Posted on 2016.08.16 by MUSICA編集部

ロックの新たな太陽・WANIMA、
シングル『JUICE UP!!』を機に、
初の表紙巻頭特集に堂々登場!
――Chapter2:出会いから現在までを辿る
バンドヒストリーインタヴュー!

KO-SHINが東京に来てからも、ドラムが見つかるまでがスゲぇ長くて不安やった。
「ドラムを打ち込みにしてライヴしようか?」って話したこともあったし、
楽器を置いてふたりでラップするか、っていう案もあったくらいで(笑)(KENTA)

『MUSICA 8月号 Vol.112』P.22より掲載

 

(前半略)

WANIMA受胎! 物心ついた頃から

ともに育った兄弟より濃い少年期

 

■いきなり遡りますが、幼馴染のKENTAくんとKO-SHINくんの出会いから、既にWANIMAの歴史は始まっていたようなものだと思うんですが。

KENTA「そうですね。熊本は天草の保育園で4歳の時に会って、それから今までずっと一緒なんですよ。今の僕らを傍から見ると、俺がKO-SHINに意地悪したり一方的にバーッと言ったり、仲悪く見えたり、みたいなイメージやと思うんですけど――」

■いや、仲悪くは全っ然見えない(笑)。

KENTA「小さい時からずっとこんな感じやったし、周りが思ってる以上に一緒に過ごしてたんですよ。俺が家に帰ったら、KO-SHINが先に晩御飯を食べてたりしてて。その時から今まで、腐れ縁みたいな感じというか――たとえ音楽をやってなかったとしても、一緒にいる仲なんじゃないかなって思います。まあ、『殺したい!』って思うくらいムカつくこともあるんですけどね?(笑)。それでも次の日になったら『まぁいっか、KO-SHINやし』みたいになってるんです。4歳の時から20数年、ずっとその繰り返しですね(笑)」

■KO-SHINくんの何がムカつくんですか?

KENTA「あんまり喋らないから、その分KO-SHINの中でいろんなことを考えてるんやろうなって思ったら、何もないんですよ(笑)。そこが腹立ちます。そのくせ頑固で負けず嫌いやし」

KO-SHIN「ふふふ」

KENTA「でも俺が落ちてる時とか、俺のちょっとした変化にもKO-SHINは気づいてくれて、俺の代わりに代弁してくれることもあって。それはたまにですけど、そういうところは感謝してます」

■KO-SHINくんから見たKENTAくんとの出会いはどういうものだったんですか?

KO-SHIN「僕は元々違う町に住んでたんですけど、4歳の時に引っ越してきて、保育園でKENTAと出会ったんですよ。でも、その保育園でイジめられて(笑)。みんなが遊んだ積み木を片づけさせられたりしてましたね」

KENTA「で、代表でイジめてたのが俺です(笑)」

■ははははははははははは。

KO-SHIN「はい。でもお互いの家が近かったので、小学生の時も行き帰りが一緒で。そこから大きくなっていって……今に至るって感じですね」

KENTA「20数年一気に飛ばし過ぎやろ!(笑)」

■なんでイジめてたの?

KENTA「いやいやいやいや! イジメじゃないですよ! またお前がそういう言い方するけん!」

KO-SHIN「(笑)ま、僕はイジめられてるとは思ってなかったですけどね」

KENTA「やったらなんでそんな紛らわしい言い方すると!?」

KO-SHIN「いや、今思い出すと『あれはイジメだったんじゃないか』って(笑)」

KENTA「俺からすると『KO-SHIN片づけとけよ』っていうのは、そうやって話しかけたくなるような、気になる存在やったってことで」

FUJI「それがコミュニケーションだったんだ」

KENTA「そうそう、可愛がってた感じ。KO-SHINが3月の早生まれで俺が4月生まれやから、当時は俺のほうがだいぶ大きかったし。やから、どこか弟みたいに見てたんやと思う」

KO-SHIN「僕は逆に、『この子達は積み木の片づけもできない子達なんだ、しょうがないな』って思ってました」

■逆にお兄さん気分だったんだ(笑)。ちなみに当時から無口で忍耐強かったの?

KO-SHIN「はい。……なんか、精神力が強い人は無口なことが多いらしいですよ(笑)」

FUJI「それ、自分で言うか(笑)」

■ふたりが生まれ育った天草は、どういう場所だったんですか?

KENTA「『ここでどうやったらWANIMAが生まれて音楽やれるんだ!?』って感じると思いますよ。楽器屋もないし、山と海しかない。基本的に、そこで生まれたら漁師か大工しかない町だったので」

KO-SHIN「星が綺麗やったね。街灯がないけん」

KENTA「そうやな。でも真っ暗過ぎてさすがに夜道が怖いから、KO-SHINと一緒に『街灯作ってくれ』って役場に頼みに行ったこともあったんやけど、『月明かりでなんとかしてくれ』って言われるような小さい町でした。小学校は12人ひと学級で6年過ごしたし、高校も全校生徒が56人で。……でも、小さい町だからこそ、人と人の繋がりを凄く大事にする場所だったんです。そういう、都会にはないものがある場所で育ちましたね。たとえば魚釣りしてたら野生のイルカが釣りの邪魔しにきたり――そういう環境にいたので、想像力とか感受性は豊かになったと思うんですけど」

■KENTAくんは、自分でどういう子だったと思います?

KENTA「うーん……小さい頃から変わった子やったと思います。周りの子達が気づかないようなこともよく気づいたり、他の人やったら気にせん部分も目についてしまったり。だから、学校の先生達も俺のこと苦手だったと思います(笑)。特に大人のことはずっと疑ってたというか、『裏側に何かあるかな』みたいな――嘘ついてるな、とか、そういうのはすぐ気づいてた気がしますね」

■外側より内側を見つめるところがあった? 

KENTA「はい。ほんまにそれ思っとるか?とか――でも、明るかったですよ。評判よかったし!」

FUJI「ほんとかよ!(笑)」

■今のWANIMAの音楽の原風景には、そうして生まれ育った場所が映ってると思います?

KENTA「それはありますね! メロディを作っている時なんか、必ず熊本の景色を思い出します。上京する時のばあちゃんの顔も思い出しますし――生まれ育った場所とか、大事な人とか大事な場所は、そのまま全部曲になってると思います」

(続きは本誌をチェック!

text by矢島大地

『MUSICA8月号 Vol.112』