Posted on 2017.10.16 by MUSICA編集部

米津玄師がアルバム『BOOTLEG』を発表。
モダンR&Bのビートと一体化することで果たした革新、
未だ底の見えないこの音楽の深淵に迫る

もの凄く自由になったなって思いますね。
小さなところで蹲るようにしてものを作っていた自分を考えると、
本当にいろんなところに泳いで行けるようになったし、
泳ぎ切るだけの体力が今の自分にはある。俺はもっとタフでありたいし、
ストロングでありたいし、自由でありたいと思ってて。
だからこそ、音楽的にもいろんなところに接続しようと試みるんだと思う

MUSICA 11月号 Vol.127P.42より掲載

 

■本当に素晴らしいアルバムができ上がりましたね。このアルバムは今の世界というものと今まで以上に交わりながら、その中で他の誰にも作り得ない米津玄師という音楽を打ち立てたアルバムだと思います。ここで言う「世界」というのは、今の世界の音楽という意味と、他者という意味の両方があるんですけど。自分ではどんなふうに捉えていますか?

「自分でも本当にそういうアルバムになったなと思ってますね。他者との関わりの中で作り上げていったアルバムだなと思っていて。この14曲の中で一番最初に作ったのが“ナンバーナイン”だったんですけど、それも『ルーヴルNo.9~漫画、9番目の芸術~』のイメージソングっていうところから始まったものだし。そこから『3月のライオン』(“orion”)、『僕のヒーローアカデミア』(“ピースサイン”)、『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』(“打上花火”)、そして『初音ミク「マジカルミライ2017」』(“砂の惑星”)、そういう他者だったり作品だったりとの関係性の中から作っていった曲が凄く多くて。言ってみればオマージュというか、そういう空気感がこのアルバムの根本にあるのかなっていうふうに思います」

■それは人や作品だけじゃなくて、音楽的な部分でもそうなんじゃないかと思うんです。『Bremen』の時から出てきていたと思うんですけど、今回のアルバムはより明確に、より積極的に、今の海外のポップミュージックの感覚だったりそこからの刺激を吸収・昇華して、ご自分の音楽へと落とし込んでいて。かつ、その一方で“ピースサイン”と“Nighthawks”の2曲に関しては、自分が親しんできた日本のギターロックへのオマージュが入っていると思うし。そうやって様々な音楽と交わりながら米津玄師という音楽を更新している作品になっていると思うんですよね。

「それも凄くありますね。今、海の向こうで巻き起こってることってやっぱり凄く刺激的で。ポップソングの在り方としてどんどん変わっていってるじゃないですか。その流れを見ていて面白いなと思うし、自分もそういうことをやりたいなと思うところはあって。自分はニコニコ動画っていうところから出てきて、今はいわゆる邦楽ロックみたいなところにカテゴライズされてると思うんですけど、その中にない文脈を取り入れていったら面白いかなっていう気持ちは凄くありますね」

■その気持ちがまさに音楽的に体現されてる作品だと思うんだけど、実際のところ米津くんとしては、この14曲は2010年代後半の日本におけるポピュラーソングの在り方に対する批評性や意識をどれくらい持って取り組んだ感じだったんですか?

「そこはもちろん凄く考えましたね。2017年においてやるべきことはなんなんだろうっていうこと――日本のポップミュージックと海の向こうのポップミュージックを比較した時に違うところはなんなのか、同じところはなんなのかっていうことを自分なりに見渡してみて、かつ、自分が今までやってきた歴史を振り返ってみて、今どこに何があって、自分は今どこにいるのかっていうのを凄く考えて。その上で自分にとっていい未来に向かって行くために自分が今やるべきことは何かっていうことは、凄くいろいろ考えました。その結晶のアルバムだと思います」

■海外のポップミュージックの在り方って、今凄く自由だと思うんですよ。アーティスト同士のコラボレーションにしても、ジャンルのミックスにしても、あるいはリスニング環境も含めて様々な新しいテクノロジーやメディアの取り入れ方にしても、より自由な創作っていうものが今の時代のポップミュージックの在り方の軸であり、カラーになっていて。で、このアルバムはまさにそういう今の空気と共振しているというか。

「そうですね。自分でも今までで一番自由だし、振れ幅が広いと思いますね。そうなったのも、やっぱりいろんなタイアップが大きかった気がしますけどね。『ルーヴルNo.9』、『3月のライオン』、『僕のヒーローアカデミア』と、いろんな点がいろんなところにあった中で、それぞれの点と自分の中間を探っていくというか、その点と自分がリンクする部分ってどこなんだろうっていうのを探していく作業だったんですよね。そのリンクする部分にピンを刺して、それを音楽にするっていう作り方をしていたというか。で、そうやって曲を作っていくうちに、これは果たしてひとつのアルバムにまとまるのかな? 本当に大丈夫なのかな?っていうことを凄い思って。でもそこで、だったらとことんまでやっちゃったほうが面白いなって思ったんですよね」

■まとめるのではなく、むしろどんどんいろんな方向に振り切っちゃったほうがいい、と。

「そう。だから“ピースサイン”みたいにギターロックをジャーンとやる曲もあれば、“fogbound”みたいにギターが全然入ってない、R&B的なニュアンスの曲もあるし。だからどこかの時点からはある種、これはもう支離滅裂なアルバムにしてやろう!という感じで振り切れましたね。自分が今やれるあらゆることを――まぁあらゆることって言うとまたちょっと違うけど、でも今やれる様々なことをとことんやってしまおうっていうベクトルに振り切れたというか」

■それってつまり、今の自分ができる一番飛距離のある場所にいろんなピンを刺していくような、自分の音楽を外に向かって拡張していく作業でもあったと思うんだけど。米津くんにとってそれは凄く楽しめる作業だったんですか。

100%楽しめる作業だったかというとどうだろうな………まぁやっぱり、ある程度の辛さ、しんどさはありましたけどね」

■まぁそうだよね(笑)。

「ずっとひとりでやってきた自分にとって、他者との関係性の中で作るみたいなことっていうのは、どうしたって辛い部分はあって。でも、同じことをやってても面白くないじゃないですか。だから自分の殻を開いて、やったことないことをやりたかったし。たとえばゲストヴォーカルを招くとかデュエットをするってことだって、1年前の自分だったら絶対に考えられなかったことなんですけど」

■今回、“fogbound”で池田エライザを、“灰色と青”で菅田将暉をゲストに招いてコラボレーションしてますよね。

「はい。菅田くんも池田エライザも絶対に彼、彼女じゃないと成立しなかったものであって、結果、それによって120%美しいものになったと思うし、それは確かにとても刺激的だったし楽しかった」

■音楽の在りようとしても、自分というひとりの人間が作り上げる混じり気のない美しさへのこだわりも出発点として強くあったと思うんですよ。

「それも最近のポップミュージックの空気感みたいなものが関係してますね。自分の好きなアメリカとかイギリスのアーティストのアルバムを聴いてても、本当にいろんな人が参加してるし。ヴォーカルだけじゃなく、クレジットとか見ると曲を作ってる人も基本的に複数いるんですよ。で、それはどういうことなんだろう?と思って調べてわかったことは、いろんなストックがあって、このデモのこの部分、次はこのデモのこの部分みたいにピックアップしながら1曲作っていくみたいなやり方をしてるらしくて。時代が変わってインターネットとかSNSが普及して、いろんな情報が均一化されて共有されていく世の中になった時に、ひとりで突き詰めて山籠もりみたいなノリで曲を作っていくっていうやり方はちょっと違うんじゃないかというか。もちろん、そうやってひとりで突き詰めたものの美しさは絶対にあるし、その美しさは時代によって変わるようなものではないと思うんですけど、でもたとえば海の向こうのゲームを作る会社とかって、自分の技術をオープンソースにして、『私はこういう技術があります、みなさんどうですか、使いませんか?』って自分から種明かしをすることによって、みんなで飛躍的に進歩していこうじゃないかっていう空気感があって――」

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text by有泉智子

『MUSICA11月号 Vol.127』