Posted on 2018.03.16 by MUSICA編集部

新作『H.O.T』でさらなる新風を吹かせるNulbarich
首謀者・JQはいかなる歩みを辿り、何を想い志し、
今ここに立っているのか。その前史から現在、
そして未来まで、初のバックカバー特集で紐解く

今は僕自身Nulbarichに生かされている実感がありますし、
だから「楽しくやろうよ」っていう想いの根底には、
このNulbarichにすべてを捧げているっていう想いがあります

『MUSICA 4月号 Vol.132』より引用

 

(前略)

■高揚感のある曲が増え、音色は豊潤でアダルト、そして13曲目の“Heart Like a Pool”のように、スタジアム級の鳴りが聴こえ始めた作品でもあると思います。ご自身では今どんな手応えを感じていますか。

「去年Jamiroquaiのサポートアクトをやったぐらいのタイミングに、このアルバムを作ろうっていう思いになったんですけど。上手く自分の中で消化せずに感情を詰め込んでったイメージだったんで。でき上がったアルバムに対して、一旦リスナーとして聴いた時に、『あ、俺達ってこういうところを見てたんだな』とかわかってくることが多くて。で、それこそさっき言っていただいた、曲の画が広くなってるっていうのは僕らも感じたところでした。楽曲が持ってる景色っていうのが、ファーストに比べてより広いものになってる曲が多いのかなって思っています」

■本当にそうですよね。今回はそんなアルバムができるまでの話はもちろん、バックカバー特集ということで、そもそもJQさんがどういう音楽体験をして、どういう意志を持ってこのNulbarichという存在が生まれていったのかというところまで遡ってお話を聞いていければと思います。

「はい。よろしくお願いいたします」

■まず、初めて音楽に触れた瞬間は?

「最初は子供の習いごととしてピアノを始めたことです」

■小学生くらいですか?

「いや、幼稚園生。4歳の時ですね。まぁそれはおもちゃ感覚だったんですけど、ピアノは3年続けて。で、小学校はすぐに吹奏楽部に入って、小学校の後半からはセクションが打楽器に移るんですけど。やっぱ小学校でタイコ叩ける人って、中学校とかではバンドで重宝されるというか(笑)。バンドを組むとかってことは当時はほんとに興味なかったんですけど、でも、できるからやれば?みたいなことで、いろんなバンドのサポートをやることが多くなっていって。そんな感じで音好きが集まってあれこれ演奏する形でバンドに参加してたのが、学生時代ですね」

■そもそもピアノを辞めるタイミングで、音楽を辞めようとは思わなかったんですね。

「姉がやってたっていうのが大きいです。姉の影響でなんとなくやってたっていうか、子供の頃だったんで、周りの流れでやってたところはあったと思います。でも、その小学校の時の吹奏楽部がマーチングバンドだったんですけど、入ったところがたまたま強豪校で。小学校の時はどっぷりそれだけだったっていうか、他の思い出があんまりないくらい土日も含めて毎日練習で。なんか、そこで厳しいことも当たり前に思えたというか」

■それが苦じゃなかったんですね。

「……いや、だぶん苦だったとは思います(笑)。ただ、基本的に部活では勝ち上がれれば県大会、関東大会、全国大会っていう順に行けるんですけど、1年を通して基本的に4曲くらいしかやらないんです」

■課題曲をやっていくんですよね。

「そうそう。だからちょっと途中でブラッシュアップされたりはするんですけど、基本的には同じなんです。で、先生から楽譜を渡された後、最初にその年のバンドメンバーより早く覚えて叩けるようになったり、そこで褒められるのがなんか嬉しかったのは凄いあって。それは凄くガソリンになってたかな――で、ちゃんと音楽をやろうと思ったのはヒップホップとの出会いがすべてですね。それまではクラシックとかいわゆるJ-POPと言われるものだったり、結構スタンダードなロックを演奏することが多かったんで。ドラムだけでラップしてるとか、サンプリングで一小節をひたすらループしてるところでシンガーが歌ってたりとか、そういうヒップホップとかR&Bとの出会いが僕の中では衝撃的で。今までなんとなくやってきたことの全部が覆されたジャンルだったんですよね」

(続きは本誌をチェック!)

text by黒田隆太朗

『MUSICA4月号 Vol.132』