Posted on 2016.03.15 by MUSICA編集部

SiM、初の表紙巻頭特集!
『THE BEAUTiFUL PEOPLE』の真髄を紐解く
4人全員総力取材!

心からカッコいいって憧れる音楽を取り入れることで、
俺達はその憧れの入り口になれればいいし、
じゃあ俺らが日本でそれをやらなくちゃダメだよな、っていうのはスゲぇあった

『MUSICA 4月号 Vol.108』P.18より掲載

 

■ついに、初の表紙巻頭特集にご登場いただきます。

4人「ありがとうございまーす!」

■とにかく最高に狂っていて最高に飛べる作品になったと思うんですが、まずはアルバムが完成しての手応え・実感を訊かせていただけますか?

SHOW-HATE(G)「手応えはスゲぇあって。今までになかったUSポップ感も入れられて、いい意味で人を裏切る新しさやバラエティ感も多く見せられた作品だと思いますね。でも、押さえるべきところはちゃんと押さえられてるし、全体的にはちゃんとSiMとして外してないというか。その両方を兼ね揃えた上で、ちゃんと抜けがいいアルバムだと思うんですけど」

GODRi(Dr)「曲としては作った時期も録った時期もバラバラなんですけど、確かに、結果的に凄くまとまったアルバムだなって思う。まとまったっていうのも――俺らの代表作として『これを聴けば俺らのことがわかるでしょ!』ってハッキリ言えるものになったなっていうことですかね」

SIN(B)「元々予定してた曲を全部録ってから一度全体を見渡して、その上で“MAKE ME DEAD!”と“THE KiNG”の2曲を追加で録ったのも、そのバラエティ感とまとまりが両方あるっていう面では大きいと思う」

■急激な展開とポップパンク的なサビのコントラストが非常に際立ってる2曲ですけど。なんで追加しようということになったんですか?

SHOW-HATE「DEAD POP FESTiVALを屋外に持って行った去年の夏くらいから、モッシュしてる人以外にも音楽として届ける方法を考えるようになったし、自分達の音楽をさらに多くの人達に知ってもらうには?って考えた上で、武道館ではショー的要素の多いライヴもして――そうやって『バンドとして大きく見せていきたい』っていう軸を4人で共有できたことで、今回の曲作りも、MIXも、低音が強く出つつ、決してドンヨリさせない壮快感を目指すようになったと思うんですよね。だから、そういう壮快感が前に出た曲が欲しいと思って追加で作ったんですよ」

■確かに、グッときたのは、ヘヴィロックとハードコアとポップパンクにレゲエ/ダブを交錯させていく王道感が、“NO FUTURE”を象徴にしてスコンと抜けているところで。だから、バラエティ感があってもズバッと壮快なものとして聴けたし、これだけ狂った展開が多いのに体感として超スムーズなこの作品は、純粋に音楽としても面白いなぁと思うんです。

MAH(Vo)「今回はそもそも、2011年に出した『SEEDS OF HOPE』みたいに『ラウドロック』としてわかりやすいアルバムを作ろうと思ってたんですよ。で、その根幹のテーマは揺るがないまま、バラエティに富んだ曲を入れられたなと思ってて。……今までは、たとえば突拍子もなくダブステップが入ったり、イキ切ってから無理やり本筋に戻ってきたりっていう感じがあったと思うんです(笑)。だけど今回は、1曲1曲展開は結構激しいけど、太い幹の上でどっちに落ちることなく、上手くバランスをとれた曲が多いと思ってて。だから、現状のSiMが出すラウドロックアルバムとしては素晴らしいバランス感になったんじゃないかなぁと思いますね」

■ただ、これは今の言葉と反対のことのようで申し訳ないんですが、『THE BEAUTiFUL PEOPLE』を聴いた実感は、「ああ、ラウドロックっていう括りを名実ともにブチ抜いていったな」ってことだったんです(笑)。

MAH「はい、はい(笑)。そうだよね」

■4音のレンジが一気に広がってるし、“MAKE ME DEAD!”ではガレージやロカビリーの要素が前に出ていて、“CROWS”ではヒップホップの要素も色濃い。この消化と昇華の幅は、いわゆる現状のラウドロックシーンからは十二分にはみ出てると思ったんですよ。でも、今回は「SiMにとってのラウドロックアルバム」を作ろうとしたと。そこにある真意とか、SiMにとってのラウドロックっていう部分を伺いたいんですが。

MAH「それこそ去年武道館をやったことも含めて、モッシュしたいだけじゃない人とか、ライヴハウスとかよくわかんないっていう人にも届くようなものを作ることを凄く考えたんですね。そこで、もっとラウドロックっていう音楽の深みを見せたいと思って。ズクズン!ってやってギャーギャーしてるやつでしょ?みたいな印象しか持っていない人にもアプローチできるだけの幅とか、『音楽をやってるんだよ』っていう感じを出したかったんです。で、それを『敢えてラウドロックを清書する』っていうことで見せようとしたというか。これがSiM流のレゲエパンク、もといラウドロックです――みたいなね。そういう意識が、さっき話した太い幹になってたと思うし、その潜在意識と、2015年にバンドとしてワンステップ大きくなろうとしたのが合致して、こういう音楽的な振り幅になったのかな」

■でも、ひとつだけ疑問があって。「SiMとしてのラウドロックアルバムを作ろうと思った」と言われた点について、メジャー移籍後は特に「ラウドロックっていうラヴェリングとSiMを差別化しなくちゃいけない」っていう意識が強かったし、そこで2015年にライヴハウスの美学の外へ出ていく活動をしたことも含めて、ラウドロックという言葉の外に抜け出そうとしてきたのがこれまでのSiMだったと思うんですよ。その上で今「ラウドロックアルバムを作ろうと思った」っていうのは、今の自分達をどう位置づけようとしたからなんですか。

MAH「今まで『ラウドロックって呼ばれるのが嫌だ、差別化しなきゃいけない』って言い続けてきたのは、似たようなバンドばっかりが増えてきたと実感したからだったんですよ。そもそも俺達は俺達で、レゲエとパンクを混ぜて『これがカッコいい』と思ってきたことが、勝手に外から『ラウドロック』って呼ばれるようになっただけで。だけど、ただ似たバンドが出てくるだけの飽和が生まれたことで、『ラウドロック』の括りはもう終焉を迎えると思ったし、『俺達はもうそこにはいないよ?』っていうことを示さなくちゃと思ってたんですよね。……だからこそ今回、最後に『はい、これがラウドロックでした!』って俺達が言うようなアルバムを作るのが一番いいと思ったんですよ。今思えば、2011年の『SEEDS OF HOPE』によって、『日本のラウドロック感』のフォーマット――ズクズンっていうギターがあって、ツーステップを踏みやすいリズムがあって、サビはキャッチーで、っていう、ある程度の形を作れたと思うんです。もちろん、coldrainとかがやってきたことも合わさって、『ラウドロック』っていう形ができたと思うんですけど。で、フォーマットを作った身としてどう遊ぶか、音楽的な立ち位置をどう自由にするのかが、2012年から2015年だったと思うんですよ。たとえば2014年の『i AGAINST i』だったら、『レゲエやスカをどれだけ消化してるか』に特化して、EDMも取り入れた実験的な作品で。で、そうしてるうちに実際にラウドロックも伸びなくなっていって、ここからは『ロックバンドとしてどうなのか』が問われてくる時期だと思ったんです。だから一度遊ぶのをやめて、ちゃんとSiMの定義するラウドロックを提示して、本当の意味で『俺達はもうそこにはいない』っていうことを示して次にいこうと思ったんですよね」

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text by矢島大地

『MUSICA4月号 Vol.108』