Posted on 2017.02.17 by MUSICA編集部

ACIDMAN、
小林武史と生み出したシングル『愛を両手に』完成。
たおやかな愛のバラードに、大木の真髄を見る

誰かの悲しみを少しでも音楽で、哲学で救えるのであれば、
それは自分の役割だなと凄く感じてるんですよね。
ロックだとか、パンクだとか、ジャズとかなんて、どうでもいい。
目の前の人の悲しみを少し楽にさせてあげることをどうしてもしたい

『MUSICA 3月号 Vol.119』P.100より掲載

 

■今取材している3日前の1月21日に、今年唯一のワンマン『ACIDMAN 20th Anniversary Fans’Best Selection Album “Your Song”』のリリース記念プレミアムライヴがありまして。凄いね、この結成20周年、デビュー15周年記念イヤーに今年唯一のワンマンが早くも終わっちゃうなんて。

「そうですね、1月の段階で早くも終わっちゃいました(笑)」

■そのライヴは、ACIDMANという想いの深さと大きさと重さが全部出ている、壮絶なもので。生きる覚悟を歌うとどうしても歌は儚くなるし、その覚悟と儚さの結晶のような23曲を鳴らし尽くすセットリストだったわけだけど、だからこそ観る側としては本っ当に疲れました。

「俺も本っ当に疲れましたよ」

■観終わった後に体力も精神力も使い果たした感じがした。あれは時間のせいでも曲数のせいでもなくて、ACIDMANの歌の重みと圧力のせいだと思います。その歌を生み出した人間としてはどう認識しているんですか?

「もちろんファン投票のベストアルバムを基にしたセットリストだったから、20位までのリストが出た時から『これをライヴで全部やるとしたら相当疲れるだろうな』って思ってましたし、実際にやってみると、その通りの結果になりましたね。実際、ライヴやるまではずっと不安があったんですよ。選曲的にアルバムの締めの曲だったり、バラードがとても多いディープな曲がいっぱい入ってきてるから、どこに気持ちの最高値を持っていくべきなのかわからなくなりそうで。自分が頑張って歌い切れたとしても、途中でお客さんの心が離れたりするかなって不安があったんですが、いざやってみると、自分も一度も緊張は途切れなかったし、むしろファンにどんどん気持ちを乗せられていくのを凄く感じて。俺が歌っている芯の部分を好きで聴いてくれているんだなって実感できました」

■そんなセットリストの中で一番ふんわり聴けた曲が1曲だけあって。それがアンコールで披露されたこの新曲“愛を両手に”だったんですよね。イントロで珍しく一悟(浦山一悟/Dr)がパッドを叩いているところから曲調から全部を含めて、一番ふんわりと聴けた。この曲をバラードとしてリリースすることになった、そこに大木が託した想いを教えてください。

「元々のネタとしては凄い前から温めていたメロディがあったんですけど、サビを上手く作れなくて。で、その頃に、うちのばあちゃんが3年前に亡くなったんですけど……ばあちゃんが病院に入って、何度かお見舞に行って声を掛けてたんだけど、ある日、急に誰が来たのかさえわかっていない状態に陥って、それが凄く悲しくて。正直、葬式よりも、意思の疎通ができなくなった時が一番悲しかったんです。それで車の中で泣きながら帰って。俺はずっと死というものに向き合ってきたし、学生時代に一緒にバンドしていたやつが自殺したこともあったし、自分の親戚が亡くなったりとか、いろんな死に出会ってきて、何故人は死ぬんだろう? 何故悲しみは生まれるんだろう?と考えてきたんですけど、何度経験してもいつも悲しいし、今回もやっぱり、もの凄く悲しかった。で、この悲しみはどうやったら救われるのかな?って死後の世界を考えてみたりもしたんだけど、やっぱりただシンプルに悲しくて……その悲しみに向かい合った時に、とにかくもう一度会いたいし、もう一度幸せだったのかを訊きたいと思ったんです。それでこの真っ直ぐな言葉が生まれて、同時にサビのメロディができて。それが自然と温めていたメロディと繋がったんです。俺の中では死者に向ける言葉としては<幸せだったかい?>という言葉が圧倒的に強いなと思うので、その気持ちからこの曲が生まれた感じでしたね」

■今話してくれたおばあちゃんのエピソードを知らないまま聴くと、生命を超えた愛が歌われているなって思うんです。つまりおばあちゃんに対してだけではなく、自分が死んだ時に<幸せだったかい?>と思えるかどうかとか、いろんな想いが内在しているのかなって思うんですけど。

「そうですね。個人的な想いやストーリーばっかりの曲だったら、ACIDMANとして発表するほどの作品にはならないので。やっぱり普遍的なもの、老若男女すべての人が聴いて、すべての人に当てはまるようなワードにしたいなと思って。だから、<神様がいなければ良かった>っていう普遍的な言葉も使っているけど、もちろん震災とか戦争とかもイメージしていて。……神様がいるからこそ我々は救われるんだけれども、だからこそ神様に依存してしまって、悲しみを自分の力で乗り越えることができなかったり、逆に神様を恨んだりしてしまったり、それによって戦争も起きてしまったりする。そういうものがいない状態で我々がひとつにまとまっていられれば、生命という価値観はもっとシンプルだったと思うんですけど……というような不思議な歪を含めてのストーリーにしたいなと思って。もちろん<幸せだったかい?>っていうのは、自分自身がどのように生きていくべきか?という問いかけでもありますしね。どんな幸せな人でもどんなに不幸に見えている人でも、地位も名声もある人でもない人でも、必ず誰もが死ぬ。音楽で言ったら、The Beatlesでも、バッハでもモーツァルトでも、何千年後には誰も聴かなくなる。そうやってすべてが消えていく、すべてが忘れ去られていく儚さの中で我々はどう生きるのかと考えると、究極的に言ったらこの瞬間を幸せだと思って生きる――つまり幸せっていうのは与えられるものではない、見つけることだと思うんです。幸せを自分で見つけ、自分で感じながら生きていく、そういう生き方をしていきたい。そういう想いを込めました。………俺はひとりでも多くの人にとって、この曲が悲しみを超えるものであって欲しい、死を超えるものであって欲しいと思っていて。そのためには泣いて欲しいんですよ。とにかく泣いて欲しい。まぁ美徳として男は泣かないほうがいいなんて時代があったし、実際俺も昔は全然泣かなかったけど、最近はすぐ泣いちゃう(笑)。で、俺はそれをいいことだなと思ってるんです」

■はい、涙のガードが硬い人として、とても羨ましいです。

「俺は、誰かの悲しみを少しでも音楽で、哲学で救えるのであれば、それは自分の役割だなと凄く感じてるんですよね。ロックだとか、パンクだとか、ジャズとかなんて、どうでもいい。どうしても目の前の人に悲しみを少し楽にさせてあげることを凄くしたいんです。そういう自分の思いが強くて、こういう曲になったんだと思います」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA3月号 Vol.119』