Posted on 2017.10.19 by MUSICA編集部

打首獄門同好会、シングル『秋盤』リリース!
武道館ワンマンも控える注目バンドの根幹を、
深く鋭く紐解く

たとえばラーメン二郎の日記を書いた自分に「面白い」と合格が出れば出すし、
つまらないと思えば、病みに葬っていくだけ。
なのに、ファンの方から「ウチの子がおたくの曲で踊って止まりません」
って動画が送られてくるんです(笑)

『MUSICA 11月号 Vol.127』P.118より掲載

 

■うちの雑誌には連載ページがありまして。その中で2番目に長く続いているのが、大泉洋と毎月4時間一緒にメシを食うだけの連載なんです(笑)。そういう雑誌の人間としてまず伺いたいのは、この前のスタジオコーストでのワンマンの演出も、過去の曲のコンセプトも含め、何故こんなに『水曜どうでしょう』が好きなんですか?ということで。

「ははははは。なんでこんなに好きかと言うと……自分の中ではカルチャーショックを受けるくらいの番組だったんですよ。最初はただ友達から勧められて『ユーコン川・カヌー地獄』の企画を観てみたんです。で、最初は、お笑いコンビが外国を旅するような、ありがちな番組だと思ってたんですよ。だけど次第に『この番組おかしいぞ』っていうことに気づき始めて。ディレクターが喋りまくってボロクソなこと言ってるし、これは普通テレビでやらないだろう!っていう手法が衝撃的で。それで他の企画も観てるうちに夢中になり、気づけば、口調から何から似てくる有様でして。……なんならこの前も、『水曜どうでしょうキャラバン』っていうイベントで歌ってきたんですよ(笑)。そのイベントの初年度に『俺達も行っていいですか』って言って、アコースティックで歌わせてもらったのをキッカケにして、2年目からオフィシャルにしてもらってるんですけど」

■正式にパスポートをもらってるんだ(笑)。僕が知っている限りでは、ストレイテナーのホリエくん、MONOEYESの細美くんも、気狂いレベルで『水曜どうでしょう』のマニアで。だけど、その面白さやマジックを自分の商売にここまで大胆に取り入れるバンドマンはいない(笑)。こういう手法になるまでには、どういう経緯があったんですか?

「まずバンドの方向性として、初期段階から、自分の好きなものはなんでも歌にしていいっていう空気はあったんですね。だから、僕は『水曜どうでしょう』を歌にしたいなと自然に思って。それで、四国の八十八か所お遍路参りの企画が(『水曜どうでしょう』に)あったじゃないですか。それを観て、『これをラップにできるかも』って思ったんですよ。八十八か所の名前を並べて、『四小節の歌で二番までハマったら美しいな』と思ってたら見事にハマったので、これはやるしかないと思って曲にしたんです(“88”という曲)。で、それをライヴでやるためにお遍路の傘を四国から通販で買って、『水曜どうでしょう』のやつですよ!ってライヴで言ってたら、それが北海道の方にも知れ渡り、現地の方から『北海道にライヴで来る時に、HTB(『水曜どうでしょう』を放送している局)の見学に行きましょう』って言ってもらったので、ツアーの時に新千歳空港からHTBに直行して(笑)。ひとしきり見学した後に、その歌を収録したCDを、受け付けの人に『関係者の方に聴いてもらえたら、ありがたいです』って言って渡し、2013年に呼んでいただいたっていうのが経緯なんですけど」

■今の“88”の作り方を伺った上で失礼な質問をするんですが、大澤さんは、モチーフが決まってしまえば曲作りで悩むことはないんですか。

「いや、悩むことはもの凄くありますね」

■ですよね。それは曲からちゃんと匂ってきます。単なる衝動ギャグソングのフリして、まったくそうでないのが、打首の最大の魅力だと思うので。今話していただいたような「どうでしょうシリーズ」も、岩下の新生姜の“New Gingeration”も、“日本の米は世界一”も、“私を二郎に連れてって”も、今回の“ニクタベイコウ!”も、もの凄い推敲を重ねた結果として、そのネタを敢えて捻らない直接的な表現になっているということ?

「そうですね。たとえば“二郎~”だったら、まずはラーメン二郎の歌を作ろう!っていう気持ちまでは素直なんですけど、じゃあ二郎の素晴らしさを歌うのか、二郎の歴史や店舗を紐解いて並べていくのか、と考えるわけです。そうやって、いや違う!と繰り返し考えた結果、二郎に行く初心者の心境を歌おうっていうことになったんですよ。たとえば俺がよく二郎に行ってるって言うと、『俺も連れて行ってくださいよ!』って言う人が多いんですね。そこから『連れて行ってくださいと言う心理とはつまり、ひとりでは行けないし心強い仲間がいないと行けないんだ』と。そこからさらに、じゃあそれはどういう心意気なんだ、と考えて、そのいじらしい心理はまるで、少女漫画で告白できない少女のようじゃないかと。それを歌の主人公にして、“私を二郎に連れてって”という曲になったんです。直接的な表現にしようっていうのは最初から決まっている上で、どのベクトルから直で行くのかで悩むんです。歴史を紐解くのか、羅列するのか。そして曲調はどれだ、みたいな……このテーマを歌いたいっていうネタ重視の自分と、音楽家としての自分のせめぎ合いがあるというか。たとえば“ニクタベイコウ!”で言えば、<カルビ>と歌いたいと思ったら、それに対しても<カルビ!>と叫ぶだろうと。だとすれば、そのフレーズの掛け合いには『ダン、ドゥン!』っていう重めのリズムのほうが合うと考えるわけです。じゃあ次は、このテンポでこのフレーズだっていう順番で考えていく。さらに、それがAメロなのかサビにくるのか――そうして何パターンも並べた上で、どれだ?っていう対話が、音楽家としての自分との間では常にある。自分の中の『歌うほうの俺』がそうくるなら、『音楽家の俺』はこのメロディを用意するぞ!みたいな。自分に対するダメ出しと再構築が、延々繰り返されるんです」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA11月号 Vol.127』