Posted on 2017.01.17 by MUSICA編集部

BLUE ENCOUNT、新たな始まりと解放を明示する
アルバム『THE END』リリース。
田邊駿一がその心情のすべてを告白

バンドだけじゃなく、会社だって学校だってバイトだって、
求められた人格でいればスムーズに乗り越えていける。
でも俺はそれが一番嫌なんですよね。
俺はそういう生き方をしたくないんです

『MUSICA 2月号 Vol.118』P.76より掲載

 

■アルバムを聴く度にBLUE ENCOUNTって音楽性の幅が広いなと思うんですが、でも今回は、曲調の幅としては今までで一番バラエティに富んでるにもかかわらず、その多彩さよりもそこに貫かれたアイデンティティのほうを強く感じるアルバムなんですよね。つまりバラエティの豊かさよりも、そのバラエティが収束するBLUE ENCOUNTというもの、そして田邊くんのアイデンティティに耳がいくというか。自分ではどうですか。

「こんなに過不足なく自分達のやりたいことを吐き出せたのは初めてだなって思いますね。振り幅的には前作よりも広いし、新しいことをやってるんですけど、でも前作に比べて無理しなかったなっていう感じは凄くありますね。今まで、特に前作はBLUE ENCOUNTの1枚目のフルアルバムってこともあって、僕らの生真面目さが思い切り滲み出た作品だった気がするんですよ。だからこそライヴでももちろん盛り上がるんですけど、未だにちょっと肩肘張っちゃう部分があって。でもあれから1年半の間に状況がどんどん変わってきて、自分達の楽曲に自信が持てるようになったことがデカいのか、本当の意味で嫌われてもいいからやりたいことやろうっていう――まぁ昔から嫌われてもいいですって言ってましたけど、どうしても田邊の性格上、心のどっかに好かれたいという部分が凄くあって」

■ははははははは。というか、今もそれは消えてないと思うけど。

「確かに消えたわけではないんですけど(笑)。でも、ようやくそれを実践できるだけの芯が自分の中に形成されてきた気がしていて。今回僕らが何をやりたかったかっていうと、もっと道に迷わせたかったんですよ」

■というのは?

「たとえば1曲聴いて1時間空けてまた1曲聴いたら、『あれ、全然違うバンドじゃね?』と思ってもらえるぐらいの作品にしたかったんです」

■それくらい異なる曲調が入った作品にしたかったと。実際、“city”をいきなり聴かされたら、これがブルエンの曲だとは誰も思わないでしょうね。

「はい。そういうアルバム作りたいよねっていうのは13年前の高校の時からみんなで言ってたことだったんですよ。高校の時にELLEGARDENと出会って邦ロックの扉がバーンと開いて、ACIDMAN、ストレイテナー、BRAHMAN、Dragon Ashといろんな音楽が頭に入ってきて、同時期にエミネムがちょうど流行ってて、そういうの全部いろいろやりたいっていうところから始まったバンドだったので。むしろ、そういう意味ではようやく正統派なブルエンの作品ができたなっていうのはありますね」

■その作品に『THE END』というタイトルをつけたのは何故なのか、ということはやはり初めに訊いておかなきゃなと思うんですが。

「そうですよね(笑)。2016年は武道館という一番大きい目標があって。チケットがソールドアウトした時、周りの人から『いよいよゴールだね、夢が叶うね』言ってもらう機会が結構あったんですよ」

■武道館でやることが夢だって、公言してましたからね。

「そう、3年前のWESTワンマンの時から公言してたし、バンドとしては結成してから13年ずっと掲げてきた夢だったので。で、僕もゴールだなと思って、当日のリハもずっと噛み締めながらやってたんですよ。でも本番が始まったら反骨心が生まれてきて、これがゴールだってことがどんどん腑に落ちなくなって。なんか、これで成功したって言われたら終わりだなって1曲1曲やりながら思い始めて――その時に、自分にとっての『THE END』っていう意味が変わっていったんです。最初は、わかりやすく言うと『終わらせて新しく前に進もうよ』みたいな感じだったんですけど、武道館やってみて、もうその『終わり』って言葉自体もぶっ壊したくなったというか。終わり、ゴール、到達、着地点、ピリオド、節目とか、そういう言葉を全部壊したくなった。その頃、すげえ言われたんですよ。このアルバム作る時も『次のブルエンどうする?』みたいな、『次はどういうステージに行く?』って言われ続けて、正直めんどくさっ!てなってて」

■(笑)。

「そんなに次のステージ行かなきゃいけねえのかって気持ちになって。それは後退でもなく、現状に満足してるわけでもなく――まあ現状に嫌気がさしてる部分は常にあるんですけど、とにかくネクストステージとかピリオドとかTHE ENDとか節目っていう言葉が凄く嫌で。それこそスタッフレーベルの人とも『そんなに次って大事なんですか?』って熱くなって語り合ったこともあったし(笑)。なので、武道館をやって自分の中で『THE END』の意味が変わって、その終わり、節目ってもの自体もぶっ壊せばいいんだって思えたこと、そして『THE END』って武道館で発表してお客さんが『えぇーっ!?』てなった時に、俺らの音楽は必要とされてるんだなって思えたことで、そういうモヤモヤが全部スッキリしたんですよね」

■今の説明は腑に落ちるようで落ちないんですけど。あの場で発表したということは、武道館をやる前から『THE END』ってタイトルは決めてたわけで。つまり終わりなんて自分でぶっ壊せばいいと思える前に『THE END』と名づけていた。さっき「終わらせて新しく前に進もう」って言ってたけど、そもそもそういう気持ちになったのは何故なの?

「正直、このタイトルは最初は本当に直感だったんです。これを思いついたのが9mm先輩のツアーに呼んでもらって、僕が熊本でひとりで弾き語りをやらせてもらう日だったんですよ。その飛行機の中でこれを思いついて……たぶんその時、『THE END』って言いたかったんだろうなと思います。『THE END』って浮かんだ時は、正直、解散っていう言葉をちょっと浮かべてた自分がいたんです」

■それはリアルな意味で、バンドを解散するってこと?

「リアルな意味で。解散というか、なんかもうとにかく辞めたかったんですよ。『LAST HERO』を作ったすぐ後ぐらいだったんですけど」

■バンド的には、むしろ絶好調な時期じゃん。

「そうなんですよね、お客さんもついてきた時期だし、それこそドラマのタイアップも決まって、周りから『すげえいいじゃん!』って言われるようになって。でも、そこに対して何がいいの?ってなってる自分がいて。もっと行きたいし、でもそのもっと行きたいことに自分が対応できてないし、もっともっといいものを出したいのに出せてないっていう、いろんな悔しさみたいなものが出てて。とにかくナメられたくないなっていう意識が強いんですけど、きっと俺ナメられてるんだろうなって思っちゃって――」

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA2月号 Vol.118』