Posted on 2017.12.19 by MUSICA編集部

レーベルを運営しながら丹念に良質な音楽を育て続ける
唄歌い・Caravan。新作『The Harvest Time』を肴に
自主になってからの歩みと音楽に対する向き合い方を語らう

CD産業が盛り上がって何百万枚売れる人がいた後の俺達だから、
そこへのカウンターと言うか。震災後もリンクして、
大きい会社とか早さとかではない、どこか原始的なんだけど
最先端なことをやる時が来たのかなって

『MUSICA 1月号 Vol.129』より引用

 

(冒頭略)

■まず『The Harvest Time』っていうタイトル自体、仲間と一緒にやってるHARVESTという事務所で過ごす時間の総集編というか集大成というか、その道のりをここに刻もうという気持ちが表れてるのかなっていう気がしているんですけど。

「そうですね。HARVESTはジョニーとリンダと始めて今年で10周年なので、このタイミングでアルバムを出したいなっていうのがまずあって。10年ひと昔とか言うけど、10年ってどこかしら区切りな気もしてて、この10年で自分は何を得て何を失くしたのかとか、そういうのを振り返りつつ、ここまでの集大成にはしたいっていう気合いはありましたね。10年間畑を耕したんで、そろそろ1回収穫してみようというか、ちょうどリリースも秋だったし、タイトルとしてもいいかなって思って」

■それはこの14曲を作る中でも宿っていた考え方だったんですか?

「去年の段階で『来年で10周年なんですよ。よく10年もったねぇ』みたいな話はしていたので。だから制作中もなんとなく意識していましたね」

■“Retro”はMVもあってアルバムの顔になってる曲だと思うんですけど、その曲と“夜明け前”は凄い曲ですね。

「本当ですか! “夜明け前”について言ってくれたのは鹿野さんが初めてです! 僕もその2曲が凄く好きなんですよ。マスタリングしてくれた木村健太郎さんもその2曲がいいって言ってくれて。まぁ俺は凄く気に入ってるんですけど、評価してくれる人があまりいなくて。だから今、初めて安心しました(笑)」

■ははははは。素晴らしい曲ですよね。アルバム前半の曲達とラストの“In The Harvest Time”の中で、<雨>っていう言葉が凄くたくさん出てきて。僕はCaravanが歌う<雨>っていう言葉は、「涙」の意味合いに近いんじゃないかと思っているんですよ。この中には喜びの涙の歌もあるんだけど、悲しみの涙の歌もあって、変わるっていうChangeの気持ちが歌われている曲もたくさんあって。今自分が世の中に訴えかけたい、もしくは自分から示したい本質的なものなのかなっていう気がしたんですけど。

「普通に人間として暮らしていると、悲しいこともいっぱいあるから。プライヴェートでの悲しみもあれば、世間に対してのやるせなさもあるし。どうしてこうなっちゃうのかな?って思うことが繰り返されてるじゃないですか。たとえば、このアルバムのちょうど制作中にマンチェスターのテロがあったりもして、こういうことって繰り返すな、終わらないなっていうやるせなさも凄くあったし。でも、自分は旅とか自由とか平和を歌にしてはいるけど、旅って何?とか、自由って何?とか、本当の平和って何?とか突き詰めていくと、結局はひとつになることではないっていうか、バラバラのままで成り立つ秩序みたいなものなのかなって思うんです。みんなそれぞれのやり方でやって、自分でケツ拭いてくっていうのが一番のピースだと思うし。誰かと比べてこうだってことじゃなくて、自分の物差しで責任とプライド持ってやっていくことが、不自由なようでいて実は自由っていうか。作品としてそこをちゃんと伝えたいっていう意識があったかもしれないですね。誰にも雨は降るって意味ではみんな平等だけど、その雨の受け止め方、悲しみの受け止め方、涙の受け入れ方は人それぞれだから。強い人もいれば弱い人もいてみんな違うんだけど、降り注ぐ雨は一緒っていうのが自然の摂理な気がするし」

■クレジットの最後の部分に、原発と核ミサイルに対する抗議の意志が記されてるじゃないですか。それは今こういう歌を歌いたいっていう気持ちに大きな影響を及ぼしたものだったんですか?

「実はそれは、2011年以降ずっと入れてて。東北の震災以降から入れてるものなんです。『Thanks to』の記載はみんなよくやるけど、実は『No Thanks』なものもいっぱいあるよっていう皮肉とジョークを込めてたんだけど。実際それは自分の中で今まで以上により大事なものになってきているんだけど、でも下手すると悪者探しにもなりかねないというか、自分だって恩恵を受けてるって思ったら出口なくなっちゃうことなんだよね。ただ、せめてそういう意志表示をすることだったり、自分なりのチョイスをして対峙していかなきゃいけないって意味では、自由に生きる上で抱えなきゃいけない不自由さというか責任はある。だから敢えてその記述を入れてるんですけど」

■北朝鮮のこともそうだけど、今までは半笑い気味に話してきた異質な世界が、いよいよ異質じゃなくて恐怖の世界にイメージの中で変わったのが今年だと思うし、その気持ちが凄く敏感に節々に表れている気がしていて。

「日本って凄く小さな島国で、つい何百年か前まで鎖国していたような、それこそ北朝鮮みたいな国だったわけじゃないですか。『ウチらはウチら!』みたいな、偏ったインディペンデント感でずっと来てて、独自の神話や法律を持ってやってきたけど、ある時から『それだけじゃやっていけないでしょ!』ってなって外に開いていって、また変わった感じの日本という国になっていってるんだけど。そんな日本が自分は好きだし、面白い国だなって客観的に見ても思う。気持ちはスピリチュアルで、『お天道様が見てるよ』っていう不思議な倫理感を日本人は持ってるけど、悪いことやアメリカに媚び売るようなことも平気でする。そのバランスって日本特有で、それがどっちかに振り切ったりすると、ISISや北朝鮮みたいになっちゃうのかなとも思うんだけど。でも、その素質を持ってるのが日本人というか。いろんな意味で多様性を受け入れてきた民族なんだなっていうか……受け入れざるを得なかったのかもしれないけど。その独自のバランス感覚でもって本当の豊かさや幸せってものを表現するには、凄く説得力のある人種な気がするんですよね。日本人ってクラスで強い人でもないけど、いじめられっ子でもない、なんとなくいる傍観者みたいな国じゃないですか。そこで本気出したらちゃんと伝わるものを作れる気がする。そんな日本って嫌だなって思った時もあったし、日本っていい国だなって思うこともいっぱいある。どっちかに寄りたくなくて、ニュートラルでいたいっていうのはいつもあって。テロの話も出しましたけど、ライヴ会場って自分が一番大事にしてる場所でもあるから、『無邪気に音楽楽しみに来た若い子達に何やってくれてんだ!』って思うけど、それに対して、『やり返せ』とか『犯人探せ』とか『爆弾落とせ』ってやってると、結局9.11の繰り返しになってしまう。イスラム教が悪いわけじゃないし、イスラム教徒にもいい人はいっぱいいるし、北朝鮮にだっていい人はいるだろうし。でも、単純に国家とかチームになっちゃうとぶつかり合ったり、どっちが正しいかっていう議論になっちゃう。たとえば、砂漠の真ん中でひとり遭難して歩いてて、向こうからも誰か遭難して歩いてきたとしたら、たとえ北朝鮮人でもマブダチになると思うわけですよ。ひとりの人間だったら抱き合って『一緒に頑張ろう!』ってなるはずなのに、それが国家やチームになっちゃうと歪んじゃうっていうのは、凄くおかしいなと。だったら人間一人ひとりがソロアーティストのつもりで、極端に言っちゃうと『俺が俺の国なんだ』っていうマインドが一番いいのかなって思うんだよね。そういう感覚になれるのがひとり旅で……旅をしてると、出会う人がどんな境遇でどんな宗教観だろうが、知りたいし仲よくなりたいって思うじゃないですか。そこは自分の中では矛盾なく思えるし、世界は小さいものと大きいものの対峙なんだけど実は繋がっていて、それぞれが比例してるんだなって思う時が凄くあって。旅とか自由とか平和を、押しつけではなく、自分なりの解釈で伝えていきたいっていうのは今作で強く思ってましたね」

(続きは本誌をチェック!)

 

text by鹿野 淳

『MUSICA1月号 Vol.129』