将平/G)のグリップの力強さは違うし、弦を押さえ始めたら永遠にずれ続けていくわけですよね。たとえば、コードの『A』を鳴らしたとして、ふたつが『A』の範囲には収まっていたとしても、その『A』が本当の『A』になることって一生ないんです。でも、それで成立しているのがロックバンドのサウンドなんですよね。で、もしそこに基準となるような鍵盤がいてくれると、ギターの鳴りも在り方が変わってくるし、ましてや打ち込みのみで作られていたら、そこに存在するのは理屈的には絶対のドレミなわけで。……同じ『A』でも僕らは『A』っていう範囲、打ち込みで作れば絶対的な『A』。当然、揺れのない絶対的な『A』のほうが、わかりやすさっていう面では、完全にロックバンドは劣る。だからさっき言ったみたいに、これからの時代が『わかりやすい』を求めるのであれば僕らロックバンドは圧倒的に不利だと思ってるんです」

■で、その不利な音のズレと揺れを、個性という名の有利なものに変換することを考えるよね?

「そうね。じゃあ、そもそも僕らが絶対的な『A』を求めるために、同期(のリズムや鍵盤音など)を入れるのかって言われたら、別にやりたくないしなぁって思ってて。……そもそも求めていたものが『わかりやすい』ってところってことですよね。曖昧なんだけど、音を鳴らすと1個の個体になるロックバンドの謎がカッコいいって思ってたし、白か黒かじゃなくてグレーでファジーでモヤがかかったものっていうのが表現としていけないことなのかい?と思うんです」

■要するにロックっていうものはその衝動や、カオスや、ゆらぎってものが、精神的にもそしてアンサンブル的にも生じていくことによって、ロックという不思議な音楽が生まれる。そして、その不思議さが人間の神経を刺激するが故にここまで大衆化した。……でも、「わかりやすい一体感」と、その真逆にある「圧倒的な孤独を告白する」っていうものがリスナー、送り手両方にとっての今の「バンドでやる音楽」になっていて。そうなった場合、小出くんの頭の中にあるロック観っていうものは、とても不利なものだよね。

「そうですね。……古臭い考えかもしれないんですけど、僕はこの後必ずバックトゥクラシックが起こると信じてるんです。さっきから話してる『わかりやすいほうへ』っていう動きは、芸術的な側面で見れば、形骸化そのものだと思ってて。『わかりやすさ』が求められることは、元の意味が損なわれることだと思ってるので。みんなプレイリストでわかりやすいものを集めて、そのプレイリストが自分の音楽体系になっていくとしますよね。アーティストとか、シングルとか、アルバムとかの単位がなくなって。じゃあ、その後に人は何に心酔するのかって言ったら、やっぱり音楽をやっている人とか、意味や意義、大義とかに人はまた吸い込まれていくと思うんですよ」

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text by鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.100』