Posted on 2015.10.15 by MUSICA編集部

米津玄師、確信にして革新の傑作、
『Bremen』で切り拓いた新境地

自分とばっかり向き合って、他の人がどうだっていうことにまったく目を向けずに、
自分が思う美しさばっかりを追い求めていくうちに
気がついたら自分は荒野にひとりでポツンと立ってたんです。
そこからずっと、その荒野から抜け出すにはどうしたらいいか考えてた

『MUSICA 11月号 Vol.103』P.34より掲載

 

■『diorama』にしても『YANKEE』にしても、米津くんは毎回アルバムの度にちゃんと自分を更新する傑作を作ってくるなぁと思っているんですが、それにしても今回は素晴らしいと思います。

「ありがとうございます」

■ご自分ではどうですか?

「リリースする度に思うんですけど、いいものを作ったっていう自負だけは残ってるんですけど、でも、まだ人に聴かせてない状態だから、『果たしてこれでよかったんだろうか』という不安が入り混じっていて……あんまり客観的な判断が自分ではできないんですよね」

■そうなんだ。でも手応えはあるんでしょ?

「そうですね。いいものを作ったという自負はあります」

■『diorama』完成以降、『サンタマリア』というシングルを作った頃から、米津くんは自分の音楽を作って人に向けて放っていく、世の中に対して発信していくということに関してとても自覚的だと思うんですけど。言い換えれば、音楽を生み出すことができる自分の役割、大げさな言い方をすればそこにある使命感と真摯に向き合いながら創作活動を続けているっていう言い方ができると思うんだけど、その中で今作は、ひとつ自分が進むべき道、担うべき道をちゃんと見つけることができた、そしてそれを覚悟を持って選び取ったアルバムだというふうに感じたんですよね。で、それと同時に音楽性もアップデートされて、新しい米津玄師の音像をちゃんと手に入れたなという感じがしたんですけど。

「そうですね、音像は『YANKEE』の時もそうだったと思うんですけど、ただ、振り返ってみたら半分半分だったなと思ってて。あの時のアルバムも移民(=YANKEE)いう意味合いをつけて、違う畑に移っていく、それによって自分がやってきたことも作り変えていくという意志を込めたアルバムだったと思うんですけど、でもまだ『diorama』とか、それ以前に作り上げた方法とかもあのアルバムには入ってたし……それは自分のことしか考えずに、いかに変な音にするかとか、そういう考え方で作ってた曲が半分くらい残ってて。それはそれでよかったと思うんですけど、次に何をやるかって考えたら、その頃に培ってきたものっていうのは1回全部否定して、まったくなかったものだけで1枚全部やろうじゃないかっていうふうに思って。それは作り始める前から意識してましたね」

■その新しい音像が、世の中的にはまず“アンビリーバーズ”で出ていって。これはエレクトロニックなダンスチューンで、アルバムの中でもかなり振り切った曲ではあるんですけど、これはアルバム制作のどのくらいのタイミングで完成したんですか?

「“アンビリーバーズ”も結構難しくて」

■原曲は『YANKEE』の頃からあったと言ってましたよね。

「はい。そもそもは『YANKEE』に入るか入らないか、みたいな状態で。結果的に時間が足りなくて入らなかったんですけど、ただ、芯の状態だけはあって。で、そこから引っ越しをして、引っ越しをすることによって曲がよく書けるようになって(笑)。でもこれが完成したのは、割と最後のほうだったかなと思います」

■“アンビリーバーズ”はそれこそギターも入ってないエレクトロだけど、アルバムはもっと様々な音像の楽曲が入っていて。ジェームス・ブレイク以降のポストダブステップ的なインディR&Bもあれば、ギターとシンセが美しいアンサンブルを描く曲もあるし。でも、どのタイプの楽曲も明確にアップデートされたアプローチと景色をもったサウンドの中で、歌が美しく響いてくるものになっていて。このあと精神的な話はたっぷり聞きたいんだけど(笑)、それだけじゃなく、この純粋な音楽的な進化と開花は本当に素晴らしいと思った。ちゃんとポップミュージックとして半歩先を行くものを作ってきたなと思うし。半歩先って、とても難しいことなんだけど。

「そう言ってもらえると本当に嬉しいです。自分はそういうことをちゃんとやっていきたいとも思ってるから、そこは結構気にしてて。ポップミュージックってそういうものじゃないですか、半歩先のものじゃないですか」

■そうなんだよね。ポップっていうのは、常に更新されていくべきものなんですよね。ただ、それが何歩も先になってしまうと、それはまた違うものになっていくから。

「そうなんですよね、先に行き過ぎてもいけないなって思うから、凄い大変でしたね」

■私はこれを聴いて、トム・ヨークが思い浮かんだんですよ。それはどういうことかっていうと、あの人は常に前衛的な音楽をチェックして、それを自分やバンドの音楽に取り入れて音楽性を更新していっているけど、でも実は、ずっとフォークソング、ポップソングを歌ってるんだよね。それを、その時代に機能するもの、その時代の目を開かせるものにするために、ああやって先端的なことをやっていくという。その感覚に近いなと思って。

「それはとても恐れ多いというか、恐縮なんですけど……」

■まぁそうかもしれないですね(笑)。

「でも、『diorama』を作る前から、レディオヘッドみたいに常に変化する作品を作っていきたいと思ってたので。それは嬉しいです」

■で、それができるのは、やっぱり米津くんの歌の強さがあるからこそだとも思うんです。自分のメロディと言葉に確信があるからこそ、音楽性を変幻していっても本質が揺るがないというか。

「そうですね。自分が音楽において何を一番重視してるかっていったらやっぱり歌だし、もっと言えばメロディラインだし、言葉もそうだし。自分が作る歌があって、それに自信を持ってる自分がいる限り、どういうことをやったとしてもそれは自分になるんだろうなっていう自負みたいなものはあるんですよね。だから自分がこうやっていろいろやることを変えてやっていけてるっていうのは、自分が持ってる能力のおかげなのかなとか思ったりするし……それは一種の自信というか、自信があるからできるんだろうと思います」

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text by有泉智子

『MUSICA11月号 Vol.103』