Posted on 2017.11.15 by MUSICA編集部

ACIDMAN結成20周年の節目に作り上げた
集大成にして神髄、11作目のニューアルバム『Λ』。
大木伸夫の生々しい語録が光る最速インタヴュー!

抽象画を描けば描くほどアート性が増すと思ってたんですが、
今は1枚のリアルな写真には勝てないのかもなと思って。
ピカソの『ゲルニカ』と、
シリアからの難民の子供が死んじゃった1枚の写真のどっちが強いか? 
今は写真のほうが反戦の心が湧く。
そこから目を背けても音楽はアートにならない

『MUSICA 12月号 Vol.128』P.14より掲載

(冒頭略)

■最初にアルバムの話を訊いていきたいんですが、ほんとに素晴らしい集大成アルバムになりました。これがACIDMANの今のベストアルバムだなと思いました。

「いいですね、まさにベストアルバムです。いつもそう思って作ってますが、今回はベストアルバム以外の何ものでもないと思ってます」

■そこにはふたつの意味があって。まず名実共にBESTという言葉にふさわしい内容だなという意味合い。もうひとつは、このバンドの20年間を音楽性、歌、言葉、全部にきっちりと入れ込んだ、非常に自覚的な周年オリジナルアルバムだと思いました。まさに今、作り終えてどういうふうに思ってますか?

「自分で言うのも手前みそみたいな感じなんですけど、マスタリング終わってこんなに幸せな気分なのは初めてですね。凄く誇らしいアルバムができたな、誇り高い作品になったなっていうのは思います」

■それは今までとは何が違う感じなの?

「今まではいろんなところが気になったり、やっぱりあそこはこうしたほうがよかったかなとか、次の作品のこととかで頭がいっぱいだったり、とにかく『終わった。早く次の作品を作ろう』っていうところだったんですけど、今回は自分が作ってるにも関わらず、かなり入り込んで昇天していくというか。マスタリングの時はちょっとしたトリップ感がありましたね。……今までも曲は自分の子供のように思っていたので、生みの苦しみももちろんそうだし誕生の喜びももちろんあるんだけど、今回はまた言葉に上手くできない圧倒的なものができたなと思ってて。具体的に、わかりやすい言葉を多めに使ってシンプルな言葉を使っていったんですけど、それが功を奏してもの凄く深くなっていって、ひとつの新しい発見もあったので……どんどんそこに吸い寄せられていくというか吸い込まれていって、最後はもの凄く浄化されていく、“愛を両手に”で締めたことが素晴らしく上手くいったなと思いました。いつも言ってることですけど、映画のような作品を作るのが目標なので、たぶん、今までで一番映画的な作品になったなと思いますね」

■マスタリング終わった瞬間に大木とサトマが同じことを言ったんだよね、「音楽を超えた」って。

「はははは、ちょっとそれはクサい言い方ですけどね。でも元々僕の思想がそれなんで、音楽というツールを使って、もちろんエンターテイメントという覚悟はあるんですが、何かもっとできないかなっていうのがあるので、せっかくいろんな人に聴いてもらえるのであれば、僕はいろんな人に喜びを与えたいというよりも、哀しみから救いたいっていうほうが欲望として強いので、そういうものが形にちゃんとできたんです、『Λ』は。だから、音楽ってジャンルじゃないんだろうなとは思いますね」

■アルバムタイトルの『Λ』、このタイトルをつけたのは――。

「普通にギリシャ文字で11という意味なので。11枚目のアルバムだから、最初からΛというワードをどっかで使おうかなと思っていて。でもだんだんアルバム作っていくにあたって、ACIDMANのAでもあるし、これがタイトルでもいいのかなと思っていって。決定的だったのが、インストゥルメンタルの“Λ-CDM”っていう曲が」

■8曲目にあります。

「これ、ACIDMANの略語かと思いきや、Λでいろいろ調べてたら、ダークマターのことなんですね。Cold Dark Matterの略なんですよ、CDMっていうのは。ダークマターって、宇宙の暗黒物質で目に見えないまだ発見されてないダークマター、ダークエネルギーのことなんですよ。あと『Λ』っていうのは元々、宇宙項という意味があって、宇宙定数としてアインシュタインがつけたものなので、もの凄くゆかりがあるなとは思ってたんだけど、最後の決め手が“Λ-CDM”というワードがあるっていうところにびっくりして。こんなACIDMANとしての奇跡的な偶然の一致ってなかなかないし、ここでもう、タイトル『Λ』にしよう!っていうのが決まりました。これはきっと何かに呼ばれてることだと思うので」

■どういうアルバムを作ろうっていうところから始まったんですか?

「20周年イヤーを1年間かけてやって、それで一区切りだっていう感覚があんまり僕にはなかったんで。やっぱり曲を作ることがもの凄く好きで、いまだに曲を作ることが好き過ぎてまとまらないんですよね。だからどんどん出していきたいなと思ったから、とにかく早く次の一発目、20周年じゃなくて21年目がもう始まるぞっていうことでスタートして。で、最初はたっぷり時間はあるなと思ってたんだけど、意外とバタバタッとなっていって(笑)。それは何故かというと、元々やろうとしてた候補曲を5、6曲替えて、新たに作ったりしたからなんですよ。それでどんどんアルバムの輪郭が変わっていったって感じですかね」

■それはもっともっとという気持ちの表れだとは思うんですけど、新しいものを欲した具体的な理由みたいなものはある?

「このアルバムって3年ぐらいかけて作ったんですけど、もうすぐ周年が終わりだなっていう頃に違う気持ちでどんどん曲が作れて。“MEMORIES”っていう曲と“prana”っていう曲はほんとに最近作った曲なんです」

■そっか。その“MEMORIES”と“prana”は僕のメモには「肝曲」って書いてありますけど。

「はははははは。凄い、さすが! 素晴らしい。まさにそれくらい自分のなかでは新鮮な曲で。元々やろうとしてた曲を入れ替えて。言葉じゃ言えないんですけどね、そういうモードなんでしょうね」

■その「そういうモード」というのは、僕に言わせれば「ACIDMANらしいポップさ」みたいなものなんだけど。もっとコンセプト的にどういうアルバムにしたいっていうイメージはあった?

「毎回ないんですよね。でも今回少しだけ強かったのは、わかりやすいものにしたいなとか、その逆にある自分の中のマニアックっていうか、そういう部分も全部出したいなと思ってて、とにかく出し切りたかった。ポップな曲って他にも山ほど作ってて、ジャジーでちょっと優しい曲もいっぱい作ってたんですけど、今回ちょっとそうじゃなくてもっと濃い、ほんとに自分の死生観がどっぷり詰まったものにしたいなっていうのはありましたね。そういう濃いものだから、わかりやすくなればいいなとは思って。元々、言葉(歌詞)がわかりづらいって言われることが半分嬉しくて半分辛かったところもあって。わかる人だけにわかればいいやっていう発想はちょっと寂しいなと思ってたので」

■大木の歌はわかりにくくないし、難しくないの。ただ、歌ってる内容が本質的過ぎて、本質を貫いていくと人類が生命になって、生命イコール宇宙になっていくから、そこがぶっ飛んでる、もしくは難解だっていうことになってると思うんだけど、今回は歌詞が難しいと思ったことはほんとに1回もなかった。

「本当にそうなら嬉しいですけどね、伝えたくて作ったから。これは昔からの目標ですけど、老若男女すべての人にわかって欲しいなと思って。でも、メッセージとしての肝は生と死のことと宇宙のことしかなくて。……あ、あと今回は人間の、まさに隣の人が死んでしまうようなリアリティのあるものっていうのは凄く意識してましたね」

■その「隣の人」という近さというか息遣いというか、それが肝なのかもしれないね。それは具体的に何かがあったからっていうこと?

「シングルの時も話した、“愛を両手に”を作る前にばあちゃんの死っていうのもあったし、自分自身の年齢の重ね方もそうだし、周りを見渡せばそういう人達もいっぱい増えてくるし。どう考えても死っていうのは悲しい、だからその死を越えるために今まで楽曲を作ってきたけど、それでもやっぱり死は悲しいっていうことを、この歳になってくると痛感するので、そういうことをちゃんと伝えての死を越えた喜びというか、生の喜びというか、もう一度向き合いたいなっていうのはありましたね」

(続きは本誌をチェック!) 

text by鹿野 淳

『MUSICA12月号 Vol.128』