Posted on 2015.09.16 by MUSICA編集部

Ken Yokoyama、渾身の金字塔アルバム
『Sentimental Trash』に滾る信念

今回思えたのは、「横山健、ミュージシャンとして意外といいな」ってことかな(笑)。
今までの僕は「存在として」っていう部分が大きかったと思うんです。
だけど今回は、ミュージシャンとしてまだできるなって思えました

『MUSICA 10月号 Vol.102』P.48より掲載

 

■この作品は、ここまでの健くんの音楽人生すべてにとって大きな階段の踊り場であり、これからの10年に向けた意図的な変化作だとも思っていて。さらに言うと、1枚目の『The Cost Of My Freedom』と同レベルで自分の心情をストレートに吐露している作品だと思うし、3枚目の『Third Time’s A Charm』以上に外へ目を向けている作品だとも思うんです。そういう重要な1枚だと思うんですが、この直感はどうですか?

「僕も、実はそう思ってます。作品の成り立ちや背景、音像も心境も違いますけど、1枚目の時と自分の向き合い方が近いっていうのはありますね」

■どうしてそうなったんでしょうね?

「どうしてだろうなぁ……。まず、1枚目の時は、ああやって内心を吐露することしかできなかったんですよ。もちろん、それ以前も歌詞は書いてましたけど、それはHi-STANDARDっていう『3人の集団』のために書いていたのであったので、全然違ったんです。だけど、自分が歌うとなった途端『こうも内面を曝け出せるのか!』っていうふうになったのが1枚目で。それで、今回もそれくらい内面を曝け出してると自分でも思うんですけど…………やっぱり、そうなったのは震災を経たからなのかな。震災後に『Best Wishes』を出しましたけど、あの作品は、内面を曝け出したというより、もっと自分の中にある風景を描いたり、みんなを鼓舞したりっていうものだったんです。じゃあ、何故今回こんなにパーソナルに曝け出せたかって考えると…………うーん。そういう時期、なんですかね?」

■何年かに一度のアルバムインタヴューだからじっくり紐解きましょう。今回は、音楽性の部分と歌詞・メッセージを分けて訊いていくね。

「はい、よろしくお願いします」

■まずは音楽性の話を訊きます。わかりやすく言うと今回は遅い曲が多いし、オーソドックスなロックンロールが主体で、なおかつブラスや生のストリングスが入った曲もあります。しかも、Minami(G)ちゃんがKEMURIから入って全然やってこなかったスカパンクもラストに入っているという、音楽的に幅広い作品で。その点については、『(I Won’t Turn Off My)Radio』の時に「Gretschのギターとの出会いが大きかった」という話をしてもらったんですけど、でもそれだけじゃなくて、健くんのキャリアの中でそういう音楽性にも手を出したかった、本質的な何かがあるんじゃないかなと思ったんです。

「僕は、無粋ですけど自分のことをパンクロッカーだと思ってるんですね。であれば、パンクのルーツと言われる音楽は日常的に聴いてるわけです。オールディーズと言われている音楽、ロカビリー、ジャズ……そういう古い音楽をなんでも聴くんですけど、Gretschを持ったことでその音楽達がさらに俄然輝きを持って聴こえ出したんですよ。……もちろん、『俺は今、なんでこういう曲を作って、こういう曲をやろうとしてるんだ?』みたいな自問も凄くあったんですよ。それはメンバーとも凄く話しましたし。だけど、いざ曲ができ上がってみて『何故?』って問われると、なかなか言葉が出てこないっていうのが実は本当のところで……うん」

■健くんには、Hi-STANDARDとして作り上げたメロディックパンクという音楽性があって、それを今の時代まで更新してきたよね。一方で、それだけじゃない音楽もミュージシャン人生としてやってみたいし、自分の中のもっと普遍的な音楽性を、今までの自分達の音楽が好きな人以外にも聴かせられる曲として作ってみたい、という気持ちはなかったですか?

「それはYESですね。そういう客観的な考えはありました。あと、それをやろうとしてる自分に対して、凄く興奮してたんですよ、前のアルバムからのこの2年間で。だから、『次にやりたいこと』と『やるべきこと』が一致し始めた2年だったというか………俺、言葉下手だなぁ(笑)。なかなか言葉になんないっす。でも確かなのは、ロックンロールっていうもの、ロックンロールに向かっていく自分に対して凄く興奮してたんですよ。たとえば、今までもたくさん『メロディックパンクの形』にオールディーズやジャズを流し込む作業はやってきたけど、何も『メロディックパンクの形』に流し込まなくてもいいんじゃないか?っていう部分も今回は出てきたんですよね。それは別に、メロディックパンクが嫌になったっていうこととは違うんですけれども」

■たとえば、メロディックパンクの中で横山健のポジションは自他ともに認める絶対的なものになってるわけで。そこでの「横山健」っていうブランド力を剥がしたいとか、その中だけにいても俺もメロディックパンクも尻すぼみになって共倒れだとか、そういう感覚はあったんですか?

「今言ってもらったふたつのことに関しては、結構自分の中で時期が違っていて。まず、自分のブランドに頼らないっていうことは昔から考えているんです。たとえば、自分にはもの凄い言語としてメロディックパンクがあって、そのマナーに沿ってアルバムを作ったら、割と普通にできちゃうんですよ。でも昔から、そんなのいつでも捨ててやるっていう気持ちはあったんですよ。ただ、これまではそのメロディックパンクの部分を更新するほうが自分の中で勝っていただけなのかもしれない。それから、尻すぼみになっていくロックをどうにかしたいっていうのは『Four』から考えてたし、それから今までの5~6年で、それを諦めることもあれば希望を持つこともあって――当時『こういう作品ができたなら、ロックの状況を変えられるかも』と思ってマーケットを見ても、やっぱりダンスグループ、アニメ、アイドルで占められてたわけです。でね、ロックの人がそれを『日本のチャートは腐ってる』って嘆くのは簡単で、僕もずっとそう言ってたんですよ。……だけど今回は突然、『ここに入って、なんとか突破できねぇか?』って思ったんです。だから、『自分が出て行くことで、周りの仲間や若手のバンドが出てきやすい環境を作るのが役目であり、やりたいことなのかな』っていうのは、この作品を作った後から思い始めたんですね。それが、ミュージックステーション出演とかに繋がったんだと思います」

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text by鹿野 淳

『MUSICA10月号 Vol.102』