Posted on 2017.09.16 by MUSICA編集部

KANA-BOON、アルバム『NAMiDA』リリース。
挫折も苦難も試練も越えてバンドに向かい合った
谷口の切なる意志、その根幹を深く紐解く

幸せになって音楽が一番じゃなくなることとか、
居心地のよさに浸って変わっていってしまう自分とか、そういうのが怖かった。
バンド以外には当たり前を作りたくないっていう気持ちはずっとあります
初めて見つけた幸せが音楽の中にあったし、バンド人生の中にあったから。
だから僕にはそれしかないやろなって

MUSICA 10月号 Vol.126P.40より掲載

 

(前半略)

■今回の『NAMiDA』の話を聞いていくにあたり、まずは一番最後に収録されている“それでも僕らは願っているよ”という曲の話からしていきたいなと思っていて。私はこの曲がこのアルバムの白眉だと思ってるんですが、この前ブログにも書いていたけど、これは今年の始め、飯田くんのことがあった時にできた曲だということですが。

「そうです。あの時にほんとに自然と曲ができたっていう感じですね。あれを受けて曲を作ろうと意気込んで作ったわけじゃなくて、気づいたら曲を作ってて、音楽が生まれていて。この歌詞で歌ってることがすべてですけど、今までずっと順調にバンドをやってきて、その存在も当たり前やったし、KANA-BOONがなくなってしまうなんてことは本当に頭の中にはなかったんで。でも、初めて、もしかしたらバンドがなくなるかもしれない、バンドを続けられなくなったり、飯田がもうプレイできないような流れになってしまうかもしれないっていう、そういういろんなことが頭をよぎって。でもそこで出てきたのが1サビの歌詞丸々で」

■<さぁすべて/涙とともに流してしまえよ/きりがないほど打ちのめされるけど/それでも僕らは願ってしまう/明日は笑っていられますように>という歌詞ですね。

「最初にこの1番のサビの言葉と同時にメロディが生まれて、そのままもの凄く集中して1曲書き上げたっていう感じなんですけど。そういう経緯で生まれた曲ですね」

■この曲、凄くいいんですよね。歌詞の内容はもちろん、光の中へと突き抜けていくようなサビのメロディも、地に足着きながらも跳ねるビート感も、切なさを孕みながらも強く晴れやかに開けていく全体像も、音楽としてのパワーが凄くある曲だと思います。

「僕もそう思ってます。こういう開いていく感じは他にはなかったんで、できてみて凄く新鮮やったし。僕はこの曲が一番好きで、何より感動しましたね。最近はもうずっと、曲作りってなると『曲を作るぞ!』っていうところからスタートするじゃないですか。でもこの曲はそうじゃなくて、本当に反射的にというか、能動的に曲が生まれていって。そういう形で曲が作れたのは、ほんまに久しぶりやったんで」

■いつぶりくらいのことなの?

「それこそデビューする前とか以来じゃないですかね。やっぱりデビュー以降はどっかで、よし曲を作るぞ!っていうスイッチが入った上で曲作りに挑んでたんで。プロになって自分からなくなってしまっていた感覚をまた感じることができて……自分はまだこうやってナチュラルに曲を作ることができるんやっていう、それに凄く感動したんですよね。自分にもまだこんな体験ができるんやって。歌を作ったり歌ったりする人間としてナチュラルな部分がまだ自分にも残ってたか!と思って……それが凄い嬉しかったり、ああよかったと思えたり」

■それはまさに、『Origin』の頃から、鮪くん自身が自分で取り戻したいと思っていたものでもあったもんね。

「そうなんです。だからこれはほんまに大きかったです。自分自身そういう曲作りの感動と喜びがまた発見できたし、この曲ができたことで飯田の一件から立ち直るじゃないですけど、ちゃんと自分達の姿を見せていくんだっていうことの後押しにもなったし。そういう体験ができた曲ですね」

■そもそも、言葉とメロディが一緒に出てくるってこと自体も鮪くんとしては珍しいんじゃないかと思うんだけど。ここ最近はいつも歌詞に苦労してるイメージがあったし。

「はい(笑)。ここまでフルセットで1サビ丸々自然と出てくるなんてことは本当にないですね。出だしの1行分とか、もしくは<フルドライブフルドライブ>みたいなキーワードが最初に出てくることはありますけど。だから自分的にもよっぽど特殊な状況やったんやなって思う。心の中を曲を作ることで整理しないと過ごせないような状況やったんだと思います。まぁ他の部分はいつも通り苦労しましたけどね、1サビ以外は(笑)」

■でもこの1サビの歌詞は、今のKANA-BOONの想いを描いていると同時に、そもそも鮪くんが音楽を始めていった、バンドをやりたいと思った、バンドで生きていきたいと思った、その根源的な理由が今までで最も素直に表れている言葉だと思います。

「そうですね。自分でも結構衝撃的なところではありましたけどね。<明日は笑っていられますように>って思ったり歌ったりするのかって」

■あ、そこ衝撃的だったんだ?

「凄い衝撃的でした。もちろん、そりゃ明日がいい日になるに越したことはないですけど、でも1日の終わりに自分が<明日は笑っていられますように>なんて願うことは今までなかったし。一歩先の明日に願いをかけて希望を抱こうとしてっていう自分は、かなり衝撃的でしたね。あんまり普段思わないことやから」

■そうなんだ。でも深層心理では思ってたことなんじゃないかと勘ぐってしまうんだけど。何故なら、KANA-BOONの今までの曲も、この先の未来で自分が笑っていられるように、未来の自分が輝いていられるように、そういう日々をちゃんと自分で掴むために頑張って進むんだっていう想いや意志を歌ってはきたと思うんです。その感覚と何が違うの?

「それはたぶんバンドのことやからじゃないですかね。バンドを代表してというか、バンドを思って作る歌はそうなるんですけど、自分個人としてはそういうことをあんまり思わないというか。でも、この曲に関しては始まりは自分個人の感情やったりするんで、それで衝撃的やったっていう。バンドの明日には凄い興味があるけど、自分の明日にはそんなに興味がないというか………バンドがすべてなんで、結局どう考えても明日1日はバンドとして過ごす1日やし。となると、なんだかんだ、自分が自分でいる時間っていうのはないんですよね。でも、やっぱりあの状況は自分ひとりっていうところとも直結したんで………バンドがなくなってしまうっていうことは、僕にとっては、自分がいなくなるのと同じようなことなんですよね。それで、その時は珍しくバンドと切り分けて自分自身のことを考えたんやと思うんですけど」

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA10月号 Vol.126』