Posted on 2015.11.19 by MUSICA編集部

きのこ帝国、『猫とアレルギー』で殻を剥ぎ現れた
美しく柔らかな歌の真実

今は自分の宝物を1個ずつ見せてあげてるみたいな感じに近くて。
昔は「あんたらにはわかんないでしょ」って言ってたのが、
「それでも見て欲しいんだよね」っていうのに変わってきてるんです

『MUSICA 12月号 Vol.104』P.94より掲載

 

■とても素直に佐藤さんの核にあるものを羽ばたかせたアルバムになったと思うんですが、まず何故『猫とアレルギー』というタイトルをつけたんですか? これはリード曲のタイトルでもありますが。

「“猫とアレルギー”という曲は、実は去年の10月ぐらいにできていて。この曲が持ってる空気感をそのままアルバムにしたものを作りたいなっていう構想が芽生えてきてて、そういう流れで作ったので、最終的に元となった曲のタイトルをそのままアルバムタイトルにしよう、みたいな。あとちょっと面白いかな、引っかかりがあるかなというのもありました」

■実際、猫をフィーチャーしたジャケットとアーティスト写真は、以前までのきのこ帝国のイメージとはガラリと変わって。驚いた人も多いんじゃないかなと思うんですけど。

「驚かせたいという気持ちは少しありましたね。やっぱり、この1年は表現において大きな変革があった年だと思ってて。それをわかりやすくヴィジュアルにも反映させるのが一番嘘もないし。悪い意味で驚く人もいるかもしれないですけど、自分達的には作品を聴いてもらえれば絶対納得してもらえる自信があったんで、誤解を恐れずに変化をしたいなって」

■つまり、イメージを一新したいという想いはやっぱりあったんだ。

「そうですね。自分としては今回の変化は、まったく違ったものに変わったわけではなく、今までやってきたことの殻をどんどん剥いでいって、どんどん脱皮を繰り返して、ようやく一番柔らかい部分、柔らかいからこそ硬い殻で守っていた部分を表現できるようになったという感覚なんです」

■まさにそうだと思います。

「そこを出すのは未だに怖い部分はあるんですけど、そこの部分で人と繋がってこそ本当に自分がやりたかった音楽的表現なんじゃないかなっていうのがあって。それをするためだったら、今までこだわってきたあらゆることがどうでもいいもののように思えたんですよね。そういう流れは自分の中ではちゃんと繋がったものとしてあるんですけど、ファンの方の中には、もしかしたら唐突に感じる人もいるかもしれなくて。そこはある種、バンドにとってはリスキーな変化の仕方ではあるんですけど。でも、自分的にはバンドは同じことを続けるよりも挑戦していくべきだと思うし、自分達がより真理に近づいてるっていう自信があるんだったら、それは隠さないであるがままでいるべきだと思うし……っていうのを凄い考えながら作ったアルバムなんです。心的にはフラットに曲を作ったんですけど、このアルバムの持つ意味合いっていうのは自分も深く考えましたし、メンバーも感じるところがありつつ録ってたんじゃないかなと思います」

■どんどん脱皮を繰り返してと言ってくれましたけど、それこそ前作のアルバムの取材から「鎧を外し始めましたよね」っていう話をしてきて。

「はい、してましたね」

■その変化は、きのこ帝国は“東京”という曲以降の『フェイクワールドワンダーランド』、そして『桜が咲く前に』というシングルで提示されてきたと思うんだけど、それにしても今回は完全に鎧を脱いで佐藤さんの核を曝け出した感じがあります。個人的には『猫とアレルギー』は、『フェイクワールドワンダーランド』の次というよりも、その前の『ロンググッドバイ』という作品のネクストヴァージョンというか、あの作品をポップに開いたらこの作品になる、というもののような気がしていて。

「………鳥肌立った(笑)。そうなんです。実は『ロンググッドバイ』と『猫とアレルギー』の世界観は、まったく同じ人に向けて歌ってる作品なんですよ。岩手にいた頃から10年くらい好きだった人がいて、その人のことなんですけど。だからそう感じられるんだと思います」

■ああ、そうなんだ。確かにこのアルバムも、すでに別れてしまったあなたのこと、過ぎ去りし日の愛のことを歌っていますもんね。だから温かな手触りに反して、歌っていることの中には悲しみがあるし。ただ、『ロンググッドバイ』の頃よりも前を見ていて。『ロンググッドバイ』はまだ引き裂かれた、涙を振り払ってさよならを告げていく作品だったけど、今回は何かちゃんと自分の心の中の思い出の棚に収めた感じがあるよね。

「そうですね、引き出しに収めた感ありますね。でも収めたくせにまたそれを引っ張り出してきて、ずっと曲にすると思いますけど(笑)。きっとこの人のことは一生歌っていくと思う。今のところそれが一番自分が震える瞬間だったりするので。もう別れているし、プラトニックのままな分、神格化されてしまってるところもあって(笑)。だから、ほぼストーカーだと思ってくれれば。ストーカーが曲書いてると思ってくれて大丈夫です」

■はははははははははははははは。

「ダメですよね、こんなモラトリアムで。もうちょっと大人にならないと」

■いや、いいと思いますよ。少なくとも表現者としては財産ですよ。

「ふふ。音楽人生の糧にしようと思います。でも、今が幸せだからこそこうやっていい思い出として思い出せるのかなと思っていて」

■ほんとにそうでしょうね。

「きっと今が落ちてる時だったら、言葉にした瞬間に爆発して死ぬ!みたいな、悲しくなり過ぎて戻ってこれなくなると思う(笑)」

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text by有泉智子

『MUSICA12月号 Vol.104』

Posted on 2015.11.19 by MUSICA編集部

フレデリック、『OTOTUNE』で
新たな決意と戦わない僕らの闘い方を示す

それが誰であろうとも、もし誰かが悲しんでいるんだったら
その涙を拭ってあげることが俺らにできる正義だなって思うんです。
それが、俺らの<戦わない戦い方>だと思ってます

『MUSICA 12月号 Vol.104』P.74より掲載

 

■『OTOTUNE』という新しいミニアルバムが出るんですが――ちなみに、『oddloop』、『OWARASE NIGHT』と全部タイトルの頭文字が「O」なのは意図的なの?

三原健司(Vo&G)「はい、ここまででミニアルバム3部作です」

■じゃあこの後もずっと「O」で行くわけじゃないんだね。

三原康司(B&Cho)「それは今後次第(笑)。でも今回は、3部作っていうのもあるんですけど、kaz.くんの脱退も大きくて。『oddloop』と『OWARASE NIGHT』と『O』を繋いできたところにはkaz.くんがいて、その中でkaz.くんと一緒に築いてきたものを今回の作品にも繋げたいなって思ったんです。kaz.くんの意思もここに継ぎたいからこそ、今回も『O』で繋げて3部作にしたかったっていう」

■なるほど。今話に出たように、9月のライヴをもってkaz.くんが脱退し、フレデリックは3人になりました。まず、最初に脱退の話が持ち上がったのはいつ頃だったんですか?

健司「最初に話があったのは『OWARASE NIGHT』をリリースする頃ですかね。タイミング的に東京上京の話が出て――で、やっぱり上京って『はい!』って簡単にポーンと行けるわけじゃないから」

■それぞれの生活もあるからね。

健司「はい。だから自分達の想いをはっきりさせたいっていう気持ちもあって、ちゃんと話し合ったんです。それで『自分は東京に行ってこうしたい』みたいにそれぞれの夢とかを話してるうちに、kaz.から『自分は大阪で目指す夢がある』という話が出てきて、『だから俺は3人を送り出したい』っていうふうに言ってくれて」

■脱退の時のコメントにもあったけど、フレデリックは「家族のようなバンドを組みたい」という意識でやってきたバンドだし、kaz.くんから「3人を送り出すよ!」と言われても、そんなに簡単に「わかった!」ってなる話でもなかったんじゃないかと思うんだけど。その辺りの3人の気持ちはどうだったの?

健司「確かに6年間一緒にバンドをやってきたし、この4人でやっていきたいっていう気持ちはあったんですけど。でも、kaz.自身がフレデリックのことを考えた上での決断やったから……だから『自分が送り出したい』っていうkaz.の決断を聞いた時に、自分達が東京に行って成功することがkaz.のためにもなるし、フレデリックのためにもなるなと思って、この決断にしました」

赤頭隆児(G)「めっちゃ話し合ったんですけど、kaz.さんはフレデリックをやりたくなかったから大阪に残ったわけじゃないっていう――その想いをちゃんと汲むことが僕ら4人にとって一番いい結果に繋がるんやないかって。で、フレデリックがもっと大きくなっていくことがその想いに応えることやと思うんで。そのためにもっともっと頑張りたいなと思ってますね」

■発表されたのは9月だけど、夏前には脱退は決まっていたわけですよね。その中で、今年の夏はフレデリックにとって勝負の夏だった――つまり去年末に“オドループ”で一気に盛り上がった状況を“オワラセナイト”に続けた上で、その状況をトレンドではなく本物にする、そこでフレデリックを知った人をいかにちゃんとバンドのファンにするかというキーポイントが今年の夏だったわけで。

健司「そうですね」

■そういう勝負の夏と4人最後の夏が重なってしまったわけですけど、そこはどんな気持ちでやってきていたんですか。

健司「でも、バンドはそういう状況でありながら、夏に向けての気持ちはまったく変わらなくて。kaz.自身、そういう気持ちがまったくなかったんですよね」

康司「そうやな、なかったな」

健司「1回1回ライヴが終わる度に、kaz.自身が『今日どうでした?』って周りの人達に意見や課題を訊いていて。そのスタンスは6年間変わってなくて……むしろ最初は僕ら3人のほうが『kaz.は最後なんや』っていう気持ちでライヴをしてたんやけど、kaz.が一切スタンスを変えずにやっていたから、僕らの気持ちも前を向くようになって。だから脱退を引きずるんやなくて前へ行くんだってことも、kaz.自身が教えてくれたんですよね。だから夏フェスの間も、どうお客さんに向き合えるかっていうことに集中できて」

康司「バンド自体に前向きさがありましたね。自分は作曲者として――今回“トライアングルサマー”って曲があるんですけど、この曲はその時期にあったことが歌詞になって出てきた曲で。違う方向に行っても全員ちゃんと前を向こう、俺らが4人で言ってきた『家族のようなバンド』ってそういうことなんだろうなって感じました」

■具体的に『OTOTUNE』の制作はいつくらいから始めたんですか? 曲はずっと作ってたの?

康司「そうですね。『OWARASE NIGHT』を作ってるぐらいの時から並行して作ってた曲とかもあったんですけど」

健司「本格的にやり出したのは7月、上京してきてからですね」

■自分達としては今回どういう青写真を描いてたんですか?

康司「……やっぱりメンバーがひとり抜けるってことは、変わるってことじゃないですか。フレデリックは昔からどんどん変わっていくものだと思ってたし、いろんなタイプの曲をやるのが自分は面白いし、そこがフレデリックの魅力だと思ってたんですけど。でも、それにしても大きく変わる時が来たんだなって感じて――」

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text by有泉智子

『MUSICA12月号 Vol.104』

Posted on 2015.11.18 by MUSICA編集部

SiM、熱くラウドに燃え尽くした
最初で最後の武道館公演に完全独占密着

SiM、最初で最後の武道館を完全掌握!
聖地を飲み込んだ「こんなの観たことねぇ!」な狂乱の絶景、
その最深部に独占密着!
ロックの使命を引き受け爆走する闘争の音塊、
シーン云々を超え、いよいよ比類なき存在へ

『MUSICA 12月号 Vol.104』P.54より掲載

 

 12時を少し過ぎた頃に到着すると、すでにもの凄い数の人で溢れていた。物販テントが立ち並んだ玄関前から武道館の外二階部分を1周分、この日限定のグッズを求める人の列が伸びている。快晴の昼間にSiMの黒いグッズを身に着けた人々が(文字通り)黒山の人だかりを作っているだけでもインパクト大だが、6月に武道館公演が発表された時点で「武道館公演はこれが最初で最後」とMAHが公言したこともあって、集った人々のこの日に懸ける気合いがすでに凄まじい。さらに、センターステージでのスタンディングライヴを武道館で行うのは、BABYMETALに次いで史上二例目らしい。そんなスペシャル感に胸を躍らせて会場に入ると、まずはそのステージが現れた。

 …………凄い。ここに約1万人が入るのか。

 巨大な「SiM」ロゴがど真ん中に入った八角形のステージで、その八辺それぞれから渡り通路が下ろされ、一段下がった外周ステージに繋がっている。さらに北側の巨大な黒バックには、その上部のSiMロゴを取り巻くようにして歴代の作品タイトルが散りばめられている。その麓には銀の牙のオブジェに囲まれた入場口、そのステージ全体を囲んでスタンディングエリアが配され、ステージの正面ひと区画だけが座席に。こんな配置は初めて見た。

 ステージ北側には巨大なヴィジョンがふたつ設置されていて、まずはSE映像の確認が始まった。真っ赤な空をバックに漆黒の洋城が浮かび上がり、その屋根に立つSiM4人がそこから飛び降りて、こちらに歩いてくる――というオープニングアニメーションで、GODRi、SIN、SHOW-HATE、MAHの入場順にメンバー紹介の画がキマり、前述の「牙の門」の左右からスモークが飛び出すという流れである。この一連、そしてセンターステージを俯瞰して、すぐピンときた。プロレスだ。特にMAHやSINはプロレス好きだし、あの決めの絵と入場口両サイドからのプシャーッ!は、まさに格闘技の入場のアレである。さらにセットリストに目をやると、「Drum solo~ワイヤー」という文字があったり、「MAH CHANCE」という謎のコーナーが設けられていたり。これまでは排されてきた演出の多さが予見できた。そして特に目を引いたのは、アコースティックセットが導入されていたこと。これは今回のZeppツアーで初めてトライしたそうだが、北海道ツアーに密着した際にMAHが話していた「ライヴハウスと同時にアリーナでも人を満足させられるバンドになって、もうひとつ上に行きたい」という言葉が、全方位に同距離で立つステージ、スタンディングの中に座席も混在させたアリーナ、そしてアコースティックセットという形で体現されていた。

 すると、まず13時にSINとSHOW-HATEが、13時半にMAHとGODRiが会場入り。ステージに対面すると、全員が「ヤバくない!?」と少年のような表情を見せる。ロックに夢を見続けてきた男達らしい、高揚に満ちた聖地との初対面だ。

 14時を過ぎた頃、ステージではGODRiとSIN、その次にSHOW-HATEがサウンドチェックを開始。センターステージの特性上、音がグルリと回りやすいため、特にSHOW-HATEは慎重に音を作っていく。ソリッドなだけでなく、不穏な揺らぎや混沌とした世界を作り出す様々な音色が次々に鳴らされていき、いい意味で「本当に変なことをサラリとやるバンドだな」と、改めてSiMの音楽的な面白さを実感した場面だった。

 その頃、楽屋に戻ってきていたMAHに「ツアーはどうでした?」と話を訊くと――。

MAH「今回、自分達としてはかなり短いツアーだったけど、それが凄くよくて。短いツアーだからこそ、ちゃんと仕上げて臨もうと思って、バンド練習だけじゃなくてライヴのリハを4人でやるようになったんですよね。それで、演奏面でも見せ方的にもライヴがよくなったんですよ」

■歌がよくなったり、ライヴのリハをちゃんとやろうと思ったのは何故だったんですか。

MAH「ライヴハウスに軸があるのは変わらないけど、もっと大きいステージでもできるバンドになるためには、音楽的にならなくちゃいけない部分もあるわけで。だから俺個人としてもヴォイトレに通ってみたりして。……暴れたいヤツは暴れればいいし、聴き入るヤツは聴き入ればいいっていうのが、そもそも音楽の理想で。でも、今まではそういう自由な楽しみ方を音だけで提示するほどの実力がなくて。だけど前回(『i AGAINST i』のツアー)売り切れなかった札幌のZeppも今回は売り切れて。そういうのも含めて、ちゃんと音楽的なバンドなんですっていうのを見せるべきなのが、このタイミングだと思ったんですよね」

 そして15時15分、リハーサル開始。この日以前にゲネプロは2回行われたそうで、この日のリハは数曲だけで、どちらかと言えば演出の進行を固める向きが強かった。新曲の“CROWS”、MVを再編集した映像を流す“Amy”、“EXiSTENCE”、本編ラストの“JACK.B”。さらに謎の「MAH CHANCE」を挟んでのアコースティックセットで披露する“Same Sky”とThe Beatlesのカヴァー“Come Together”(ファーストアルバム『Silence iz Mine』にも収録されている)。そして「Drum Solo~ワイヤー」のセクションを順番にチェックしていく。例の「MAH CHANCE」と「Drum Solo~ワイヤー」の謎もようやく解明される時だ。

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text by矢島大地

『MUSICA12月号 Vol.104』

Posted on 2015.11.18 by MUSICA編集部

SHISHAMO、冬のアンセム“君とゲレンデ”と共に
宮崎が見据える今とこれから

私の好きなバンドは20年間変わらなかったけど、
SHISHAMOはそれじゃいけないんです。
だって、SHISHAMOは私の好きなバンドとは違うバンドだから

『MUSICA 12月号 Vol.104』P.62より掲載

 

■新しいシングルは“君とゲレンデ”というタイトルで。宮崎がスキーが好きだとは知りませんでした。

「いや、そんなに好きじゃないです」

■……だよな。

「はい(笑)。スノボは去年の冬に初めてやったんですけど、ま、それも今回の曲とは特に関係ない話なんですけど」

■今回のシングルは冬ヒットを狙いにいった曲だとも言えると思うんですけど。冬のヒットソングって、たとえば一昔前だったら「レコード大賞獲りたい!」とか「紅白に出たい!」とか、あるいは「クリスマスソングの名曲を作りたい!」とか、作り手側にはいろんな想いがあると思うんです。宮崎はこの曲をどういう気持ちで作ったの?

「もうちょっと多くの人にSHISHAMOを知ってもらいたいなと思って。“君と夏フェス”っていう前の曲がそのキッカケになった人は多いと思うんですけど、そういうキッカケになる曲をまた作れたらいいなという想いはありました。もちろん、今でもいろんな人がライヴに来るようになったとは思っているんですけど、別にここ(現在のSHISHAMOの状況)を目指してきたわけではないし、まだまだ……まだまだ先に進めると思っているので」

■タイトルを見ると“君と夏フェス”との連鎖もあるし、楽曲的にも「弾けてるんだけどセンチメンタル」な曲であるところも繋がっているし、歌詞の内容も景色が見えるというか、この曲から50分間のテレビドラマが生まれるような、そういう世界観になっているよね。

「……あんまりそれは考えてないかもしれないですね。実は他の曲を作る時と作り方はあんまり変わってなくて」

■“君と夏フェス”って現実的にヒットもしたわけで、そういう意味で「あの黄金率をまた作るんだ」っていう確信犯的な曲ではないんだ?

「あ、それはありますね。あったんですけど、でも、そういう作り方が特別にあるわけじゃなくて。気持ち的に……私は曲を作る時ってイメージを最初に作るんです。それは単純に『明るい曲』みたいな簡単なものでもいいんですけど、そういうイメージの中で、『今回はSHISHAMOの中のキラッとしたやつかな』ってくらいの心意気で最初は作りました」

■実際に作ってみて、“君とゲレンデ”と“君と夏フェス”との違いって自分ではなんだと思います?

「違い……考えたことないですねぇ。………季節とか?」

■(笑)。僕が感じた違いは、あの頃よりも音楽がお上手になってます。

「おぉ! あ、でも作っている時は難しかったです。いつもは頭からお尻までスラ~ッと作るんですけど、この曲は何回もメロディを変えたり、Aメロも3種類くらいあって、全然決まらなくて。……“君と夏フェス”よりもいい曲を作らないといけないと思っていたし、よりたくさんの人にこれから聴いてもらう曲になると思ったので。でも、別に『“君と夏フェス”よりもこの曲がいい』とは今は思ってないですね。……かといって『“君と夏フェス”のほうがこの曲よりもいい』とも思っていないんですけど(笑)」

■そうだね。“君と夏フェス”はパンチが効いていてロックバンド然としているけど、この“君とゲレンデ”はとても美しく、音楽的にスムースに聴こえる、つまりポップスとしての洗練度と完成度は今回のほうが遥かに高いんです。で、一番大事なのはここなんだけど、宮崎は“君と夏フェス”からの1年半弱の中で音楽的な成長としてそこを目指してきたし、ちゃんと自分の音楽の中で磨いてきたことなんじゃないのかなって思ったんです。

「まさにそうですね、確かにポップスとしての完成度っていうのはあるかもしれないです。私自身はロックは好きなんですけど……いや、ロックが好きなんですけど、でも、SHISHAMOはバンドを聴かない人に聴いて欲しいなと思っていて。そういう気持ちは、“君と夏フェス”からの1年半の中で凄く強くなってるんですよね。具体的に言うと、SHISHAMOはバンドを聴いたことがない人とか、シンガーソングライターとかが好きでライヴハウスに来たことがないような中学生とかが『初めてなんです』って言って来てくれたりしてて。そういう存在でいいと思うんです。私はそのほうが純粋に音楽を好きになってもらえたんだなって思うから。そういう本当だったら全然関わらないような人達の日常にSHISHAMOの音楽があるんだなって思うと凄く嬉しくて。……別にそれを望んでいたわけじゃないんですけど、そういう人がいたからこそ、『あ、私はそうなりたかったんだな』っていうことに気づいたりして。別にバンドシーンとかで名を上げていきたいわけじゃないなって」

■前作の『熱帯夜』は、敢えて言うなら「SHISHAMOっぽくないムードのある大人な曲」だったと思うし、自分達もそれをわかった上で新しいムードの曲を出すというある種の冒険だったと思うんです。そういう冒険をしたにもかかわらず、いい意味で状況は変わらずにここまで来れたよね。

「そうですね。なんか思っていたより大丈夫でしたね。……やっぱり“熱帯夜”はSHISHAMOの中でも曲としてのクオリティの高さが違うなって思ってて。演奏していて難しいって感じる部分もあるんですけど、凄くしっくりはくるんですよ。たぶんお客さんも同じで、そんなつもりじゃなかったけどしっくりきているのかなっていう感じはあります」

■たぶん宮崎は、“熱帯夜”が周りに受け入れられたことで、ソングライターとしての自信をつけることができたと思うんだよね。それがこの“君とゲレンデ”の音楽としての美しさに繋がっていると思っていて。

「たぶん、私がやりたいことって“熱帯夜”みたいなこと――それはああいう曲をやりたいっていうことじゃなくて、いわゆるSHISHAMOっぽくない曲とかも出したくて。限定したくないっていうか。でも、今回はわざわざ戻した感じは自分でも凄いあって。外から見ると『軌道修正』みたいになってるんですけど、でも、それは“熱帯夜”を出したことで『あ、こういうことやっても大丈夫なんだ』ってわかったからこそ、もっともっと好きにやっていきたい!って思ったところから繋がってるんですよね。で、なんというか、今回はこれから好きにやっていくために、敢えてSHISHAMOっぽい“君とゲレンデ”を出すっていう感じなのかなって。……『好きな音楽をやっていればいいんだ』って人もいると思うんですけど、私は聴く人がいないと意味がないと思っているので。自分がやりたい音楽をみんなに聴いてもらうために、“君とゲレンデ”でSHISHAMOを好きな人を増やしたいなと思ってました」

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text by鹿野 淳

『MUSICA12月号 Vol.104』

Posted on 2015.11.16 by MUSICA編集部

エレファントカシマシ、
『RAINBOW』で長き旅路の果てに掴み取った革新的王道

ようやく僕は、自分が空も飛べない生身の人間であるということ、
非常に弱くて、ほっとけば病気とかする人間だってことを気づけた。
それが本当にデカかった

『MUSICA 12月号 Vol.104』P.44より掲載

 

■遂にアルバムができましたね、宮本さん!

「いやぁ、そうですね、ようやくできました!」

■この『RAINBOW』は「アルバムとは何か?」ということを隅々まで考え抜かれた素晴らしいアルバムだと思うんですが。まだ完成して数日しか経ってないんですよね?

「そうなんですよ、4日前までずーっとやってました。実は曲順をもの凄く悩みましてね。毎回、曲順は非常に考えるんですけど、今回は特に悩んだんですよ。ほら、前の『MASTERPIECE』から考えると3年半っていうとても長い期間があったじゃないですか。だからいろんな時期の曲があって……それこそ、その間にはさいたまスーパーアリーナでの25周年記念コンサートもあったし、僕の耳のこと(急性感音難聴)でライヴを休止して、生まれて初めてツアーを全部飛ばしちゃうっていうこともあったし。そういう期間の中でだんだん自分と向かい合っていった、そのダイジェストのようなところがこの『RAINBOW』にはあるんですよね。だからアルバムとしてはデコボコはしてるんですけど、非常に面白い、いろんな想いが込められた曲が集まったアルバムになったなという気はしています」

■この『RAINBOW』というアルバム、資料には「シングル4曲を含む、ベストアルバムと呼べるオリジナルアルバム」というコピーが打たれているんですが、まさにそんな心境ですか?

「あ、その『ベストアルバム』っていうのはレコード会社のみんなが考えてくれたことなので(笑)」

■あ、そう(笑)。

「もちろんとてもいい宣伝文句だとは思うんですけどね。ただ、僕としては、やっぱりアルバムとしてどうやってみんなに聴いてもらうかっていうことを凄く考えたんです。それこそシングルもいっぱい出てるし、カップリングも含めて、やろうと思えば2年前にアルバム出せちゃったかもしれないくらい曲数は揃ってたんですよね。ただね、やっぱり僕はオリジナルアルバムとして、新録音を7~8曲どうしても入れたかった。それで、(今年の正月の)武道館以降いろんなことがあった中で、最終的に5月くらいから本っ当の意味でアルバムレコーディングがスタートして、そこから10月の上旬、つい4日前までずっと続けてたんです。だから本当に、アルバムとしてどうするか?ってことを第一に考えて作りました」

■まだアルバムも生まれ立てだし、ご自身の中でも整理がついてないところもあるだろうことを承知の上で敢えて訊きますが、このアルバムは、宮本さんの中では何をやろうとしたアルバムだと思いますか?

「うーん…………………………鹿野さん、僕はね、本当にこの数年『アルバムってなんだろう?』ってよく思ってるんですよ」

■それはアルバムというアートフォームが当たり前ではなくなった今の時代的なことも含めて、ですよね。

「そう。今はもう1曲1曲買えるしね。でも、かつては――たとえば『明日に向かって走れ – 月夜の歌 – 』でもファーストアルバムの『THE ELEPHANT KASHIMASHI』でも、さらにはユニバーサルシグマに来てからの『STARTING OVER』でさえも、全部『アルバムを作る!』という気概で、アルバムとしてトータルで考えて曲を作ってきたんです。だけどここ数年は本っ当に『アルバムってなんだろう?』っていう悩みが…………僕らは毎回毎回シングルヒットを狙いまくって――」

■いやいや、ちょっと待って。そういう話じゃない。

「ま、それはいいんです。とはいえ、もちろんどのシングルだって精魂込めて、僕も含めて全員がその時の最大の力を結集して集中するんですけど。でもねぇ………………うーん………………で、質問なんでしたっけ?」

■(笑)このアルバムは何を作ろうと思って作ったアルバムなのか?

「そうだ! だから、それが本っ当にわからなかったんです。しかも“ズレてる方がいい”は3~4年前の曲で、当時はまだ若いつもりでいた時に作ったもので。まぁその時だってもう46歳くらいで本当は初老と言っていい年齢なんだけど、でもまだあの時は……幻を見てたんですよ、自分達自身に対してね」

■なるほど。確かにその夢は見たい。

「そこからスタートして、実は自分もメンバーも老いている、年を経てるっていうことを身をもって思い知らされる出来事があって。そういうことと向き合いながら、本当に長い意味での生きているっていうことをアルバムとしてどう成立させるか―――だってさ、さっきも言ったけど、シングルの曲を集めて、それこそその時のベストアルバムとしてバッと出したってよかったわけじゃない?」

■たとえばそれに『RAINBOW』と名づけて、ここには自分達の七色の色を詰め込んだんだっていう理屈で出したってよかったじゃないか、と。

「おっしゃる通り! でも、どういうわけか、それじゃダメだったんだよねぇ………自分でもなんでここまでこだわって、インストまで入れて、買った人にしか楽しめない工夫まで考えて、わざわざアルバムっていうものにこだわったのか、さっぱりわからないんです。でも、たぶんその…………………いや、うーん………………やっぱりわかんない。なんでそうやってやったのか、未だに悩んでるんです」

■でも、そうやってちゃんと「アルバム」というものを作ることにこだわったのは、メンバーでもスタッフでもなく、宮本さんなんだよね?

「そうなんです。むしろみんなは早く出して欲しかったと思うんです。ファンのみんなでさえも、もっと早く聴きたかったかもしれない。でもやっぱり僕は、ちゃんとひとつのアルバムにしたかったんだよね」

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text by鹿野 淳

『MUSICA12月号 Vol.104』

Posted on 2015.11.16 by MUSICA編集部

星野源、MUSICA初の2号連続表紙特集!
2015年の圧倒的名盤『YELLOW DANCER』を全曲語り尽くす!

『ばかのうた』を作った時って、
「今の俺が全部入ってる」っていう感じだったんですよ。
で、このアルバムもそうなんです。
今の俺の中身を全部表現できていると思う

『MUSICA 12月号 Vol.104』P.24より掲載

 

■とんでもないアルバムを作りましたね。

「おおー! ありがとうございます!」

■前号ではレコーディング佳境の最中、途中経過のドキュメント的な部分も含めてアルバムに向けた第一声インタヴューをさせてもらって表紙巻頭特集を行ったんですけど。その時に次号では完成インタヴューをバックカヴァーでやろう!と話し、実際に告知もしていたんですけど、その後曲が出揃ってみたらこれがあまりにも大・大・大傑作だったもので、2号連続表紙にしちゃいました!

「やったぜ(拍手)!!! こんなことないでしょう?」

■うん、2号連続表紙は創刊以来初めて。

「嬉しい!!!」

■本当に2015年の圧倒的な名盤ですよ、この『YELLOW DANCER』は。前号のタイミングでは新曲4曲+既発シングル4曲という、全14曲中の8曲を聴かせてもらってたんだけど――。

「そっか、あと6曲あったっていうことか」

■そう。結果全14曲のアルバムを通して聴いた時に、正直言って、これは傑作になるだろうと確信してバックカヴァーを決めていた自分の予想よりも、さらにデカいものが来たなと思って。

「うんうん」

■だから今日は完成を祝いつつ、改めてじっくり話を聞いていければと思っています。

「よろしくお願いします!」

 

(中盤略)

 

1. 時よ

 

■ではまず“時よ”。まぁすでに先ほどたっぷり語ってもらったんですが(笑)。年始に最初にできた時から、こういう音のイメージだったの?

「うん。このベーッていうアナログシンセの音と、繰り返し出てくる♪テーテレテレレレっていう間奏のメロディをストリングスで弾きつつパーカッシヴな部分はアナログシンセで出してっていうイメージは元からありました」

■今回、“時よ”、“Week End”、“SUN”という頭3曲でアナログシンセの音が凄くポイントになっていたり、最終曲“Friend Ship”のラストでもアナログシンセが効いていたりと、アルバム全体の中でも強い印象を放ってるんですけど。それはなんでだったの?

「ここまでいっぱい入れる予定はなかったんだけどね(笑)。“時よ”とかでいっぱい使うかなぁぐらいには思ってたんだけど、“Week End”も結果的にいっぱい使ったし。……“SUN”で使った時に、アナログシンセっていうものの奥深さが凄く面白くて。ツマミひとつで音が全然変わっていく感じ――プリセットじゃなくてその場で作っていくから同じ音には戻れないとか、そういうナマの感じが凄くいいなぁと思って。電圧でチューニングが変わったり、急に1個の鍵盤だけならなくなったりするんですよ(笑)。そういうのも含めてチャーミングだなって思うし、あと、温かみがもの凄くあるように感じたんですよね。それが凄く楽しくなったっていうことだと思うんだけど(笑)」

■シンセなんだけど、人間のユーモアみたいなものが表れてくる感じがありますよね。

「うん。なんていうか、凄く現代感がある。もちろん現代はデジタルが主流だとは思うんだけど、でも今また復刻版でアナログ回路のシンセサイザーだったり、アナログ音源のリズムボックスだったりっていうのがどんどん出てきてて。JUNOとかJUPITERとか(80年代に発売された代表的なアナログシンセ)、当時は未来的だったものが、今は凄くリアルタイムな質感として感じられるなぁって思うんですよね。現行で出ているデジタルなものは、もうちょっと先の未来を思い描いているっていうか……自分の中では凄く、アナログシンセの音っていうのが今の日本っぽいなぁっていう感じがあって。で、やっぱりノイズであるっていうことは、自分にとっては凄く大事なことだから。あのベーッていう音が、ノイズなんだけど気持ちいいっていう、その感じがいいなって。今はみんなEDMでもなんでも、もっと強い刺激でも耐えられるようになってるんだとは思うんだけど、俺は過激なことをやりたいつもりはなくて、今のことをしようと思っているだけなんです。その中で自分の想いが一番伝わるやり方としては、手で演奏するアナログシンセっていうのが一番いいだろうなって。それでやってみたらよかったから、いっぱい使ったっていうことです」

■歌詞については、2番の<結んで開く~>っていうところが凄く素敵だなぁと思いました。

「この2番の歌詞を書いたのは、まさにドラマ(『コウノドリ』)を撮っている時だったんです。だから赤ちゃんというキーワードが出てきたのも凄く自然なことで」

■あ、なるほど。

「『コウノドリ』で出産についていろいろ勉強してるんだけど、やっぱり出産って何が起こるかわからないんですよね。100%安全なお産っていうのはなくて。怖がる必要はないけど、でもみんなに平等にリスクがある。で、そういう危うさの中で、生命はずーっと続いているんだなぁって凄く実感するわけです。そういうことの影響が自然と出てきて、この歌詞ができて……みたいな。それも自分では凄く面白かった。あと個人的には3番の<夕立に濡れた君を>っていう歌詞ができた時に、もらった!と思って(笑)」

■季節の移り変わりを書いてる箇所ね。

「春、秋、夏、冬っていう順番なんだけど、四季を1行ずつ書いていこうって思って季語をいろいろ調べたりして。その中で夏っていうものを表す言葉が<夕立>になって、そこに人(<君>)を入れられたのが嬉しかったというか」

■情景の中に人間の存在を入れられたからだ。

「そうそう。それでさっき話したことが一気に表現できたなっていう………なんか、聴いてもらうのが一番!って思ってきた(笑)。どう説明してもダメだわ。それは今回すっごくそれを感じるの。全部できたな!って。補足説明しなくていいやっていう感じがあって(笑)」

■ま、それはわかる(笑)。

「ふふふ。あ、でも、この曲の歌詞を最後<バイバイ>で終えよう!って思いついた時には、凄く興奮したなぁ。この『バイバイ』っていう言葉が、この曲の中では凄く爽快な感じがする。『さよなら~っ! また来週~っ!!』みたいな(笑)。その爽快な感じを<バイバイ>で表現できたなと思って、なんか凄く達成感があったなぁ。この歌詞のテーマの最後の言葉として凄く相応しいというか、新体操で最後に着地がパシッと決まった!みたいな感じがあって」

■この曲は「バイバイ」だけど、「さよなら」という言葉も今回のアルバムではよく出てきていて。前号で「それは意識的に書いてる」と言ってましたけど、その理由を私なりに考えてきたんです。

「お」

■でも、その話は最後の曲でする(笑)。

「ははははははは、了解!(笑)」

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA12月号 Vol.104』