Posted on 2016.02.17 by MUSICA編集部

TK from 凛として時雨、再び渡独――
『Secret Sensation』を前に、彼の奥底にあるコアを覗く

僕の中では、「音楽」っていう丸いものがあって、
その丸の周りに棘があるイメージがあって。
時雨の時はその棘が凄く鋭かったりすると思うんですけど、
自分では「音楽」っていう核の部分が全部見えてるので、
自分の作る音楽はずっとポップな印象なんです

『MUSICA 3月号 Vol.107』P.86より掲載

 

■何を血迷ったか、今回の作品はBOBO(TKの作品を始め、MIYAVIなどとも世界を回る、愛嬌溢れる野獣スーパードラマー)とふたりでベルリンに行ってレコーディングしたという話を聞いたんですけど。

「いろいろ日本でやることはあったんですけど、そのタイミングでしかベルリンに行けないっていうスケジュールがあって、血迷ってBOBOを誘って(笑)。そこに合わせていつもより全体的にデモ作りの作業を早く進めたんですよね。レコーディングをギリギリではなく、こういう普通のタイム感でやったのが初めてだったので、これはこれでいいなって(笑)」

■時雨でベルリンに行かれたのって去年ですよね。今年に入ってから、「あのデヴィッド・ボウイで有名なハンザスタジオってどうだったの?」って訊かれることもあったと思うんだけど。

「そうですね」

■時雨に続いてソロのレコーディングでも同じスタジオを選んだっていうことは、よほど窓のあるスタジオ(このスタジオを選んだのは、デヴィッド・ボウイ云々ではなく、密閉され過ぎずに窓があって開放感を感じたからだと以前の取材で話していました)がお気に召したんですか?

「実際、窓から景色を見てる余裕はそこまでないんですけどね(笑)。前回の時雨の作品をハンザスタジオでレコーディングしたってこともあって、環境はもちろん単純にスタジオの鳴りがよかったっていうところが大きかったです。『es or s』も、あそこでレコーディングすることによって自分の理想としてる音だったり、理想とはしていなかったけど欲しかった音が掴めたんですよね。それをベーシックにして、このソロの音を作っていければ、より制作時にストレスがなく自由に作れるのかなっていう感じがあって。……僕は音楽性と場所を結びつけたことはなくて。たとえば、今回の作品は打ち込みの音が入ってるから、テクノの国のドイツに行ってテクノのエッセンスをもらおうとかそういうことは考えてなかったですし(笑)、『次回作は打ち込みを多く使って、ベルリンで録って、EDMの要素を入れて……』とか細かいところまで考えていたわけではなく、単純に前回録った時の音の印象だったり――元々時雨のレコーディングをハンザスタジオで行ったのも、僕がひとりでベルリンに行ってピアノの弾き語りを録ったところから始まってるんですけど、今回はあの場所でもう一度バンドサウンドとは違う音像を作ってみたいなっていう素朴な好奇心があったんです」

■今回の作品はTKのソロとしてとても新しい作品だと思うんです。確かに打ち込みの音も新しいけど、でも一番新しいと感じたのは音の面ではなく、「歌」だったんです。今まで以上に「歌が音としてではなく歌」として聴こえてくるし、歌の位相が大きいし、広くて太い。TKの根本的な音楽への向かい方含めて、表現の奥底に新しさを感じたんですよ。

「時雨を昔から知ってるエンジニアの方も『今回は歌が前に出ていて新しい』って、鹿野さんと同じことをおっしゃっていて。でも、僕の中では何かを意識して音を作ったわけではないんですよね。たとえばイントロを打ち込みで試してみようっていうのは決めてたんですけど……『今回は意図的に音のどれかを大きくしてみよう』っていう意識が生まれる前に音を作っていたんです。でも、別にバンドとの差別化で歌を大きくしたかったとか、言葉の存在感を大きく見せたかったっていうのは意識してなかったんですよね。歌に関しては……時雨のツアー中もそうですし、弾き語りのライヴでもそうなんですけど――『歌いたい』っていう想いよりも、『歌えない』っていう想いのほうが蓄積されてるんですよね。だから、フラットなところから『歌いたい』っていう欲求が生まれてるっていうよりは、自分では『まだまだ歌えてない』っていうコンプレックスがあるので、たぶんその反動で今回は歌ってるように聴こえるのかもしれないです。強く『歌いたい』って思ってるわけではないですけど、何かにしがみつくように声を出してる感覚は、年々強くなってます」

■一番最後の“like there is tomorrow”という曲がバラードになっていますよね。この曲は自らピアノを弾かれている、ある意味弾き語り的な要素が強く出ている曲なんですけど、この曲が一番「歌が音として鳴ってる」ように聴こえるんですよね。本来は弾き語りの曲のほうが「歌ってる」ように聴こえるはずなのに、頭の3曲の激しくダンサブルでノイジーなほうが「歌ってる」ように聴こえる。この感覚は凄く新しい。

「はははははは、その感覚は僕からしても不思議ですね(笑)。でも、自分ではどうして『歌ってる』ように聴こえるのか、まったくわからないんです。制作中ってずっと同じ音を聴いてるんで、作品が完成するまではある種トランス状態ですし、頭の中が真っ白なんですよね。そうやって真っ白な状態で作品を作ると、制作し終わった後に残る感覚もゼロなんですよ。作品の中に自分が意図していたものが介在していないがために、『ベルリンにBOBOと行った』っていう記憶だけが強く残るんです(笑)。景色や記憶はデザインとしては頭に残ってるんですけど、その中枢の意識の部分がすっぽり抜け落ちてしまってるっていう感じです。だから、果たしてこのソロで自分が進化できてるのかどうかまったくわからないんですよね。……さっきも言った通り、今回のわかりやすい音の面での変化はやっぱり打ち込みなんですかね? 今までも打ち込みは入ってたんですけど、今回はそれを敢えて今までとは違う形で出していて――たとえば、打ち込みを使ってる分量は今までと同じでも、打ち込みが印象的に聴こえるミックスにしたんです」

■そうですね、いきなりイントロで使ったり、打ち込みの音が大胆にメイクアップされてるってことだよね。

「そうですね。いつもギターで鳴らしてた音がシンセに変わっていたりとか、冒頭のリズムが打ち込みになっていたりとか、自分の中での音色の選択が変わったんですよね。だから、見え方としては変わったように感じるのかもしれないですけど、実は色を変えただけなんです。そういう意味では、よっぽど歌の出し方とかのほうが僕の無意識的なところで変わってるのかもしれないですね」

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text by鹿野 淳

『MUSICA3月号 Vol.107』