Posted on 2017.09.16 by MUSICA編集部

自身の孤独と闘争へのアンサーソングとも言うべき
BRAHMANのシングル『今夜/ナミノウタゲ』。
今のTOSHI-LOWの在りかに深く触れる

気持ちよさそうに眠ったものは、もうわざわざ動かしたくない。
改めて自分の原動力を見つめ直すと、
長期的に持ってる恨みとかつらみっていうのは意外になくてさ。
やっぱり自分は自分になりたいだけなんだって、また思ったんだよ

MUSICA 10月号 Vol.126P.76より掲載

 

■今回の2曲、「本当にTOSHI-LOWさんが歌ってるのか」と思って驚いたんですよ。これはいい意味で、凄く素直に歌と同化されてますよね。

「ははははは。いい意味でも悪い意味でも、そう聴いてもらえたのなら、どんな意味でもいいよ(笑)」

■特に“今夜”はとても簡潔なフォークソングになってると思うんですけど、この曲をTOSHI-LOWさん自身はどういうふうに捉えてるんですか。

「“今夜”を作ったのは今年の頭くらいなんだけど、家でなんとなくフォークギターを弾いてる時にふと出てきて。だからフォークソングになったんだろうなと思うんだけど。俺、今は弾き語りもやってるじゃない? だから、ギターを抱えて人の曲を練習するっていうことはあったの。それでも、こんなにふとした瞬間に曲が出てきちゃうことはなかったんだよね。そういう意味でも凄く珍しい曲だなと自分でも思うし、作った時から凄くすんなりいった曲なんだよ。俺は曲の作り方がどうしてもメロディ先行なんだけど、今回はメロディを作りながら言葉も溢れてきて」

■“今夜”には、たとえば“PLACEBO”や“FIBS IN THE HAND”に近い趣の深さも感じて。だけど、これまでのそういうタイプの楽曲にあった悲しみや痛みではない、もっと大らかで、ご自身の人生も包み込むような温かいものを感じたんです。そういう意味でも、これまでBRAHMANがやってこなかったタイプの曲だと思っていて。

「ああ、確かにそういう曲達と近い手触りはあるね。ただ今までは、いろんな曲でひとつのことを歌うっていうよりは、1曲でひとつのことを歌い切って完結したいと思ってきて。だけど“今夜”に関しては、基があるというか、繋がりがあるというか――初めて、今と昔とこの先っていうのが筋道になった曲だと思う。この曲自体がこれまでのどこかから生まれてきたっていう感覚が凄く強くてさ。確かに、そういう曲はなかったよね」

■そうして歌の中で過去や今が繋がっていったのは、具体的にはどういう部分が線になったと思われてるんですか。

「元々“PLACEBO”っていう曲があって。で、“PLACEBO”はレコーディングでも『なんか足んねえな』って言ってモメてた曲で、なんとなく未完成のまま終わってたんだけど、ある時、細美武士が『この曲が好きだ』って言ってコーラスをつけてくれてさ。その時に、RONZIDr)が『曲が完成したね!』って言って、俺もそうだなって思えたんだよね。でさ、“PLACEBO”で歌ってるのは拒食症で死んでしまった俺の友達のことなんだけど――そいつを忘れたとかじゃなくて――“PLACEBO”が完成したと思った時に、それをスッと昇華できた感じがあって。その時に、『じゃあ、その先は何なんだ?』って思ったんだよ。別れを悔いるだけで終わってたのが、でも今俺は生きていて、今俺はここにいるっていうことはどういうことなんだ?って思って、その答えを書きたくなった。そう考えるとさ、その孤独感がないと嘘になってしまうと思い続けて、そういう歌を歌ってきた自分を改めて振り返れて」

■結局生まれる時も死ぬ時も人は独りだと。それを無視すればすべてが嘘になってしまうっていう想いが歌になっていることが多かったですよね。

「だけど“PLACEBO”を昇華できたと思った時に、その孤独感を持っていないと嘘になってしまう自分とは違う自分も実感できて。その続きを書くのなら、孤独じゃなきゃいけないっていうことを意図して、わざと孤独になってるほうが嘘だと思ってさ。……『なんであいつだけを置き去りにして、俺は今生きてるんだ?』っていう後ろめたさに対して、やっぱり苦しまないとやってられなかったのが昔なんだよ。でも逆に言えば、俺はその孤独をわざと引きずろうとしてたんじゃねえか?って思うこともあって。でも“PLACEBO”が本当の意味で完成して、もう孤独を引きずる必要がないと思えた時に、初めてその曲の次を歌いたくなった。それで『今だったら誰のことを仲間として歌いたいんだろう?』って考えたら、それこそ細美武士が出てきて。……これはあいつと一緒に飲んだ時の話なんだけど、細美が飲み屋でぶっ潰れちゃって。それでタクシー止めようと思ったら、また駐車場のところでひっくり返ってるわけよ(笑)。そういう風景を見て『懐かしいな』って思ってさ。たとえば“PLACEBO”の歌の中にある世界っていうのは、俺が10代の時にその友達と喧嘩でボコボコにされて、ふたりしてグチャグチャになってひっくり返ってた風景が思い浮かぶもので。『ああ、こんなふうにひっくり返ってたよな、俺達』って思ったんだよね。もちろん、細美武士があいつの代わりだとかそんなことは思わないけど……でも、もしあいつが生きてたら、こんな夜が来てたのかなあって思った。今まで、『もしも』とか考えない人間だったのにね。そういう仲間がいる風景に感じたことをそのまま書いたのが“今夜”なんだよね。もちろん、人なんか生まれて死ぬまでひとりであるっていう死生観は、“今夜”を書いたところで変わらない。でも、今は孤独だから辛いっていうわけでもなくて。だって、そういうものなんだもん。それを受け止める力量がなかっただけなんだろうね。身の周りにあるものも傷つけて、いちいち自分が持てるサイズにしないと気が済まなかったし、それによってヒリヒリした人生観を歌って、生きる意味を探してきたと思うんだけど」

■そうして探し続けた生きる意味が、もっと今あるものを大事にすることから生まれる喜びになったのが“今夜”だと言えるし、おっしゃった通り、これまでの悲しいことも切なさも、あるいは“不倶戴天”みたいな怒りも全部ひとつの線になった曲なんでしょうね。そこが感動的に響いてきて。

「だって、今実際に俺の周りにはあるんだもんね。仲間も、大事なものも。自分を傷つけなくても、ここにあるから。一種の終末思想みたいなものだって、短期的にも長期的にも相変わらず持ってるよ。だけど、これは変わらんのだと実感した瞬間に、もう自分に胸張って生きるしかないと思った。で、そういうふうになれた自分の目で世の中を見るとさ、もちろん切ねえこともたくさんあるけど、切ねえからこそキラキラしてるものだってたくさんあるんだよ。だからこそこの一瞬が尊いし。前はきっと、下から見れば正方形だけど前から見たら長方形じゃん!っていう感じで世界を見てたと思うんだけど、意外とそうでもないのかなって思い始めている自分がいてさ。そういうことを、ガーッとやるだけじゃなくて、音楽で表したいなって思えてる自分がいる。だからこそこういう曲が素直に書けたんだと思うし、もっと素直に歌いたいと思ったし」

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text by矢島大地

『MUSICA10月号 Vol.126』