Posted on 2016.04.17 by MUSICA編集部

SKY-HI、
確かな意志と野心を漲らせる彼とのファーストコンタクトで、
その信念と核を徹底究明する

ラッパーとしては、
AAAやってることもコンプレックスや劣等感の要因になり得ますし、
俺のルックスが二枚目であることもそう。
このキャリアとこの顔だけで、曲を作ってると思ってもらえないですから。
そういう根っこは昔からあって、それをひっくり返してくれたのがヒップホップでした

『MUSICA 5月号 Vol.109』よりP.40掲載

 

■この前ライヴを見せていただきましたが。SKY-HIでやってることって、人生はショーでもありリアリティでもある、ショーとリアリティっていう、ある意味真逆にあるものが同列に進んで行くのが人間という矛盾をはらんで生きるものだ、みたいなものを感じました。で、先日リリースしたアルバム『カタルシス』は、それを音像化していったヒップホップショーだと思うんですよ。

「ありがとうございます、確かにそうですね」

■そんな今の日高くんというかSKY-HIがあるのには、外的要因と内的要因があると思うんです。外的要因は、世の中があなたのことをどういうふうに認知してキャッチしたのかってこと。内的要因は日高君自身がどう変わったのかっていうことなんですけど。まず内的要因としては、なんで『カタルシス』がこんなにも前作の『TRICKSTER』(1stアルバム)と比べて、いきなり覚醒するような作品を作れたんですか?

「自分に対して諦めなかったからっていうのが1個あるんですね。『カタルシス』でやってることって実は『TRICKSTER』でも同じようなことをやろうとしてて。『TRICKSTER』やった時に広がってない感じ、それこそ評価を得られてない感じがしたから、そこから目を背けなかったというか。その理由をもう1回自分で考えて、作り方が変わったっていうのはあります。『TRICKSTER』の時はソングライティングっていう意識は低かったですね。あの頃は人が作れない楽曲を作ることに、それこそカタルシスを感じてたところもきっとあるし、絶妙な落としどころの楽曲を作る、それを並べてメッセージを渡すみたいな作業に対して喜びを感じてたと思うんですけど、『カタルシス』は曲単位ではなくて、アルバム全体でそれをするために明確なメッセージを、Aって書いてAを渡すというよりは、Aの周りを塗りつぶしてAを浮かび上がらせたり、『B、C、B』って書くことによって次にAが来るんじゃないかって思わせたりとか、そういう作品の作り方をしようと思ったし、それができたんです。もちろん今回は格段に音像や旋律の流れも緻密に計算したんだけど、『TRICKSTER』でメッセージが伝わり切らなかった要因があるとしたら、1個は自分のリリシズムに足りなかったところがある。聴き終えた時の満足度が『楽しい』に負けちゃうというか。もうちょっと強みのあるものを打ち出したつもりだったんだけど、その強みの部分はそんなに伝わらなかったなと思って。つまり音像の振れ幅にリリックが見合ってなかったから、バラエティで楽しい部分のほうが勝っちゃってたっていう。音像の振れ幅のほうが面白くて、リリシズムが単極で終わってたんですかね。卒業のタイミングで好きな子に『好きでした』って言う時に、たぶん『TRICKSTER』は『好きでした』って言ってて、『カタルシス』は初めて会った時からなんで好きかとか、どのくらい好きかとか、ひょっとしたら実はそのあいだ他の女の子とつき合ってた時期もあるんだけど、それでも忘れられなくてっていうのがちゃんと込められているラブレターなんじゃないですか(笑)」

■要するに人という背景がそこに入ってるものね。

「そうですね、背景も当然そうだし、責任感? その人の人生すべて……聴いてくれるっていうことは、その時間を俺に割いてくれるってことじゃないですか。だから俺は大げさじゃなく、人生をある程度分け与えてもらってるという自覚があって。それに対して責任を持つ覚悟は『カタルシス』を出す時のほうが遥かに強いです。『TRICKSTER』を出して、アルバムを聴いてライブに来てくれた人を見た時に芽生えたものだったかも」

■その人の目には何が映ってたんですか?

「俺自身が映ってたんですよ。あー、ライヴって、目の前の人達って俺を映すんだと思って。その感覚って、ともするとステージに立つ時間が長い人ほど当たり前にしてしまいがちな光景の気がするんですけど、人の目に自分がいるっていうのは。それは時間の長さに関係なく、そのエネルギーとか労力とか、気持ちの動きっぷりを自分に委ねてくれてるっていう。その貴重な時間をもらっておいて、もし気持ちを動かせられなかったら、それ責任だいぶ重大じゃないですか。だから絶対にもらったぶんの時間は利子つけてちゃんと気持ちで返したいし、それをし得る実力があるっていう自負もあったし、それをやりにいくっていう責任とか覚悟とかそういうものが自然と生まれてきました」

■自分が表す音が、時には膨大なボキャブラリーの中のひと言だけでさえ人の人生を変えちゃうし、その人自身の自我が自分の音楽から発されることもあるんだなっていう話だと思うんですよ。長いキャリアでいろんなことをやってるわけじゃないですか。たとえば僕はアイドルに取材をしても音楽的な背景と表現欲求や世界観がわからないから、何を訊いていいかわからなくて遠慮しがちですが、でもそういう人達がどれだけ腹が据わってるのか、どれだけ頑張り屋さんなのか、それによってどれだけ独特の宗教性であるとか、人生を変えちゃうものがあるのかっていうのは十分わかってるつもりなんです。

「偶像崇拝ですもんね、アイドルって言葉自体が」

■日高くんはAAAでそれをやってると思うし、その実感を体験もしてると思う。でもそれとは違うものがこのSKY-HIの中でどうあったのか。プラス、自分自身が夜な夜なクラブに行ったり、フリースタイルやったり、ヒップホップのドープな部分に触れていく理由とそこはどうつながってるのかを教えてください。

「10代後半の最初にクラブシーンに傾倒したラッパーとしての自我が芽生えたっていうのは、本当にしたかったからとしか言いようがない。好奇心の赴くままにですね。2006年にたまたま国内で刺激的なヒップホップの作品が連続的にリリースされ、たまたま俺がそれを渋谷のタワレコの2階の奥のスペースで聴いて、たまたまライヴとかがある場所が近かったから、たまたま行って。たまたまそのまま通うようになって。おのずと自分でやるようになってっていうスタートに関しては好きだったからとしか言いようがないですね。それで結局、昼間はAAAやって、夜はSKY-HIという名前でラップしてっていうのが数年間続くんですけど」

■その言い方凄いね、夜中の顔みたいな感じだね。東電OL殺人事件の当事者みたいだね。昼間はOL、夜は売春婦みたいな。

「そうですね。苦学生のキャバ嬢みたいな感じ(笑)。でもべつに苦学生のキャバ嬢もね、嫌だけど仕事してるとは限らないだろうし、嫌だけど勉強してるとは限らないだろうし。極端なこと言えば嫌だったらどっちかやめちゃえばいいわけだから。スタートはほんと単純で純粋で。だし、原理主義みたいなところもあったし。若い割には頭固かったような気もするし(笑)。だからこそ自分に対して許せないこととか、責任を持ちたいことはたくさんありました。『自分の生きてきた轍みたいなものに誇りを持たないことには人様に言葉を投げかける存在として間違ってると思う』、そこがたぶんスタートかな。その次にプライドが来るのかな。誇りとプライドは近いようでたぶんちょっと違くて。まず最初にその誇りがあって、その次にプライドが来たとして、俺は誰からもナメられないためにラップが他の人より上手い必要があったし。好きだから通ってるわけだから、ナメられたりアイドル云々とかなんか言われたとしても、行かなくなるわけがないじゃないですか、だってそこが大好きなんだから。でも何か言われることに対して、時には言い返さなきゃいけない時があって。わざわざ毎回言い返す必要もないんですけど、その時にまず技術が必要になっくるでしょ? だからラップ上手くならなきゃいけないし、そういう意識は常にありました。今も持ってます。でも音楽として好きになっていく背景と、それは別ものでした。ヒップホップ好きになってからいろんな音楽好きになりましたし、ブラックミュージック中心でしたけど、自分の中で偏見をなくすために、いかにヒップホップがいてくれたか、みたいなのはあるかもしれないです」

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text by鹿野 淳

『MUSICA5月号 Vol.109』