Posted on 2019.01.28 by MUSICA編集部

大胆かつエキサイティングに未知なる挑戦へと踏み出し、
ジャンルでも時代性でもなく星野源の音楽を革新することで
そのすべてを更新した鮮烈な大傑作『POP VIRUS』。
その核と背景を、アルバム楽曲解説と共に深く紐解く!

 

撮影=佐藤航嗣

「この世はもうどうしようもないな」みたいな感じがどんどん強くなってきて。
でも、僕が星野源として世の中に残していきたいのはクソではなく、
クソみたいな世の中にある愛なんだなって

『MUSICA1月号 Vol.141』より引用

(前略)

■もちろん『YELLOW DANCER』というアルバムもご自分にとって凄く新しい挑戦だったと思うんですけど、今回の『POP VIRUS』で踏み込んだ新しさっていうのは、それとはまた違うレベルのものだという気がしていて。今回のアルバムには明確に近年のベースミュージックやトラップ以降のビートや構造が聴こえてくるんだけど、つまり今の世界で現在進行形でどんどん更新されていっているポップミュージックの革新、つまり誰にとっても未知の領域にある挑戦が行われているし、それが果たされていて。ご自分的にはそういう部分は意識したんですか。

「世界の流行みたいなものとか、日々更新していくトレンドみたいなものに挑戦しようとか追いつこうみたいな気持ちは、ほとんどないですね。ただ、この感覚は『今』なんだっていうのは凄くわかるし、その『今』をやるんだっていう気持ちは凄くあって。で、それは世界にとっての今の音楽っていうことではなく、日本にとっての今をやるんだっていうこと――日本の音楽シーンの今の流行をっていうことではなく、日本の今の空気をやるんだっていう意味なんです。その気持ちは凄く強くあって」

■はい。

「だからどちらかというと、ただ自分の好きなものをやる、そして今自分の好きなものは、今自分が表現したいものとの親和性が高いぞっていう、その一点っていう感じです。自分が今この音楽すげえ好きだなとか、こういう音すげえいいなとか、これヤベえなって思うものには共通するものがあって、その共通するものの中で、これは自分のフィルターをしっかり通せるだろうって思う音楽、これはちゃんと自分のモノとして表現できるのではないかって思う音楽をやっていった……っていう感じ。だから“恋”とか“肌”とか“Continues”とかを『YELLOW DANCER』の流れで考えてくれる人も多いとは思うんですけど、自分の中ではこのアルバムの根底にある共通項を持った曲としてここに選んでるんですよね」

■その共通項っていうのをあえて言葉にすると?

「もの凄く簡単に言っちゃうとブラックミュージックっていうことになってくるんですけど、ただ、たとえばソウルにしても、60年代末から70年代初めの頃の感じとか、ネオソウルの感じとか、2017年頃の感じとか、いろいろあるじゃないですか。ベースミュージックにしても、ひと口にベースミュージックって言ってもその中にはフューチャーベースもあればトラップもあればドラムンベースもあれば、みたいにいろんな種類があるし。しかもその周りにはさらに大きいヒップホップっていうものがあって、で、ヒップホップとソウルの周りにはもっと広くR&Bみたいなものがあって、さらにそこを辿ればジャズとかブルースがあって……みたいな」

■言ってみれば、単純なマトリョーシカじゃなくて、巨大なマトリョーシカの中に複数のマトリョーシカが入ってるみたいな感じだよね。カパッと開けたら単にひと回り小さな人形があるっていうんじゃなく、カパッと開けたところにもう2体も3体も入ってて、その2体、3体を開けたらまたそれぞれの中に複数入ってる、みたいな。大きな流れの中で様々なサブジャンルが入れ子構造で発展してきているというか。

「そうそうそう。で、そこには根底に何か共通項があるんですよね。だから今のトレンド云々ではなく、自分が好きなものの大きな流れの中に通底している自分が感じる共通項みたいなものを、ちゃんとアルバムとして表現したいなと思って」

(中略)

■お話を聞いていると、ご自分の心に合うということと共に、「日本の今の空気に合う」というのがポイントとしてあったということですけど。そうなった時に、ベースミュージックが今のこの国に合うと感じたのは、どんな根拠というか、どんなところにビビッと来たからなんですか。

「これはちょっと批判になっちゃうかもしれないんですけど、ほんとに日本って悪い意味でグチャグチャだと思うんですよね、音楽の聴かれ方とかリテラシーとかファン層が。音楽番組を観ててもそういう感じがあると思うんです。多様性があっていいねっていうことじゃなく、みんながその違いをあんまり受け取れていないままどんどん垂れ流されてる感じというか。観てる側が『このジャンルで来たな、いいな』って感じられてない、全部が同じように受け取られてるんだけど中身はグチャグチャ、みたいな。その感じが僕は凄く気持ち悪いなって思ってて」

■この号のKing Gnuの常田大希くんのインタヴューで、自分がどんな意図でどんな音楽的エッセンスを入れ込んでも結局みんな受け取られ方が一緒というか、やっぱりそこしか聴いてないんだっていう感覚の受け取られ方をしてしまうっていう話があったんだけど、その側面はありますよね。

「そう。音楽をそのままの音楽として受け取れる人ってこの国にいるのかな?って感じる。絶望的な気持ちになる。でも、そうなっていく要因のひとつとしては、海外の流行を日本の作り手側が表面的な引用しかしていないからっていうのがあると感じてて。たとえばフューチャーベース的な音って今の日本でも世間的に鳴ってると思うんだけど、やっぱり世界的に流行ってるものの後追いでしかないというか、表層的にしか取り入れてないものがあまりに多いなと思うし。海外のムーヴメントを日本でも起こすのだ!っていう気概はとても素敵だと思うけど、でも表面のジャンル感だけ真似るんじゃなくて日本人として発信しないとつまらないし、それって日本の空気じゃないよなって思う。でも、俺はフューチャーベース含め、海外のベースミュージック、ビートミュージックの本物達が大好きだし、しかもその感覚を自分の音楽、自分の心の感覚と絶対に合うはず!っていう確信があったから。その確信の下、どうやったら海外の真似ごとではない、これが今の日本の空気に絶対に合うんだっていうものにできるのかっていう挑戦をしていった感じかな。だから今回は、ビートはもちろん、ノイズをなるべく丁寧に出したいなっていう気持ちがあって。“Pop Virus”とかのビャーッていうノイズも含め、あとはヂリヂリヂリヂリって微かに聴こえるノイズとか、サーッていう音とか」

■グリッチノイズ的なものも多用されてますもんね。ローが鳴った時に発生する微かなノイズみたいなのも大事にされてるし。

「そうですね。そういうものが今の日本の空気感だと思ったんですよね。もちろん、自分が好きだっていうのが一番ではあるんだけど」

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA1月号 Vol.141』