Posted on 2018.08.26 by MUSICA編集部

J-POPと2010年代的なるバンドドラマツルギーの再定義、
そして新時代のバンドポップの衝動と感動曲線の在り方――
両A面シングル『ファンファーレ/春夏秋冬』とともに、
sumikaが笑顔で担うものを改めて語り合う!

 

撮影=ヤオタケシ

 

“春夏秋冬”で悩んだ時も
「仲間とバンド始めた時の気持ちに戻れってことなんだ」
と思えたし、俺は片岡健太なだけじゃなくてsumikaなんだから、
ここはバンドで答えを出すターンなんだって思ったんです

『MUSICA9月号 Vol.137』より引用

 

(前略)

片岡「この5年、無意識的にライヴのことを考えながら曲を作ることがほとんどだったんですけど――たとえばsumikaをカラオケで歌ったら、意外とひとりで歌ったら成立しない曲が多いなってわかるんです(笑)。何故ならばバンドとライヴがイメージの中心にあるからなんですね。でも今回は『君の膵臓をたべたい』の書き下ろしなので、いい意味であまりライヴを意識しないで臨めたんですよ。ここ1、2年間でいろいろなことをやらせていただく中で、sumikaらしいタイアップとの向き合い方ってなんなんだろうな?と考えることもあったんですけど、バンドのメンバーだけだとsumikaは不完全だっていうのと一緒で、その都度、余白に意味を見出して、その余白をどう埋めるかを楽しむっていうことだと思ったんです。そこにある余白はマイナスじゃなくてポジティヴなスペースなんですよっていう。だから今回に関して言えば、sumikaの“春夏秋冬”じゃなくて、『君の膵臓をたべたい』の“春夏秋冬”を作るのがsumikaらしさだと思った。だからいい意味でライヴを意識していない作品なんだと思いますね」

(略)

荒井「そうだね。もちろん聴かせるタイプの曲はこれまでにもありましたけど、初期は特にストレートなバンドサウンドでやってきて。そこで、全国の劇場で公開される映画の最後に流れる曲っていう立ち位置でのタイアップとなると……今までは『ずっとバンドでやってきたし、本業でポップスをやってきた人のドラムと自分のドラムにはどこか違う部分があるんだろうな』っていうコンプレックス的なものを抱えていた気がしていて。バンドとして当たっていく“ファンファーレ”みたいなアプローチが正解の場合もあるけれど、初めてここでそのコンプレックスや課題と向き合って、“春夏秋冬”ではリズムでそこを脱却しないといけないと思ったんですよ。映画のストーリー性を踏まえて音楽を作るのもタイアップのひとつの意義ですけど、それと同様に、その映画が上映されるフィールドにふさわしいドラムを叩けなければ、『君の膵臓をたべたい』に関わらせてもらった以上、ちょっと無責任になってしまうんじゃないかって思った部分があって」

■バンドやポップスがどうあるべきかにこだわってる場合じゃなかったと。

荒井「そうですね。自分が何も知らないで映画館にいたとして、『この曲はsumika っていうバンドがやってるんだ』っていうよりも、『この音楽は聴き心地よく入ってくる』って思えるリズムにしたいと思ってました。そして、それがしっかりできたっていう手応えがある曲ですね」

■今の話も含めて、今までの中で一番聴き手を選ばない曲になったんじゃないかなって思うんですけど。それに、ソングライティングに対する執念を一聴した瞬間にガシッと感じました。割と転調を技として使うバンドだとお見受けしてますし、えげつない転調も割とあるじゃないですか。

片岡「はははははははははは、はい。割と」

■たぶん、そのえげつなさがバンド音楽のダイナミズムを表すからこそ敢えてえげつなく響かせていると思うんだけど。その中で今回は非常にしなやかな転調をしているし、そこにも執念を感じて。さっきの歌詞の話もそうだけど、やっぱりひとつここで打ち立てたい気持ちもあったんですか。

片岡「そうですね。作品自体のお話をいただいたのはもう1年前で、その時点で小説はベストセラーでしたし、実写版も評判になってて。だから劇場アニメ版を作ることが決まった時からこの作品が注目されないわけがないなって思ったし、その主題歌を担当するとなったら、そりゃ大ごとじゃないですか。そのチャンスでちゃんと打てる姿勢でいたか、バット握ってバッターボックスに立てていたかっていうことを問われる機会だと思ったので。歌詞や曲の作り方、それこそ転調やアレンジの積み方、コーラス……今までこれで勝ってきたっていう必勝パターンを全部入れましたね」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA9月号 Vol.137』