Posted on 2019.02.12 by MUSICA編集部

新たな流れの中でブレイクスルーを遂げたあいみょんが
完璧なタイミングで放つ完璧な新・国民的ポップスの宝箱
セカンドアルバム『瞬間的シックスセンス』。
その第六感は彼女をさらに揺るぎない場所へ昇らせる

撮影=関 信行

世の中には同じコード進行の名曲っていっぱいあるじゃないですか。
ということは、そこは言葉とメロディセンスで
違うものにできると思うんですよ。その可能性のほうに賭けたい

『MUSICA2月号 Vol.142』より引用

(前略)

■Reebok CLASSICとのコラボ楽曲である“GOOD NIGHT BABY”はモダンなヒップホップのフィーリングとフォークや王道のJ-POPの混ざり方があいみょんならではの楽曲だなと思ったんですけど。

「これは浜省(浜田省吾)をめっちゃ意識しちゃった(笑)。別に誰にも言ってなかったんですけど、最近お母さんから『お父さんが急にギターを取り出して“GOOD NIGHT BABY”を弾き語りしてます』ってメールが来て。『なんで?』って訊いたら、『この曲は浜省を意識してると思うって言ってる』って言われて、お父さんにはわかったんや!と思って。……私の中で王道のJ-POPって正義に近いというか、日本人は絶対みんな歌謡曲が好きなんですよ。みんなその血が入ってると思う。で、私もそこに入り込みたいと思うので、だから王道のJ-POPは私の中で正義やし、作り続けたいんですけど、その中でもちろん自分らしさと新しさっていうのは凄い大事にしてて。やっぱりザ・歌謡曲は絶対やっちゃダメなんですよね。それやったら歌謡曲を聴けばいいってなっちゃうと思うので。歌謡曲を土台にしつつも新しさを注ぎ込めたらいいなっていうのは思いますね」

■たとえばサウンドメイクの部分でも、現代的なサウンドプロダクションが意識された曲があいみょんのディスコグラフィには点在してますけど、そういうのも自分の音楽をザ・歌謡曲から新しい今を映すものにしていくひとつの手法として捉えているのか、それともやっぱり、あいみょんにとっては譜割りだったり言葉だったりでそこに挑んでいる感覚が強いのか、その辺はどうなんですか?

「後者ですね。あんまりサウンドメイクのほうは研究しないですね。やっぱり私は歌詞とか譜割りとかメロディを追求したいし、そこに対してはもっとできる、もっとできるって考えてることが多いです。もちろん自然に生まれるものを作るんですけど、もうちょっとここはこうしたほうがよくなるのかなとか、そういうのは考えるようになりました」

■実際あいみょんの曲って譜割りが面白いというか、そこに確かな個性がありますよね。あいみょんの歌のルーツにはフォークと歌謡曲があるし、さっきの話からもわかる通りご自分でもそこを大事にしているけど、でも譜割りと歌い方は、やっぱりヒップホップとラップがポップミュージックの真ん中になって以降の世代の感覚があって。それと言葉の感覚が、王道なのに新しい、という感覚を生んでるんだと思う。

「なんかいろんな人にそう言われるんですよ。平井堅さんにも言われました、『譜割りが難しいから歌うの難しいんだよ』って。それはたぶん、私がいい意味で音楽のことをあんまり知らへんかったり、ルールを知らないからかなと思ってて。ルールを知らない、ルールに縛られないことって、モノ作りの中で凄くいいことやと思うんです。たとえば小さい子にこの粘土で好きにしなさいって渡すと、凄いじゃないですか。大人だったらその粘土で何かを作るけど、子供の場合は壁に貼ったり、食べちゃったりする。ルールを無視するっていうのはモノ作りの場では絶対に大事なことというか、私の中ではルールはないほうがいいと思ってるので」

■でも、これだけ曲を作っていると、自分の中で勝手にルールみたいなものが生まれてきたりはしませんか。それは意識して壊してるの?

「うーん……なんか、前のほうがルールみたいなもの作ってましたね。でも今は自分の中で音楽制作に関してのルールっていうのはあんまりない。ほんまに自由にやるっていうことぐらいです。私そもそも、この音が来たら絶対にこっちに来たほうがいいとか、そういうのはわかんないんですよ。このコードが来た後はこのコードで成り立つとかも全然わからないんですけど、そういう音楽の基礎的なルールは知りたくないなって思ってて」

■とはいえ、自分の中でのお気に入りのコード感、悪く言えば手癖のコード感が出てきたな、みたいなことはあるんじゃないの?

「あ、それはめっちゃあります。でも、私はお気に入りのコード進行で何曲作れるかっていうのをやりたいんですよね。世の中には同じコード進行の名曲っていっぱいあるじゃないですか。ということは、そこは言葉とメロディセンスで違うものにできると思うんですよ。このアルバムの曲でも“GOOD NIGHT BABY”も“マリーゴールド”もほとんど同じコード進行やけど、私は勝負すべきはそういうところじゃないと思ってて。むしろ、同じコード進行でもこんなに可能性があるんやって思えるし、限られたコードしかない中で、しかも日本語は母音が5つしかない中で、その可能性のほうに賭けたい」

(続きは本誌をチェック!)

 text by有泉智子

『MUSICA2月号 Vol.142』

Posted on 2019.01.29 by MUSICA編集部

JQの心が解放された最高傑作が生まれた!
ストレートな自己表現、着飾ることないソウルフルな歌と、
ワールド・スタンダードなポップソングを収めた新作、
『Blank Envelope』完成! これが本物のNulbarichだ!

 

撮影=畑中清孝

たぶん僕達のライヴを観てもらったら、
どれだけ着飾ってないかがわかると思うんですよ。
俺達はどのアーティストよりもカッコつけてないと思う

『MUSICA2月号 Vol.142』より引用

(前略)

■これまでのアルバムのリリース・タイミングに敢えて意味づけをするとしたら、最初の『Guess Who?』は挨拶代わりの1枚だったと思うんです。そして2018年の『H.O.T』は凄く追い風の中で出したアルバムであり、当時はまだ公に発表していませんでしたが、武道館公演も決まっている中でリリースする作品ということもあって、勢いをどれだけモノにできるかっていう位置にあったアルバムだったのかなと。

「なるほど」

■それで言うと、この『Blank Envelope』は本当の意味で真価や実力を問われるアルバムになると思いますが、ご自身ではこの作品は何を一番意識して作っていった実感がありますか。

「何事も3代目とか3枚目って、一番ムズいって世間的には言われていると思うんですけど。僕としてはタイトル通りの1枚というか――タイトルの『Blank Envelope』って、直訳すると『空っぽの封筒』っていう意味なんですけど。これを『エンプティ』ではなく『ブランク』にしたのは、『中身がない』っていう意味ではなく、『タイトルに何もない状態』、つまり『宛名がない封筒』っていうイメージでつけたからで。宛先は考えず、とりあえず自分達のすべてを詰め込むことに集約したアルバムです。本当に、これまでで一番無心に作れたアルバムかもしれない。初期の“NEW ERA”もそうですけど、Nulbarichになってから作ったものは、『これから行くぞ』っていうようなことを歌っているものが多くて。今思うと、(自分のバンドを組むのは)初めてだったので認めてもらいたいっていう欲と、自分達のやりたいことをやりたいっていう気持ちのバランスを探すような意識が、どこかで働いていたのかなって思うんです。でも、今回は本当にそういう気持ちがゼロだった。『作りたい曲を作る』っていうマインド以外はなくしていたし、楽曲の宛先を決めなかったからこそ一番自由に書けました」

■節操のない言い方をすれば、日本の中で売れなきゃいけないっていう気持ちと、でも自分のフェチな部分も失っちゃいけないっていう、そこの天秤の図り方を凄く考えながら作ってきた方だと思うんですよね。

「日本で生まれて日本で育っているんで、普通に生きてれば自然と邦楽が耳に入ってくるじゃないですか。そういう自然と邦楽を取り込んできた自分と、好きで洋楽を聴いてきた自分っていうのがセパレートされていたんで、どっかで勝手に動くスイッチがあったのかもしれないですね。でも、自分が好きなメロディを作っていく中で、こっちのほうが気持ちいいなと思うものがJ-POPっぽいものも多かったのは事実で。その上2018年は本当にインプットが多かった1年で、ツアーも規模を上げてやらせてもらったり、単独で武道館公演をやらせてもらったり、ポッと思いつきで海外で制作させてもらったり、豊富な経験をさせてもらった1年だったので。自分の中の正解、不正解の判断が少しずつ進化している感じはしました。それで表現の幅も広がったのかなと思います。今回は音楽性の幅、ジャンル感の幅が広まって、いわゆるワールド・スタンダードの音をしっかりと取り入れていったアルバムにはなったかなと思います」

■まさに。“Toy Plane”をはじめ、トラップを取り入れたソングライティングが発揮された作品にもなっています。何故そういう制作に踏み込めたんだと思いますか。

「なんでだろうなぁ。まあトラップ要素に関しては、純粋に好きだからっていうことなんですけど。でも、敢えてやってこなかったものとかも、振り切ってちゃんとやろうよっていう気持ちはありました。それこそトラップで言うと、今まではバンドで再現する時に、これやっちゃうのはどうなんだろう?とか、懸念していた部分も結構あったんです。でも、もうバンドとトラックの表現はシームレスになってきているから。ここ避ける理由はまったくないなと」

■そういう時代ですよね。

「トラック・スタイルの人達がバンドを混ぜながらライヴをするんだから、バンドもトラップやっていいでしょ?っていう。作品としては今までよりもよりグッド・ミュージックが揃ったものになったし、みんながワーっとなっているものを想像できるものにフォーカスしていったものが多いかな」

(続きは本誌をチェック!

text by黒田隆太朗

『MUSICA2月号 Vol.142』

Posted on 2019.01.28 by MUSICA編集部

孤独に加速する焦燥と見知らぬ他者と分かち合う喜び、
見失う自分と夢を見る自分、世界への違和感と愛おしさ、
今を手放し踏み出す怖さとまだ見ぬ明日への好奇心――
新たな才能、Eve。『おとぎ』と彼の背景を解き明かす

 

居心地がいいと、そこから離れたくないじゃないですか。
だけど本当にそれでいいのか?っていうのは自分の中にあって
不安なことも多かったりするんですけど、でもこの夜を越えて明日を
迎えてみたら、自分の中に新しい感情が芽生えるかもしれないぞって

『MUSICA2月号 Vol.142』より引用

(前略)

■『文化』に収録されていた“ドラマツルギー”という曲で<ずっと僕は 何者にもなれないで>と歌っていたり、“会心劇”という曲では<“己の感情と向き合ってるのかい”/そうやって僕を取り戻すのだろう>という言葉も歌われていましたよね。そもそもの始まりとして、自分というものを取り戻したい、自分というものが何者であるのかを知りたい、あるいは何者かになりたいという気持ちが、歌い手から自分でこうやって詞曲を作って歌を歌っていくようになった大きな理由としてあったんでしょうか。

「一番最初は僕はずっとカヴァーを上げていて、そこから始まったんですけど。最初は趣味のような、友達に勧められて友達の家で機材を借りて歌って、それをネットに上げて反応がもらえるっていう、それが凄く面白くて楽しくてっていう、ほんとそれぐらいのきっかけで始まってて。それが気づいたらライヴをするようになって、気づいたら同人でCDを出すようになって………始めた頃は自分がそんなことするなんてまったく思ってもなかったことだったんですけど、でも、それはそれで凄く楽しかったんですよね。で、何人かで集まってライヴをするようになっていった中で、2年前かな(2016年)、ワンマンライヴをすることになって。当時はまだ曲とかあんまり作ってない頃だったので、ほとんどカヴァーでライヴをしたんですけど、その時に違和感みたいなものが凄くあったんです。お客さんが目の前にたくさんいて、しかもワンマンで、たくさんの人が自分のことを観にきていて、自分はステージで歌っていて………だけど、その時にお客さんの表情を見ながら、この人達はきっと僕の声だったり歌い方だったり、もしかしたら僕自身に対して何か興味を持ってくれて観にきてくれているけど、でもカヴァーって要は他人の曲なので、僕は他人の言葉を借りて自分の声に乗せて歌っているだけなわけで………それをステージで歌ってる時になんか凄く違和感があって、それがどんどん強くなって」

■その違和感の正体はなんだったんだと思いますか。

「この人達はきっと僕の声も含めて外側というか、そういう部分を好いてくれてるんだろうけど、でも僕のもっと内側の部分、僕の心の中にある、たとえばヒリヒリしたようなところは何も知らないんだよなって思って………そういう部分も知って欲しかったから(自身が作詞作曲した歌を歌うということを)始めたんだろうなって思います」

(中略)

■“僕らまだアンダーグラウンド”では<手放したんだっていいさ 最低な夜を越えようぜ/まだ見ぬ世界を潜っていける>と歌ってますけど、今いる場所を飛び出していこうという感覚がこのアルバムには強い。自分ではどうしてそういう心情になったんだろうなと思いますか?

「いろんな要素があると思うんですけど、自分の中に生まれてきている前に進もうっていうこの感覚は、一番は自分の好奇心から来ているものだなと思っていて。……今自分がいる場所って、凄く居心地がいいんですよ」

■はい。

「居心地がいいと、そこから離れたくないじゃないですか。だけど、ほんとにそれでいいのか?っていうのは自分の中にあって。……明日のことだったりもっと先のことだったりを考えてると、どうしても不安なことも多かったりするんですけど。どっちかっていうと過去のことを振り返っているほうがラク――思い出っていうのは美化されるものであるっていうことも含めて、過去を振り返るほうがきっとラクだし、きっと凄く居心地もいい。だけど、まだ明日っていうものもその先もどういうものか自分にはまったくわからないし、どういう方向に進んで行きたいかっていうことすらも自分でもわからないんですけど、ただ、この夜を越えて明日を迎えようぜって、迎えてみたら自分の中にまた新しい感情が芽生えるかもしれないぞって、それは凄く思ったし。………僕は曲を作って聴いてもらう度に、自分の中にいろんな新しい感情が生まれてるなって思うんです。曲を作ったりMVを作ったりすること、そしてそれを聴いたり観たりした人からの反応によって、自分の中にどんどんいろんな感情が入ってきて、いろんな新しい感情が生まれて……きっとそれによって、よくも悪くも自分が生まれ変わっていくんだなっていうのは強く感じてるし、そうなりたいと思う節があるんですよね」

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA2月号 Vol.142』