Posted on 2017.12.18 by MUSICA編集部

UNISON SQUARE GARDEN、3ヵ月連続
メンバー個別インタヴュー、最終回は斎藤宏介編。
驚異の歌唱力でモンスターソングを制する彼の本音に迫る

「曲を作ってるほうが偉い」みたいな風潮にジレンマを感じてきて。
だからこそ、「いい声だね」よりも「いい歌だね」って感じてもらえる
レベルに達したい。だから僕は、1個の音と1個のメロディで
20ぐらいのパターンを持っているんです

『MUSICA 1月号 Vol.129』より引用

 

■今回のこの取材にかこつけて素敵なプレゼント、新曲の片鱗を聴かせてもらいました。これは既に情報が発表されている『3月のライオン』のオープニングテーマになるもので。曲名が“春が来てぼくら”。これが3月7日にシングルとしてリリースされるということが決まりました。僕が聴いたのは、オープニングヴァージョン的なものだと思うんですが。

「そうです。89秒ヴァージョンですね(『3月のライオン』のオープニングアニメに合わせた秒数のもの)」

■ユニゾンのセンチメンタルパートの新しい代表曲になる予感が強い楽曲だなと拝聴させていただきました。宏介くんは、どう思ってますか?

「もの凄い手応えを感じていて。今これを喋ってる時点ではまだまだレコーディングが終わってなくて、これからストリングスとかが入っていく段階で。なので、鹿野さんに聴いていただいたのは、まだ打ち込みのストリングスの段階なんですけど。ただ、歌っててその世界にのめり込み過ぎて、2~3日戻ってこれないみたいな熱量を持って臨んだレコーディングだったので、それが上手く形になってくれたらいいなっていう想いでいますね」

■そのぐらいゾーンに入っていけたのは、どういう気持ちの表れなの?

「なんなんでしょうね? ツアーを回りながらのレコーディングっていうこともあって、曲をCDにする重要性を肌で感じられる環境が常にあったっていうことですかね。あとは………バンドがよりよくなっていくためには、表に立って歌ってる自分がよりよくなっていかないといけないなっていうのもさらに今はあって。それは最近スカパラとやらせてもらったりとか、ツアーを回ったりっていう中で肌で感じてる部分なので、そこの意地みたいなところもあります。あとは、ライヴでやるんだろうなっていうことを想定した時に、珍しく歌ってて気持ちいい曲なので、よかったなっていう(笑)。田淵の作る曲って、『これ、ライヴでどう歌ったらいいんだ?』っていうのが多々あるじゃないですか(笑)」

■はははははははははははは。

「それを感じずにいられるっていう点では、最初から大きな苦労をせずに、ピュアにいろんな場所で歌っていけるんじゃないかなって思ってます」

■すんなり聴けるいい曲だっていうのが前提ではあるんですけど、A、B、サビの構成の曲で、A終わりとB終わりの両方でしっかり転調してて。

「あぁー! 確かにそうですね」

■バラードの転調って、大体最後のサビ前に大袈裟に盛り上げるために入ってくる曲が多い中で、極めて斬新なユニゾンイズムが出てるなって思ったんだけど。

「ははははははは、本当だ(笑)。でも、“flat song”っていう『10% roll,10% romance』のカップリングであったり、もう1曲ぐらいであった気がするんですけど、Bメロで転調してまた戻るっていう手法を、実は田淵が気に入ってて(笑)。その積み重ねで、僕だったり貴雄だったりリスナーだったりの中で違和感が取っ払われてしまっていて。だから、今言われて確かに転調してるなって気づいたぐらいなんです」

■宏介くんの中では、バラードを歌うということとアッパーでダンサブルな曲を歌う時に、ご自分の中で違いみたいなものはあるんですか?

「もちろんあります。技術的なところもそうですし、でも心技体が伴ってないと、そこに向かっていけないっていうのはあって。なので、歌う時の気持ちはまた全然違うものですね」

■なんで訊いたかって言うと、ユニゾンの曲の特徴だと思うんですけど――アッパーな曲ってアッパーらしい立ち振る舞いっていうものがあって。それは叫んだり、煽ったり、荒々しかったり、情熱過多なものだったりしていくことが、アッパーであるっていうことを表現していくスタイルだと思うんですよね。で、UNISON SQUARE GARDENの曲って、アッパーな曲の多くがとても美しく歌っているものが多くて。曲はあんなにも忙しないのに、歌をまるでバラードのごとく美しく歌うことによって、その曲がポップミュージックとして機能しているところがあると思っていて。

「面白いですね、その分析は。ただ、僕自身は一生懸命やってるだけなので、そんなに意識はないんですけど……客観的に見ると、詞曲をヴォーカルが自分で書いてないっていうところが一番影響してるのかなって思ってて。いろんなヴォーカリストの方と呑みに行ったりコミュニケーションを取っていく中で、詞曲を書いてる人は、そこで気持ちが結構な分量満たされてるんだなって気づくことがあって。その素晴らしい詞曲があるからこそ、それを自分が歌うことで完成させるみたいな気持ちでいるんだろうなと思ってて。でも僕の場合は違って、詞曲を田淵から渡されて、その中で自分が参加している意義をどうそこにプラスアルファしていくか?っていう考え方で。『その曲をより輝かせるために』とか『この曲をもっとよくするにはどうしたらいいか?』っていうことを常に考えながらやっているので、内容云々以上にどう歌うかっていうことが凄く大事になってくるんですよね。その『(曲に)歌わされず、(自分が)どう歌うか』っていうことを細かくやってるほうだと思うので、そういうところが鹿野さんの言うところの『綺麗に歌う』っていう部分に繋がってくるんじゃないかと思うんですけど」

■面白い。今話していただいたことが「自分が綴った言葉やメロディじゃないからこそ、自分の歌にしていくんだ」っていう意味だとしたら、ご自身のその自我がハッキリ見え出したのはいつぐらいからなんですか?

「最初からありましたね。最初からあったけど、もちろん続けていく中で技術が伴ってきてるので、その手法が変わってきたっていう感じですかね」

(続きは本誌をチェック!)

 

text by鹿野 淳

『MUSICA1月号 Vol.129』