Posted on 2015.11.19 by MUSICA編集部

フレデリック、『OTOTUNE』で
新たな決意と戦わない僕らの闘い方を示す

それが誰であろうとも、もし誰かが悲しんでいるんだったら
その涙を拭ってあげることが俺らにできる正義だなって思うんです。
それが、俺らの<戦わない戦い方>だと思ってます

『MUSICA 12月号 Vol.104』P.74より掲載

 

■『OTOTUNE』という新しいミニアルバムが出るんですが――ちなみに、『oddloop』、『OWARASE NIGHT』と全部タイトルの頭文字が「O」なのは意図的なの?

三原健司(Vo&G)「はい、ここまででミニアルバム3部作です」

■じゃあこの後もずっと「O」で行くわけじゃないんだね。

三原康司(B&Cho)「それは今後次第(笑)。でも今回は、3部作っていうのもあるんですけど、kaz.くんの脱退も大きくて。『oddloop』と『OWARASE NIGHT』と『O』を繋いできたところにはkaz.くんがいて、その中でkaz.くんと一緒に築いてきたものを今回の作品にも繋げたいなって思ったんです。kaz.くんの意思もここに継ぎたいからこそ、今回も『O』で繋げて3部作にしたかったっていう」

■なるほど。今話に出たように、9月のライヴをもってkaz.くんが脱退し、フレデリックは3人になりました。まず、最初に脱退の話が持ち上がったのはいつ頃だったんですか?

健司「最初に話があったのは『OWARASE NIGHT』をリリースする頃ですかね。タイミング的に東京上京の話が出て――で、やっぱり上京って『はい!』って簡単にポーンと行けるわけじゃないから」

■それぞれの生活もあるからね。

健司「はい。だから自分達の想いをはっきりさせたいっていう気持ちもあって、ちゃんと話し合ったんです。それで『自分は東京に行ってこうしたい』みたいにそれぞれの夢とかを話してるうちに、kaz.から『自分は大阪で目指す夢がある』という話が出てきて、『だから俺は3人を送り出したい』っていうふうに言ってくれて」

■脱退の時のコメントにもあったけど、フレデリックは「家族のようなバンドを組みたい」という意識でやってきたバンドだし、kaz.くんから「3人を送り出すよ!」と言われても、そんなに簡単に「わかった!」ってなる話でもなかったんじゃないかと思うんだけど。その辺りの3人の気持ちはどうだったの?

健司「確かに6年間一緒にバンドをやってきたし、この4人でやっていきたいっていう気持ちはあったんですけど。でも、kaz.自身がフレデリックのことを考えた上での決断やったから……だから『自分が送り出したい』っていうkaz.の決断を聞いた時に、自分達が東京に行って成功することがkaz.のためにもなるし、フレデリックのためにもなるなと思って、この決断にしました」

赤頭隆児(G)「めっちゃ話し合ったんですけど、kaz.さんはフレデリックをやりたくなかったから大阪に残ったわけじゃないっていう――その想いをちゃんと汲むことが僕ら4人にとって一番いい結果に繋がるんやないかって。で、フレデリックがもっと大きくなっていくことがその想いに応えることやと思うんで。そのためにもっともっと頑張りたいなと思ってますね」

■発表されたのは9月だけど、夏前には脱退は決まっていたわけですよね。その中で、今年の夏はフレデリックにとって勝負の夏だった――つまり去年末に“オドループ”で一気に盛り上がった状況を“オワラセナイト”に続けた上で、その状況をトレンドではなく本物にする、そこでフレデリックを知った人をいかにちゃんとバンドのファンにするかというキーポイントが今年の夏だったわけで。

健司「そうですね」

■そういう勝負の夏と4人最後の夏が重なってしまったわけですけど、そこはどんな気持ちでやってきていたんですか。

健司「でも、バンドはそういう状況でありながら、夏に向けての気持ちはまったく変わらなくて。kaz.自身、そういう気持ちがまったくなかったんですよね」

康司「そうやな、なかったな」

健司「1回1回ライヴが終わる度に、kaz.自身が『今日どうでした?』って周りの人達に意見や課題を訊いていて。そのスタンスは6年間変わってなくて……むしろ最初は僕ら3人のほうが『kaz.は最後なんや』っていう気持ちでライヴをしてたんやけど、kaz.が一切スタンスを変えずにやっていたから、僕らの気持ちも前を向くようになって。だから脱退を引きずるんやなくて前へ行くんだってことも、kaz.自身が教えてくれたんですよね。だから夏フェスの間も、どうお客さんに向き合えるかっていうことに集中できて」

康司「バンド自体に前向きさがありましたね。自分は作曲者として――今回“トライアングルサマー”って曲があるんですけど、この曲はその時期にあったことが歌詞になって出てきた曲で。違う方向に行っても全員ちゃんと前を向こう、俺らが4人で言ってきた『家族のようなバンド』ってそういうことなんだろうなって感じました」

■具体的に『OTOTUNE』の制作はいつくらいから始めたんですか? 曲はずっと作ってたの?

康司「そうですね。『OWARASE NIGHT』を作ってるぐらいの時から並行して作ってた曲とかもあったんですけど」

健司「本格的にやり出したのは7月、上京してきてからですね」

■自分達としては今回どういう青写真を描いてたんですか?

康司「……やっぱりメンバーがひとり抜けるってことは、変わるってことじゃないですか。フレデリックは昔からどんどん変わっていくものだと思ってたし、いろんなタイプの曲をやるのが自分は面白いし、そこがフレデリックの魅力だと思ってたんですけど。でも、それにしても大きく変わる時が来たんだなって感じて――」

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text by有泉智子

『MUSICA12月号 Vol.104』