Posted on 2013.06.13 by MUSICA編集部

[Champagne]、大いなる野望と夢を詰め込んだ渾身の1枚
勝負を決す『Me No Do Karate.』
初のメンバー全員ソロインタヴュー
―川上洋平―

弱さなんて見せたくないんですよ、俺は。
ロックバンドは絶対にカッコつけるべきだと思ってて。
もちろん俺にも弱さはあるけど、弱さじゃなくて、強さを出したい。
俺にとってのロックバンドはそういうものなんです

『MUSICA 7月号 Vol.75』P24に掲載

(インタヴュー途中より抜粋)
■(笑)。このアルバムを聴いてひとつ思ったことがあって。今、ロックって難しい時代じゃないですか。ロックというものがクールな時代はかつて確かにあったんだけど、2013年の今、ロックというのは決してクールな存在ではない。それは日本だけじゃなく、世界的に見てもそうで。そんな中で、 [Champagne]は真っ向からカッコよくてエキサイティングなロックバンドであろうとしてるし、そういう作品を作ったと思う。

「ああ、ありがとうございます」

■自分でもそういう意識はあるの?

「それはありますね。ウチらがやってることって、コード的には使い古されたものなのかもしれないし、使ってる楽器もこれまで散々使われてきたものかもしれないけど、でも、俺はやっぱりそのシンプルさに憧れるんですよね。『音楽の理論とかわからなくても俺達カッケー、以上!でいいじゃん』みたいな気持ちもあるし。そういう、ある種の反骨精神みたいなものを持って堂々とデカい音でいいメロディをかき鳴らすのが[Champagne]なんだっていうのは、やっぱりずっと思ってることなんです。だから、要は自分達の中にあるものが凄くシンプルなんでしょうね。カッコいいものになりたい、世界一になりたい、超有名になりたい、超金持ちになりたいっていう――こんな発言、今の世の中的にはクールじゃないかもしれないですけど、俺はそれが最高にクールなことだと思ってるし、結局そこにたどり着くんですよ」

(続きは本誌をチェック!)

text by 有泉智子

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Posted on 2013.05.20 by MUSICA編集部

さめざめ、すべてをここに告白す

さめざめ、
告白。
「子宮頸がんにかかり、
手術を受けました。
すべてをここに
語ります」

『MUSICA 6月号 Vol.74』P68に掲載

 今回の取材はリリースに合わせたものではない。逆に「リリースもあるので(5月15日に新曲を混ぜ、インディーズ時代の代表作を集めた『さめざめ問題集』がドロップされます)」、そこも合わせて大事な報告をするために取材をしたものだ。
 今年のまだ冬が明けぬ中、さめざめこと笛田さおりが「子宮頸がん」にかかったことを知った。まだその時は術前だったので、初期のものであることを知らされても大きな不安もあったし、彼女自身も動揺しているとのことで、ただただ待つしかなかったが、手術が無事に終了し、インタヴュー中にあるようにほぼ完全に再発の心配がなくなった今、むしろこのことを多くの人に知ってもらいたいという彼女の意志をもって、ここに告白の機会を設けることになった。
 表現と人生というのは似て非なるもので、さめざめの性的なダイレクトな表現、エキセントリックな感情表現をそのまま笛田が体現しているかといえば、そういうものではない。しかし、彼女のスキャンダラスな音楽から考えると、今回の子宮頸がんという病は好奇の目で見られてしまうものである。そのことが彼女自身のパーソナリティとしても、そして子宮頸がんという病としても大きな誤解を孕んだものだからこそ、敢えてここですべてを告白しようと笛田自身が決めたものであることを承知の上で読んで欲しい。

■話を聞いて本当にびっくりしました。

「はい(苦笑)…………」

■最初はなんて言ったらいいかわかんなかったんですが、子宮頸がんになられて、もう手術も終えたというふうに聞いてます。今はどういう状態なんですか?

「今は手術をして約2週間くらい経っているので、一応自宅療養中というかたちで。今日がそれから初めてのお仕事なんです。しばらくは、スタジオ練習とかレコーディングとか表立ったことはお休みさせていただいています。手術後は腹筋とかは使わないほうがいいと言われたので、あんまり変にヴォイストレーニングとか走ったりとかはしないで、本当に普通の生活を送ってます」

■なかなか訊きづらい話ですけど、どのくらいの時期からどんな感じになったんですか?

「今年の1月の始めに体調を結構崩していまして。私は子宮頸がんのゼロ期にかかったんですけど、ゼロ期の時って普通は症状がまったくないらしいんですね。なんですけど、たまたま私が、不正出血と言って出血をしないはずの時期に出血をすることが初めてあったので、不安になってすぐに行きつけのクリニックに行って看てもらったんです。その時に婦人科の先生が、せっかく来てもらったので子宮頸がんとかの病気になっていないか検査をしてみましょう、っておっしゃったので検査をしてもらいました。それで1週間後に凄い軽い気持ちで行ったら、『もしかしたらがんの疑いがあるかもしれないので、がん専門の病院を紹介します』と言われて……それで、がんの専門の病院でまた検査をしてもらいに行きました。その結果子宮頸がんだという診断を受けて」

■この国でも、多くの女性が煩ってる病気だと聞いてますが、とてもナーヴァスな部分のがんですから、いろんなことを考えたと思うんですよね。

「そうですね……私自身、この病気のことを詳しく知るまでは、どうしてこの病気になるかっていうこともまったく知らなかったんです。ただ、今は20代、30代で最もなりやすい病気であって、私自身も子宮頸がんの検診を無料で受けられるクーポンを貰っていたのにもかかわらず、忙しいからって、行きたいと思っていながら行ってなかったんですよね。そんな中、インターネットとかでいろいろ調べたら、いろんな情報が飛び交っていて。そこには、どうしても偏見を持たれるイメージの病気とあったりもして。自分も、『子宮頸がん』という病名だけを重く捉えてしまったんですけど、この病気は女性だったらなる可能性が全然普通にある病気なんだ、ということに気づいたんです」

(続きは本誌をチェック!)

text by 鹿野 淳

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Posted on 2013.05.19 by MUSICA編集部

米津玄師、強く美しい名曲“サンタマリア”に込めた覚悟とは

前に進むために、生きていくために。
「人は絶対にわかり合うことができない」
という残酷な真理と諦めを振り払い、
ただ、その心の奥底に秘めた切なる願いを露にした
強く美しい大名曲“サンタマリア”。
大きなターニングポイントとなる
この圧倒的な光の正体に
1年ぶりのインタヴューで迫る

『MUSICA 6月号 Vol.74』P62に掲載

■初めてのインタヴューからちょうど1年ぶり、つまりアルバム『diorama』をリリースしてから1年が経ちましたね。

「そうですね、お久しぶりです(笑)」

■はい、とても待ってました(笑)。で、その待ち望んだ新曲である“サンタマリア”を聴いて凄く感動しまして。音楽的にも内容的にも明らかにターニングポイントとなる新境地を切り開いた、非常に強く美しい楽曲で。今日は何故この曲を生み出せたのかをじっくり訊いていきます。

「よろしくお願いします」

■まずは、昨年、初めて米津玄師として自分の声で歌い鳴らした『diorama』という作品が世の中に出て、いろんな反響があったと思うんですけど、そこでどんなことを感じたのかから伺えますか。

「うーん……出す前はきっと賛否両論があるだろうと思ったんですけど、結構そんなこともなく、すんなり受け入れられた感があって。ちょっと拍子抜けするようなところもあったんですよね」

■その「否」はどこから出てくると思ってたの?

「単純な話、僕の声が気に入らない人も絶対にいるだろうなとは思ってたんですよ。でも、ぼちぼちはいたんですけど、その声はそんなに大きくなくて。だから正直、そういう意味では取り立てて変化はなかったんですけど………ただ、そういうこととは関係なく、自分の中ではもの凄く葛藤があった1年ではあったんですよね。『diorama』を作った後、次に何を作ろう?って考えた時に、そんなにやることが思い浮かばなくて。どうしようかなぁって考えながら、いろんなことを見たり体験したりする生活を送ってたんですけど……僕は基本的に普遍的なものが好きなんですよね。凄いポップなもの、開かれたものが好きで。だからこそ、次は自分もそういうものを作らなきゃいけないと思って。今まで全部自分ひとりでやってきたけど、それも変えたいと思ったし………というのは結局、自分ひとりで作ってきたのも、どこかラクだからっていうニュアンスが強くて」

■要するに、米津くんにとっては人とコミュニケーションを取りながら音楽を作るよりも、ひとりで作るほうがラクだし自分の頭の中を具現化しやすいってことですよね。

「そう。でも、そのラクなところに止まっていると、ずっとそのままだなと思ったんです。そういう閉鎖的な考え方って凄い下品だし、健康的ではないなと思って………だから開いていかなければいけない、もっと自分がやれることを見つめ直さなければならないっていうことを、凄く考えてましたね。それで作ったのが“サンタマリア”で」

■「ずっとこのままではよくない」と思ったのは、そうしないとミュージシャンとしてこれ以上成長できないと思ったからなのか、それとももっと人間的な部分というか、生き方の部分でそう感じたのか、その辺はどうなんですか?

「人間的な部分ですね。『diorama』出した後、どんどん自分に厳しくなっていったんですよ。とにかく『このままじゃいけない』っていう焦燥感がもの凄くあって………前に進まなければならない、変わらなければならないっていうのが強くて」

■何故そんなにも焦燥感が出てきたの?

「何故かはわからないんですけど(笑)。でも、とにかく自分を厳しく律して自分の至らなさを挽回することに必死だったっていうか……まぁ今もそうなんですけど。だから、そのために自分に対していろんな枷(かせ)を設けたりして」

■たとえばどんなことを?

「単純な話、この日までに何曲作るとか、あるいは少なくとも毎日1時間走るとか」

■走る?

「はい(笑)。まず身体的に健康になろうって思ったんですよね。やっぱり心と体って対をなしている、表裏一体なものであるわけだから、どっちかが悪くなればもう片方も悪くなる。肉体的に健康でない状態は、絶対に心にも影響するもので。そのバランスが欠けた状態で生きていたツケみたいなものを感じていて………だから今は、外に出て走ったり、いろんな人と話したり、バランスを取り戻すための日々を過ごしているんですけど」

(続きは本誌をチェック!)

text by 有泉智子

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