Posted on 2017.01.19 by MUSICA編集部

10-FEET、ありのままの人間性がそのまま昇華された
新作『ヒトリセカイ×ヒトリズム』。
確信の歌に込めた想いに迫る

もっと普通のことを題材にして、ウワァッと
血液になる曲を作るのが目標で。今はまだ割と
大きなことが題材になってるけど、誰にでもあることを
当たり前に聴かせてくれる歌を作りたい

『MUSICA 2月号 Vol.118』P.98より掲載

 

■やったね。これが10-FEETだという、しかも新しい新鮮さを感じる最高のロックアンセムができました。

「鹿野さんにそう言ってもらえるのは本当に有り難いです。ありがとうございます」

■“アンテナラスト”が過去最大のチャートアクションを起こしたんだけど、その時からこの曲はあったけど敢えて完成させなかったし、レコーディングしなかったという話があったよね。

「はい、まさにこの曲です」

■前回インタヴューした時に、ライヴで盛り上がる曲、構成が複雑な曲、いろいろあるんだけどシンプルでパーンとひとつの世界で貫く曲をどこか自分の中で待っているし、そういうものが書けたらいいって強い願いを持ちながらやっているって話をさせていただいたと思うんです。

「はい。今もその気持ちは強いですし、“ヒトリセカイ”に関しては、それができたというか、凄くストレートなんじゃないかなと思います」

■そうだね。で、前回リリースした“アンテナラスト”は3年10ヵ月ぶりだったんだけど、その時から頭の中にはあった曲なんですか?

「そうですね、リリースが長引いた中で唯一長いことトライしていた曲ですね。サビのちょっとだけ形が違うやつ3パターンくらいトライして作っていたんですけどね」

■どういう曲を作りたいなって思って浮かんできた曲なんですか?

「あの時はもう………腹が据わっていた感じがしますね。うまく言えないけど、この曲が自分の中でカッコよくて激しくて気持ちいいのは確かやっていうのがずっとあって。……ただ、そう思える表現、自分にとって熱くてカッコよくて気持ちいいって純粋に思える表現っていうのは何パターンか方法があるんですけど、それを揃えることだけで10-FEETやっているわけじゃないじゃないですか。もうひと味、ふた味足す難しさを達成していくのが10-FEETやと思ってたから。でも、この曲にふた味とか足してったら、生まれてきた主旨が変わってきてしまうんちゃうかな?って考える部分があって、ずっと悩んで時が過ぎていきました」

■この“ヒトリセカイ”って、とても荒削りなフリをしているけど、実はとても丁寧な曲ですよね。Aメロとサビを聴くと、繋がらなそうな感じがするんだけど、そこを見事なBメロが繋いで素晴らしく通りのいい曲にしたり。あまりたくさんのリフとか展開を入れ込んでないんですけど、それはきっといろいろ試して1周考えられた上での「この曲はこのシンプルな強さでいいんだ」的な確信が見えて、凄く丁寧な曲だと思ったんです。

「あぁ、そう感じてもらえるのは、きっとこの曲にとって幸せなことだと思います。元々はギターを弾きながらバラードっぽく弾き語ってから入る曲やったんですけど、Aメロをバラードっぽく歌って、サビをジャカジャカ弾く曲に変化したんですよね。それは“アンテナラスト”からの流れもあって、あれあの曲もちょっとバラードアカペラから入ったりしてたじゃないですか? それと似ている感じになるのももったいないし、よりこの曲に似合うイントロ探しをして、こういう割と正攻法の曲になったんですよね」

■TAKUMAの作る曲には弾き語りにできそうな曲もあれば、バンドで初めて成立するロックンロールもあれば、いわゆる現代ミクスチャーロックな複雑な展開が含まれている曲もあるじゃない? その上で、今こういうメロディが最も強いロックソングになったのはどういう理由なんですか?

「……あくまでその曲のいいところを聴いてもらうのが目的なので、曲の原型というか、この曲が持っているいいところを、いいとこ分だけ全部聴いて欲しいっていう想いはずっと強いんですね。で、この曲の場合、それがメロディだったのかなあ?」

■“アンテナラスト”の前にシングルになり得る曲があったけど、でも久しぶりのタイミングで敢えてああいうシリアス曲にしたっていう話で、この“ヒトリセカイ”がまさにその曲なんですよね?

「(頷く)」

■なのでもっとスカっとして、お得意のスカやダブだったりが入っているんだと思っていたらm、そうしたらこれだけ凄くシンプルで、しかも歌を聴かせる曲だったから。意外だったんですよね。

「これができた時、ほんまにカッコいいなって思ったんですけど、だいぶ前だったんでよくわかんなくなってたんですよ(笑)。そういうもんですよね?」

■いや、そういうもんじゃないでしょ(笑)。

「ははははははは! 楽曲って、できた時に凄いのできたって思ってそれをアレンジしてまたカッコよくなって、そこでいよいよレコーディングになるじゃないですか。もうね、そこまでも何回もトライして、何回も聴く頃に、やや嫌いになるんですよ。これ、冗談でも逃げでもなくホンマの話なんです。で、レコーディングが終わった頃ってもうその曲が大嫌いになるぐらい聴いてて、新鮮さを失うんですよね。それでトラックダウンのダウン作業が終わった頃に、達成感からなのかな? 『いやぁ、やっぱりいいな』、『いい曲ですね』なんて言い合いながらマスタリングでちょっと音が変わってちょっとだけ新鮮さを取り戻して……そのへんがきっと一番よく聴こえる時期なんですけど、それを越えてマスタリングから2、3日経ったくらいが一番フラットに聴けるっていうか。で、今度ライヴでやり出したら、大抵の場合は曲が難しくて、それが慣れてきた頃にまた『あ、やっぱいい曲やな』って思えてくるってパターンが多いんです(笑)。でもね、今回は毎日くらい聴いてるんですよ、今も。……何よりそれが練習のために聴いてるのとはちゃうってことは確かで。バカみたいな答えで申し訳ないんですけど、聴きたいんですよ」

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text by鹿野 淳

『MUSICA2月号 Vol.118』

Posted on 2017.01.19 by MUSICA編集部

KEYTALK、アルバム『PARADISE』へと導く
トドメの一撃のシングル『ASTRO』リリース!
輝かしい未来への展望を紐解く

自分で聴きたい曲を作っていくっていう、
それに尽きると思うんですよね。
何が好きで何が嫌いかっていうところに素直になれれば、
いろんな楽しいを共有できるのかなって思います(小野)

『MUSICA 2月号 Vol.118』P.104より掲載

 

■本日は2016年の大晦日なんですが。KEYTALKにとって2016年はどういう1年でしたか?

小野武正(G)「とにかく曲を作りまくってライヴをしまくったんですが……でも、アルバムは出していないという(笑)。とはいえアルバム並みの曲数はシングルもカップリング含めリリースしたりしてたので、結果いい1年だったなと思いました。ひたすら2017年に向かっていった1年だったなと思います」

■具体的に3月15日にアルバム『PARADISE』のリリースが決定していますけど、そこを指標としてこの2016年進んできたってことですよね。

小野「結果、思い返すとそうですね。最初はそんなつもりはなかったんですけど、1個1個ライヴや曲作りをやっていった中で、今振り返るとこれは来年に向いていたんだなと気づいていったって感じです」

寺中友将(Vo&G)「毎年1年振り返った時に、たくさんライヴやってたくさん曲作ったなって思うんですけど、武道館ワンマンがあった2015年と、この2016年は違っていて。特に2016年は武道館みたいにデカいキャパのところでライヴをするっていうことはしなかったので、2017年に武道館よりもデカいところでやるためのひとつの準備期間みたいな年だった気がします。あと、やっぱりどこでライヴするにしても、2015年より2016年のほうがKEYTALKを聴いてくれてるんだなっていう実感は感じられて。ライヴでのお客さんの反応を通して、どんどん新しい人がKEYTALKを聴いてくれてるんだなって実感できた1年でした。特に『Love me』を発売する前にライヴでやった時に、2~3年前とはお客さんの反応が全然違って――2~3年前にあの曲を出してたら、あんな空気感は作れてなかったなって思うんですよ。だから、幅広くKEYTALKを知ってくれてるお客さんが増えてきたり、いろんなKEYTALKを受け入れてくれる人が増えたのかなって」

八木優樹(Dr)「僕は、2015年に武道館があって、その後にワンマンがあって、今年の4月に『HELLO WONDERLAND』っていうシングルを出すまでで思ったんですけど、曲もライヴもより自由度が増したような気がしてて。今までだったら『これはやんないほうがいいんじゃないか』って思ってたことが最近はなくなってきたなし、それはさっき巨匠も言ってたように、聴いてくれてる人が僕らをより受け入れてくれるようになったからなのかなって思ってるんですね。それを今年は強く感じました。それによって、よりクリエイティヴな活動ができたような気がします」

■逆に言えば、今までは「これはまだやらないほうがいいんじゃないか」っていう制約もあった?

八木「たとえば曲だったら、わかりやすさもあって、でもちゃんとライヴで盛り上がるっていう想いはもちろんあるんですけど、そういうところじゃない部分も押し出していけるようになった気がして。今までもずっとやってきたことではあるんですけど、平たく言うと、今まではそういう曲に対するウケがイマイチ悪いような感じもあって。僕らがやってることは変わってないんですけど、それを受け入れてくれてるような感じが増えましたね」

■首藤さんはどうですか?

首藤義勝(Vo&B)「みんなと同じように、ライヴをいっぱいやって、曲をいっぱい作った年ではあったんですけど………でも、基本攻め続けた1年だったなって思います。武道館終わって、さぁ次に行くぞ!っていう感じで2016年が始まったし――武道館を終えた後って、活動自体をゆっくりにする選択肢もあったと思うんですけど、僕達はそこで止まらなかったのがよかったのかなって思ってて。だからこそ、2016年一番最初に出した『HELLO WONDERLAND』は、テーマ的にも男気ある攻めたシングルにしようってことで、4人で曲出し合ったんで、そこでいいスタートダッシュが切れたし、それで勢いがつけられた分、結果1年通してテンション下がらずにできたのがよかったなって思います。あと、八木くんから自由度っていうワードが出ましたけど、それを特に感じたのが『HELLO WONDERLAND』に入ってる巨匠の“One side grilled meat”っていう曲なんですけど。あれは今までのKEYTALKでは考えられないような曲だったし――」

■非常に振り切った曲でしたね。

首藤「そうですね、ひたすらお肉のことを歌うだけの歌なんで(笑)」

寺中「ははははははははははははははは」

首藤「その発想はなかったですって思いました(笑)。でも、ああいう曲ってお客さんも嬉しいじゃないですか。俺がKEYTALKのファンだったら、めっちゃ面白い曲出してきたなって思うと思うし、実際ワンマンでその曲をやる時も、特攻で火柱上げて焼肉をイメージさせたりしてたし(笑)。そうやって自由度が増したことによって、結果的にライヴの演出面での遊びのハードルもどんどん下がって、より面白いことができる幅が広がったと思います。そうやって、どうお客さんに楽しんでもらおうかってことをそれぞれが意識して、スキルアップができた年だったなって」

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text by池上麻衣

『MUSICA2月号 Vol.118』

Posted on 2017.01.19 by MUSICA編集部

MAN WITH A MISSION、
シングル『Dead End in Tokyo』完成。
世界に挑む切符を手にしたオオカミたちの現在

何カ新シイモノヲ作ル時ニ、自分ノ今マデノ理論ヤ方程式ヲ
引ッ提ゲテ臨ンデハイルンデスケド、ヤハリ何カ異質ナモノヲ
目ノ前ニシナイト、元々自分ガ持ッテイルモノヲ見返サナイ。
ソノ意味デ、我々ハ凄クイイ経験ヲサセテモラッテイマス

『MUSICA 2月号 Vol.118』P.92より掲載

 

(前半略)

■まずは表題曲である“Dead End in Tokyo”は、なんとFall Out Boyのパトリック・スタンプと一緒に制作をしていて。こんな大プロジェクト、一体いつ作っていたんですか?

「実際に向こうに渡ったのは2015年冬だったと思います。『Seven Deadly Sins』でドン・ギルモアとやったのもそうですけど、様々なプロデューサーやアーティストとコライト(共作)することで刺激を受けるっていうことに僕らはずっと興味がありまして。で、アメリカのEPIC(全米メジャーレーベル。今回の“Dead End in Tokyo”は、EPICから全米リリース)にもいろいろ協力してもらってそれを形にしていってるんですけど」

■それこそ、現状まだリリースされていないものの中にも、海外の方と共同で制作している楽曲も複数あると聞いています。

「そうなんです。で、Fall Out Boyに関しては、前々からその候補リストに挙げさせていただいてたんですよね。今回改めて話をしたところ、彼のほうからも是非やってみたいというお返事をいただきまして」

■もちろんFall Out Boyに音楽的なシンパシーを抱いてらっしゃるとは思うんですが、パトリックとやりたいと思った理由はなんだったんですか。

「自分達が聴いてた音楽と近いっていうことだけでなく、自分達のルーツと時代というものを凄くクロスオーヴァーさせているという点で、非常に共感を抱いておりまして。決して90年代の音楽に止まることなく、そのよさを彼らなりに進化させている、しかもそれをあの規模でやり遂げて、世界中で普遍的なものとして受け入れられているという……90年代とか80年代って、モンスターじみた成功を収めているバンド達がたくさんいたじゃないですか。それはセールスだけではなく、立ち位置としても、当時はロックバンドというものがまだもの凄い位置を誇っていた時代でしたし。で、僕のイメージでは、彼らは2000年代最後のスタジアムロックバンドと言いますか、Fall Out Boy以降そういう巨大なバンドは出てきていないと思っていて。そう考えていくと、やはり彼らの存在というのは、我々がこれからロックバンドとして成し遂げていきたいことを考えると切っても切り離せない存在ですし、言ってみればひとつの到達点ではあると思うわけです。なので、ぜひ一緒に制作をしてみたいと考えていたんですよね」

■実際、パトリックとの制作はどのようなものだったんですか。

「まず僕とKamikaze Boyの2匹でロスに渡りまして、2~3週間いろいろ話して曲作りしたりをやりまして。その後は、お互いにデータのやり取りをしながら詰めていったという感じでしたね。ただ、正直言うと、今まで僕らがやってきた外側のエッセンスの受け入れ方と比べて、その血肉のつけ方が異質な楽曲だなと思っておりまして」

■それはどういう意味合いで?

「そもそも、まずカウンセリングから始まったんですよ(笑)」

■えっ! カウンセリング!? パトリックによる狼のカウンセリング!?

「はい(笑)。お医者さんであるパトリック先生による、我々のカウンセリングから曲作りが始まったんです。そういう作り方は、他にもアメリカの方々と制作をさせていただいてますが、初めてで。つまり歌詞なんですよ、彼が一番フォーカスを当てているのは。しかもその歌詞っていうのは具体的な言葉のテクニック云々というよりも、作曲者がどういう生き方をしてきたか、どういうふうに育ってどういう世界観を自分の中に持っているのかっていうところなんですね。それを理解するために、我々が今まで人生の中で経験してきた衝撃的なことなんかをいろいろと質問されまして。で、パトリック先生が『ワーオ、それは凄くいい経験だね』とかなんとか言ったりしながら、まさにお医者さんのようにカルテを綴って行くという」

■へー! それはめちゃくちゃ興味深いですね。

「僕も本当に面白かったですね。まぁKamikaze Boyは話せないのでひたすら書いていて、それは大変そうでしたけど(笑)」

■はははははははははははは。

「『一体なんなんだ、この作り方は!?』と思いながら、いろいろ答えていったわけですけど、でも、実は凄く理に適ってるなと思うんですよ。理論的に音楽を分析する方からしたらバカバカしい話なのかもしれないですけど、ただ、発信している人の固有の背景から楽曲が生まれてくるっていうのは当たり前なことだと思うので。そう考えると、楽曲を一緒に作るとなった時に、その背景を他者である相手(この場合はパトリック)がちゃんと共有するっていうのは非常に理に適った方法なのではないか、と」

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text by有泉智子

『MUSICA2月号 Vol.118』

Posted on 2017.01.17 by MUSICA編集部

Mrs. GREEN APPLE、
セルフタイトルアルバムで第二章の幕開け!
今抱く希望と矜持を、大森元貴が語る

中学の時に「こういうバンドになりたいよね」
って話してたのと同じ感覚が、今また凄くあって。
だからミセスがここで固まったというよりも、
初期衝動と遊び心と幼心が爆発した感じに近いと思う

『MUSICA 2月号 Vol.118』P.76より掲載

 

■セルフタイトルにも象徴されている通り、これからMrs. GREEN APPLEがどういう音楽を鳴らしてどういう存在になって行きたいのかということが音楽的に表されたアルバムであり、さらにインディーズ時代の一番最初のミニアルバムに収録されていた“FACTORY”のような曲が改めて入っている、つまり原点が入ってることも含め、自分達自身でMrs. GREEN APPLEというものを定義づけた上で新たなスタートを切る、そんな意味合いを持つ作品だと感じました。自分ではどんな感触を持ってますか?

「変な意味じゃなくて、なんかファーストアルバムっぽいなという気がしてるんですけど。自分としてはとにかくワクワクが詰まってるアルバムだなと思いますね。前作の『TWELVE』は、僕が12歳から音楽を始めたから12というキーワードをつけたこともそうだけど、自分のバックグラウンドだったり、メンバー含め自分達のあの時点までの人生観や音楽観だったりを鳴らしていた作品で。自分らとしては今までのものにひとつケリをつけるというか、ログとして残すっていう意味で作ったアルバムだったんですけど。でも今回のアルバムはこれからのことを歌っていて」

■つまり、『TWELVE』は過去からあの時点までの記録だったけれど、今回は今から未来へのことを鳴らしている作品だ、と。

「まさにそうですね。これからに対するワクワクが詰められたし、純粋に自分らもワクワクするようなアルバムができたなって思います」

■前回のシングル『In the Morning』の時に自分達はティーンポップを鳴らして行きたいんだという話をしてくれたけど、実際、このアルバムの方向性を決めたような制作の起点というのはどの時点だったの?

「起点か……『サママ・フェスティバル!』を作ってる時にはまだ見えてなかったけど、あのシングルをリリースする頃にはもう見えてた感じかな。制作時期とリリース時期が半年近くズレてるんですけど(笑)、『サママ~』をリリースする頃には僕らとしてはもうこの作品に向かう新しいスタンスというか、Mrs. GREEN APPLE第二章としての気持ちがしっかりでき上がってはいましたね。その頃にはもう、前回話したようなティーンポップというか、海外のポップス・グループの音楽を自分らなりに解釈して、自分らなりに変換してアウトプットしたいっていう話をしていたので」

■たとえば“Just a Friend”という曲は、それこそ海外のスタジアムポップのようなスケール感とサウンド感を持った楽曲で。今までもミセスはエレクトロニックなサウンドを取り入れていたけど、明らかにそれとは違う方法論と質感を持っていますよね。ポップスをちゃんとエンターテインメントとして大きな会場で歌い鳴らすイメージがもの凄く見えてくるし、『サママ~』以降の、今のミセスが目指している方向を提示する曲だと思うんですけど。

「そうですね、作る時からそれは意識してたというか。これは本当に、大きい会場でやってる自分らを想像して、それにワクワクして作っていった曲なんで。それって間違いなく『サママ~』までの作り方とはまったく違って。アルバムと『In the Morning』は同時期に作ってたんだけど、アルバムはもっともっと深いところに入ったというか。自分らの今やりたいことだったり、自分らが楽しいと思うことがより深く強く出てると思います」

■そのワクワク感っていうのは、以前とはそんなにも違うんだ?

「違いますね。前は自分の中だけで曲を書いていたし、自分の中だけで音楽をしてた感じが凄くあるんですけど、今はもっともっと人に聴いてもらいたいっていう気持ちで作ってて。それも『そうしなきゃ』っていう感覚に駆られてるわけじゃないんですよ。なんか、凄く自然にそう思えてるというか、そこに純粋に夢を見ているような気持ちでいられていて。そういう気持ちで作品が作れるようになったし、活動ができるようになった……っていうか、そういうふうに生きていけるようになったんですよね、人として。それは凄く色濃く出てるなって思いますけどね」

■だから今回、凄く抜けがいいんだよね。気合いは入ってるんだけどいい意味で肩の力が抜けてる、変なバイアスがかかってないというか。

「まさに! ほんとにその通りですね。だから今回はレコーディングとか全然苦しくなかったんですよ。生みの苦しみっていう自分の中だけの壁じゃないところで闘えたので凄くやりがいがあったし、とにかく楽しくて。メンバーも、みんな自分のことにいっぱいいっぱいじゃなかったし、理屈じゃないところでみんな音楽ができたなって感じは凄くある」

■ちなみに、前はいつも作品を作り終わった後に倒れてたじゃない? 今回はどうだったの?

「それが、今回は全然倒れたりしなかったんですよ! まぁまだわかんないからちょっと怖いんだけど(笑)」

■でも、でき上がって1ヵ月以上経ってるでしょ?

「全然経ってる」

■じゃあもう大丈夫だよ(笑)。その倒れなかったということが、結構いろんなものを物語っているような気がしますけどね。

「なんでなんですかね。でもほんと、全部が凄く楽しかった。それはやっぱりメンバーとの関係性だったり、活動におけるメンタルの部分が凄く変わったのも大きいんだと思う。以前より凄く友達っぽくなったし、以前より凄くバンドっぽくなったしっていう実感は強いので。純粋にメンバーに任せられる部分も増えてきたんだけど、それも信頼関係が強くなったからだと思うし………ひとりでデモを作ってる時も、今までは『こう作ってやろう!』みたいなことが狙いとか理屈が結構あったんだけど、今はそういう感じとは違う部分で音楽ができていて。もちろん狙いみたいなものは今回もあるにはあるんだけど、ひとりセッションみたいなのを凄く楽しみながら音楽ができたんですよ」

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text by有泉智子

『MUSICA2月号 Vol.118』

Posted on 2017.01.17 by MUSICA編集部

BLUE ENCOUNT、新たな始まりと解放を明示する
アルバム『THE END』リリース。
田邊駿一がその心情のすべてを告白

バンドだけじゃなく、会社だって学校だってバイトだって、
求められた人格でいればスムーズに乗り越えていける。
でも俺はそれが一番嫌なんですよね。
俺はそういう生き方をしたくないんです

『MUSICA 2月号 Vol.118』P.76より掲載

 

■アルバムを聴く度にBLUE ENCOUNTって音楽性の幅が広いなと思うんですが、でも今回は、曲調の幅としては今までで一番バラエティに富んでるにもかかわらず、その多彩さよりもそこに貫かれたアイデンティティのほうを強く感じるアルバムなんですよね。つまりバラエティの豊かさよりも、そのバラエティが収束するBLUE ENCOUNTというもの、そして田邊くんのアイデンティティに耳がいくというか。自分ではどうですか。

「こんなに過不足なく自分達のやりたいことを吐き出せたのは初めてだなって思いますね。振り幅的には前作よりも広いし、新しいことをやってるんですけど、でも前作に比べて無理しなかったなっていう感じは凄くありますね。今まで、特に前作はBLUE ENCOUNTの1枚目のフルアルバムってこともあって、僕らの生真面目さが思い切り滲み出た作品だった気がするんですよ。だからこそライヴでももちろん盛り上がるんですけど、未だにちょっと肩肘張っちゃう部分があって。でもあれから1年半の間に状況がどんどん変わってきて、自分達の楽曲に自信が持てるようになったことがデカいのか、本当の意味で嫌われてもいいからやりたいことやろうっていう――まぁ昔から嫌われてもいいですって言ってましたけど、どうしても田邊の性格上、心のどっかに好かれたいという部分が凄くあって」

■ははははははは。というか、今もそれは消えてないと思うけど。

「確かに消えたわけではないんですけど(笑)。でも、ようやくそれを実践できるだけの芯が自分の中に形成されてきた気がしていて。今回僕らが何をやりたかったかっていうと、もっと道に迷わせたかったんですよ」

■というのは?

「たとえば1曲聴いて1時間空けてまた1曲聴いたら、『あれ、全然違うバンドじゃね?』と思ってもらえるぐらいの作品にしたかったんです」

■それくらい異なる曲調が入った作品にしたかったと。実際、“city”をいきなり聴かされたら、これがブルエンの曲だとは誰も思わないでしょうね。

「はい。そういうアルバム作りたいよねっていうのは13年前の高校の時からみんなで言ってたことだったんですよ。高校の時にELLEGARDENと出会って邦ロックの扉がバーンと開いて、ACIDMAN、ストレイテナー、BRAHMAN、Dragon Ashといろんな音楽が頭に入ってきて、同時期にエミネムがちょうど流行ってて、そういうの全部いろいろやりたいっていうところから始まったバンドだったので。むしろ、そういう意味ではようやく正統派なブルエンの作品ができたなっていうのはありますね」

■その作品に『THE END』というタイトルをつけたのは何故なのか、ということはやはり初めに訊いておかなきゃなと思うんですが。

「そうですよね(笑)。2016年は武道館という一番大きい目標があって。チケットがソールドアウトした時、周りの人から『いよいよゴールだね、夢が叶うね』言ってもらう機会が結構あったんですよ」

■武道館でやることが夢だって、公言してましたからね。

「そう、3年前のWESTワンマンの時から公言してたし、バンドとしては結成してから13年ずっと掲げてきた夢だったので。で、僕もゴールだなと思って、当日のリハもずっと噛み締めながらやってたんですよ。でも本番が始まったら反骨心が生まれてきて、これがゴールだってことがどんどん腑に落ちなくなって。なんか、これで成功したって言われたら終わりだなって1曲1曲やりながら思い始めて――その時に、自分にとっての『THE END』っていう意味が変わっていったんです。最初は、わかりやすく言うと『終わらせて新しく前に進もうよ』みたいな感じだったんですけど、武道館やってみて、もうその『終わり』って言葉自体もぶっ壊したくなったというか。終わり、ゴール、到達、着地点、ピリオド、節目とか、そういう言葉を全部壊したくなった。その頃、すげえ言われたんですよ。このアルバム作る時も『次のブルエンどうする?』みたいな、『次はどういうステージに行く?』って言われ続けて、正直めんどくさっ!てなってて」

■(笑)。

「そんなに次のステージ行かなきゃいけねえのかって気持ちになって。それは後退でもなく、現状に満足してるわけでもなく――まあ現状に嫌気がさしてる部分は常にあるんですけど、とにかくネクストステージとかピリオドとかTHE ENDとか節目っていう言葉が凄く嫌で。それこそスタッフレーベルの人とも『そんなに次って大事なんですか?』って熱くなって語り合ったこともあったし(笑)。なので、武道館をやって自分の中で『THE END』の意味が変わって、その終わり、節目ってもの自体もぶっ壊せばいいんだって思えたこと、そして『THE END』って武道館で発表してお客さんが『えぇーっ!?』てなった時に、俺らの音楽は必要とされてるんだなって思えたことで、そういうモヤモヤが全部スッキリしたんですよね」

■今の説明は腑に落ちるようで落ちないんですけど。あの場で発表したということは、武道館をやる前から『THE END』ってタイトルは決めてたわけで。つまり終わりなんて自分でぶっ壊せばいいと思える前に『THE END』と名づけていた。さっき「終わらせて新しく前に進もう」って言ってたけど、そもそもそういう気持ちになったのは何故なの?

「正直、このタイトルは最初は本当に直感だったんです。これを思いついたのが9mm先輩のツアーに呼んでもらって、僕が熊本でひとりで弾き語りをやらせてもらう日だったんですよ。その飛行機の中でこれを思いついて……たぶんその時、『THE END』って言いたかったんだろうなと思います。『THE END』って浮かんだ時は、正直、解散っていう言葉をちょっと浮かべてた自分がいたんです」

■それはリアルな意味で、バンドを解散するってこと?

「リアルな意味で。解散というか、なんかもうとにかく辞めたかったんですよ。『LAST HERO』を作ったすぐ後ぐらいだったんですけど」

■バンド的には、むしろ絶好調な時期じゃん。

「そうなんですよね、お客さんもついてきた時期だし、それこそドラマのタイアップも決まって、周りから『すげえいいじゃん!』って言われるようになって。でも、そこに対して何がいいの?ってなってる自分がいて。もっと行きたいし、でもそのもっと行きたいことに自分が対応できてないし、もっともっといいものを出したいのに出せてないっていう、いろんな悔しさみたいなものが出てて。とにかくナメられたくないなっていう意識が強いんですけど、きっと俺ナメられてるんだろうなって思っちゃって――」

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text by有泉智子

『MUSICA2月号 Vol.118』

Posted on 2017.01.17 by MUSICA編集部

SKY-HI、会心の新作『OLIVE』リリース。
生粋のエンターテイナーの核を解き明かす

ルサンチマンに走りたくない。
この時代に生きた人間の生きた言葉の
メッセージとしての自分の最適解を、
最適な音楽に乗せて作りたかった

『MUSICA 2月号 Vol.118』P.60より掲載

 

■この1年間がどれだけ濃密で、この1年間でどれだけ自分の中で進化と変化が起こったかっていうことが、素晴らしくも目覚ましくダイレクトに出てるアルバムですね。

「まさにそうだと思います、そんな気がします!」

■まずタイトルの『OLIVE』っていうのは、僕はポパイ、あなたはオリーブっていう意味の『OLIVE』なんですか? それとも果実のほうですか?

「いろいろありまして(笑)。導かれて出たって最近言うようにしてるんですけど。まず最初に入れたい要素がいろいろあって。『カタルシス』が完成するかしないかぐらいの時に、死を語ることをやった『カタルシス』の次は、ちゃんと生きることに向き合いたいなと思ってたんですけど」

■あっ、そっか! これ、「オーLIVE」なんだ。

「そうっす(笑)。LIVEを入れたくて。死ぬことに思いっきし向き合うことによってポジティヴに転ずるみたいな、『死にたい』が『生きててよかった』に変わるみたいなことを唱えてたのが『カタルシス』だったんですけど、死ぬことに凄く向き合ったから、次は生きることにちゃんと寄り添おうと思って、LIVEが絶対に入ってるタイトルじゃないと嫌で。でも『ALIVE』とか『RELIVE』とかはさすがに……みたいな感じでずっと止めてて。一応『RELIVE』とかは入れてたんですけど、『仮RELIVE』とか『仮RE IN CARNATION』って呼んでたんです。それと同時進行で、ジャケのイメージだけがずっとあって。『カタルシス』は東京を上から見てたんですけど、その東京の真ん中で無機物のコンクリートの中から有機物の木がボーンとか、そういうものがいいなと思ってて。その木みたいなものがタイトルだったらいいのにと思って、LIVEが入ってる植物なんてあるかなって考えたらOLIVEがあるなと思って。いろいろ線がつながったのは、オリーヴは元々いいイメージしかなかったけど、ノアの箱舟のあれ(洪水が起きた時に方舟から放たれてオリーヴの葉を加えて地に戻ってきた鳩が平和の象徴として旧約聖書の中で扱われている)もオリーヴだし、あと俺が凄い好きな逸話は、アテネの女神の化身でパルテノン神殿の脇にデカいオリーヴの木があって。それはペルシャ兵が何回燃やしても次の日には蘇ってたっていう、そんなバカなっていう話(笑)。でもそういう再生のモチーフだったり。あと平和、優しさ、勝利、いいことしかなかったから。オリンピックの冠もオリーヴだし。これは素晴らしい、繋がったと思った」

■なるほど。その――。

「あともうひとつあるんで話してもいいですか?」

■失礼しました(笑)。

「自分が歌うことって、生きること、死ぬこと、愛すること、闘うことくらいだったんですけど、死ぬから生きるの『カタルシス』じゃないから、生きることに常に寄り添うっていうのは、たぶんすべてを愛する必要があると思ってたから、LIVEと同時にLOVEも仕込まれてないと嫌だなと思ってたんですけど。『OLIVE』は『I LOVE』のアナグラムにもなるから、愛もあるしLIVEもいるし、もう絶対に『OLIVE』しかないと思って。いろんな線をひと言で表すと『OLIVE』っていうのが、最終的にギリギリで落っこちてきてくれて」

■実はオリーヴって日本で栽培するのはもの凄く難しくて。ざっくり言うと日本は湿度が高過ぎてオリーヴ栽培がほとんど失敗するんだよね。

「そうですよね、それこそ原産地がギリシアですもんね」

■そう、エーゲ海とかカラッカラで塩気もある場所で育つものだから。日本だと小豆島とか数少ない場所だけがそれに当てはまるわけで。つまり、日本はウェットだからダメになったっていう。

「なるほど!」

■ある意味、このアルバムが『OLIVE』というタイトルであることを象徴してるなと思ったんですよ。

「凄い! 確かに音の質感も全体的にカラッとしてますしね」

■前回がDEATHで今回がLIVEみたいな構想って、この1年間の自分にとってのリアリティーでもあったんですか?

「そうですね。まず『カタルシス』が箸にも棒にもかからなかったら、音楽との向き合い方そのものを変えようと思ってたから。たとえばほんとにエイジアントラップしか作らないとかね(笑)。自分の才能のうち、一番大きくなる可能性があると思って育ててた才能だったから、それが『いやいや、そんな木は無理ですよ』ってなったら違う木も育てなきゃいけないっていうのが1個あったんですけど。それクリアしたとして、『カタルシス』の次にもう1回、自分の中で一番大きくなるだろうと思った木を育てようとした時に、LIVEが絶対ないといけない。生きること、再生すること、死を語るところから蘇生することを歌おうとは思ってたんですけど、そのLIVEにLOVEがついてきたのはこの1年の話で。『カタルシス』以降にMUSICAや鹿野さんが先頭切って風向きを変えてくれたり、いろいろなことがなかったら、同じ生きるを語るでも、『生きるとは愛することだ』ではなく、『生きるとは闘うことだ』ってもう1回シリアスになった可能性は全然あります。それでもなんとかポップに仕上げようとは頑張ったんだろうけど、よい悪いではなく、人生的に今、愛にあふれたものができたっていうのは、しかもあんまり無責任にならずにちゃんと向き合えたっていうのは、よかったです」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA2月号 Vol.118』

Posted on 2017.01.15 by MUSICA編集部

THE ORAL CIGARETTES、
渾身の新作『UNOFFICIAL』完成!
そのすべてを全曲解説で徹底的に紐解く

意志を反映できない行為に可処分時間を費やして、
最終的には外的なレールに乗っけられてるだけみたいな人って、
僕からすると本当になんのために生きてるのかわからない

『MUSICA 2月号 Vol.118』P.40より掲載

 

■前作『FIXION』から約1年、バンドとしては大切な3枚目のフルアルバム。今日はこれを読んでいる人達に、このアルバムの魅力をよりわかってもらいたくて、『UNOFFICIAL』の全曲解説をさせていただきます。既発曲である“5150”、“DIP-BAP”は前回、前々回のインタヴューでじっくりと掘り下げているので、僕のレヴューでまとめさせてもらい、インタヴューとしては新録の8曲を徹底的に掘り下げましょう。

「はい、よろしくお願いします!」

■まず僕は今作、『UNOFFICIAL』と書いて『ロック大河絵巻』と読みます。

「おぉ、その心は?」

■非常に壮大かつ包容力のあるロックアルバムだと思いました。

「なるほど! 最初っから鹿野さんらしい(笑)。嬉しいです、ありがとうございます。『FIXION』を出した後に次はどんなアルバムを作ろうかなっていうのは考えていて。でも、ホンマに想像がつかなかったんですね。“DIP-BAP”は自分の中でも挑戦で。……周りの人達は受け入れてくれるのかなっていう不安もあったし。でも、思っていた以上の反応を得ることができて」

■それは具体的にはどんな手応えだったの?

「『あ、これがオーラルだよね』っていうより『オーラル、次はどんな音楽聴かせてくれるんやろうな』っていうのを期待してくれてるのかもしれへんなって思って。でも、だからこそ『5150』では、その期待をどうやって裏切ればいいのかっていうのがホンマにしんどくて」

■『DIP-BAP』で新しいことに挑戦したからこそ、さらに新しいことをやらないといけないし、その上で人を楽しませたいし、その中に裏切りも入れないといけない。そういういろんなことが頭の中をノイジーに駆け巡ったってことだよね?

「そうですね……自分達が何を提示すべきなのかっていうのも全然見えてこなかったし。だから凄く苦しくて……でも今回のアルバムの糸口が見えたのは『DIP-BAP』から『5150』を作るまでの間だったんです。『5150』にたどり着くまでに凄くいろんなことを考えたからこそ、『5150』を出した時にはアルバムはこういうものを作るべきだっていうことは明確に見えていて。……『5150』でやったことって、今までやってきてもよかったけど、避けてきた部分でもあって。(歌詞の中で)自分をさらけ出して、自分のことを書くっていうのをストレートに挑戦した楽曲だったし。プラス、『規模感』っていうのを凄く意識した曲で。今回は聴いてくれてる人達を意識するより、自分達が表現すべきことや立つべき場所を意識するほうが大事だなって感じることができて。だからこそバラードも入れたりして、それが俺らの中では正解やったんです」

■そういう作品が『UNOFFICIAL』ってタイトルになったのは何故なの?

「ステージに立ってる俺が『オフィシャル』だとしたら、それ以外の部分————家にいる時、恋愛している時、そういう『アンオフィシャル』なところから生まれた歌詞が多かったってところからタイトル候補に挙げていたんです。でも、それとは別に『DINING』っていうタイトル案もあって。アルバムを作る時にもう一度『俺達ってこのアルバムで何を言いたいんだろう』っていうのを考えて。そうしたら、言い回しは変わってるけど昔から伝えたいこと−−−−自分の目や耳で感じて判断をして、良いと思ったらついて来て欲しいっていうスタンスはブレてないなって。それを上手くタイトルに落とし込めないかなって考えた時に、食事をする時ってそうなのかもしれないなぁって。……元々、食欲って凄くシンプルな欲求だったと思うけど、今は食事の時には右手にナイフ、左手にフォークってマナーが決まってて。食欲を満たすための行為なのにルールがあるのもおかしなことだよなって感じてて」

■しかも最近は食べログの点数が。店を探す座標軸にすっかりなっている。

「そうそう(笑)。最近はそうやって本来の意味とは違うものが積み重なって文化ってものが生まれて、それが俺には『文化』ってものが歪んでいっているように見えたんです。だから、その危機感を提示しないといけないなって感じて」

■ジャケットのアートワークにもそういう想いが表現されているよね? 真っ白な皿の上に、初回特典は真っ赤な脳みそが、通常盤には真っ赤な心臓が乗っかっている。

「そう、実際ギリギリまで『DINING』で進んでたんで、そういうデザインで進行していて(笑)。でも『DINING』って言葉より『UNOFFICIAL』って言葉のほうが広く説明できるし、伝えたかったことは変わらないんで、これにしたんです。音楽に限らずいろんなことをもっと自分の心の深い部分、UNOFFICIAL(私的)な部分で判断して欲しいなって」

 

(中略)

 

1. リコリス

 

■まずは1曲目“リコリス”。この“リコリス”って言葉にはいろんな意味があるよね。

「元々は“彼岸花”ってタイトルだったんですけど、“彼岸花”だと意味が特定されるし、世界が縮こまっちゃう気がしたんです。だから、総称している“リコリス”って言葉のほうがいいかなって思って」

■1曲目から影のある言葉をタイトルに選んだのはどういう意味合いがあるんですか?

「この曲を作った時、サウンドの広がり的にも絶対にアルバムのリード曲になるから、この曲の歌詞にアルバムで伝えたかったメッセージをガツンと乗せようって思って。人を彼岸花に例えて、暗いところから広がっていく世界観を作ろうと思って書きましたね」

■拓也の中で何か世の中で起こってるとか、何かがあった上でこういう詞を書いたんですか?

「………正直に話をすると、去年にツアーを回っていた時にSNSってものがしんどくなった時期があって。自分が言ったことに対して『違う』っていう人がたくさんいたんです。それは当然のことなんだけど、最初は『それでいい』って言ってた人達が、その大きな流れに簡単に便乗していく姿がハッキリ見えて。だんだんと言いたいことが言えなくなる人が増えていってて。そんなふうに『周りがこう言ってるから、これは言っちゃいけないよね』っていうのって、俺だけじゃなく、いろんな人にも言えることなのかなって。それって、意思を持ってない『死人(『しびと』と読みます)』みたいだなって思ったし、『意志を持ってないなら、いっそのこともっと振り切ったほうがいいんじゃないって俺は言うよ?ステージからでも。ムカつくけどさ』ってMCで言ってたんですよ。……ずっと『自分の目で見て、思ったことを言え』って言ってるくせに、自分がそういう立場になった時に凄く縮こまってしまっているっていうのが凄く引っかかってて、敢えて自分にも向けてステージの上で言ったんです。その自分が言ってることを体現していくっていう想いを、このリード曲に綴ろうと思いました。『彼岸花』には『死人』って花言葉もあるし」

■サビから始まるのに相応しい素晴らしいメロディですけど、そもそも作曲ってどうやってるの?

「曲によってまちまちですけど、“リコリス”に関しては部屋でアコギを鳴らしながら1番まで一気に作りました。リフもある程度は作っちゃって、形になったものをスタジオに持って行って『みんなで久しぶりにこの感じやってみいひん?』って言って作りましたね。『FIXION』ではあんまり変拍子を使わないようにしていたんで。この曲はホンマにありのままに作ってきたから、そのまんまやりたいって話をして――」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA2月号 Vol.118』

Posted on 2017.01.15 by MUSICA編集部

ONE OK ROCK、
新次元のロックアルバム『Ambitions』リリース。
挑戦者の気概を滾らせる新作に宿る確信を全員で語る

一番大事なことは、ナシをアリにして行く
自分達の意志と行動力だと思うんです。
僕らはタイミング的にも、自分達が今まさに
そういう状況に立っていると思う

『MUSICA 2月号 Vol.118』P.30より掲載

 

 

■一ジャーナリストとしても一ロックファンとしても、本当に素晴らしいアルバムを作り上げたなと興奮しています。

Taka(Vo)「ありがとうございます!」

■世界に照準を定めてアメリカで制作を行う体制になって2作目となるアルバムですけど、ただ、前作と今作では、その意味合いは大きく違うと感じていて。前作の『35xxxv』は、日本のロックシーンという領域を脱して世界のロックシーンの中で対等に闘うためのアルバムを作りに行った作品だったと思うんですけど、今回の『Ambitions』は、世界のポップミュージック・シーンの中で今ロックバンドとして鳴らすべき音、ロックバンドとして体現すべき音楽を作り上げに行ったアルバムだと感じていて。つまり、今この時代におけるロックサウンドを自分達の手で新たに作り、更新しようという意識が感じられるし、実際そういうアルバムになったなと思うんです。ご自分達ではどうですか?

Taka「今回の僕らの大きなテーマとしては、アルバムも8枚目ですし、これまでにいろんなたくさんの曲を作ってきたわけなんですけど、10年目にしてONE OK ROCKというスタイルがほぼ確立できたところがある中で、次なる目標を掲げて、その新たな始まりとなるアルバムを作ろうっていうことがあって。今までは1曲1曲が、ファンの子達だったり誰かの背中を押していたと思うんですけど、僕らが今からやろうとしていることは、実はそういうことではないんですよ。実際に今新たな目標の下で動き出している中でいうと、1曲で誰かの背中を押すというよりも、バンドとしてどんな夢を掲げてそれを叶えていくのかっていうことへの僕らの動き方だったり、バンドとしての在り方そのもので、誰かの背中を押すことができれば一番いいなと思っていて。これは僕の独自の考え方なんですけど、僕はいつの時も守るっていうことが大嫌いで。だから常にちゃんと攻めて、ぶっ壊して、また新しいものを作ってっていうやり方でやってきてるんですけど、今回で言うと、世界っていうものをちゃんと自分達で捉えた上で、また1個1個潰していくっていうことの始まりなのかなって思ってるんですよね。そういう意味では、今回はONE OK ROCKの本当の意味での第二章の始まった中で作り上げたアルバムだと思います」

■自分の中でも、前作を作っていた時のモードであったり意識だったりとは、今回のアルバムは明確に違う感じなんですか?

Taka「違いますね。前回の一番のテーマっていうのは、とにかくまず、海外でレコーディングするっていうことだったので。そこで感じたもの、得たものは凄まじいものが当然ありましたし、それで作ったものを持って海外を回ってみて感じたものもたくさんあるので、その上で今回はプロデューサーを立ててどうのこうのっていうよりは、前回のレコーディングで手に入れたものでもって、ほぼほぼ自分達の感覚でセルフプロデュースをして作ったっていう」

■あ、今回はセルフプロデュースなんでしたっけ?

Taka「いや、一応プロデューサーは立ててはいるんですけど、でも最初にそのプロデューサー陣に『今回のアルバムは自分達の感覚で作りたい』ということは伝えた上で作っていて。大御所のプロデューサーを立てるでもなく、自分達の表現したいことを表現してくれる人を起用したんです。だからいろんな人が携わってはいるんですけど、総合的に僕が常に客観的に見て、自分の感覚と違うと思った細かい部分はとことん詰めていって」

■前作はアメリカ人のプロデューサーに自分達を預けてみて、その中で向こうのやり方、向こうの感覚を学んでいくような部分もあったと思うんですけど。そういうスタンスとはガラリと変わったってことですよね?

Taka「そうですね。まぁ、『郷に入っては郷に従え』の精神でいつもやっているので。前回は完全にそのパターンで、吸収、勉強というか、向こうの感覚を肌で感じるというやり方だったんですよね。そういう形でやることは、単純に楽曲に関することだけじゃなく、文化を勉強するっていうことにも繋がるので、それは僕らにとって必要だなと思ったからなんですけど。で、今回はそういうことをある程度吸収したし理解もした上で、もう一度、自分達のセンスを信じてみるっていうやり方を採ったんです」

■Ryotaは今回のアルバムはどういうふうに感じてますか?

Ryota(B)「前回は本当に何もわからない状態で海外に行ってレコーディングをして。でも、その時のレコーディングはもちろん、その後アメリカ、ヨーロッパとツアーを回っていろいろなことを学んだ上での今回の制作期間だったので、前とは違う気持ちで臨めたというか。今回はリラックスしてできたんですよ。LAで、今も4人で一緒に住んでるんですけど」

■まだ同じ家に一緒に住んでいるの?

Ryota「そうです。で、その家にスタジオを作ったんで、いつでも曲が作れる環境になって。だから、特にTakaとToruは朝から晩までずーっと曲を作ってて、俺とTomoyaは……」

Tomoya(Dr)「それを見守る(笑)」

Ryota「そう! 曲が形になるまでは見守ってました(笑)」

■(笑)レコーディングに向けて力を蓄えていた、と。

Ryota「はい(笑)。本当にもう、前回と比べものにならないくらい気持ちも楽だったし、レコーディング自体も凄く楽しくて。やっぱり前はなんかテンパってたんですよね。レコーディングに行く時も常にテンパってたんですけど、今回は、特に前と同じプロデューサーとやる時は凄くリラックスして臨めたし、訊きたいこともしっかり訊けて。また次の制作に繋げられるなと思えることもたくさんあったし、凄くいい時間でした。アルバム自体も凄くカッコいい、ここからまた勝負するぞっていう気持ちになるアルバムができたので。これをもって2017年は頑張りたいと思います」

■Tomoyaはどうですか?

Tomoya「さっき言った通り、曲作りの段階、まだ曲があんまり固まってない時は、俺とRyotaはずっと見守るしかできなかったんですけど。家のスタジオでTakaとToruが毎日毎日、朝から晩まで曲作りをやっていて、デモの状態でも構成とか展開とかどんどん変わっていったから、いざドラムのレコーディングの日が決まっても、曲自体は結構ギリギリになって全貌がわかる感じだったんですよ。だからその時まで凄く力を貯めて、レコーディングで一気に録る!みたいな感じでしたね。今回はとにかく新しいことにチャレンジしているし、個人的にも新しいことにいっぱいトライできたなと思っていて。でも、それこそRyotaが言ったみたいに今回は余裕も多少はできたので、凄く楽しいレコーディング期間でした」

■Toruは、Takaと共にそんなにも篭っていたわけですか?

Toru(G)「そうですね(笑)。やっぱりロスの生活に慣れたっていうのも大きかったと思いますね。レコーディングをやりつつも、当たり前ですけど4人の生活っていうものもあるわけで。初めて行った時は、たとえば『今日どこでご飯食べる?』とか、生活をする上で考えることもいっぱいあったんですけど、徐々にそういうことにも慣れてきて、今回はより音楽に集中して向き合えたかな、と。余計なことを考えず、リラックスした状態で好きな時に曲作りをやって……って言っても、(LAに)着いてから毎日ずっとやってたんですけど(笑)。それぐらい集中して取り組めたというか。もちろん家にスタジオを作ったっていうのも大きかったですし」

■日々ふたりで朝から晩までガッツリだったんですか?

Taka「やってましたね。ギターの部分に関しては僕はほぼノータッチだったので、リズム、メロディ、コードが決まって、プロダクションをこういう方向で行こうってところまで見えたら、あとはToruに投げて」

■Toru的にも、今回はより挑戦的な部分もあったんですか?

Toru「というより、Takaから曲が上がる時点ですでにもう完全に新しいものがあったので。俺の役割としてはそれに対してどう合うものを入れていくかというところで探り探りやっていたんですけど。でも感覚的にはより自由やったなっていう感じはありますね。曲作りも、スタジオとは言え家の中での作業なんで、時間も決まってないし。一旦作ったものでも、次の日に聴いて微妙やったら『ここは変えようか』って考え直したり」

■時間的な制約に縛られず、自由に納得行くまで音楽と取っ組み合えたと。

TORU「そうですね。それを何ヵ月も続けて。その間にツアーもあったので、切り替える時は大変でしたけど。でもツアー中も『あの曲どうなるやろ』とかそういうことを考えながら、みんなでバスの中で(制作途中のデモを)聴いて『こういう方向性にしようか』とか、足りてないところを話し合ったりもして。そうやって何ヵ月か向き合っていた感じです」

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA2月号 Vol.118』

Posted on 2017.01.15 by MUSICA編集部

Suchmos、シーンへの宣戦布告たる
アルバム『THE KIDS』発表。
全員取材でその芯に迫る

誰でも夢を追えるわけではない。
でも、だからこそ、それがバンドの役割だと思う。
自分では夢を追えない奴らのことも
熱くさせるのがバンドだと思うな(YONCE)

『MUSICA 2月号 Vol.118』P.50より掲載

 

■バンドの存在がぐんぐんマスへと広がっていってる中で、そういう状況に一切媚びることなく、シーンに迎合することもなく、自分達が一番カッコよくて一番クールだと思うものに特化した、めちゃくちゃ攻めのアルバムを作ったなぁと思っていて。

OK(Dr)「もうまさにおっしゃる通りですって感じっすかね(笑)」

HSU(B)「俺達がやってることがカッコいいって思われるならそれでいいっていうね。だからディアンジェロが『Black Messiah』出して文句言われないのと似たようなものっていうか」

■ディアンジェロがカッコいいと言うんだからいいんだ、みたいなね。

HSU「そうっすね、本当に」

OK「ま、相変わらず『こいつらだから!』と言われるようなバンドを目指して、日々特訓してますっていう感じですね(笑)」

YONCE(Vo)「とにかくそれが詰まった作品だよね。その時その時に自分達が(音楽的に)食らったものを食らわせ返す、みたいなことを日々やってたら、こんなアルバムになっちゃいました」

KCEE(DJ)「もう本当にその通りで、他に言うことないね」

TAIKING(Key)「うん、まさにその通り!」

■ちょっと待って、結構ページ割いてるから(笑)。

全員「ははははははははは」

TAIHEI「でも、たとえば『THE BAY』を聴いて今回の『THE KIDS』を聴いたら、なかなか面白いと思いますよ。変わったなって思われる面もあるだろうし、変わってねぇなっていう面もあるだろうし。それによってSuchmosっぽさも見えてくるだろうしね」

HSU「でもさ、正直変わった感じはしないけどね」

TAIHEI「でもその人それぞれの受け取り方で、Suchmosに対して思うことはあるんじゃない? 今回のアルバムは特に」

■TAIHEIくん的には、今回はどういう感じなの?

TAIHEI「……今回は、特に他5人からのキーボードの音色とかプレイスタイルに対しての注文の数が桁と次元が跳ね上がったんですよね。それにどう応えるかっていうのと、逆にそれを踏まえた上で、俺からどう提示するかっていうことを模索した曲達が集まってるかもしれないですね。音色も増えたし、楽器も増えたし。要はみんなが堀る音楽が広がったことによって、注文とやりたいことの世界観が増えたんですよね」

KCEE「セカンドだし、ちょっとやり過ぎてもいいよねっていう気分はみんな持ってたよね?」

YONCE「そうだね、あった(笑)」

KCEE「絵で言うと、『これで仕上がったな』っていう気分にはなってるんだけど、そこにもう一発やっちゃえ!みたいな気分もあって。それはなんでかって言うと、俺らの中ではやっぱりフジロックに出たのがデカかった。今年(2016年)はフジロックのホワイトステージ(メインの次に大きなステージ)が待ち構えてて、それを乗り越えて吸収したものが後々出るっていうタームがあって。それでデカい音を鳴らすようになったっていうか」

■そのデカいっていうのは、スケールがデカい音って意味?

KCEE「攻撃範囲とか接着面みたいなものが広がったっていうか」

HSU「確かにフジロックはデカかったよね。今年の初めにフジロックのホワイトが決まった時は、若干『やれんのかな?』って思ってたもんね」

OK「うん、緊張してた」

HSU「でも、いざ当日を迎えるまでには、気づいたら余裕になってた」

KCEE「やっぱり僕らはライヴバンドなんで、1年通してライヴでかましまくって、その中でインスパイアされて俺らなりに考えたことが、自ずとアウトプットされてこういうアルバムになったって感じ。なんかさ、ジャミロクワイのディスコグラフィ見てもそうだけど、セカンドってそのバンドのレアグルーヴというか、バンドの個性が出るもんだっていう認識が俺らの中にはあって。だから俺らもそういうアルバムにしたかった――っていうか、勝手になったよね」

HSU「今回のアルバムでSuchmosのグルーヴってものを確立させちゃったなって感じはある、完璧に。そもそも前回の『THE BAY』はまだTAIKINGとKCEEが入ってすぐだったし、そういう意味でも『THE KIDS』で俺らのグルーヴが確立した感はあるよね」

■フジロックが大きかったというのは、あの壮大な自然という環境も含めたステージの大きさなのか、それとも、ああやって世界中の多種多様なバンドとアーティストが集まる場で自分達の音楽がどう映えるのかってことだったのか、その辺りはどういうニュアンスなの?

HSU「両方じゃない?」

OK「単純に、まだまだ視野が狭い部分があるなってことも思ったしね」

YONCE「わかる。なんか、音楽に対して全然まだカルチャーショックを受けるタイミングが超あるなって思った。たぶん、来年もまたワケわかんない音楽に出会って、『ワケわかんなくね!?』っていう会合を夜な夜なやりながら曲を作るっていうのは変わらないと思うんですけど、今年はとりわけフジロックで受けた刺激っていうのが大きかったのかなって思います」

KCEE「今回のリードは“A.G.I.T.”なんですけど、これ、フジロックでやるために作った曲なんですよ。それが結局リードになってるんで、そういう1年だったんだって思いますね」

HSU「俺達って、レコード会社から『来年の1月にアルバムを出すから、11月までに何曲用意して完パケさせて』って言われて作るようなタイプじゃないから。要は、ずっと作ってるんですよ。さっきYONCEも言ってたけど、自分達が受けた音楽的刺激をその時々に俺らなりに噛み砕いて楽曲にしていくっていうことを繰り返した結果が、このアルバムに入ってる曲達で。だからそういう意味では、このアルバムはどんなアルバムなのかってことに対する答えは、全部後づけになっちゃうというか」

■要するに、この1年の中で6人が受けた刺激、6人が感じたことが1曲1曲にアウトプットされていった集積であるという。

HSU「そう。まだアルバムとしてコンセプチュアルな作り方はしてないから。でも、尖っていたい気持ちは強くあったから、そういうのが勝手に出た作品なのかなとは思うけど」

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA2月号 Vol.118』

Posted on 2017.01.14 by MUSICA編集部

ぼくのりりっくのぼうよみ、シリアスな問題提起にして、
救いの提言たる新作『Noah’s Ark』を徹底的に解き明かす

意志を反映できない行為に可処分時間を費やして、
最終的には外的なレールに乗っけられてるだけみたいな人って、
僕からすると本当になんのために生きてるのかわからない

『MUSICA 2月号 Vol.118』より掲載

 

■宣言通りに『Noah’s Ark』というアルバムができ上がりまして。

「でき上がりました! イェーイ!」

■宣言以上に素晴らしいアルバムだなと思うんですけれども。

「嬉しい! やったぜ! 僕もめっちゃいいのができてしまったぞっていう気持ちです」

■おさらいになりますが、『Noah’s Ark』とはノアの方舟のことで、つまり音楽によって現代にノアの方舟を再現する、というコンセプトで作ったアルバムで。

「はい、そうです。聖書の話」

■そもそも、どうしてノアの方舟をテーマにしようと思ったんですか?

「……どうしてだったんでしたっけ?」

■おい。

「もう数ヶ月前の記憶が全然ない……たしかNoah’s Arkって言葉がカッコいいなと思ったのが一番最初の始まりだったと思います。1枚目のアルバムはバラバラに作ってた曲を集めたアルバムだったので、今回は1枚でちゃんと繋がってるヤツを作ったらどうなるのかな?と思ってて。だからNoah’s Arkをタイトルにして、その方向で、それに沿ってアルバムを作っていこうかなってイメージして」

■そのNoah’s Arkって言葉がカッコいいっていうのは、響きとしてなの? それとも、その救世主感がカッコいいなって感じなの?

「全部込みですね。字面もカッコいいですし、意味もカッコいいですし」

■夏に出したEP『ディストピア』に収録された3つの新曲も入っていて、かつ、そこで歌われているクオリアの喪失というものがアルバムの大きな肝になってるわけですが。

「はい、そうです」

■ぼくりりくんは、聖書でいうところの堕落した人間達を滅ぼすために神様が起こした大洪水というものを、現代社会における情報の氾濫になぞらえていますよね。要は、ネット始め膨大な情報の波に翻弄される今の時代の中で、人々が思考や意志を失って哲学的ゾンビになっているという現実を、大洪水による人間の滅亡に重ねているという。そういうことは、Noah’s Arkという言葉を思いつく前から考えていたんですか?

「考えてなかったわけじゃないとは思いますけど、でも具体的なことはNoah’s Arkって言葉を思いついてから掘り下げていった感じだったと思います。現代にノアの方舟を作るぞって思って、現代に洪水ってあるのかな?と考えてみたら、ある!みたいな。情報の洪水に呑み込まれて人間がクオリアを失ってるのってまさにそういうことなのでは、みたいな。よく見ると当たり前にそういうことが起こってるじゃん!と思って、それでどんどん方向性が決まっていった感じでしたね。今回、自分がやりたいことをやるっていうのももちろんそうなんですけど、最初に決めたストーリーをちゃんと自分で描いていこうっていうのがあって。たとえば一番最後の〝after that〟という曲は、その前の〝Noah’s Ark〟という曲で救われた後のことを描いてるんですけど、でもそれも別に完全に救われてるわけでもない、みたいな。救われてる人はいるんだけど、その裏には救われていない膨大な人間が存在してるという、ある意味ハッピーエンドではないという終わり方をしてるんですよね。そういう世界観にしようっていうのはあらかじめ決めて作っていったので。だから、最初の僕には凄い意志があって設計図を描いてるんだけど、そこからはただひたすらその設計図を実現するために曲を書いていくっていう……なんか週刊連載の漫画家さんってこんな感じなんだろうなって思いながら作ってたんですけど(笑)」

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA2月号 Vol.118』