Posted on 2013.05.31 by 有泉智子

ラスト・ファンファーレ

 

本日発表した通り、最初で最後のandymoriの単行本を発売します。
解散が決まってから、この6年をひとつの形に残したいなと思い、
バンド側とも話し合って、この本を作ることを決めました。
タイトルは『andymori 2007-2013 ラスト・ファンファーレ』、
発売日は、アルバム『宇宙の果てはこの目の前に』の店着日である6月25日(火)。
詳細は www.musica-net.jp/andymori を見て欲しいのですが、
3人と初めて交わしたインタビューから
解散を発表し、アルバムも完成した今の3人それぞれとじっくり話した最新インタビューまで、
たくさんの彼らの言葉と、
そしてずっとMUSICAで綴り続けてきたツアーやレコーディングのドキュメントを
貴重な写真と共に詰め込んでいきます。

バンドは秋に解散するけど、
音楽はずっと生き続けていくから。
だから、今andymoriを愛しているファンの人達はもちろん、
これから先、andymoriの音楽と出会うすべての人達が、
いつでもこの6年間の彼らの想いと生き様に触れられるような、
そんな本にしようと決意しながら今まさに作ってます。
だからどうか、待っていてください。

そして、6月15日発売のMUSICA7月号のバックカバーで
どこよりも早くメンバーの肉声を届けるandymori特集をします。
上に載せた写真は、その撮影の様子。
そう、取材、したよ。
変な言い方だけど、
壮平と寛と健二は、なんの曇りもなく壮平と寛と健二だった。

MUSICA7月号も『ラスト・ファンファーレ』も、待っててね。

text by 有泉智子

Posted on 2013.05.30 by 有泉智子

bloodthirsty butchers吉村さん、ご冥福をお祈りします。

bloodthirsty butchersの吉村秀樹さんが急性心不全で亡くなりました。
享年46歳。あまりにも唐突で、そしてあまりにも早過ぎる。

私がブッチャーズに出会ったのは99年の『未完成』で(当時19歳の私はタイトルに惹かれて買った)、
それを聴いてこれはヤバいと思って速攻で『kocorono』を買いにいって、それで決定的になった。
ブッチャーズの轟音は、その轟音の奥にもの凄く繊細で純粋な感情と美しい景色が広がっていて、
その感情と景色に出会いたくて何回も何回も何回も聴いた。
そこにある何かが、あの頃の自分をいつも救ってくれた。

そういえば私、この1年くらいブッチャーズのライヴを観に行ってなかったな。
そんなことを今になって後悔しても、もう遅いんだな。

吉村さん、心からご冥福をお祈りします。 

オフィシャルチャンネルじゃないけど、この映像、凄く好きなんだ。
 

 

 

Posted on 2013.05.27 by 有泉智子

andymori解散について

 andymori

↑2013年4月4日「FUN!FUN!FUN!」リキッドルームのバックエリアでにて撮影

andymoriが、5枚目のアルバム『宇宙の果てはこの目の前に』を6月26日にリリースすること、
そして、解散することを発表しました。
最後のライヴは、彼らにとって初めてとなる日本武道館。
9月24日「andymori ラストライヴ 武道館」。

andymoriに初めてインタビューしたのは2008年の12月でした。
当時、渋谷に会ったMUSICAの編集部に3人が来ていろんな話をして、
その時になんだかとても感動したし、嬉しかったのを覚えてる。
理由は上手に言えないんだけど。
そして、そこからandymoriとの凄く濃い付き合いが始まりました。

いつか、いつかこんな日が来るのだろうということは解ってた。
昔、壮平と話したみたいに、すべては変わっていくものだし、
終わらないものなんてひとつもないから。

でも、それでも、andymoriはずっとそこにいるとどこかで信じていたというか、
信じたかったんだなって、今回の解散の話を受けて思いました。
それはandymoriが音楽の、ロックの、バンドの、
そして私達が今この時代に共に生きていることの、

夢と奇跡そのものでできているようなバンドだったからなのかもしれない。

壮平に、寛に、健二に、話を訊きに行ってきます。
解散のこと、アルバム『宇宙の果てはこの目の前に』のこと。
結果的にラストアルバムになるけれど、解散という事情とは関係なく、
壮平が最初期からのandymoriの集大成のような作品を作ろうとしたところから
始まったアルバムなのです。
それはとても前から彼が話してたこと。

哀しいよね。私も本当に哀しいです。でも、3人が決めたことだから。
武道館まですべての瞬間をこの目と耳と心に焼きつけようと思います。
あと、MUSICAは彼らの歴史を一番近くで見続けさせてもらったメディアだと思うから、
そんな自分達にしかできないことを探してみようと思います。

まずは6月15日発売のMUSICAで、インタビューを掲載します。
詳しいことは、またここで発表しますね。(有泉智子)

Posted on 2013.05.20 by MUSICA編集部

さめざめ、すべてをここに告白す

さめざめ、
告白。
「子宮頸がんにかかり、
手術を受けました。
すべてをここに
語ります」

『MUSICA 6月号 Vol.74』P68に掲載

 今回の取材はリリースに合わせたものではない。逆に「リリースもあるので(5月15日に新曲を混ぜ、インディーズ時代の代表作を集めた『さめざめ問題集』がドロップされます)」、そこも合わせて大事な報告をするために取材をしたものだ。
 今年のまだ冬が明けぬ中、さめざめこと笛田さおりが「子宮頸がん」にかかったことを知った。まだその時は術前だったので、初期のものであることを知らされても大きな不安もあったし、彼女自身も動揺しているとのことで、ただただ待つしかなかったが、手術が無事に終了し、インタヴュー中にあるようにほぼ完全に再発の心配がなくなった今、むしろこのことを多くの人に知ってもらいたいという彼女の意志をもって、ここに告白の機会を設けることになった。
 表現と人生というのは似て非なるもので、さめざめの性的なダイレクトな表現、エキセントリックな感情表現をそのまま笛田が体現しているかといえば、そういうものではない。しかし、彼女のスキャンダラスな音楽から考えると、今回の子宮頸がんという病は好奇の目で見られてしまうものである。そのことが彼女自身のパーソナリティとしても、そして子宮頸がんという病としても大きな誤解を孕んだものだからこそ、敢えてここですべてを告白しようと笛田自身が決めたものであることを承知の上で読んで欲しい。

■話を聞いて本当にびっくりしました。

「はい(苦笑)…………」

■最初はなんて言ったらいいかわかんなかったんですが、子宮頸がんになられて、もう手術も終えたというふうに聞いてます。今はどういう状態なんですか?

「今は手術をして約2週間くらい経っているので、一応自宅療養中というかたちで。今日がそれから初めてのお仕事なんです。しばらくは、スタジオ練習とかレコーディングとか表立ったことはお休みさせていただいています。手術後は腹筋とかは使わないほうがいいと言われたので、あんまり変にヴォイストレーニングとか走ったりとかはしないで、本当に普通の生活を送ってます」

■なかなか訊きづらい話ですけど、どのくらいの時期からどんな感じになったんですか?

「今年の1月の始めに体調を結構崩していまして。私は子宮頸がんのゼロ期にかかったんですけど、ゼロ期の時って普通は症状がまったくないらしいんですね。なんですけど、たまたま私が、不正出血と言って出血をしないはずの時期に出血をすることが初めてあったので、不安になってすぐに行きつけのクリニックに行って看てもらったんです。その時に婦人科の先生が、せっかく来てもらったので子宮頸がんとかの病気になっていないか検査をしてみましょう、っておっしゃったので検査をしてもらいました。それで1週間後に凄い軽い気持ちで行ったら、『もしかしたらがんの疑いがあるかもしれないので、がん専門の病院を紹介します』と言われて……それで、がんの専門の病院でまた検査をしてもらいに行きました。その結果子宮頸がんだという診断を受けて」

■この国でも、多くの女性が煩ってる病気だと聞いてますが、とてもナーヴァスな部分のがんですから、いろんなことを考えたと思うんですよね。

「そうですね……私自身、この病気のことを詳しく知るまでは、どうしてこの病気になるかっていうこともまったく知らなかったんです。ただ、今は20代、30代で最もなりやすい病気であって、私自身も子宮頸がんの検診を無料で受けられるクーポンを貰っていたのにもかかわらず、忙しいからって、行きたいと思っていながら行ってなかったんですよね。そんな中、インターネットとかでいろいろ調べたら、いろんな情報が飛び交っていて。そこには、どうしても偏見を持たれるイメージの病気とあったりもして。自分も、『子宮頸がん』という病名だけを重く捉えてしまったんですけど、この病気は女性だったらなる可能性が全然普通にある病気なんだ、ということに気づいたんです」

(続きは本誌をチェック!)

text by 鹿野 淳

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Posted on 2013.05.19 by MUSICA編集部

米津玄師、強く美しい名曲“サンタマリア”に込めた覚悟とは

前に進むために、生きていくために。
「人は絶対にわかり合うことができない」
という残酷な真理と諦めを振り払い、
ただ、その心の奥底に秘めた切なる願いを露にした
強く美しい大名曲“サンタマリア”。
大きなターニングポイントとなる
この圧倒的な光の正体に
1年ぶりのインタヴューで迫る

『MUSICA 6月号 Vol.74』P62に掲載

■初めてのインタヴューからちょうど1年ぶり、つまりアルバム『diorama』をリリースしてから1年が経ちましたね。

「そうですね、お久しぶりです(笑)」

■はい、とても待ってました(笑)。で、その待ち望んだ新曲である“サンタマリア”を聴いて凄く感動しまして。音楽的にも内容的にも明らかにターニングポイントとなる新境地を切り開いた、非常に強く美しい楽曲で。今日は何故この曲を生み出せたのかをじっくり訊いていきます。

「よろしくお願いします」

■まずは、昨年、初めて米津玄師として自分の声で歌い鳴らした『diorama』という作品が世の中に出て、いろんな反響があったと思うんですけど、そこでどんなことを感じたのかから伺えますか。

「うーん……出す前はきっと賛否両論があるだろうと思ったんですけど、結構そんなこともなく、すんなり受け入れられた感があって。ちょっと拍子抜けするようなところもあったんですよね」

■その「否」はどこから出てくると思ってたの?

「単純な話、僕の声が気に入らない人も絶対にいるだろうなとは思ってたんですよ。でも、ぼちぼちはいたんですけど、その声はそんなに大きくなくて。だから正直、そういう意味では取り立てて変化はなかったんですけど………ただ、そういうこととは関係なく、自分の中ではもの凄く葛藤があった1年ではあったんですよね。『diorama』を作った後、次に何を作ろう?って考えた時に、そんなにやることが思い浮かばなくて。どうしようかなぁって考えながら、いろんなことを見たり体験したりする生活を送ってたんですけど……僕は基本的に普遍的なものが好きなんですよね。凄いポップなもの、開かれたものが好きで。だからこそ、次は自分もそういうものを作らなきゃいけないと思って。今まで全部自分ひとりでやってきたけど、それも変えたいと思ったし………というのは結局、自分ひとりで作ってきたのも、どこかラクだからっていうニュアンスが強くて」

■要するに、米津くんにとっては人とコミュニケーションを取りながら音楽を作るよりも、ひとりで作るほうがラクだし自分の頭の中を具現化しやすいってことですよね。

「そう。でも、そのラクなところに止まっていると、ずっとそのままだなと思ったんです。そういう閉鎖的な考え方って凄い下品だし、健康的ではないなと思って………だから開いていかなければいけない、もっと自分がやれることを見つめ直さなければならないっていうことを、凄く考えてましたね。それで作ったのが“サンタマリア”で」

■「ずっとこのままではよくない」と思ったのは、そうしないとミュージシャンとしてこれ以上成長できないと思ったからなのか、それとももっと人間的な部分というか、生き方の部分でそう感じたのか、その辺はどうなんですか?

「人間的な部分ですね。『diorama』出した後、どんどん自分に厳しくなっていったんですよ。とにかく『このままじゃいけない』っていう焦燥感がもの凄くあって………前に進まなければならない、変わらなければならないっていうのが強くて」

■何故そんなにも焦燥感が出てきたの?

「何故かはわからないんですけど(笑)。でも、とにかく自分を厳しく律して自分の至らなさを挽回することに必死だったっていうか……まぁ今もそうなんですけど。だから、そのために自分に対していろんな枷(かせ)を設けたりして」

■たとえばどんなことを?

「単純な話、この日までに何曲作るとか、あるいは少なくとも毎日1時間走るとか」

■走る?

「はい(笑)。まず身体的に健康になろうって思ったんですよね。やっぱり心と体って対をなしている、表裏一体なものであるわけだから、どっちかが悪くなればもう片方も悪くなる。肉体的に健康でない状態は、絶対に心にも影響するもので。そのバランスが欠けた状態で生きていたツケみたいなものを感じていて………だから今は、外に出て走ったり、いろんな人と話したり、バランスを取り戻すための日々を過ごしているんですけど」

(続きは本誌をチェック!)

text by 有泉智子

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Posted on 2013.05.18 by MUSICA編集部

plenty、驚異的な進化と深化を刻んだ大傑作『this』誕生

生命が抱える「微かな希望」は、
この音楽によって強く雄大な光となる――。
ただ苛烈に「音楽」を突き詰め、
ただ切実に「生きること」と向かい合い、
その果てに打ち立てた素晴らしき大傑作『this』。
日本のロック史における紛うことなき名盤、
ここに誕生!

『MUSICA 6月号 Vol.74』P52に掲載

■正直、想像を遥かに超える素晴らしい名盤でした。これは凄まじい作品を作ったね。

「おぉっ、やったー!」

■『plenty』後、3rd EPの“傾いた空”を筆頭にソングライティング力がもの凄く上がっているのはもちろん感じていたんだけど、これは本当にとんでもないレベルに行っちゃったなと思った。メロディや歌詞はもちろん、アレンジやサウンドの表現性も飛躍的にレヴェルアップしていて。本当に素晴らしいです。自分ではどうですか?

「満足してるかって言われたら、ちょっとわかんないけど――」

■え、これを作っておいて、まだ!?

「うん(笑)。でも、凄く納得してるし、いいアルバムができたと思う。作る前に描いていたものを上手く表現できたと思うし、ちゃんとアルバムとして着地できたし……結構バタバタだったけど、でも凄く納得がいってます」

■前作の『plenty』は、膝を抱えたひとりの少年が世界に踏み出していくまでを綴ったある種のドキュメントのような作品だったし、実際に作っていく過程も、生活の中で日々綴っていったものをアルバムにまとめたっていう流れだったと思うんだけど。今回はどうだったんですか?

「今回はそういう生活感とか日常を綴るみたいなことはなかったですね。もっと楽曲として1曲1曲考えていったというか……だから本当に、前のインタヴューの最後に言ってた『気が狂ったようにいい作品を作る』っていう、ただそれだけを考えてましたね」

■つまり、感覚的に曲を作っていくっていう感じじゃなくて、音楽っていうものをよりシビアに見つめながら、明確な意志を持って1曲1曲、探究を進めていった感じだったんだ?

「そうですね。だから自分やバンドにとって必要な曲や作品を作るっていうんではなくて、できた楽曲、自分がいいなと思った楽曲に対して、どれくらい自分が尽くせるかっていうことをひたすらやっていったというか………だから今回、音楽的にはplentyの短い歴史の中では新しいこともいろいろやってるけど、それも、そういうことがやりたくてやったわけじゃなくて、楽曲を突き詰めていったら自然とそういうものが出てきて。なんか、余計な『らしさ』とか、この作品の次にはこういう曲のほうがいいとか、ライヴ映えがどうとか、そういうことを一切考えなくなりましたね。出てきたものをどうするかっていうことだけに時間をかけたっていうか。だから、凄く俯瞰してる作品だと思います。手触りとしてサラッとしたものが作りたかったんですよ」

■全然サラッとはしてないと思うんだけど。

「え、そうですか?」

■うん。むしろもの凄く深いし重厚。郁弥くんが言うサラッとしたものって、どういうことなの?

「これ、いつも言い方に困るんですけど、地味っていうかハイパーじゃないっていうか…………………でも、着地するところとしては演歌であるっていうのを意識してました」

■演歌?

「うん。俺の作る歌って基本的に演歌だと思うんですよ。現代の演歌っていうか、フォークっていうか。で、それを西洋のお皿に乗せるんだっていうことは凄く意識してて。ロックって海外のものだけど、そういう西洋のお皿に日本のもちっとしたご飯を乗せたい、おにぎりを乗せたい!っていう、そういうことばっかり考えてた気がします」

(続きは本誌をチェック!)

text by 有泉智子

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Posted on 2013.05.17 by MUSICA編集部

星野源、シングル『ギャグ』で早くも新たなる扉を開く

『Stranger』に続いて早くも発売されたシングル『ギャグ』にて、
新しい実験期へ突入!

『MUSICA 6月号 Vol.74』P46に掲載

■今日は5月1日、アルバム『Stranger』の発売日です。おめでとうございます!

「ありがとうございます。やっぱり感慨深いですね。本当に、やっと出たっていう感じがあって。評判も今のところいい感じなので……ふふ、なんか黄昏れますね(笑)」

■前号の表紙巻頭特集のインタヴューをしたのがちょうど1ヵ月ほど前のことなんですけど。あの後にいろいろ取材を受けたり、反響もあったと思います。病を乗り越えて無事にリリースできたっていうことはもちろん、1年の間にたくさんの挑戦をしながら、必死の想いで取り組んでいった作品が世の中に出ていくということは、いろいろと思うところも多いのではないかと思うんですけど、改めて今、どんなことを感じていますか?

「そうですね………最近わかったことがあって。前の取材で話した通り、ずっと自分の殻を破ろう破ろうと思いながらやってきたんですけど。そうなったのはやっぱり、『自分はこのコースしか行けない』みたいな息苦しさがあったからで。ちょっと違うことをやった時に周りから『らしくない』って言われてしまうようになっていたストレスも凄くあったし、自分自身も違うところに行けないフラストレーションも凄くあったし………だから自分を壊したいなと思ってやってたんですけど。ただね、何にそんなに悩んでたのかな?とも思うんですよね」

■それはどういうこと?

「本当に自分を壊したかったんなら、全然違うことをしちゃってもよかったわけだから。たとえばヘヴィメタみたいなことをやってみるとか――安易な例ですけど(笑)」

■なるほど、それくらい違うものにするっていう選択肢もあったはずだと。

「そうそう、そのほうが簡単だったと思うんですよ。でも、それをしなかった。で、何故それをしなかったのかな?って考えてみると、やっぱり最大限、今まで聴いてくれていた人達も連れて行きたかったんですよね。その上で、知らない人達にも聴いて欲しかったんです。だから変わりたい、殻を破りたいっていう気持ちだけじゃなかったんだなって………そういうことに最近気づきました。ずっとそれ(変わりたい、殻を破りたい)だけだと思ってたんだけど」

■大切にしたい「これまでの自分」というものもあったんだ、と。

「というか、これまでの星野 源を好きだった人達も一緒にアップデートさせるような変化、その人達も『一緒に殻を破れる』ような変化を目指してたんだなって。中にはガラッと音楽性を変えるアーティストもいるじゃないですか。それはそれで本当に凄いことだと思うんだけど、それってある意味、半分を捨てる行為だとも思うから………自分はそれはやりたくなかったんだろうなって。だからこそ大変だったんだなって………そういうことが最近わかりました」

■それは、これまで聴いてきた人達を大切にしたいっていうのももちろんあるだろうけど、星野さん自身にとっても、今までの表現の中にちゃんと大切にしたい自分っていうものがあったからなんだと思うんです。

「うん、そうかもしれない」

■前号のインタヴューで「自分が思っていたよりも魂的なものが色濃く残ってしまった」っておっしゃってましたけど、『Stranger』はやっぱり、凄く新しい星野 源を切り開いた側面を持っているのと同時に、これまでの星野 源の核を成していたものがより強く出ている側面もあって、そこが素晴らしいんですよね。あの表紙巻頭特集のコピーに「新しい星野 源、本当の星野 源」っていう文言を入れたんですけど、今までの自分をひっくるめて進化させたからこそ『Stranger』は星野 源の金字塔になったんだと思うし。

「ありがとうございます」

(続きは本誌をチェック!)

text by 有泉智子

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Posted on 2013.05.16 by MUSICA編集部

山口一郎×星野 源、久しぶりの最愛対談

再会、そして最愛!
山口一郎×星野 源

『MUSICA 6月号 Vol.74』P38に掲載

■運命の対談以来、うちでは2回目の対談だね。

星野「そっか。1回目はほぼ出会いでしたよね」

山口「うん、あそこからなんですよ。友達になったのも、サケノサカナも、あのMUSICAの対談から。今やマブダチですから(笑)」

星野「(笑)」

■今日はマブダチ同士、お互いの音楽を真剣かつ無邪気に語るという機会にするよ。まずジャンケンしてください。

山口&星野「最初はグー、じゃんけんぽん!」

山口「勝った!」

■では、先手は負けた源ちゃんから『sakanaction』を聴いた感想を。

星野「うーん、なんでしょう……一郎さんからずっと『今回は売れないと思う』とか――」

山口「(笑)」

星野「『非常に暗いアルバムになりそう』とか『内省的なものになると思う』とか散々聞いてたんですよ。でもサンプルもらって聴いた時、確かに入口はそうなんだけど、なんか、色気バッチリっていうか、売れるよこれはって思った。……僕、大抵セルフタイトルのアルバムって失敗すると思ってるんですよ」

■それは力み過ぎちゃう的な?

星野「自己満足で終わっちゃうことが多いんですね。自分達の思いだけが入ってて、周りからすると『今さらセルフタイトル?』っていうことが多いんだけど、実際、数も売れているし、内容も充実してるし。……だから、ちゃんと波に乗るべき時に乗ったアルバムだったんだろうなぁと思いました。一郎さんが言ってる戦略みたいなものが成功以上に成功している感じがして。正直、俺は一郎さんのそばにいるから戦略的な方法とかそういう情報が多くて、今やサカナクションの『音楽だけ』を純粋に聴くのは大変というか、気軽に聴けないんですけど……そういうアルバムを作って売ったんだなぁと思います

■一郎、今の感想へのリアクションを。

山口「そうだな………音楽をやっている人で、自分の志とか戦略とか、内面とか、本当に全部を理解してくれた上で支持してくれる人ってほぼいなくて。星野さんは僕にとって、そういう貴重な人なんですよ。そういう人が同じ音楽を作る人なのは嬉しいなと思うし、仲間っていう感じですね」

星野「実は、『sakanaction』を制作しているスタジオの上で僕は『Stranger』を録っていたんですよ。でも、そこに俺がいる時、一郎さんは1回も来なくて(笑)」

■歌詞が書けずに自宅に引きこもってたからね。

山口「(苦笑)」

星野「だから結局、スタジオでは会えなかったんですけど、年明けて退院してから、一郎さんが来てくれて話をしたりして。……俺、『Stranger』を作ってる時に自分が行けるところまで行こうと、踏み越えちゃいけないラインのギリギリまで行こうと思ってやってて」

(続きは本誌をチェック!)

text by 鹿野 淳

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Posted on 2013.05.15 by MUSICA編集部

MUSICA6月号発売!
巻頭は「日本のロックフェス50」特集

みなさん、本日MUSICA最新号が発売です!
今月も様々なアーティストのインタヴューが盛りだくさんですが、
その中でも、ぜひ読んでいただきたいのが、全20ページのヴォリュームで
お届けする特集「日本のロックフェス50」です。
1997にフジロックフェスティバルが開催され、日本のフェスの歴史が始まってから15年以上が過ぎました。
今では、音楽ファンに限らず、誰もが楽しめる音楽エンターテイメントとなった「フェス」を改めて検証する特集です。
目玉企画は、日本のフェスを彩ってきた名シーン50を写真とともに振り返るもの。
今も脳裏に焼きついている名シーンや、思わず涙を流したあのアーティストのアクト等々、貴重な写真の数々を一挙掲載しています。
また、他にも日本のフェスの創成期から成長期、そして成熟期まで、その変遷を紐解くテキストや、フェスにまつわるトリビア、読者のみなさんのご意見を掲載したフェスに関するアンケート、そして今年の夏フェスカレンダーといった充実の内容でお送りする「紙の中のフェス」。 フェスに出かける前に、じっくりと読んで、気持ちを高めてもらえたら嬉しいです。

text by 板子淳一郎

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Posted on 2013.05.15 by MUSICA編集部

五十嵐隆、4年ぶりの「生還」ライヴ、緊急最速レポート

五十嵐隆は、
syrup16gを従え戻ってきた五十嵐隆は、
本当に生還したのか?

『MUSICA 6月号 Vol.74』P14に掲載

 所謂メインストリームに一度も足を運んだことがないアーティストだし、音源も一度もオリコンのトップ10に入ったことがないが、Syrup16gの解散ライヴだった武道館は即完だったし、その後何年も眠っているにもかかわらず、今も行方を追い続けるリスナーは一向に減らないという、巨大なカルト層を抱えている五十嵐隆である。しかも彼に魅力感じている人は、そのネガティヴな思想性のみならず、曲のよさだったり、儚くも美しい世界観だったり、シューゲイズな音の暴力性だったり様々で、五十嵐が担っているロックの魅力の多さと大きさを改めて感じる。
 今回の何の前触れもなければ予感もない一夜限りの復活ライヴも、言うまでもなくチケットを買えなかった人が買えた人の何倍もいるという、プレミアム・ライヴとなった。
 会場へ入ると、お客さんの気合いや緊張感は相当張りつめているはずなのに、場内は淡々と静かだった。それはこのホールの雄大さと、あとはファンがそんなに若い人が多いわけじゃないことが含まれていると思ったが、個人的な感触では現役でシロップを聴いてなかったんじゃないか?という人もそれなりに多く混じっていた。既に日本のロックの伝説の中に五十嵐はいて、その情報に期待を膨らませて来た人もいたのかもしれない。
 僕の後ろの人達はずっと「メンヘラ」について話していて、「メンヘラが一番嫌いなのは何かわかる?」「わからない」「それは、『現実』だよ」という、妄想リアルと歌い叫ぶアーティストのライヴらしい会話が聞こえてくる。
 そんな中、19時8分に会場が暗くなった。その瞬間に今までの静かな空気がガラッと変わり、一気に凄まじい緊張感が張りつめた。そしてステージに光が灯されるが、そのステージにはスクリーンのような幕がかかっていて、まだ僕らは五十嵐とはフィルター1枚の世界で遮断されていた。しかし、そのフィルターは1曲目のイントロによって見事に払拭される。
 いきなり“Reborn”から始まったからだ。
「生還」と名付けられたライヴのどアタマに「再生」の歌にして彼の圧倒的な代表曲を響かせる。見事なオープニングのその瞬間、異様な「声にならない叫び」がホール全体を包んだ。動物の歓喜の叫びのような大きな声が客席からステージに音を消すほど浴びせ掛けられ、五十嵐を迎える。そんな特別な空間の中、ベールの奥でシルエットとして光る五十嵐は、とても冷静に歌い出した。
 その声は久しぶりだからなのか、とても綺麗な声で。こんなに歌が上手いと彼に思ったのは初めてだった。今になって冷静に考えても、今までよりも明らかにこの日の五十嵐は「歌えていた」。“Reborn”が終わると、今度はステージ全体に光が投射される。するとベールの奥で光ってるのは、五十嵐含め3人。この時点でほとんどのオーディエンスは、そこに誰がいるのかを察知した。見回すと、多くの人達が顔をくしゃくしゃにして泣きながら喜びに震えている。低いドラムセットを動物のように叩く、あの姿は中畑大樹しかいない。そしてシルエットまでがポーカーフェイスな、寡黙な姿勢で雄弁なベースを奏でていくあの姿はキタダマキしかいない。その確信に震える客席の予感は、歌が始まりベールが落とされステージが露になった瞬間に、現実となった。
 そこにいたのはSyrup16gだったのだ。

(続きは本誌をチェック!)

text by 鹿野 淳

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