Posted on 2017.07.18 by MUSICA編集部

ACIDMAN、20年史を凝縮したかのような
決定的シングル『ミレニアム』完成。
大木伸夫が辿り着いた千年紀を紐解く

世間に中指立てながら歌うのはカッコいい生き様かもしれないけど、
俺はカッコいいことをやりたいだけじゃなかったなって気づいて。
もっと人間を信じよう、もっと自分を信じよう、
裏切られてもいいからそれを伝えていこうって思うようになった

MUSICA 8月号 Vol.124P.84より掲載

 

(前半略)

■まず、今作の第一歩はどういうところから始まったんですか?

「たぶん67年前に違う形のAメロ、Bメロとサビを作ったんですよ。自分なりに『いい曲だな』と思って納得はしてたんだけど、何故かもっと練りたくて、暇さえあれば練って練って……っていう作業を繰り返してた曲で。数年前にレコード会社の人達にも、サビは一緒なんだけど今とは違う形のものを聴いてもらった時に、凄い反応がよくて。10人くらいで聴いてもらって一番みんなにいいって言ってもらった曲であるにもかかわらず、何故かまだ俺が練り続けたくて」

■それは何が物足りなかったの?

「当時はただポップなだけの曲になっちゃってたから、自分の中でピンと来てなくて。でも、せっかく評判もいいし、初めて作った時の手応えも忘れてないから、イントロの始まりとか歌い出しとかに新しいメロディをつけて、試行錯誤してたんです。そうしていった時に、何を俺が欲してたのかっていうと、いろんな要素を入れたかったんだなってことに気づいて。ポップなだけじゃなくてエモーショナルな部分も入れたかったし、センチメンタルなバラードっぽい雰囲気も入れたかったし……っていうのを、やっと今回全部入れ込むことができて完成しました」

■一発聴いただけでガッツポーズの曲で。具体的に言うと、“ある証明”と“FREE STAR”が合わさって化学爆発を起こしたような曲だと思ったんです。それってACIDMANに一番望まれるニュアンスだと僕は思うし、しかもその深層には“イコール”とか“式日”までが聴こえてきて、3人の姿がフラッシュバックする感覚もある。そういうことはどこまで意図的に作っていったの?

「結果的にそれを感じたのはレコーディングの時ですね。レコーディングの数日前くらいに歌詞も書き終わってて、録る時は曲に対してちょっと冷静な見方になってたんですよね。そこで、そもそも自信作ではあったけど、それにしてもいろんなものが混ざってるなってことに気づいて。だから意図的じゃなくて結果的なんですよ。レコーディングの最中に紐解いていくと、『このワードはあの時にこうやって使ったなぁ』とか気づいて。この20周年というタイミングでいろんなものが組み合わされたからこそ、今こうしてこの曲を録ってるんだなって思いましたね」

■自分の中にある黄金律を、この20周年のタイミングだからストレートに受け止められたし、みんなにも届けたいと思ったってこと?

「たぶんそうだと思います。きっとこのタイミングでこそやりたかったんだと思うんですよね。だから、67年前にこの曲を発売しなかったのかなって。まぁ後づけではあるんですけど(笑)」

■自分達の得意な曲とか、世の中にも受け入れられた代表曲って、ソングライターの内面のど真ん中にあるものだよね。こうやっていろんな人達にインタヴューしてると、「そういう曲はまたいつでも書けるんですよ」っていう話を本人からよく聞くんだけど、でも本当はそんなことないんだなって。だってなかなか同じように感動しないし、なかなか同じようにヒットもしないし。素晴らしいアーティストでさえ、世の中と一体になって、なおかつその人自身やバンドのことを表現し切る曲を作ることは、やっぱり簡単にはできない。たとえば、サザンオールスターズが“TSUNAMI”を作った時も、“いとしのエリー”を超えなきゃいけない、同じじゃダメだっていう意識があったからこそ、あそこまで行けたのかもしれないと思うし。今回の“ミレニアム”にもそういう熱量を感じるんですよね。

「嬉しいですね。自分達は(デビューから)15年やれてるし、武道館で5回もやれてるっていう実績はあるけれど、それでもヒット曲が1曲もないバンドだと思ってるんですよ」

■そうずっと言ってるよね。

「だからこそここまで繋がってきてるのかなとも思うし。でも、やっぱり今でもヒット曲が欲しいんですよね。ACIDMANの代表曲が欲しいってことではなくて、世の中に知ってもらえるような曲を作りたいっていう想いは強くあるんです。でも、だからと言って曲を作り、詞を書く時に目線は下げることはできないんですよ――そこが毎回自分との闘いなんですけど。老若男女に響くような嚙み砕いた言葉は選べないんだけど、でも少しでもわかりやすく、ギリギリのところまで行けるように自分の中で解釈はしてるつもりで。その闘いは未だに続いてますね」

■“FREE STAR”とか“ある証明”も、「やった! この1曲で世界が変わる!」って思ったわけではないんだ?

「いや、むしろ毎回どんな曲でも『この1曲で世界が変わる!』って思ってます(笑)。でも、スタジオでひとりで作ってるから、俺が『よっしゃー!』ってなってるところは、メンバーも含めて誰も見たことがないです。次の日にはもう落ち着いてたりするし。“ある証明”に関しては、ライヴでのお客さんの盛り上がりを見て、ファンのみんなにずっと支えられてる曲だなって思いますけど。しかも僕は、前にあった曲を超える、というような作品の作り方をしてないので。たとえばデビューシングルの“造花が笑う”っていう曲もそうだけど、もう一度書こうと思っても書けないものなんですよね。それは若いからとか、時代が違うからとかじゃなくて、記憶にインプットされてしまったからなんです。初恋のときめきは絶対に超えることができないのと一緒で。常にフラットに作ってるって言うのが正しいのかな。何かを目標に掲げてるつもりが、結局自問自答で、自分が今いいと思えるものに戻っていっちゃうんですよ。曲作りって、仮想敵がいると自分との闘いじゃなくなってきちゃうから、嫌になるんです。最終的にどんどん自分との闘いになっていく。お客さんが盛り上がって欲しい、曲が売れて欲しいとは思いつつも、いつも俺が選ぶのは自分との闘いですね」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA8月号 Vol.124』