Posted on 2017.07.18 by MUSICA編集部

MONOEYES、飽くなき探求心と確信をもって
生み出したマスターピース『Dim The Light』。
細美武士がその確かなる意志をじっくり語る

人とロックミュージックの関わり方が変わっていることは、
実際この時代に音楽を作ってる俺達にも必ず影響する部分だから。
自分達が今まで培ってきたものを崩さず、捨てずに、
新しい波なんて楽々超えてってやるよってことをやりたかった

MUSICA 8月号 Vol.124P.76より掲載

 

■今回の『Dim The Lights』は雄大な爽快感を感じると言いますか、清々しさや晴れ晴れしさを感じるアルバムで。繊細さや憂いもありつつも、でも全体にアップリフティングな感覚が強い楽曲が並んでいると思うし、かつ、ソングライティングやサウンドプロダクションにおいて様々なアップデートがなされていてファーストとは違うMONOEYESの新しいフィーリングと音像が凄く響いてくる作品だなと思ったんです。ご自分ではどう感じてますか。

「こういう曲を作ろうと思って作るタイプじゃないので、とにかく一生懸命曲を書いたっていうか。2月の頭から4月の頭まで、2ヵ月間ずっと作曲ばっかりやってたんだけど、なんとなく自分的には……いつもそうなんですけど、やっぱり新しい曲を作るとなると、前に自分が書いたものを超えていきたいなっていう感覚は常にあって」

■はい。

「何をもってそれまでに自分が出した作品を超えたとか、何をもってこれが一番新しいものだって問われると上手く答えられないんだけど、でも毎回、自分の中では今が一番いいものが作れたなっていう感覚になるまで作曲を続けるんですね。で、今作もそれができたなっていう感覚はあります。『ハードルを跳ぶ』っていう言い方をしてるんだけど、当然のことながらそのハードルは作品ごとに上がってくるわけで。しかもそれはMONOEYESだけの話じゃなくて――初めてレコードを出した時からずっとハードルが上がり続けてるっていう話なんだけど。そうやって毎回毎回ハードルを上げていくといつか跳べなくなるだろうなと思いながら、今まで作曲してて。でも、今回もちゃんと跳べたなって思う。どこかの時点で自分のソングライティングが完成したみたいな瞬間を迎えると、あとはその中でやっていくみたいな形になるのかもしれないけど、俺の場合はまだ自分の中に伸びしろを感じていて。で、今回もまだずいぶん伸びしろあったな、というのは思えたかな」

■昨年リリースしたthe HIATUSの『Hands Of Gravity』も、非常にアンセム性の高い楽曲が多く収められていて、メロディメイクにしても歌唱そのものにしてもまたひとつ大きな階段を昇った印象があったんですけど、その感触はこの作品でもまた改めて強く感じました。

the HIATUSの作曲は柏倉隆史と伊澤一葉と一緒に3人でやってるから最初から縛りがあるんだよね。リズムとコードの縛りがあって、その中で自分がどんなメロディを作れるかってところでやってるんだけど、MONOEYESの場合は何もないところから、0から自分ひとりで作るから、そこは全然違うんだけど。……まぁざっくり言っちゃうと俺は凄く普通のコード進行で新しいメロディを作るっていうのが自分の強みだなと思ってるので、今回もその辺は奇をてらわず、でも新しいものを作れたと思います。歌を歌うことに関しては最近伸びてる実感はあるかな。レコーディングエンジニアも、今回が一番よかったって言ってくれてたしね。発声にしても歌詞を書くことにしてもメロディを作ることにしても、常に新しいテーマが自分の中にあって、それに取り組んでいるつもり。自分が出したアルバムは通算12枚目になるんだけど、いろいろ試してきた中で上手くいった部分、そうじゃなかった部分の整頓がついてきたっていうか、そんな感じはあります」

MONOEYESthe HIATUSと違って制約がない中での作曲だとおっしゃいましたけど、とはいえファーストアルバムである『A Mirage In The Sun』はそもそも細美武士のソロプロジェクトとして作曲していたのに対し、今回はライヴも積んでMONOEYESというバンドがしっかりとした実体を持った中で臨んだ作曲だったわけですよね。つまり、そもそも前提としてこの4人のバンドで鳴らすということがあった上での作曲になった。そうなった時に、ご自分の中で何か前作と変わったことってありました?

「ファーストの時は一生に1回しか作らないソロアルバムを作ってるつもりだったから、自分の人生の軸になるものを1枚作れればいいなと思ってて、そこにはあんまり時代性とか関係なかったんだよね。それで20曲ぐらい作った時に、どうやら自分が欲してるサウンドっていうのは4ピースのバンドサウンドだってことがわかって、今のMONOEYESのメンバーに手伝って欲しいって声をかけたんだけど。で、そのレコーディングを進めてるうちに、MONOEYESってバンドが生まれるのを見ながら、ああ、ここで俺のソロは終わったなって思ったんだよね。その後、このバンドに肉がついてきて実体のあるバンドになっていって。だから1枚目と今回との違いっていうことで言うと、今はバンドがちゃんと肉体を持っていて、この2017年に存在するバンドだっていう発想で作ってるところなんじゃないかな。この2017年に対する時代性を持ったっていうのが、ファーストとセカンドの大きな違いだと俺は思ってます」

■その2017年というものに対する時代性っていうのは、具体的にはどんなところに表れてると思いますか?

「一般的なリスニング環境を含めた、音楽と人の関わり方……音楽って言うと大き過ぎるかもしれないけど、やっぱりここ数年って、生活の中のどういう部分に自分達の音楽があるのかっていうのが大きく変わった時代だよね。ちょっと説明が長くなっちゃうかもしれないけど、たとえば俺が子供の頃はアナログレコードしかないところから始まって、中学ぐらいの時にCDが出て、アナログレコードにしてもCDにしても中学生とか高校生の時は月に買えても1枚ぐらいでさ、レンタルで借りたりするんだけど、音楽的な情報にしてもインターネットで調べたりできなかったから、ジャケットの印象だけで借りてきてたし(笑)。そうやってアルバム1枚買ったり借りたりして聴き込んで、そういう聴き方の中から自分が好きなものが見つかった時に、この音楽を作った人はどこの国の人なんだろう?とか、そういう感じで深く触れていく感じだったんだけど。だんだんそれが物理メディアじゃなくてデータで音楽をやり取りするようになって、音楽をお金を出して買うっていうよりYoutubeで聴くだけでも大量の音楽に触れられるし、ミュージシャンが音楽を発表する形そのものも変わってきた。日本はまだレコードが売れるほうだけど、そうじゃない状況の国だと、いいものを作ったらそれをネットに上げて、無料で全曲公開して、それでライヴに来てもらう、みたいな活動の形にシフトしている人たちもいるじゃん?」

■まさに。海外ではSpotifyとかストリーミングで発表することが当然で、世界的なリスナー事情を見れば完全にそっちが主流ですからね。で、まだCDが売れている日本でも、お店で音楽を探すよりもYouTubeで音楽を探す子、YouTubeでその音楽に出会う子のほうが圧倒的に多いですし。

「そうなったことで、(かつてアナログレコードからCDへの移行など、音楽を収録するメディアが移行した時よりも)もっとずっと大きな違いが生まれてる。昔はアルバム単位でしか聴けないのが当たり前だったし、曲も簡単に頭出ししたり飛ばしたり出来なかったんだけど、今ではインターネット上に無限に近いような曲数がある中で、どうしても1曲最後までは聴かずに飛ばすことも多いし、たとえばiTunesでどんな曲なんだろうと思って聴いても、頭の1分しか聴けなかったりするわけで。昨今のミュージシャンは頭の1分ぐらいでこういう曲ですっていう紹介を終えるのが当たり前になってきた」

■ああ、なるほど。「アルバムを1枚通して聴かなくなった時代」というのはよく言われることだけど、もはや今はその段階すら通り越して、1曲ですら頭から最後まで通しては聴かれにくい時代になっているっていうことですよね。確かに、それはその通りかもしれない。

「そうなんだよね。だから、音楽を書くフォーマットそのものが変わってくるんだよね。たとえば、430秒から445秒までが本当に凄い曲みたいのは前ほど聴いてもらえない確率がどうしても高くなってしまうので、曲の後半にカタルシスを持ってくるにしても、その予感を前の方に置いとかないととか、そういうふうに曲の構造自体が変わってくる。じゃあそうやって曲の構造が変わってくることが悪なのか、音楽的後退なのかって言ったら、それは必ずしもそうじゃないわけ。実際にそういう今の時代の聴かれ方に則った新しい作法で作られた曲が世の中には溢れていて、かつ、その中から新しく、素晴らしい音楽がどんどん生まれてきているわけだから。そうやって時代にそって音楽は進歩してきたし、むしろそれはフォーマットがまったく変わらない状態では生まれなかったものかもしれないんだよね。文化の営みの中では必ずあることだし、同時に、それに対する反発でまたオールドスクールに回帰したりして、またそこから新しいものが生まれていくってことも起こるし。そういうことが起こらなければ流れのないスティルウォーターになっちゃうし、流れがないものは淀んでいくので――」

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text by鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.124』