Posted on 2018.05.23 by MUSICA編集部

4枚目のアルバムにして遂に初の表紙巻頭取材!
2010年代ロックのダイナミズムを残しながら、
2020年代スタンダードへと向けたラジカリズム満載の
THE ORAL CIGARETTES『Kisses and Kills』を大特集!

今回のデモを出して、正直みんなが表現できるのか不安だった。
4人でというか、オーラルとして表現できるのかって。でも結果、
今回のアルバム作って「俺、もう甘えられる」って思ったんです、
自分を含めたこのTHE ORAL CIGARETTESという4人に。
怖いものが今はあまりなくなった。より本質の部分に迫ろうとしてる

『MUSICA6月号 Vol.134』より引用

 

#Interview1 THE ORAL CIGARETTES

 

(前略)

■前作『UNOFFICIAL』はざっくり言うと、新しいスタンダードを作りたいっていうお題目があったよね。今回に関しては何があったの?

山中「『UNOFFICIAL』で新しいスタンダードを見せてたんで、そこをもう一度なぞるのも絶対違う話だなって思ってたから、自分でもびっくりする作品を作れることが目標になったっすかね。自分がびっくりできて、なおかつそこには『UNOFFICIAL』でみんなが感じたようなものもしっかり感じれるっていう作品。そのために具体的に今までやったことないようなことに挑戦して――たとえば音楽だけじゃないもの作りとか、そういうことをいろんなところで去年くらいから挑戦してて。そこで感じたものは溜め込んでインプットしてたんだろうなって思うんですけど、でもそのインプットしたもののアウトプットの仕方がどうにもわからなくて」

(中略)

■そのアウトプットの仕方もわからなかったところから、落としどころが見つかったのはなんでだったの?

山中「気抜いた瞬間だった(笑)。ずっと気張ってたのかもしれなくて。曲作り始まってからもずっと気張ってて。1月の中旬くらいに曲ができてもボツ、できてもボツ……っていうのが続き過ぎて自分でも嫌になっちゃって、スタッフには申し訳ないけど、本当にアルバム諦めようって思ったんですよ。で、もう寝ようと思って(笑)。その瞬間にスイッチ全部切れたのが自分の中でもなんとなくわかったんですけど…………Twitterに俺いろいろ書いてたよな(笑)。もう終わりですみたいなことばかり」

中西「めっちゃ書いてた。できてくる曲全部クソや、みたいな呟きばっか」

全員「はははははは」

鈴木「でも、その2~3時間後くらいの朝5~6時くらいに、凄い降ってきた!みたいな。いきなり凄く切り替えてて(笑)」

中西「何があってん(笑)」

山中「諦めてベッド入った瞬間に頭の中が凄いことになってきて、ヤバい!ってなって。そこからですね」

■その頃、他のメンバーはどういうふうに見ていたんですか。

あきら「見守ってましたね。『大丈夫? できてないならメシでも行く?』みたいな(笑)。でも結局飯に行く時間ももったいなっていうくらい気を張ってて、『もうちょっと考えるわ』みたいになって。なるほど、じゃあもうちょっとそっとしておこうと思いながら、あとはTwitterを見るっていう(笑)。ひとりにさせるのがいいかなって僕は思ってました」

中西「僕はいい意味でもそれが拓也やなって思ってたんで(笑)。見守るしかないし、それこそ自分のスタンスはそんなに変わらず、前に拓也はこういうのをずっと楽屋で聴いてたなっていうジャンルを、別のアーティストで探って聴いてみよう!ってフォルダ入れたりとかして。全然違うジャンルのJ-POPとかのリミックスヴァージョンを聴いて、こういうEDMっぽいの使えるかな?ってずっとチェックして貯めていきつつ、自分は自分でDTMの技術や知識も上げていったほうが作業が速くなったりするかなって思ったり。ループ素材使いながら曲作ってみたりして、クリスマスっぽいのができたから、拓也に聴かせてみたりとか(笑)。トラックの使い方とかシステムの使い方を勉強していたというか、普段ももちろんやってたんですけど、そうやって出陣の準備をしてるっていう日常でしたね」

(続きは本誌をチェック!)

text by鹿野 淳

 

#Interview 2 山中拓也 ライフストーリーインタビュー

 

(前略)

■当時、拓也が住んでたタイはどういう感じだったの。

「俺らが住んでたところはマンションから出たらまずお金をせがまれるんですよ。タイの中でも日本人が多い場所だったんで、日本人目当てに貧しい人達がお金をせがみに来るっていう……中には片腕ない人とかも平気でいたし。あの頃の俺がどういう目でその人達を見てたのかまでは覚えてないんですけど、映像としては今も自分の中に残ってますね。あと、公園に普通にめっちゃデッカい蛇がいたりとか」

■え!

「後ろに木があるようなところでブランコ乗ったら、もの凄い太い蛇がピシャーッて出てきて、ヤバい!みたいなことが日常茶飯事で。そういう刺激的な景色も多かったような記憶があります。で、小学校1年生が始まるタイミングで奈良に帰ってきたんですけど、その時にタイに行く前に同じ幼稚園に通ってた子達と久々に再会できて、嬉しくて」

■その中のひとりがシゲだったんですよね?

「そうですね、シゲもそうでしたね」

■その頃の拓也はどんな子供だったんですか?

「いや、もう泣き虫以外ないですよ、マジで」

■まだ泣き虫時代なのか(笑)。それはいつまで続くの?

「小2で親父に髪の毛を剃られるまで、ですね。当時、女の子みたいな丸い髪形してたんですよ。そしたら親父が『そんな髪形してるから男になられへんねん!』って言い出して、バリカンで超スポーツ刈りにされて」

■面白い話だな。その髪形は自分では気に入ってたの?

「まぁまぁ可愛いなって思ってましたね(笑)。めっちゃ髪の毛サラサラやったんですよ! それでよく髪が綺麗、髪が綺麗って言われて、それが嬉しくて伸ばしてたんやと思うんですけど(笑)。で、親父に剃られてめっちゃ泣きましたね。めっちゃ泣いて、でもその次の日から性格ガラッと変わって、いきなりケンカし始めて(笑)。いきなり同級生とケンカするようになって、そこからは泣かずにケンカばっかりするようなりました」

■髪の毛を剃ったことで性格矯正されたんだ?

「きっと、剃ったことで強くなった気がしたんだと思うんすよね。実際はケンカ弱いから負けるんですけど(笑)。でも気持ちだけは凄い男っぽくなった瞬間でしたね。ケンカの練習とかしてましたもん、同級生と。なんか強くあらなきゃ!って思うようになったというか。男は強くてナンボや!みたいなことを、その当時よく一緒にいた子としゃべってて。で、そいつと『おい、今日もケンカやろうや!』みたいな(笑)。……でも、そこで自分の中の負けず嫌いみたいな部分、絶対負けたくないって気持ちは凄く生まれた気がする」

(続きは本誌をチェック!)

text by鹿野 淳

『MUSICA6月号 Vol.134』