Posted on 2017.11.15 by MUSICA編集部

ぼくのりりっくのぼうよみ、今年2作目のアルバム
『Fruits Decaying』。スリリングな音楽的興奮に
満ちた進化作を紐解くバックカバー特集!

多様性を言い訳にしてはいけないんですよ。カルチャーとして
音楽自体を成熟させていくためには、よくないものを淘汰していくぞ!
という気持ちが大事なんじゃないかと思います

『MUSICA 12月号 Vol.128』より掲載

(冒頭略)

■音楽へのスイッチが入ったのはいつぐらいだったんですか?

「でも、実はそれは完成した後の話で」

■え、そうなの?

「そうなんです。今は凄く音楽が好きなんですが、4月の自分はそうではなかったんです。その理由がこの前判明したんですが、よく、『この音楽で希望を与えたいと思って作りました、凄い楽曲です!』とか言っている人いるじゃないですか。僕はそんなふうに思うことが一切ないし、彼らが口にする音楽への愛みたいなものも僕は持ち合わせていないなあと思ったんです。でも実は、単純に自分の中の音楽へのハードルがめちゃめちゃ高いだけで、音楽自体はめっちゃ好きだったんですよ! あと、やたらそういうこと言う人に限って曲が全然よくなくてウケる」

■ということは、この作品を作った満足度が高かったことで、やっぱ音楽凄い好きだわって思えたみたいな感覚なんですか?

「いや、それとも関係なくて。ある人の曲を聴いて『うわ、マジでダサいな!』と思って。で、『Fruits Decaying』が完成した後……作ってる間はすげえナードというか、なんのために音楽やってるのかよくわかんない、もうダメ、みたいな感じで。もちろん曲自体はいいと思いながら作ってたんですけど、でも『音楽としてはいいものを作っているが、だから何?』みたいな。『音楽としていいからってなんなの?』みたいな。だから僕の意欲みたいなものをフルーツにたとえたら腐っていってる、ディケーイングしていってる状態で。だからこのアルバムは『Fruits Decaying』なんです!みたいな話を凄いしてたんですよ」

■アルバムタイトル、そういう意味なの!?

「はい、そもそもは。でも、あまりにもダサ過ぎる曲を聴いたおかげで、いやいやこのアルバムはカッコいいし自分は音楽めっちゃ好きだなってことに気づき、ちょっと頑張ろうと思ったっていう感じです。だからその前後でアルバム自体の見え方が全然変わったし。……なんか、僕はこれまで多様性という言葉を間違って使ってたなと思って」

■もう少し具体的に言うと?

「たとえば、『自分は全然好きじゃないけど、この音楽で喜んでる人がいるならそれは素晴らしいことだよね』みたいなことを言ってたんですよ。でもそれってめちゃめちゃ日和ってるな、ダメでしょと思って。多様性を言い訳にしてはいけないんですよね。アートとエンタメって境がスレスレというか、どっちも混ざり合って作られてるものだと思うんですけど、でもアートであれエンタメであれ中間であれ、一定以上のクオリティはどうしても必要で。そこのチェックを疎かにして、でもこれが好きな人がいるならいいよね、みたいなこと言ってちゃダメな、と。前に何かの例えで、多様性っていうのはスーパーに行った時に1種類のトマトがいっぱい置いてあることじゃなくて、いろんな品種のトマトが置いてあることだよ、みたいな話があってその通りだなと思ってたんですけど、でも、そういうスーパーに腐ったトマトは置いてないかどうかはチェックすべきなんですよ。やっぱりクオリティチェックはするべきだし、クオリティが低いものは淘汰されていくべきだと思って。それが結構(このアルバムのリリースコメントとしてぼくりりが出した)『他の音楽ぶっ殺してやるぜ!』みたいな気持ちに繋がってくるんですけど。そういう意味で自分の音楽は非常にクオリティが高いので、ちゃんと浸透させていきたいと思った感じです」

■つまり、質の悪い音楽が多い現状を鑑みて、音楽のために自分がなんとかしなければ!という気持ちになった、と。

「そこまで大それたことではないかな。どうなんだろ、わかんない。でも、聴き手の人は好きなものを好きに聴いてくれてればいいんですけど、作り手側は、文化というかカルチャーとして音楽自体を成熟させていくためには、やっぱり淘汰していくぞ!という気持ちが大事なんじゃないかっていう。よく『悪貨は良貨を駆逐する』って言うじゃないですか」

■あと「腐ったリンゴは傍らのリンゴを腐らせる」とかね。

「あ、そっちのたとえのほうが今回のアルバムにはいいな! それパクります。そう、腐ったリンゴが箱の中にひとつ入ってるとそれが伝播していくんですよ。それを取り除かなきゃ!みたいな感じの決意が相まって、今回頑張るぞって思ったって感じですね。おぞましいなと思ったのが、ダサい曲を好きな若いお母さんがいると、その子供もその音楽を聴くことになるんですよ。なんならお腹にいる時から聴かされることになるわけじゃないですか。そんなこと許せます? ヤバくないですか? 劇的にクオリティの低いものでもそれを最初から与えられていくと、それが美味しいものなんだと思って育ってしまう。それって悲しいことだなと思って」

■それって、デビューして2年くらい経って音楽の担い手としての、アーティストとしての自覚と責任感、使命感みたいなものが芽生えてきた、みたいな話にも繋がるの?

「そうかもしれませんね。自覚とか持ちたくないんですけどね」

■何故? 創作が縛られちゃうから?

「だって辛くないですか? 僕は生まれつきアーティストアーティストしてないから、アーティストっぽく振る舞うのもダルいし。でも、責任とまでは言わないですけど、ぼくのりりっくのぼうよみとしてやってる以上はそういう気持ちを持って、ぼくりりでいる時間はそういうふうに思いながら行動するべきだなとは思ってます。頑張るぞって。これって責任感なのかな。持ちたくないなー。責任とかないほうが人生楽しいですからね」

■でも、それだけ怒りを持てるっていうことは、音楽に対する愛と音楽家としての誇りが強い証拠だと思う。

「たぶんそうなんでしょうね。気づかないフリをして、っていうか本当に気づいてなかったんですけど、実はそうだったのか、と」

(続きは本誌をチェック!)

text by有泉智子

『MUSICA12月号 Vol.128』