Posted on 2018.01.17 by MUSICA編集部

闘争の先で掴んだ新たな神髄、『梵唄 -bonbai-』。
生と死、反骨と慈愛、孤独と仲間に向かい合い、
次なる扉を開いたBRAHMANの核心をTOSHI-LOWが語る

この衝動は何かって言ったら、バンドをやってみたいと最初に思った時の、
あのピュアなところに戻ったんだと思うんだよね。
じゃあ俺がバンドをやってみたいって思った時を振り返ると……
生きていくための応援歌や闘争っていう意味の音楽だったと思うんだよ

『MUSICA 2月号 Vol.130』より引用

 

■BRAHMANがこの先を歩んでいくための更新がハッキリとなされた作品だと感じました。音楽的にも、メッセージ的にも、新しい在り方を獲得されたと思うんですが。

「ああ、新しいものを獲得できてるって言われたら凄く嬉しいね。でも俺としては、むしろそれまでのものをすべて捨て切ろうっていう気持ちに近かった作品なんだよね」

■なるほど。この数年は、震災以降のご自身の役割と自覚も強められた数年だったと思うんですが、そういう責任感とは違う形で音楽をやりたかったということですか。

「というよりは……やっぱり20年以上やれば、20年分の垢がこびりついててさ。どこから来るのか謎のプライドだったり、空っぽの自尊心であったり。で、20代とは違う形で、もう1回そういう『自分の中のもの』にぶつかってみたいと思った。もちろん、震災以降の社会的な復興活動とか、困ってる人に寄り添うとかっていうのもライフワークのひとつではあるんだよ。でも、そもそも俺が歌いたいことはそこじゃなくてさ。やっぱり俺の中には、なんで生まれて、なんで死ぬんだ?っていう根本的な問いがずっとあって、それは消えないもので。そこをずっと問うてても、それをこうして歌い続けても、やっぱりずっと答えが出なくてね。けど、少しずつ答えに近づけている気もするし……じゃあもう1回、真っ向から自分の心と闘ってみたいと思ったんだよ。たぶん比べてみるとわかりやすいのは、『A FORLORN HOPE』の頃で。あの作品にも、葛藤が濃く出てたと思うんだよね」

(中略)

■まさに“真善美”の冒頭に<幕が開くとは/終わりが来ることだ>という言葉があって。終わりがあるからこそ生きている意味を問う歌は一貫しつつ、そこで<生まれ落ちた理由を/終わり消える理由を><一度きりの意味を/お前が問う番だ>と歌われているじゃないですか。つまりは、「何故生まれ死んでいくのか」という、TOSHI-LOWさんが歌って闘ってきた理由を人にも手渡している。ここがこれまでとの大きな違いだと思ったんですが、ご自身ではどう思います?

「もうさ、ひとりきりじゃ答えが出ないなんてことはわかってるんだよね。人に問うことによって、その答えを聞いて新しい問いかけになっていくんだと思う。自分の頭の中だけで『こうじゃない?』、『いや、こうじゃないの?』って禅問答を繰り返すのも変わらないんだろうけど、でも、昔みたいに人を遮断することで自分の純粋性を高めようとするのではなくて、人と交わることによって自分の異物感を感じて、それによって自分は自分であるということをもう1回感じる……そういう歌になってきたのかもしれないね」

■それは何がもたらした変化だと思います?

「きっと、ここ数年の社会との関わり方だと思う。音楽の世界以外の農家の人や漁師みたいな人とも関わってきて、仲間だと思えるヤツも増えてさ。そこで触れてきたものからも、人と触れて生きている自分からも逃げる選択肢はなかったんだよね。そうやって今周りにいる人を認識できたのなら、やっぱり『続けていく』、『生きていく』っていう意志のもとでないと、すべてはよくなっていかないんだよ。でも一方では、『死ねば終わる』っていうのがある。ならばなおさら、自分の意志で続けていくことに言い訳はしたくないしさ。それは、20代の時の刹那的だったものとは違うんだよね。むしろ、すべてが刹那的過ぎてやる気なくなっちゃったりしてたもん(笑)。どうせ死ぬのになんで?ってヘコむこともあったわけだけど……今は、いずれ死ぬんだったらやるしかねえだろって思う」

■まさに、生きていくという視点が歌にも音楽にも入ったことが、このスケール感と刷新の核にはあると思っていて。ご自身では、BRAHMANというバンドの音楽にこの数年はどう反映されたと思いますか。

「……俺達は、震災の前に1回『もうここまでだな』って音楽を捨てようとしてた時期があって。その時、結果としてはバンドも音楽も捨てなかったけど、たぶん心の中では1回諦めたんだよね。だから、1回投げ出してしまった分のスペースが空いて、そこから音楽としても人間としても再スタートできたんだろうし、震災を経たことで、自分達の見方次第で世界はこんなにも広くなるっていうことに気づけて。要はさ、自分がどうでもいいやと思ってても、それに救われてる人がいたり、俺は自分の声なんて全然好きじゃなかったけど、自分の声が好きだっていう人がこんなにいるんだって感じたりして。……で、それでやる気になったかっていうと、そういう話でもなくてさ。俺ひねくれてっから(笑)」

■はい(笑)。

「ただ、そういう人との関わりの中で思ったのは……俺が俺を一番信じてなかったなってことで。『TOSHI-LOWもっとこうできるじゃん』とか、『また来てくれよ』とか、俺が信じてこられなかった俺自身に人が期待してくれてることを受け止めた時に、『俺なんか』って言っちゃってた俺はなんて逃げてたんだろうなって思って。だから、俺でもこれだけできるんだっていうことからも逃げないって決められたのが今は大きいんだと思うし、俺の可能性っていうのは、俺以外の人との関わりにあったんだよね」

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text by矢島大地

『MUSICA2月号 Vol.130』