Posted on 2017.09.18 by MUSICA編集部

デビュー20周年を迎えたGRAPEVINEが
新作『ROADSIDE PROPHET』を発表。
終わりなき冒険を行く彼らの新たな名盤を紐解く

メインストリームの声ではない、スポットライトの当たらない人達が
主人公になってる曲が多いなと思って。
でも本当は、スポットの当たらない声にこそ
真実があるんじゃないかと思うんです

MUSICA 9月号 Vol.126P.88より掲載

(前半略)

■今回は『ROADSIDE PROPHET』と、「路傍の預言者」という意味の言葉をアルバムタイトルに掲げていて。これは非常にGRAPEVINEの本質が表れた言葉だなと思うんですが、どんな意味を込めているんですか?

「タイトルをつけるのは一番最後なんですけど。今回も曲が出揃ったところで、全部の歌詞を見直してみて。全体を眺めて何がテーマになってるんやろうって考えた時に、これはメインストリームの声ではないというか、スポットライトの当たらない人達が主人公になっている曲が多いなと思ったんですよね。でも、昨今の世の中と照らし合わせると……今って、割と太字が強い世の中というか、太字がちな世の中になってるじゃないですか」

■強い言葉、極端な言葉で言った者勝ちみたいな。あるいはニュースにしても何にしても、記事のタイトルだけで判断しがち、みたいな。

「そう。でも本当は、太字じゃない部分、逆にスポットの当たらない声にこそ真実があるんじゃないか、みたいなニュアンスのタイトルがつけたくて。それでこういう言い方になりました。まぁでも、このタイトルやテーマはわかりにくいんでしょうね。太字になりにくいバンドが太字にならないテーマのアルバムを作ってるんで、これまた伝えにくい(笑)」

■はははは。でも、スポットの当たらない声にこそ実は真実があるっていうのは、まさにその通りだと思います。別の言い方をすれば、インパクトの強い主張がイコール正義であるなんてはずもないし、太字で片づけられない、白と黒で片づけられないグレーの部分にこそ本当のリアルと真実があるはずなのに、今はそこがないがしろにされがちな世の中で。

「そういうところに日々、かなりの違和感を感じてはいるんでしょうね。それが歌詞を書いていく中で自ずと出てくるんだと思うんですよね」

■というか、アルバムの5曲目に収録されている“Chain”でも<声にならないわずかなエコーを/拾いあげて/こわれそうなそれをどうやって/うたうのだろう>と歌っていますけど、そういうところを掬い取っていくのがGRAPEVINEというバンドというか、田中さんの矜持であり、美学だと思うんですよ。その上で、近年はアルバムの中に何曲か、田中さんの中にある社会に対する違和感、今の社会への批判やメッセージがかなり強く出ている曲が入っていて。特に前作の“BABEL”と“EAST OF THE SUN”はプロテストソングと言っていい曲だったと思いますし。

「あの2曲はパッと聴いて社会的なこと歌ってるもんね、比較的」

■で、今回も全体にそういうメッセージが散りばめられつつ、特に“Shame”と“聖ルチア”の2曲はその側面が割とダイレクトに出ていますよね。

「そうなんです、結構プロテストしてるんですよ。ただ、“Shame”に関しては『あかんわ、わかりやすくし過ぎたな』って思ってますけど(苦笑)。これはちょっと具体的なキーワードを持ってき過ぎた」

■それってたとえば<自国の愛ゆえ 自分を応援します/差別も虐待なども対岸の火事で>とか、<ひと夏の思い出 フェスなどいかがです/虚空へと向かって狂おしく燃え上がれ>とか?

「そうですね。<フェス>とかね、そういう言葉を遣っちゃうとそこばっかりに引っかかってくるじゃないですか。何しろリスナーはみんなフェスに行ってるわけですから。でも、別にフェスの歌ではないんですよ」

■いわゆる邦ロックフェスだけではなく、炎上祭り的なニュアンスも入っているのかな、と。

「そういうつもりですけどね……と言いつつも、まぁこれは半ば嫌味ではありますけど(笑)」

■(笑)。でも、<世界をウォールで閉ざしてしまいます>という歌い出しも、あとサビ頭での<誰を助ければ蹴ればいいんだ>という言葉の遣い方も本当に秀逸だなと思います。特にこのサビ頭は音だけで聴いていると<助ければいいんだ>のリフレインのように聴こえるんだけど、実は後半は<蹴ればいいんだ>となってるという。一聴すると助ければいいんだと繰り返しているようなのに実は真逆というこの感じも含め、正義を気取って自分の利益になるもの以外を平気で迫害したり蹴り倒していく昨今の風潮を上手く音楽に落とし込んでいて、見事だなぁと思いました。

「うん、ここはそのつもりでやってますからね。……僕の場合は結局、どっちの味方かとか、右か左かとか、白か黒かとか、そういうことを書きたいわけではないんですよ。白が黒を、あるいは黒が白を批判するようなメッセージソングを書きたいわけではない。そこは結局リスナー次第というか、『さあ、あなただったらどうする? 我々はどうする?』という問いかけみたいなことをやりたいんですよね。そこには、僕自身、どうしても書きながら『おまえは一体どの立場でものを言ってるんだ』という突っ込みを入れてしまう性格やっていうのもあるんですけど。でもプロテストソングっていうのは本来、『あなただったらどうする? 自分はどうする?』ということを投げかけるもんやと思うんですよ。……まぁそういう表現は、昨今の太字の世の中では伝わりにくいんでしょうけど」

■まぁ、黒を白にするんだっていうわかりやすいイデオロギーのほうが求心力を得やすいし、エネルギーとしては強かったりしますからね。

「かつ、人の背中を押すだったり、元気づけるだったり、そういう作用を起こすためには、やっぱり何か言い切ってもらいたいっていう人間の心理があるんだと思うんですよね。だから太字が強いっていうのは結局そういうことで。ものごとの善し悪しよりも、太字で言われたことにより安心するこのドM社会というか。そういうニュアンスが強いんじゃないかなっていう気がします。そういう意味では、自分のやろうとしてることは時代とは真逆なんやなっていうことを凄く痛感しますね」

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text by有泉智子

『MUSICA10月号 Vol.126』