Posted on 2016.10.15 by MUSICA編集部

THE YELLOW MONKEY、
復活ツアーから間髪入れずに放つシングル『砂の塔』。
5つの鍵から、現在地をすべて解き明かす!

この4人でまた新しいバンドがやりたいんだ
っていう思いでメールを送ったところから始まって。
今になってみると、地続きだなと思ってるところもありつつ、
また新しいバンドが作れたんじゃないかとも思ってる(吉井)

『MUSICA 11月号 Vol.115』P.14より掲載

 

1

15年ぶりの再集結ツアーが

バンドにもたらしたものとは

一体何だったのか

 

■まずはツアーを終えての実感から伺えますか。

吉井和哉(Vo&G)「成長したよね(笑)」

廣瀬洋一(B、以下ヒーセ)「成長したね(笑)」

■それはどんなところで感じます?

吉井「まずはおまえだ!(とアニーを指す)」

ヒーセ「今から話す感じが成長したところです」

菊地英二(Dr、以下アニー)「なんだよもう、話づれえな(笑)……最初にリハーサルに入ってツアー始めるまでは全然方向性が見えないというか、とりあえずやってみようっていうところから始まったんで、どこに着地するかっていうのは当然まったく見えてなくて。で、代々木の初日、2日目やったところでようやくバンドがある種の方向性を見出して……そこでもう『解散しません』発言が出たわけですけど(笑)」

■3人も驚いた吉井さんの突然の宣言(笑)。

アニー「で、ツアー前半戦はそのままバンドがスケールアップしていったような感じだったんですよね。バンドとしてのステージの感覚も取り戻しつつ、それぞれがパフォーマンスを大きくしていって、バンドがどんどん巨大化していくみたいなことを感じてたんですけど。7月のさいたまスーパーアリーナが終わって、8月頭に横浜アリーナをやる前にもう一回リハーサル入り直したんですよ。ちょっとスペシャルなことが多かったので」

■横アリはツアーのレギュラーのセットリストとは違う、特別なメニューでしたからね。

アニー「そう、あとフェスもあったんで、改めてリハをやって。その時に『もう1回グルーヴを立て直してみようか』っていう話になって。まぁ結果、モニタリングの具合をちょっと変えるとか物理的なことが多かったんですけど、それをやったことで、またバンドの音と結束力が急激に高まって。だからさいたままでの前半戦と、そのリハーサル後の8月以降のグルーヴがまた別ものになっちゃったんですね。なんか急激にバンドが成長したというか、4人がひとつの塊になっている感がさらに強まって。半年も経たないうちにこれだけのパフォーマンスと一体感を取り戻せたのは、このバンドのひとりひとりが持ってるパフォーマンスとポテンシャルが凄いんだなっていうのを再確認しました」

吉井「よっ!(拍手)」

菊地英昭(G、以下エマ)「(笑)」

ヒーセ「以上!」

アニー「以上じゃないよ、もう!(笑)」

■ツアー前半戦が終わってリハに入るっていう時に、もう1回グルーヴを見直してみようってなったのはどうしてなんですか?

アニー「僕、前回のインタヴューの時、もうちょっと2日目の感覚に戻ってもいいんじゃないかってポロッと言ったと思うんですけど――」

■はい。8本目の宮城公演の翌日にインタヴューした時、「今は子供に戻ったみたいにガーッと突っ走ってるけど、もうちょっと落ち着いてじっくりやる感じに立ち戻ってもいいんじゃないか」とおっしゃってましたよね。

アニー「そうそう。それを他のメンバーも感じてたみたいで。このまま肥大化していくのもいいんですけど、もうちょっと最初に目指してたものを1回取り戻してみないかっていうことをやってみたんですよ。そしたらそれでキュッと4人が固まったんで、あっという間に結果が出て」

■エマさんはどうでした?

エマ「実際にツアーをやってみて、ツアーやる前に思い描いてたイエローモンキーのツアーとはいい意味で違ったというか。始まる前は、『今までのイエローモンキーが一歩前進した姿』とはまた違うものを想像してたんですよ。前とは明らかに違う、もっと大人のグルーヴ持った新しいイエローモンキーはこんなんだぜっていうのを見せつけるツアーになるんじゃないかと思ってて」

■それはもう少し具体的に言うと?

エマ「人を小バカにするって言ったら変ですけど、奇を衒うところもイエローモンキーにはあるじゃないですか。だから、往年のイエローモンキーカラーみたいなものとは違う部分をわざと見せて、いい意味でお茶を濁す的なことをやりつつ、そこに大人っぽさを足したような、そういうことをやっちゃうかもしれないなと思ってたんだけど……でも、それは思い過ごしだった(笑)」

吉井「うん、わかる(笑)」

エマ「実際はもっと素直だったなと思いますね。もちろん自然と昔とは違うものになった部分はあるんだけど。ただ、無理やりそこに持っていくってことはなくて。今のウチらがツアーをやってく中で、自然と紆余曲折あって最終的にそうなったんだなっていう気がしてます」

■ツアー中の紆余曲折は、ご自分的にはかなりあった感じなんですか?

エマ「自分もありましたし、メンバーそれぞれあったと思います。やっぱり休止してる間の活動によって、楽器をやる人間としては音が変わったはずだから。4人でまた一緒にイエローモンキーをやる時に、その変化がいいのか悪いのかはもちろんあったし、だからといって昔のイエローモンキーに寄り添うのはどうだろうなとも思ったし。だからバンド自体のグルーヴとか、それをどういうところに持っていったらいいのかはライヴの度に考えましたね。でも結局、考えれば考えるほど思い過ごしみたいな。自分が錯覚に陥ってたところがあったりして」

吉井「エマの話を聞いてて思ったけど、やっぱり究極の自虐バンドだよね。だって解散だって自虐じゃないかと思うもんね、もはや」

■(笑)。

吉井「もちろん解散は絶対だったんだよ。解散しなきゃよかったとか、解散したからこうだとか言うけどさ、でも絶対に解散が必要だったの。っていうぐらい今、上手くいってる(笑)。自分達がどうこう言う以前に運命がそうなってるんだって思うくらい、必然というか、完璧に繋がってて」

アニー「他の選択肢なかったと思うよ」

吉井「ないんだよ。当時『解散という名の活動で』って冗談っぽく言ってたけど、ほんとにそうだった。もう自虐中の自虐……死んだフリだったみたいな。だからお富さんだよ。もうお富さんって呼んでくれ!」

アニー「お富さんは死んでるはずだよ(笑)」

エマ「まぁでも、かさぶたが自然にはがれた感じはあるよね、凄く」

アニー「でも芯は圧倒的に今のほうが強いと思います。枝葉でなんとかしようっていうんじゃなくて、真ん中からドーンと来てる感触はあるんで」

ヒーセ「運命って話でひとつ思うのは、ツアーをジャスト4ヵ月やってたんですけど、飛び飛びの日程だったのでその間にもリハーサルだったりフェスだったり各地キャンペーンだったり、そして『砂の塔』のレコーディングだったりと、いろいろ入ってくるんですよ。そういうのが全部連動して動いてた、ひとつのパッケージだったような気がする。たとえば世の中的にフェスがこういう状況になってから俺達は出たことがなかった――俺達が出てた頃、はまだフェスのニッポンにおけるフェスは黎明期だったわけで。そういう意味でも、あとファン以外の人の目に曝されるという意味でも、今年のフェス出演はこのバンドとして初めて『今』と対峙する場面だったと思うんですけど、そこで対峙できるだけの力をツアー前半で培ったんですよね」

吉井「ほんとそうだよね。もちろんそこを目がけてメンバーも準備してたけど、さっきアニーが言ったグルーヴの修正が間に入ったことも大きいし。あれでギリギリ間に合ったのかもしれないよね」

ヒーセ「うん。シングルの音もそうだけど、この期間のひとつひとつの出来事が全部上手く次の行動に作用してる、バンドを成長させてるなって。再集結っていろんな形での始め方があると思うんですけど、俺達の場合はライヴをやるっていうことで始まりを過ごせたことがすべて実になってるという。そういう意味でも非常にイエローモンキーらしい行動だったなと思いますけど」

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text by有泉智子

『MUSICA11月号 Vol.115』