Posted on 2016.05.16 by MUSICA編集部

東京スカパラダイスオーケストラ feat. Ken Yokoyama、
無双タッグ、遂に実現!!
コラボ曲『道なき道、反骨の。』で、
その生き様を熱くここに刻む!

新しい常識を作る人っていうのは、最初は非常識なんですよ。
ただ反骨精神だったり不良の心に憧れるっていうよりも、
今は再構築しなければならない時期に来てると思う(谷中)

『MUSICA 6月号 Vol.110』より掲載

 

(前半略)

■では、健くんをヴォーカルに迎えることが決まりました、そこからこの曲ができるまでにどんな道のりを辿ったのかを教えてもらえますか。

加藤「とにかくやりたいことが多過ぎて(笑)」

茂木「そうそうそう(笑)」

加藤「ただ、スカパラってまずはメロディラインの強さで曲を選んでいくんで。だから前からあったメロディの強いものと、健さんをイメージして改めて曲出しをしたものと何曲か出てきた中から、最終的に川上さんが作ったこの曲の原型を発展させていった感じでしたね」

川上「これ、サビのモチーフだけは凄い昔からあったんですけど、落としどころが見つけられなかったんですよ。でも強いメロディだったんで、そこから健さんをイメージしてみんなで肉づけして」

■健くんは、「この曲で行こうと思うんだ」って提示された感じだったの?

Ken「そうですね。谷中さんから途中経過はメールで知らされてたんで、『うわぁ、どんなんになるんだろう!?』ってめっちゃ泣きそうな顔でドキドキしながら待ってました(笑)。で、最終的にはスタジオで初めて聴かせてもらいましたね」

谷中「リハーサルの時に初めて、生演奏で聴かせたんだっけ?」

茂木「そうだそうだ、そうだったね」

■健くん自身は、そもそもスカパラのメロディに対してどんな印象を持っていたんですか?

Ken「スカパラって昔からもの凄くコード使いが難しいんですよ。特に歌モノはもの凄い難しい。民生さんとやった“美しく燃える森”も凄い特徴的なコードだし……メロディはシンプルなんだけど、とにかく多彩なんですよね」

■その「多彩」っていうのは、定説から逸れていくものが多いってこと?

Ken「いや、逸れるんじゃなくて、豊かなんです。知識がないとこうはならないなっていうコード使いなんですよね。やっぱりジャズとか映画音楽とか、いろんな音楽に精通している人の集団だから、そういう人達が歌モノを作るとこうなるんだなっていう――だからただのメロディメイカーじゃないんですよ。しかもそういう人が何人もいるから、中入るまでは『どうなってるんだろう?』って不思議だったんですけど、入ってみたら9人が9人必要な役割というか、全員で作ってるんだなということがわかって。凄いなと思いました」

■実際に曲を聴いてどう思いました?

Ken「まだ歌詞がついてない状態だったんですけど、正直、もうついていくのでやっとでしたね。全員の生演奏で、谷中さんがラララで歌って聴かせてもらって。譜面が置かれてたんですけど、僕は譜面も読めないので結構固まって。でも固まってる場合じゃないから、一生懸命覚えて。で、実は候補として2曲聴かせてもらったんですけど、その2曲が頭の中で混ざっちゃって(笑)」

■あ、候補が2曲あったんだ?

加藤「実はね(笑)。僕らも迷ってたんですよ。どちらも川上さんの曲なんですけど、ひとつは健さんのイメージとはかなり違うどスカというか、オーセンティックなスカの曲で、もうひとつが今回“道なき道、反骨の。”になった、健さんのイメージもインクルードしながら、それをスカパラなりのビートに置き換えた曲で。で、とにかく1回両方とも聴いてもらいたい!っていう気持ちが強くて、どっちも聴いてもらって」

川上「そうね(笑)、イメージ通りのものもアリだし、イメージにないものもアリだよなって」

加藤「そしたら健さんが『どっちもやりたいです!』って言ってくれたんですよ!」

Ken「いや、本当に両方ともめちゃくちゃいい曲だなと思って。だからもう選べなくて、どっちもやりたいっす!って言ったんですけど(笑)」

■今回、もの凄くはっきりと日本語の言葉が響いてくる楽曲で、健くんにとっては初めてのオリジナルの日本語詞を歌う機会になったんですけど。これはどういうやり取りから着地したんですか。

Ken「歌詞に関しては、全部谷中さん任せです」

■健くんもそれを求めたの?

Ken「特に会話もなく、そういう感じでした。谷中さんがもの凄く入り込んでたし、僕も谷中さんの歌詞を歌いたいと思ってたので」

谷中「ずっと英語で歌っている健くんが日本語で歌うっていうのは、お客さんにとっては凄く身近に横山健を感じる瞬間だと思うんですよ。そういう素晴らしい機会をもらったなと思う反面、もの凄いプレッシャーがあって。やっぱりパンク界のヒーローなわけで、みんなの中に横山健というヒーロー像が育っているわけじゃないですか。それをいい意味で裏切るように書けたらいいんだろうけど、でもそこで『これは違うな』って思われたら凄いシャクだし、変な日本語の歌詞を歌わされてるなって思われるのも嫌だし。だから、僕の生き様もぶつけなきゃいけないと同時に、横山健の生き様も背負って書かなきゃいけないっていう……そういう想いが凄くあったから悩みましたね」

■それは今までのゲストヴォーカルへの作詞とは、また少し違う感覚だったんですか。

谷中「たとえば、初めての作詞は田島貴男に書いた詞(“めくれたオレンジ”)だったんだけど、あの時も『あんな素晴らしい歌詞を書く人間に対して俺は何を書けるんだろう?』っていうプレッシャーは相当あったんです。でも、田島の世界があった上で、スカパラなりの世界観で歌っている田島を楽しんでもらえたらいいなっていう気持ちでできたんですよね。で、民生さんの場合も、民生さんがいつも歌わないような、笑いでうやむやにできない大真面目なラヴソングを歌ってもらおうっていうアイディアがあったから、それはそれで全然違う感じで聴いてもらえればいいやっていう気持ちに持っていけた。でも今回の場合はそういうのとはまた違って、もう完全に新しく作り出さなきゃいけないなっていう(笑)。自分の人生も横山健の人生もスカパラの人生も全部歌詞に注ぎ込まなきゃいけないなっていうプレッシャーが凄くあったんですよね」

■健くんの中で、日本語で歌うことに関して、そもそも自分の中にその欲望はあったんですか? それとも「これはこれ」という感覚だったの?

Ken「実は、日本語で歌いたいなと思ったのは(東日本大)震災がきっかけだったんですよ。震災の後、東北のほうにライヴに行った時に、いろいろ語りかけて『じゃあ聴いてくれ!』って英語の歌を歌ったんじゃ、何も伝わらないんですよね。その時に初めて『やっぱりこういう時は日本語でないと』って思いました。でも、何故か自分で書こうっていう気にはならなかったんですよ。だから次の選択として、じゃあ誰の詞だったら歌いたいか?を考え始めたんです。僕が昔から好きなTHE BLUE HEARTS、現ザ・クロマニヨンズの(甲本)ヒロトさん、マーシー(真島昌利)さんの歌詞が好きだなとか、10-FEETのTAKUMAの詞だったら歌ってみたいなとか……その中に谷中さんの詞もあったんです。抽象的な詞だけど谷中さんの美学がゴーンと注ぎ込まれているような言葉の選び方だったり、そういうのが凄くいいなと感じていて。あと日頃から詩が送られてきて接しているもんだから、ちょっと思い入れもあったりするし(笑)」

川上「じわじわと効いてたんだ(笑)」

Ken「はい(笑)。で、谷中さんの歌詞ならば俺は歌える、歌いたいって思いました」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA6月号 Vol.110』