Posted on 2016.07.15 by MUSICA編集部

SEKAI NO OWARI、全国ツアー「The Dinner」を基に、
稀代のバンドを超ロングレヴューで深掘る

凄かった。演出はもちろん、生リズム隊導入の音楽的な覚醒が、とにかく凄かった!
開催すればそれが音楽ライヴ演出記録更新な、
エンターテイメントツアーを行うSEKAI NO OWARI。
巨大洋館とシャンデリア、カニバリズム、息を飲むシリアスなストーリーと切なる希望。
そもそも「終わりという負から始まりという聖を唱える」彼らの世界の真骨頂、
「The Dinner」を基に、稀代のバンドを超ロングレヴューで深掘る

『MUSICA 8月号 Vol.112』P.42より掲載

 

 素晴らしい「生き抜くためのショー」だった。演出的にも音楽的にも、彼らにしかできないし、彼らしかやろうとしない、独自のツアーだった。

 今回、初日である3月25日(金)幕張メッセと4月17日(日)の福井サンドーム、そして写真を掲載したライヴでもある全25公演中の24公演目である6月18日(土)のさいたまスーパーアリーナの3本を観せてもらった。3回同じライヴを観てもまだ、もっと同じショーを観続けたいと思うことはなかなかないのに、このツアーだけはもっと何回も観てみたいという中毒症状が今も起こっている。何時間並んでも観たいし、ファストパスを取るために朝一から来てでも観たい。つまり度を超えた魅惑のライヴだった。

 そのエンターテイメント性は後述するが、まず綴りたいのは「音楽」である。このツアーから感じたのは、彼らの「新しい音楽表現」だった。それは新しくもあり、実は原点めいたものでもあり、英語表現や海外進出に対する、彼らなりの新しい明確な一歩なのではないか?と思った。

 SEKAI NO OWARIは今回、明確な編成替えをした。それは「ドラムとベース」を導入したことである。彼らはそもそもドラムレスなバンドとして頭角を現してきた。その編成に拘りもあったし、そのスタイルに彼らなりの「今」が表されていたし、そのことによって彼らは「ポストバンド的なる編成」という時代の臨界点を象徴するバンドになったし、旧態依然としたロックバンドスタイルに対するカウンターメッセージを発することもできた。

 しかし、今回の彼らの楽団編成は4人のストリングスチームと共に、ドラムとベースをサポートミュージシャンとして導入した。これで彼らの編成は言わば「バンド然」としたものになった。MCでも話していたが、そもそもこのような楽器編成を考えて楽曲制作された歌が多いわけではないし、サンプリング的な要素を自由に扱える編成だからこその「非楽器的なサウンド」がリズム音に関して多く導入されている曲が多いので、そのアレンジの転換には苦労したと福井で逢ったNakajinが語ってくれたが、きっと彼らはその苦労をしたかったのだろうし、それを何よりも楽しみたかったのではないかと思う。何故ならば、彼らはこのツアーで自分らの楽曲の「もうひとつの顔」、もしくは「本当の顔」を見つけたかったのではないかと思うからだ。

 ドラムとベースを入れたかった理由は複数あると想像できる。今から挙げるすべてが彼らの目的ではないかもしれないが、ある程度のものが彼らの脳内にはあったことと思う。

★今後の音楽性の幅を広げたかったこと。

★メンバー一部の年齢が30歳を超えたことを含め、今までより成熟したアレンジによる演奏、そして音楽制作をしたいと思ったこと。

★そもそもリフを生み出したり楽曲制作をする時にバンド編成的なシンプルな構成から始まっているものも多いこと(これは本当に勝手な推測だが)。

★英語の歌詞の曲が増えてきて、今後もさらに増える可能性が見受けられる中で、サウンドの質的にドラムやベースの生々しいトラックが必要になってきたこと。

★これまでのやり方に飽きてきたこと。

★バンドとして確信や自信が芽生えつつあるからこその肉体的な躍動感を得られる生リズムの導入。

――などである。

 今回のセットリストがドラムとベースが打ち込みによる同期ものではない曲が多かったことは、改めて彼らの楽曲の懐の広さを感じさせるにとても効果的なものだったし、単純に聴いていてとても楽しかった。それこそEDMのAviciiのアンセムの中にも、カントリー調のサウンドとメロディでキックの音も生音っぽく響き、でもサビ前からそんなウッディな展開が嘘のようにのびやかなエレクトロサウンドと大袈裟な展開が用意されるというものが多いが、今の時代、その音楽がいいものであれば、エレクトロと生音のギャップは曲が噛み砕いてくれるし、その矛盾を音楽的なエンターテイメントとして楽しめる土壌がシーンの中にもある。彼らは今までのSEKAI NO OWARIを楽しく裏切るために、そしてそもそも自分らの音楽が持っているエモーショナルかつ普遍的な部分を色濃く感じさせるためにも、この生リズム編成でのライヴに拘ったのではないかと思う。

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.112』