Posted on 2015.11.16 by MUSICA編集部

エレファントカシマシ、
『RAINBOW』で長き旅路の果てに掴み取った革新的王道

ようやく僕は、自分が空も飛べない生身の人間であるということ、
非常に弱くて、ほっとけば病気とかする人間だってことを気づけた。
それが本当にデカかった

『MUSICA 12月号 Vol.104』P.44より掲載

 

■遂にアルバムができましたね、宮本さん!

「いやぁ、そうですね、ようやくできました!」

■この『RAINBOW』は「アルバムとは何か?」ということを隅々まで考え抜かれた素晴らしいアルバムだと思うんですが。まだ完成して数日しか経ってないんですよね?

「そうなんですよ、4日前までずーっとやってました。実は曲順をもの凄く悩みましてね。毎回、曲順は非常に考えるんですけど、今回は特に悩んだんですよ。ほら、前の『MASTERPIECE』から考えると3年半っていうとても長い期間があったじゃないですか。だからいろんな時期の曲があって……それこそ、その間にはさいたまスーパーアリーナでの25周年記念コンサートもあったし、僕の耳のこと(急性感音難聴)でライヴを休止して、生まれて初めてツアーを全部飛ばしちゃうっていうこともあったし。そういう期間の中でだんだん自分と向かい合っていった、そのダイジェストのようなところがこの『RAINBOW』にはあるんですよね。だからアルバムとしてはデコボコはしてるんですけど、非常に面白い、いろんな想いが込められた曲が集まったアルバムになったなという気はしています」

■この『RAINBOW』というアルバム、資料には「シングル4曲を含む、ベストアルバムと呼べるオリジナルアルバム」というコピーが打たれているんですが、まさにそんな心境ですか?

「あ、その『ベストアルバム』っていうのはレコード会社のみんなが考えてくれたことなので(笑)」

■あ、そう(笑)。

「もちろんとてもいい宣伝文句だとは思うんですけどね。ただ、僕としては、やっぱりアルバムとしてどうやってみんなに聴いてもらうかっていうことを凄く考えたんです。それこそシングルもいっぱい出てるし、カップリングも含めて、やろうと思えば2年前にアルバム出せちゃったかもしれないくらい曲数は揃ってたんですよね。ただね、やっぱり僕はオリジナルアルバムとして、新録音を7~8曲どうしても入れたかった。それで、(今年の正月の)武道館以降いろんなことがあった中で、最終的に5月くらいから本っ当の意味でアルバムレコーディングがスタートして、そこから10月の上旬、つい4日前までずっと続けてたんです。だから本当に、アルバムとしてどうするか?ってことを第一に考えて作りました」

■まだアルバムも生まれ立てだし、ご自身の中でも整理がついてないところもあるだろうことを承知の上で敢えて訊きますが、このアルバムは、宮本さんの中では何をやろうとしたアルバムだと思いますか?

「うーん…………………………鹿野さん、僕はね、本当にこの数年『アルバムってなんだろう?』ってよく思ってるんですよ」

■それはアルバムというアートフォームが当たり前ではなくなった今の時代的なことも含めて、ですよね。

「そう。今はもう1曲1曲買えるしね。でも、かつては――たとえば『明日に向かって走れ – 月夜の歌 – 』でもファーストアルバムの『THE ELEPHANT KASHIMASHI』でも、さらにはユニバーサルシグマに来てからの『STARTING OVER』でさえも、全部『アルバムを作る!』という気概で、アルバムとしてトータルで考えて曲を作ってきたんです。だけどここ数年は本っ当に『アルバムってなんだろう?』っていう悩みが…………僕らは毎回毎回シングルヒットを狙いまくって――」

■いやいや、ちょっと待って。そういう話じゃない。

「ま、それはいいんです。とはいえ、もちろんどのシングルだって精魂込めて、僕も含めて全員がその時の最大の力を結集して集中するんですけど。でもねぇ………………うーん………………で、質問なんでしたっけ?」

■(笑)このアルバムは何を作ろうと思って作ったアルバムなのか?

「そうだ! だから、それが本っ当にわからなかったんです。しかも“ズレてる方がいい”は3~4年前の曲で、当時はまだ若いつもりでいた時に作ったもので。まぁその時だってもう46歳くらいで本当は初老と言っていい年齢なんだけど、でもまだあの時は……幻を見てたんですよ、自分達自身に対してね」

■なるほど。確かにその夢は見たい。

「そこからスタートして、実は自分もメンバーも老いている、年を経てるっていうことを身をもって思い知らされる出来事があって。そういうことと向き合いながら、本当に長い意味での生きているっていうことをアルバムとしてどう成立させるか―――だってさ、さっきも言ったけど、シングルの曲を集めて、それこそその時のベストアルバムとしてバッと出したってよかったわけじゃない?」

■たとえばそれに『RAINBOW』と名づけて、ここには自分達の七色の色を詰め込んだんだっていう理屈で出したってよかったじゃないか、と。

「おっしゃる通り! でも、どういうわけか、それじゃダメだったんだよねぇ………自分でもなんでここまでこだわって、インストまで入れて、買った人にしか楽しめない工夫まで考えて、わざわざアルバムっていうものにこだわったのか、さっぱりわからないんです。でも、たぶんその…………………いや、うーん………………やっぱりわかんない。なんでそうやってやったのか、未だに悩んでるんです」

■でも、そうやってちゃんと「アルバム」というものを作ることにこだわったのは、メンバーでもスタッフでもなく、宮本さんなんだよね?

「そうなんです。むしろみんなは早く出して欲しかったと思うんです。ファンのみんなでさえも、もっと早く聴きたかったかもしれない。でもやっぱり僕は、ちゃんとひとつのアルバムにしたかったんだよね」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA12月号 Vol.104』