Posted on 2016.07.16 by MUSICA編集部

ぼくのりりっくのぼうよみ、
初のEP『ディストピア』で描く現代社会への警鐘。
その真意を解き明かす

たとえば「自由」って言葉が完全に世の中から
なくなっちゃったら、誰かの奴隷になっても
自由になりたいって思えない。その概念がないから

『MUSICA 8月号 Vol.112』P.66より掲載

 

(前半略)

■『ディストピア』というタイトルで新曲3曲+“sub / objective”のリミックスが入ってるんですが、明確なテーマのある非常にコンセプチュアルなEPで。初回盤に入る小説も読ませてもらったんですけど――。

「ああ、この鬱病みたいな小説を(笑)。どうでしたか?」

■凄く面白かったし、凄く重かった。

「はははははははははは」

■小説の話はまた後でするけど、これも楽曲と密接にリンクしていて。じゃあそのテーマは何かといえば、1曲目の“Newspeak”に<オーウェルみたいな世界>、つまり「全体主義的ディストピア」を示唆する言葉(ジョージ・オーウェルの小説『1984年』に由来。なおNewspeakというタイトルも同名小説に描かれた架空言語を指す)と、<哲学的ゾンビ>という言葉があるんですが、つまり主体的に物事を感じたり考えたりすることができない、言い換えれば生きている実感を持つことなくただ人形のように生きる人々がテーマになっていると思うんです。

「はい、そういう感じです」

■こういうテーマで作品を作ろうと思ったのは、どうしてだったんですか。

「僕はインプットしないとアウトプットできないんで、3月~4月のちょっと暇な時期にいろいろ本とか読んだんですよ。新しいのも読みつつ、昔読んでた本をもう1回読んでみようかなと思って、オーウェルも読み直して、なるほどと思い。で、相変わらずツイッターとか見て思うこともあり。『私はバカだからよくわかんないですけど、ぼくりりさん凄いです』みたいなことを言われることもちょくちょくあるんですけど、まぁ嬉しいんですけど、自分でもちゃんと考えてみたら面白いのにな、みたいに思い。そういうところもきっかけになって、このテーマが出てきました」

■オーウェルは、最初はいつ読んだの?

「中学生とかじゃないですかね」

■その時とは感じ方は変わった?

「全然違うと思います。『ああ確かに! わかる! わかりみが強い!』とか思いながら読んでました」

■それは今、自分が見てる現実世界と比べた時に――。

「うん、本当にリンクしてるんだなと思って」

■「哲学的ゾンビ」っていう言葉は90年代にデヴィッド・チャーマーズという哲学者が提起した言葉だけど、この言葉が引っかかったのは?

「そういうのをテーマにしてる曲がボカロにあって(FICUSELの“思慮するゾンビ”)。それこそ初音ミクが哲学的ゾンビであるみたいなコンセプトの曲だったと思うんですけど、それで言葉の存在は知ってて。で、今の世の中ってみんなそうなっていってるんだなと思って……っていうか、オーウェルの言葉が少なくなっちゃうっていう流れを踏まえて(『1984年』の中で、Newspeakは国民の思想を単純化するために毎年語彙が減らされていく言語と設定されている)、それが進むと最終的にどうなるのかなと思ったら、哲学的ゾンビになるのか、みたいな感じで繋がって。で、そこからいろんな種類の哲学的ゾンビになり方があるなと思いまして、他にどういうのあるかなっていうパターンを探って曲にしました」

■つまりオーウェルや哲学的ゾンビという概念から発想してるけど、それはそのまま自分が今見ている現実社会に対する洞察――今この世の中はこうなっていってるな、人々は哲学的ゾンビになっていってるなということをこのEPにしたためたっていうことですよね。

「そうですね。“Water boarding”だけちょっと毛色が違いますけど」

■そうですね、この曲は前のインタヴューで話してくれた――。

「そうです、ストーリー系のやつ、1回やってみたかったんで」

■かつ、ぼくりりくん自身のことが入っているというか。

「ふふ、そうですね」

■まず“Newspeak”は<乾いた言葉を並べて意味を求めて彷徨い歩く>、<クオリアを取り戻せ>、<息絶えた言葉に縋って自分を探して彷徨い歩く>というリリックがありますけど、言葉を失うことで生きている意味もわからなくなってしまった人々が、それを取り戻そうとする様を描いていて。

「というか、いろんな概念を喪失しちゃった人がそれを思い出したいな、みたいになるっていう。たとえば『自由』って言葉が完全に世の中に存在しなくなっちゃったとしたら、誰かの奴隷みたいな状態になっても自由になりたいって思えないわけじゃないですか」

■自由っていう言葉がないってことは、自由っていう概念それ自体を認識できないっていうことだからね。

「そうです。でもなんかモヤモヤする、だからそのモヤモヤの正体を求めて彷徨う、みたいな。ニュアンス的にはそういう感じです」

■そして続く“noiseful world”では<言葉なんて今なんの意味も無く/血が垂れる>というリリックがあって。“Newspeak”からさらに進んで完全にクオリアを喪失するという――。

「いや、これはまた別の人達のストーリーなんです」

■あ、そうなんだ。

「はい。“Newspeak”の人は言葉が少なくなっていくことでクオリアというか、自分の意識を失っちゃうけど、“noiseful world”の人は情報が多過ぎて感性が麻痺しちゃうことによってクオリアを喪失していくっていう」

■ああ、なるほど。だから“noiseful world”なのね。

「いろんな道でクオリアを失っていくっていうのを書きたかったんで」

■その両方が今の世界の中で同時進行で起こっていると感じるんですか。

「そうです、僕が思う二大クオリア失い要因。“noiseful world”の情報が多過ぎて感性が麻痺しちゃうっていうのは、わかりやすいものに飛びついちゃう、みたいな。今ってそうじゃないですか。たとえば舛添さんがどうのとか、そういう与えられた餌にすぐバーッと群がる、あれ。『よく考える』ってフェーズがない。『何かを見る、よく考える、叩く』じゃなくて、『何か見る叩く』みたいなことが多いなって。前作の“CITI”っていう曲も割とそんな感じだったんですけど、情報が多くなり過ぎて、深く感じられなくなっちゃう。たとえば、どこを歩いてても音楽が鳴ってたりするじゃないですか。そのせいで、好きだったはずの音楽がただのBGMと化しちゃってるとか。なんでもそうなんですけど、そういうことを歌ってます」

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text by有泉智子

『MUSICA8月号 Vol.112』