Posted on 2015.12.17 by MUSICA編集部

BOOM BOOM SATELLITES、
音楽へと向かい合う「今」を中野雅之が語る

死とか終わりって遅いか早いかだけで、
誰にでも平等に与えられている。
始まったものは必ず終わるわけだから。
僕らは今、それを早めに受け止めて答えを出そうとしていて。
だから特別悲観的になったり、悲しんだりするのは違うと思ってる

『MUSICA 1月号 Vol.105』P.108より掲載

 

■9月4日のニコニコ生放送で川島さんの脳腫瘍再発を公表してからもうすぐ3ヵ月が経とうとしています。結果的にそれをもってライヴ活動休止としていた11月の東京と大阪でのワンマンライヴはキャンセルせざるを得なくなってしまったわけですが、おふたりは少し前から新曲の制作に取りかかっていて。今回は今おふたりがどんな状況で、何を想いながら制作に向かっているのかを伺いたいと思って、このインタヴューをオファーさせていただきました。まず、再発がわかったのはいつだったんですか。

「川島くんの再発はフジロックが終わってすぐにわかって。精密な検査をして確定したのは8月の終わりだったんだけど。………やっぱり『再発している』っていうのは、何回言われても慣れないものだからね。そういう状況の中で、8月のイベントとかフェスはやり切って。で、11月に東京と大阪でやる予定だったライヴで、ライヴ活動は休止しようというふうに決めて発表したんだけど………そもそも11月にやる予定だったライヴは、活動休止前のラストライヴとか、そういう特別なものではなく、通常通りやろうとしていたものだったんですよ。この数年、川島くんの体調もあったんで、ライヴの本数も多くなかったし、ライヴ活動をすること自体に凄く苦労していて。去年(2014年)も放射線治療をしながら『SHINE LIKE A BILLION SUNS』のアルバム制作をするっていう、結構大変な時間を過ごしたわけだけど、それも一旦落ち着いたし、2015年に入ってやっと通常運転できるようになったんじゃないかなって思っていたんですね」

■それで3月にEXシアターでのワンマンをやって、その後「FRONT CHAPTER Vol.4」と銘打って全国8箇所のライヴハウスを回る対バンツアーを行いましたよね。

「そう。つまりアルバムを出してからEXシアターでの1本しかワンマンをやらなかったんですよ。そういうのもあったから、2015年の終わりから2016年にかけては徐々にライヴの規模を大きくしながらワンマンをやっていくつもりで、その前哨戦っていう位置づけで東京と大阪は年内中にやっておこうって思って予定を組んでいて。……今年の春にやった対バンツアーは、ライヴハウス規模で調子を確かめながら回っていったんだけど、それが自分達的には凄くいい感触だったんですよね」

■サポートギターに山本幹宗くんを迎えて、初の4人の体制になりましたしね。ギターが1本増えたことによってライヴでの表現世界がぐっと広がったし、時には川島さんがスタンドマイクで歌うこともあったり、ライヴバンドとしてのBOOM BOOM SATELLITESも更新されて、またひとつ高い領域に達したなぁという手応えがありました。

「その体制もツアーを通してちゃんと固まってきた手応えがあって。僕らは2017年がデビュー20周年だから、そこに向けてやっていこうっていう気持ちもあったんですよ。で、その最初の足がかりっていう意味でのワンマンが11月のライヴだったの。でも、蓋を開けてみたら川島くんは再発をしていて。……実際、7月の終わりに再発がわかった時、個人的にはギリギリ11月はライヴができるかどうかっていうくらい深刻なんじゃないかなって思ってたんです。川島くんは楽観的だから『来年の春くらいまではできるだろう』って思っていたみたいだし、もちろんライヴをやりたい気持ちは強かったから11月のライヴを発表したんだけど。でもやっぱりその見立ては甘くて、現実的にはできなかった。で、『じゃあ川島くんの体調が良くなったら』っていう発想に普通はなろうとするわけだけど、医学的に考えると、正直に言って、今の時点では今後一切ライヴができない可能性が高いんです」

■はい。

「そういう状態って、もちろん今まで経験したことがないわけで。………僕が音楽活動を始めたのは中学生の時だったんだけど、高校の時もいくつかバンドをやっていて。大学の時もこのバンド以外にいくつか掛け持ちでやってたから、自分のスケジュールにライヴの予定が入っていないってことが今までなかったんだよね。たとえ直近に入っていなくても、何ヵ月後のこの時期にはライヴがあるとか、そういうのは見えていて。ずっとライヴがあるのが当たり前の生活をしていたから、知らないうちにそういうものに動かされて生きているのが当たり前になっていて………それがなくなっちゃったので、生活そのものがガラッと変わったんですよ。夏のイベントとかフェスが終わった時に目標になっていたのは11月のワンマンだったけど、それも無理なことがわかってしまって。そこから気持ちを立て直していくのが大変だったなと、振り返れば思いますね。……ライフワークのほとんどを失うから、人生観は変わらないんだけど、人生がガラッと変わったし。今も、これからどうしていくのか、どう自分が生きていくかっていうことは毎日考えるし。もちろん川島くんは生きているわけで、まだ一緒にやりたいこともあるしね。でも………現実的に考えて、恐らく僕のほうが長生きをするから、これから先、どう川島くんと過ごして、僕自身どういう歩みを築いていこうかっていうことも考えざるを得ない。川島くんにもその辺は正直に伝えているんだけど。ただ、今は川島くんができること――川島くんに悔いが残らないように、僕ができる最大限のことを手伝おうとしている。今はそういう日々を過ごしているところです」

■新曲の制作を始めたのはいつからなんですか?

「アルバム(『SHINE LIKE A BILLION SUNS』)が去年の12月に完成していて。で、そのアルバムの曲を再現するEXシアターのライヴが終わった頃には、もう新しい楽曲の制作はスタートしていたかな。だから4月くらいには始めていたと思う。アルバムの手応えがとてもあったから、さらにそれを押し広げて行きたいっていう気持ちがあって。でも実は、川島くんとは全然噛み合っていなくて。ペースが合わなかったりしたんだよね。今振り返ると、その頃から物忘れというか、そういうのがあったんですよね。大事にしている曲があって、今までだったらそれはお互いの共通認識として持てていたんだけど、川島くんはそれが抜け落ちたりしちゃっていて。だから僕のモチヴェーションは高いけど、なかなか制作が進まないっていう時間がずっと続いちゃって。結局夏くらいまで『これだ』って曲はできなかったんです」

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text by有泉智子

『MUSICA1月号 Vol.105』