Posted on 2016.09.17 by MUSICA編集部

1マイク1ギターのリアルファイター・MOROHA、本誌初見参!
特大の愛情と野心をラップする、ふたりの生き様に迫る

逐一自分の中にある言い訳とか自己防衛に向き合って、言い訳を殺すことで、
そこに生まれるのは人との出会いなんですよ。
人と出会っていくことで、自分の世界に新しい何かが生まれていくんです

『MUSICA 10月号 Vol.112』P.92より掲載

 

■周囲の人と日常に対するラヴソング、そうして大事なものがあるから闘うべきなんだという極端な闘争ソング、夢や希望を手放さないための人生への敬意を歌う歌。それらが、この1マイク1ギターっていう素っ裸のスタイルから放たれているから胸にブッ刺さると思っていて。おふたりにとっては、MOROHAの音楽をどういうふうに捉えてるんですか?

UK(G)「自分にとってのMOROHAっていうのは、まあ、本来やりたいと思ってなかった音楽ではあります(笑)。元々はバンドでやりたくてギターを始めたんで。だから敢えて言うなら……不本意ではあります!」

AFRO(Vo)「ははははははははは!」

UK「でも、同じ感覚を持って聴いてくれている人も増えてきて。それに応えられるようになってきているのは、誇りに思ってますね」

■じゃあAFROさんはどうですか。

AFRO(Vo)「自分がどんなヤツなのかっていうことを伝えていって、それを人に伝えていく過程だからこそまた自分が変わっていく――それを音楽でやってる気がします。そのためにラップをやって、こうして隣でギターを弾いてくれるヤツがいて。それがMOROHAなのかなって思います」

■UKさんは「不本意だ」と冗談半分でおっしゃいましたけど、実際、おふたりはどういう部分がハモったから一緒にやっきててるんですか。

AFRO「元々は高校の同級生で、仲がよくて。そこで、UKのバンドも活動が止まって、俺も一緒にやってたラップの仲間の活動が緩やかになって、せっかく仲いいんだし1曲作ろうよ!って言ってUKとやってみたら、初めて音楽で褒めてもらったんですよ。それが始まりで」

■その時から、この1マイク1ギターっていう編成のもの珍しさにも自覚的だったんですか?

AFRO「そうですね。なんていうか……何に対しても逆らいたい!っていう時期でもあったし、何にしても『お前、それ本当にカッコいいと思ってるのか?』『それって本当に大事?』って言いたい自分がいたんですよ。周りに流されて同調して――っていう当時の周囲の雰囲気が嫌だったし、一方で、俺がカッコいいと思ってるヒップホップはどうなんだ?っていうことも考えたら、やっぱり俺は、ヒップホップのカルチャーだったり空気感だったり、その中にいる自分が好きなだけなんだ!って気づいたんですよ。じゃあ自分の弱さとか情けなさも本当のこととしてラップしていきたいと思ったし、もっと言えば、低くて太いビートじゃない方法で音楽をしようと思ったし。そうやってカウンターを打つ意識があったと思うんですよね。『みんなが大事にしているもの』に対して逆行くぞ!って感じで。だけど俺は『ラップ』っていう手段は好きだし、それをやりたいと。なら、これが王道だ!と言われているようなヒップホップのフィルターを全部外してラップしようと思ったんです。それが、こういう編成に繋がった気もします」

UK「やっぱり、AFROは周りのヤツとはちょっと違ったんですよ。……AFROは、特別ラップが上手いとか、歌が歌えたとか、そういうところじゃなかったんです。でも、そういう技術的なものだけが大事じゃないんだ!っていうことをお互いに自覚してたんでしょうし、そういうパッション先行なところが光ってたんですよ、AFROは」

■AFROさんのラップって、ラップっていう形を目的化してないですよね。メロディとか音で誤摩化したり美しくしたりするんじゃない、自分を素っ裸にする覚悟としての手段でラップを捉えてると思うんですけど。

AFRO「ああ、そうだと思いますね。でもね、それこそ最初は、ファッション的なリリックも書いたりしてたんですよ。だけど、THA BLUE HERBと出会ったことによって、意識がガラッと変わったんです。あれはデカかったなぁ……。たとえば、THA BLUE HERBの歌詞に<欲しいのは金だ 食ってく為さ>(“Supa Stupid”)っていうのがあるんですよ。それを聴いた時に『完全に本当のこと言ってるわ!』って思ったんです。そこで、俺がラップっていうものに惹かれたのは、こういう本当のことを表現できるからじゃないか!って思って。そこから変わって、弱さとか、情けなさとかも引っ括めて歌にしていこうと思ったんですよ」

■でも、おっしゃる「本当のこと」がご自身の弱さとか愚かさみたいな部分になってくるのはどうしてなんですか。“三文銭”もそうだし、MOROHAの真ん中には必ず、どこか弱い自分を暴露しながら進もうとする歌が多いと思うんですけど。

AFRO「……UKと一緒にやろうと思った時も、『ギターが上手かったから』みたいな理由じゃなかったんですよ。じゃあどういうものが大きかったのかって考えると、何もかもかなぐり捨ててでも本気で音楽をやれるヤツなのか、言い訳なく音楽に人生懸けていけるヤツなのかっていう部分だけだったんです。たとえば周囲にも『将来音楽やりたいな』って言ってるヤツはたくさんいましたよ。だけど、それぞれに『家族がどう』『仕事がどう』って、みんな真っ当な言い訳を持ってたんですよね。なおかつそういうヤツを見たことで、同じように言い訳だらけだった自分自身も実感したんですよ。それをなんとか乗り越えたいと思ったし……逐一自分の中にある言い訳とか自己防衛に向き合って、その言い訳を殺していくことで、自分の生き方を筋の通ったものにしたかったんですよ。だから、俺の歌は全部自分に対してなんですよね。たとえば『なんでMUSICAは取材に来ねえんだよ! こんなにいい作品出したのに!』って言ってても、『結果出してないから取材に来ないんだよ!』ってだけじゃないですか。それに『じゃあ、直接作品を渡しにいったのか』って話じゃないですか」

■実際、『MOROHA Ⅱ』が出た後、夜の編集部に直接いらっしゃったこともありましたね。

AFRO「そうそう。で、あの日があったからこそ今日の取材に繋がってるんじゃないかって俺は思ってますし。結局、何かが叶わないのも、最終的には自分が言い訳して諦めてるだけだし、MOROHAは『飛び道具だ』っていうイロモノ扱いのままなのも、もっと純粋に『音楽』として聴かせられる力が俺らにないだけだから。そういうクラスまで行かないとダメだって思うし、なんなら俺は、この編成、この音楽でミスチルクラスになりたいんです。MOROHAでは、自分のアングラ思想さえもひっくり返したいんですよ」

(続きは本誌をチェック!

text by矢島大地

『MUSICA10月号 Vol.114』

Posted on 2016.09.17 by MUSICA編集部

東京スカパラダイスオーケストラ×Ken Yokoyama、
今年髄一の最強コラボ、再び!
『さよならホテル』の真髄を谷中敦とKen Yokoyamaが語る

「『もう健なしではいられない身体なんじゃないですか?』って最近
何回も言われるけど、本当にそういう気持ちになってきた」(谷中)
「僕は最初からそれが狙いでした。いくら素晴らしいミュージシャン
とやっても、『健とやるのが一番楽しいな』って(笑)」(Yokoyama)

『MUSICA 10月号 Vol.112』P.86より掲載

 

(前半略)

■そして今回の“さよならホテル”ですが、だいぶ前に録ってたんだよね。そもそも同時に2曲の提案がスカパラ側からKenくんにいったと。

谷中「横山くんのオーダーでもあったよね、最初っから2曲ともいきたいって」

Ken「僕の無茶振りでもあったっすね(笑)。“道なき道、反骨の。”の曲出しの時に2曲残ったんですよ。どっちがいいかな?って相談されて、僕としては両方よかったんで、『これ両方やっちゃっていいんじゃないですかね?』って。そしたらそれが実現したっていう(笑)。最初から2曲やりたいなって思ってたわけじゃなくて、2曲とも素晴らしかったんですよ。“道なき道、反骨の。”は東京スカパラダイスオーケストラってバンドが横山健をどう料理してやろうかっていう曲だと思うんですよね、それは歌詞の世界観を含めて楽曲の疾走感も横山合わせだったと思うんですけど、“さよならホテル”ははっきり言うと誰が歌ってもいい曲なんです(笑)。メロディ聴いた時に『わあ! なんていい曲だ!』って思っちゃったんですね。僕覚えてますもん、スタジオで『この曲が世の中に生み出されると嬉しいですね』って言ったの。瞬間では判断できなかったんですけど、メロディの抑揚とか上下とか、あのテンポ感でのスカな感じとか……周りのみなさんが僕の言葉を聞き逃さないで『こりゃ本当にやりたそうだな』って思ってくれたんでしょうね」

■数々あるコラボレートシリーズの中で、こういう経緯や会話は過去にもあったんですか?

谷中「うーん、どうかなぁ。そういうのはほとんどないけど、クリープハイプの尾崎くんの時は何曲か聴いてもらったんだっけな……その時くらいかなぁ。『どっちの曲がいいですか?』っていうのを歌い手さんに訊くのは結構珍しいパターンだったんだけど、“道なき道、反骨の。”は今までのスカパラの流れのまま横山くんのお客さんの期待を裏切らず、スカパラのお客さんの期待も裏切らず一番王道なところを狙ってたから、こっちは逆に難しかったかもしれない……。それでも“さよならホテル”も歌ってもらいたいなって。曲調としてこれを歌っている意外な横山健を観てみたい、聴いてみたいっていうのはスカパラのメンバーの中にあったんです。でも“君の瞳に恋してる”とか名曲のカヴァーをしている横山くんなら“さよならホテル”は料理できるなって思ったんだよね。Ken Yokoyama verの “Sayonara Hotel”も作ってもらったけど、あぁなるほどね、こういう感じに料理されるわけだ、ってそういうアレンジもスカパラでも試してみればよかったなって後から思うくらいに本当に凄くよかったですよ」

■日本語のタイトルを英語化したタイトルの“Sayonara Hotel”が2曲目に入ってますが、これは同じ曲を今度はKen Bandで英詞でやってるんだよね?

Ken「たしかね、加藤くんが言い始めたんじゃないかなぁ。練習スタジオで僕も含めてみんなで練習している最中に『いい曲だ、いい曲だ』って僕が興奮してたら『Kenさんの弾き語りとかがあってもいいかもねぇ、Ken Bandヴァージョンも聴いてみたいな』って誰かが言ったひと言が後々メールとして『あの話、やりませんか?』ってくるわけですよ。で、僕もすぐにイメージしましたね。『表題曲があってそこにヴォーカルとして呼ばれた人間が自分のバンドヴァージョンを作って、しかもレーベルの垣根も飛び越えてやることが本当にできるんだ!』って」

谷中「純粋にKen Bandヴァージョンは絶対よさそうだし聴いてみたいってことなんだけど、この話をちらっとした時に横山くんが『その時期出ているバンドのカヴァーを他のバンドがやるかって有り得ないけど、やったら絶対面白いってずっと思ってたんですよね』って言ってくれて、それなら是非やろう!ってことで」

Ken「話が少し飛んじゃいますけど、昔『JUST A  BEAT SHOW』(1986年に渋谷屋根裏で開催されたライヴイベント。収録したオムニバスアルバムもある)ってあったの覚えてます? THE BLUE HERTSとかを輩出してた。その主催の the JUMPSってバンドがあったんですけど、BAD CONDITIONって相棒のバンドがいたんですよね。で、その2組がいつも違う場所でひとつの曲を演奏してたんですよ。そこに僕は絆も感じたしいろんな意地も感じたし、それと同じじゃなくてもいいんですけど、いろんな人達がひとつのことを大事にしてそこに熱量を注ぐっていうことに凄く憧れもあったんですよね。……僕がHi-STANDARDの前のバンドの時だったんで20とかそこらの、まだなにも掴んでいない時期にそのシーンとかを観て、大人にしか出せない、キャリアのある人にしか出せない凄みとかもなんとなく感じたりしていて、そういったことをやってみたいなって思ってたんですよね」

■ご自分がアレンジしたヴァージョンを英語詞にしたのは、Ken Bandとしてこの曲を引き受けたからには自分達のものにするんだっていう意識と覚悟の表れですよね。

Ken「そうですね、パッケージとして最終的に出すんだったらKen Bandとして引き受けたいなって気持ちになっていって、よし英語で書こう、しかも英訳をするだけじゃなくて『さよならホテル』というキーワードをもとにまったく新しいストーリーを書こうって思いました」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA10月号 Vol.114』

Posted on 2016.09.17 by MUSICA編集部

plenty、才気煥発のアルバム『life』リリース。
自身の音楽宇宙を拡張する江沼の脳内を解く

今回、「俺は果たして変わったんだろうか?」
みたいなことを考えて作ってたところがあって。
「俺はどこから来てどこへ行くのか」じゃないけど、
そういうことをふと思ったんだよね。
それで過去の歌詞ノートを引っ張り出してきて、
自分を確認する作業から始まったんです

『MUSICA 10月号 Vol.114』P.78より掲載

 

■なんと前作『いのちのかたち』から11ヵ月という短いインターバルでいきなりフルアルバムが届いてしまうという。

「ふふ、事件ですね」

■まぁ事件とまでは言わないけど、でも2月にツアー終わってまだ半年だし、かなり早いペースですよね。これは何が起こったんでしょうか。

「でも、大それた理由はなくて。やっぱり、常にいろんなことがやりたいじゃないですか。俺、やりたいことがいっぱいあるんですよ」

■はい、知ってます。

「ひとりで作ってるわけじゃないから、周りのみんなのスピード感とかもあるんだけど。でも、俺自身は常にやりたいことがあるし、常に曲を作っていて。だから今も、『life』のプロモーションはやってるけど――」

■もしや、もう作ってるの?

「作ってる(笑)」

■クリエイティヴィティの塊だね。

「だから別に、このアルバムも急いで作ろう!みたいなことは全然なかったんだけど。ただ、今回は俺の自宅作業が長かったというか、俺がデモをちゃんと作り込んだ上で、それに沿ってバンドで録るっていう感じだったから。単純に、それによってスピードアップしたんだと思う。もちろん俺がデモを作る時間はかかるんだけど、でも曲自体は結構、もう『いのちのかたち』が完成した直後からずっと作ってたから」

■それこそ、“嘘さえもつけない距離で”という素晴らしいメロディの楽曲が収められてるんですけど、これは1月くらいにデモを聴かせてもらって感動した曲で。その時はまだ弾き語りのデモだったけど。

「そうそう、それも早くからあったし」

■郁弥くんのデモに沿って録ったと話してくれたけど、一太くんが加入して3ピースに戻ってからの2作、ミニアルバム『空から降る一億の星』からアルバム『いのちのかたち』は、3人でスタジオに入ってアレンジしていくっていう方法論を採ってたじゃないですか。でも今回は、またそれ以前のやり方――郁弥くんがトータルのアレンジまで作り込んだ上でバンドでレコーディングするっていうやり方に戻したっていうことだよね? そうしたのは何故だったんですか?

「俺が作るデモの雰囲気からあまり離れないようにしたいっていう話が、メンバー間であって。それは一太からの提案がきっかけだったんだけど。一太が『俺は江沼のデモが好きだ』っと。でも、バンドでアレンジしてくと、その俺のデモの感じがなくなっちゃう。アレンジは変わってもその雰囲気だけはちゃんと抽出したいのに、そこもなくなってしまうのは何故だ!?みたいな会議になって」

■その自分のデモの雰囲気がなくなっていくということに関しては、郁弥くんはどう感じてたの?

「変わってるなとは思ってた。でも俺、そういう意味ではそこに関して無責任だったというか、それを楽しんでたから」

■そうだよね。自分の中だけでは生まれない、バンドで起こる化学反応やそこで生まれるアイディアを楽しんでたよね。

「そうそう。その前の『this』と『r e ( construction )』はひとりで作り込んで自分のデモから離れないように離れないようにって形で作ってて、それを経てやっぱりバンドでやりたいと思って、一太が入って3人でバーッとやって2枚作って。その一太からそういう言葉が出るっていうのもまた面白いなと思うんだけど(笑)。だから今回は、総監督みたいな感じでやりましたね。もちろん相談はしたけど、アレンジはもちろん音作りにしても、基本的に俺がこういうふうにしたいっていうのをガッチリやった感じ。だからレコーディングも、リズム隊はせーので一緒に録ってるけど、俺は一緒に録ってないんですよ。コントロールルームにいてふたりの演奏聴きながら、『ここはこういうふうにしよう』とか『イメージと音が違うからマイク替えまーす』みたいなことをやって」

■要はプロデューサー的なこともやったんだ?

「うん。だから割と全部担った」

■この『life』というアルバムは、私は「plentyの集大成にしてネクストレベル」と言うべきアルバムだと思ってるんです。音楽的な部分では、plentyの出発点であるギターロックを進化&洗練させたものから、ネオソウルや近年のインディR&Bの文脈を組んだ“born tonight”や“誰も知らない”のような新たな試みまでが入っているし、歌詞の面でも、初期の頃からテーマにしてきた「生きていくとはどういうことなのか?」ということに改めて向かい合い、その中にある葛藤も不安も疑念も悲しみも全部引っくるめて、確信や自分自身の生き様を綴っていて。進化も強く感じるんだけど、一方で原点確認のような印象もある作品になっていますよね。

「そうなんですよね。……別に取り戻したいみたいなことじゃないんだけど、今回、『俺は果たして変わったんだろうか?』みたいなことを考えて作ってたところがあって。『俺はどこから来てどこへ行くのか』じゃないけど、そういうことを、ここに来てふと思ったんだよね。だから歌詞も、前回は『愛』っていう、自分が今まで掘り下げたことのないテーマに挑戦しようっていう明確な意図があったりしたんだけど、今回は新しいことに挑むっていうよりも、ちょっと自分の表現を振り返るというか。それこそ、過去の歌詞ノートを引っ張り出してきて思い出すような、自分を確認するような作業から始まったんですよね。……俺、やっぱり『確かめ癖』があるんだよね。保守的なんだよ」

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA10月号 Vol.114』

Posted on 2016.09.16 by MUSICA編集部

TK from凛として時雨、傑作アルバム『white noise』完成。
新境地へと踏み込んだ深層を問う

巻き戻したり、練り直す作業を切り捨てた分、
一番温度感があると思いますし、
出したくない自分までを出してしまっている怖さもありました。
作品を作る以上、そういう怖さは持っていたいし、
何よりも温度感が欲しかった

『MUSICA 10月号 Vol.112』P.40より掲載

 

■フルアルバムとしては前作の『Fantastic Magic』が約2年前になるんですけど、この2年間、バンドとしてもソロとしても過去と比べるまでもなく非常にアクティヴですよね。

「意外かもしれないですけど、自分ではあんまりそう感じなくて」

■そうなんですか。凛として時雨はすべてを表さないことにバンドの美徳があるというイメージがだと思うし、現実的にリリースやライヴの間隔は空いているバンドだったと思うんです。でも、今は隙間がほぼない状態でソロとバンド、そしてライヴと音源制作がされていますよね。TKの中で何か変化があったのかなと思っていたんですけど。

「確かにそうなんですけど、時雨も昔からライヴ自体は結構やっていたので、スケジュールとしては常に何かをやっている−−−−生活の中心が『音を出す』ってことはずっと変わってないんです。リリースのタイミングやプロモーションも『出ないほうがカッコいいんで、これは敢えて出ないでいきませんか?』っていう意図はなくて………まぁ、取材は得意じゃないんですけどね(笑)」

■そこは長い間の中で何回も聞いているから承知してますよ。

「はい(笑)。でも、音源も出すべきタイミングで出していたら『3年も出してなかったんだな。そういえばテレビに出たことなかったな』って感じなんですよ。その時、その時の『目の前』を見て走った結果、自然と変化したのかなって思います。だから活動としては凄く健全で。自分の中でフラストレーションが溜まってアウトプットするまでの間隔が凄く短くなったけど、バンドとソロを並行して行っているので出しやすくもなっていますし」

■アウトプットの間隔が短くなったのって、何か具体的な理由があるんですか?

「それぞれの活動で自由なことをやっていると、違う部分の欲求がどんどん溜まっていくんですよね。ソロで自由にやることによって満たされた時『あ、時雨ではこういうことができないかな』っていう対極した欲求が生まれやすくなってて。そういうふうに一方に目を向けている時のほうがもうひとつの欲求が生まれやすかったりするっていうのはあるんですよ。……僕は、結構ひとつのことに入り込み過ぎるほうなんで」

■よくわかります。

「はははははは。そうやって自分が入り込み過ぎたせいで見えていない部分は凄く大きいし、どちらかひとつだけの活動になるとそこから抜け出せずにいることも多かったんですけど、今は前よりもそこから抜け出すタイミングがあるんです。……自分の中が空っぽで、何を生み出していいかわからないっていう音楽に対する空白の感覚は今もあるんですけど、その感覚以上にアウトプットをしたいっていう欲求が強くなったのは大きいかもしれませんね」

■「空っぽ」って言いましたけど、単純な話として、ソングライティングの数が増えていると思うんですよね。これは湯水のごとく曲が出てくる何かしらの理由があるのか。もしくは今話をしてくれたソロとバンドの往復の中でモチヴェーションとコンセプトが生まれやすくなっている感じなのか、どっちなんですか?

「うーん………今、凄くアイディアが湧いているかっていうとそうでもなく、湯水の様に溢れて来たことは今までないですね(笑)。でも、アウトプットの欲求が強いと枯れていたものを導けるし、その欲求で作品は出せるんですよ」

■自分の中にあった空白よりも、生み出したいっていう欲求が今は強いんだね。

「そうですね。だから前よりも引き出す力が強くなりましたし、視点を変えることによっての自分の隙間を見つけるのが上手くできるようになりました。……昔みたいに3年に1枚書いているほうがクオリティが高かったのかって言われれば、そうではないと思いますし、その時に鳴っている音はその瞬間にしかないので」

■本当にその通りだと思う。短いスパンの中で作られた本作(『white noise』)も非常に素晴らしい作品です。

「ありがとうございます」

■ここに来るまでに、『Fantastic Magic』の際のインタヴューを読み返したんですけど、ソロだけじゃなく時雨も含めた全キャリアの中で、僕はあの作品を最高傑作と位置付けていて。……「あぁ、また同じことをTKに言うんだなぁ」と思いつつも、言わせてもらいます。間違いなくこのアルバムは、全キャリアを通しての前作以上に最高傑作です。

「あはははは、何度言われても嬉しいですよ。ありがとうございます」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA10月号 Vol.114』

Posted on 2016.09.16 by MUSICA編集部

04 Limited Sazabys、待望のフルアルバム『eureka』完成!
核心作をGENが語り尽くす

違和感のある人になりたいなっていつも思うんです。
「童心」っていうのも、狂ってるっていうのも、ユーモアがあって
人を笑わせたり喜ばせたり幸せにできたりするものだと思うし、
そういう人に憧れる自分がそのまま歌に出てきてるような気がします

『MUSICA 10月号 Vol.114』P.48より掲載

 

■フォーリミが特にライヴで見せてきたようなキラキラした遊び場感がそのまま各曲に投下された、非常に青春感の強い作品だと感じました。まず、GENくん自身はどういう手応えを持ってる作品ですか?

「凄くいいアルバムができたなと思ってます。自分で聴き返してみると――自分達がここまでリアルタイムで聴いてきたルーツや、影響を受けてきた音楽がいろんな形で全部入ってると感じますね。もちろん昔のメロディックパンクだったり、海外のポップパンクだったりもベースにはあるんですけど、昔のJ-POPとか歌謡曲っぽい切なさとか、逆にハードコアな部分とか――そういう自分達のルーツが全部出てるし、それを、今の自分達としての現代版で入れられた作品になったと思ってます」

■元々、このアルバムはそういうものにしたいと思ってたんですか?

「いや、まったくそういうイメージもなく、無我夢中で作っていただけなんですけど。いろんな部分に、大好きだったバンドやアーティスト人達が見えてくるんですよね。好きなものがたくさんあった自分とか、好きなものに影響を受けた時の自分がたくさん入ってる感じがしますね。このアルバムを作る時に『いろんなものに影響を受けてここまでやってきたな』っていうことを考えることは多かったので、それが出てるのかなって思います」

■そういうことを考えたのは、なんでだったんですか?

「やっぱり、地元の名古屋から上京してくるタイミングで作ったのが今回の作品だったので、ここまでお世話になってきた人・環境に対しての感謝を込めたいっていう気持ちが最初からあったんですよ。そう考えていたら、自分が影響を受けてきたもの、それを好きで夢中になっていた時の自分がバーッと出てきた気がしていて」

■言ってみれば『CAVU』も、音楽的な引き出しを一気に開けた、メロディックパンクに留まらないアレンジが満載の作品だったと思うんですけど。今回は、その時ともまた違う感覚だったんですか。

「全然違ったと思います。『CAVU』の時は正直、メジャーデビューっていうこともあって、『メジャーなんて!』『インディーズ魂出してやる!』っていう作為的な気持ちもあったんです(笑)。だから、いろんな要素を意図的に出して、ガチャガチャした音になってたのが『CAVU』で。でも今回は、パンクシーンでやってた頃のアングラ精神とかじゃなく、たとえばスピッツとかthe brilliant greenとか、My Little LoverとかSMAPとか――自分がドンズバで聴いてきた良質なJ-POPの影響もそのまま出ちゃってるんです。ギターフレーズとか僕のメロディなんてまさになんですけど。懐かしく感じてくれる人は懐かしいだろうし、それを今の感覚で新しくミックスできた自信があるんですよね」

■なるほど。今言っていただいたことを言い換えてみると、今の4人を構成しているものを、本当の意味で迷いなく解放できた感覚なの?

「ああ……確かにそうです。たとえば僕は、いつも自分の中の葛藤とか迷いを曲にしてきたと思うんですよ。だけど、やっぱり『上京』っていう大きな機会によって、『新しい環境への不安もあるけど、だからこそ希望を描く歌を歌いたい』っていう気持ちが凄く強くなっていって。だから、迷いや不安も全部背負って次の道へ進もうっていう気持ちが、作品通じての迷いのなさに繋がったんだと思います。言ってみれば、これまでの曲だって、名古屋で育つ中で出会ってきた人や、たくさんの出来事のおかげで作れたんですよ。なら、そういう人達への感謝も込めたかったし、それを、自分達がもっと上にいくための道しるべみたいな作品にもしたかったんです」

■GENくんはずっと、嘘なく自分の生き様を曲にしたいと語ってきてくれたし、無垢な自分をそのまま曝け出したいっていう気持ちが凄く強いのがフォーリミじゃないですか。そういう意味で言うと、名古屋は、自分達の生きてきた道や生きてきた証が詰まった場所だったわけで。そういう場所を離れてまで上京を決意したのは、そもそも何故だったんですか。

「正直に言うと――そりゃ、名古屋っていう地元にいれば居心地はいいわけです。友達も周りにいて、みんなが優しくしてくれるし。ただ、居心地のいい環境にいることが『成長すること』に繋がっているのか、不安になったんです。もしかしたら、ぬるま湯に浸かってるだけなのかなって。名古屋を背負って東京に出て行くことで、自分達にはまだまだ先があるんだ!っていう気持ちを行動にしたかったんです。それが、結果として名古屋のシーンにとってもいいことだと思いましたし。やっぱり『YON FES』を自分達が作って成功させたのなら、なおさら上を目指さなくちゃいけないと思って。……昔は、もっと生活レベルの『極限のヒリヒリ感』の中で『負けたくない!』って思ってる感じだったんですよね。だけど今は、そこまでパツパツな生活でもなくなって、電気が止まることもなくなって(笑)。ただ、それをキープするのが目的になるのは嫌だったんです」

■たとえば前のシングル『AIM』の“climb”は、もっと我武者羅に、インディーズ時代みたいにひたすら夢を追いかけていくんだっていう改めての意志表明でしたよね。それを歌ったGENくんと、名古屋でどこかチルアウトしているGENくんの間のズレがより大きくなってたんですかね。

「ああ、そうだと思います。昔から住んでる分、きっと名古屋には昔の必死だった自分の感覚も残ってはいるんですよ。だけど昔の『音楽で飯が食えない』っていう状態だった自分からすれば、今の自分達は『お前ら、もう夢叶っちゃってるじゃん!』っていう状態だと思ったんです。そこに安住していても自分達のこれからの夢を制限しちゃう気がしたんですよね」

■『eureka』――「我、見つけたり!」という意味のタイトルからは確信的なものも伝わってきますが、単刀直入に訊くと、もっと大きな環境に向かうタイミングで、何を獲得しにいったのがこの作品なんだと思いますか。

「何かを果たしたり獲得しにいったり、というよりは……自分達を確立したかったっていう感じだと思います。『eureka』を作ってる最中に、『この作品で僕らを確立できるかもしれない』『これで、説明不要な存在になれるんじゃないか』って感じたんですよ。そうして確立することによって、たとえ音楽を掘り下げて聴かない人にとっても、04 Limited Sazabysっていう存在として聴いてもらえるようになるんじゃないかなっていう気がして――」

(続きは本誌をチェック!

text by矢島大地

『MUSICA10月号 Vol.114』

Posted on 2016.09.16 by MUSICA編集部

KANA-BOON、『Origin』以降初のシングル『Wake up』投下。
重要な岐路に立つ谷口鮪、その胸中に迫る

1個変われると、もっと変わりたいっていう気持ちも強くなる。
その最初の1個掴めた感覚はあります。
見えないものを見たいし、
それが楽しみやっていうところに足を踏み入れている感覚がある

『MUSICA 10月号 Vol.112』P.62より掲載

 

■今回のシングル、カップリングも含め、とてもいいですね。歌詞にしても音像にしても、現状を打破して次のステージに向かう意志が今まで以上に音楽として強く鳴ってるなと思うんだけど。

「“Wake up”に関しては『Origin』と並行してレコーディングしてたんですけど、でも、この曲は僕がひとりで作ったものなんで。今までの曲よりは僕の気持ちとか意志みたいなものが――今までは歌詞だけやったけど、曲自体にも凄く出てる感じがしてます」

■いつもみたいにバンドでセッションで作るんじゃなくて、鮪くんがひとりでちゃんとデモを作り上げるという形でやったんだ?

「そうです」

■『Origin』のインタヴューをした時、今後はそういう形で自分ひとりでちゃんと曲作りに取り組む機会を増やしたいっていう話をしてくれたけど、改めて、そもそもそう思ったのはどうしてだったんですか?

「あのー……他の3人が体たらくじゃないですか」

■体たらくって(笑)。ま、意識の差はあるよね。そしてその差をどうするかが、『Origin』に至るまでの鮪くんの悩みと葛藤でもありましたよね。

「はい。『Origin』を出して足並みが一旦ひとつにはなったと思うんですけど、ずっと自分と3人の差は考えていて。やっぱり僕が望むものを出せないメンバーもいたり、出せないタイミングがあったり。今まではそれを口で伝えてたけど、なかなか結果が出てこなくて。だったら僕自身がちゃんと行動で示すしかないなって思うようになったんです。僕を見て『こいつ頑張ってるな』ってわかってもらえたら、他の3人も頑張るというか、結果を出せるようにやっていけるんかなって。それに、フロントマンとしてバンドを引っ張る人間として、もう1回ちゃんと組み立て直したいっていう気持ちもあります。それが一番大きいですね」

■そうなった時にこういう曲になったのは何故だったんですか? 疾走感はありつつも音像自体は割と重厚でラウドな、今までのKANA-BOONサウンドよりもひと回り重く強くなったロックバンドサウンドだよね。

「作った時はどんな曲を作ろうっていう意識を持ってたわけじゃないですけど、ただ、自分達にとってのど真ん中な曲を作ろうっていう気持ちはありましたね。僕らは奇を衒ったことはできひんし、やりたいっていう気持ちもない。やっぱりちゃんと自分らが真ん中に据えられるものを一生懸命やっていきたいなって思ってて。そういう気持ちも募ってきてたんで、結果この曲ができたんかなっていう気がします。重めで力強いサウンドにしたいって思ったのは、レコーディング前になってからやったけど」

■だから曲の顔つきが――。

「はっ!(と笑顔になる)」

■ん? 曲の顔つきがキリッとなったよね。

「あー、僕が痩せた話かと思いました(笑)」

■はははははははははははは、痩せた?

「痩せました。痩せてないですか?」

■ごめん、あんまり気づかなかった(笑)。というか、この流れでいきなりそこに話を持っていったりはしない(笑)。

「すいません(笑)。顔つきって聞いた瞬間、思わず(笑)」

■(笑)。いや、音楽の顔つきがキリッとしたと思うんですよ。楽しさや青春感もKANA-BOONの魅力のひとつだけど、今回はヒリヒリした部分も含め、もっとキリッとした強さや闘争心が表れてるよね。それは特にカップリングの“LOSER”に顕著だけど。

「そうですね、それは僕も感じてます。“LOSER”は本当に悔しさとか、ツアー回ってて感じたことを歌ってます。『Origin』コンプレックスがちょっとあるんで――」

■『Origin』コンプレックス?

「『Origin』に関して、ちゃんとテーマもあったしいいアルバムやと思ってるんですけど、今まで以上に届かへんかったっていう後悔がずっとあって。あの作品を評価してる自分もいるけど、コンプレックスも大きいんですよね。やっぱりツアー回ってて『Origin』の曲達への反応が少ないのを見ると悲しかったし悔しかったし。そこからもっとシャキっとしたい、もっと頑張りたいって思うようになって……全体の音の雰囲気も含め、そういう気持ちはこのシングルに出てるなって思います」

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA10月号 Vol.114』

Posted on 2016.09.15 by MUSICA編集部

星野源、本年最強の一手となる
シングル『恋』リリース!
「『YELLOW DANCER』以降」とそのすべてを振り返る

「J-POPが更新されたから何だ」って思う自分もいて。
世の中は変わったかもしれないけど、それで俺が何か変わるのか?っていうと、
あまり変わらなくて。元々のニーズが「俺」なので。
で、その「俺」が結構厳しいので(笑)

『MUSICA 10月号 Vol.112』P.10より掲載

 

(前半略)

■まずは、何はともあれ、ご自分では今回のシングルに対してどんな手応えを持っているのか?というところから始めたいんですけど。

「なんて言ったらいいかな………………『次のシングルはこういうものになる』っていう自分の予想を、遥かに超えたものができたなぁという実感があって。だから凄く嬉しいです」

■その超えたものっていうのは、音楽的な部分で?

「なんか、『密度』みたいな感じかな。音楽の密度、アイディアの密度、フレッシュさの密度。いろんなものを含めて、凄く密度が高いものができたと思います。もちろんそういうものになったらいいなと思って頑張ってたんだけど、“恋”に関しては特に、自分の予想を超えたレベルで達成できて。この中では“Continues”が一番最初にできた曲なんですけど」

■そうなんだ。“Continues”もめちゃくちゃ素晴らしい曲だよね。これがA面になってもおかしくないくらいの楽曲だし、もしかしたら『YELLOW DANCER』の発展系という意味では“Continues”のほうがしっくりくるというか、『YELLOW DANCER』と“恋”を繋ぐ楽曲でもあるよね。

「うん、そうです。これは『YELLOW DANCER』の次っていう意味では一番キーになる曲なんです。実際、最初からそういうものを作りたいと思って作ったのが“Continues”で。ひとつの方向性として、『YELLOW DANCER』で作ったものをよりイエローミュージックにしていきたいっていう想いがあって。それをやるんだ!っていうふうに思って作った曲なんだけど。この“Continues”には細野(晴臣)さんへの想いっていうのが凄く入っていて。僕の目の前を照らしてもらった細野さんへの感謝の気持ちと、それを自分の音楽に受け継いで、そしてここからさらにまた次の音楽に繋がっていったらいいなぁっていう想いが、歌詞の内容にしても、楽曲のアレンジに関しても、凄く入ってる曲なんです。まぁそもそも楽曲の一番大元にあったアイディアは、ジョージ・デュークなんですけど(笑)」

■なるほど、そうなんだ。

「ジョージ・デュークは凄く好きで、ライヴの客入れと客出しの時にずっと流してて。その影響もありつつ、そうやって続けていく、音楽はや人間は続いていくんだっていう想いが自分の中では一番強くある」

■だから<胸に浮かんだ はらいそは/笑えるほど 鈍く輝いてるんだ>という、「はらいそ」(細野晴臣&イエロー・マジック・バンドのアルバムタイトル)という言葉も出てくるし、タイトルも“Continues”なんだ。

「そう。もちろん、『YELLOW DANCER』からその先に続いていくものっていう意味も含めてのタイトルではあるんだけど。だから、そういうのを全部含めてまず最初にこの曲がドンッ!とできたので、逆に“Drinking Dance”は超力抜いてめっちゃ遊んでるっていう感じになった(笑)」

■確かに“Drinking Dance”は、これ作ってる時めちゃくちゃ楽しかったんだろうなぁという雰囲気が滲み出まくったディスコチューンだよね(笑)。

「遊びまくったアレンジだし、アナログシンセの入れ方とかもめちゃくちゃだし(笑)。しかも、ずっとファルセットだしね(笑)」

■そう、これ全編ファルセットで歌っててびっくりした。「ウコンの力」のCMでも流れてるけど、まさか全編そうなるとは思ってなかったので。

「凄く楽しかった(笑)。で、こういう曲達ができた後、一番最後にできたのが“恋”で。やっぱり一番気合い入れて作りました。『YELLOW DANCER』で作ったものとこのカップリングの曲達、その全部を引っ張っていくような、もの凄い力のある曲を作りたい!って思って取り組んだのが“恋”です」

■この“恋”という曲は、『YELLOW DANCER』で成し遂げた「ブラックミュージックとJ-POPの融合」っていうのを完全に血肉化した後、その次の段階として生まれたポップスであるっていう印象が凄く強くて。

「嬉しい。やっぱり今回もダンスミュージックはどうしてもやりたくって。身体が動きたくってウズウズするみたいな、そういうダンスビートの曲にしたいなとは思ってたの。それで、いわゆるクラシックなダンスビートみたいなものも作ったし、ジャズっぽい方向のものも作ったし、ジャンプ・ブルース的な方向のものも作ったし、いろいろ試してみたんです。でも、なんていうか、どれも引っ張っていってくれる感じがなかった。なんか安全な感じというか」

■想定の範囲内、みたいな感覚?

「そう。『YELLOW DANCER』をリリースした後、凄く嬉しかったのは………ほら、“SUN”みたいな曲がすっごく増えたでしょう?」

■増えた(笑)。それはもう、ポップスの世界でもバンドミュージックの世界でも、あからさまに増えたよね。

「そのこと自体、嬉しくってやったぜって感じだし、非常に誇らしいことではあるんだけど、でも、どこかでああいうダンスビートっていうものが記号化してきているなということも感じて。だからそうじゃない、記号として受け取るものじゃないダンスミュージックっていうものを作りたいなという方向にどんどんなっていって……というか、そうじゃないと自分が満足できないっていうか(笑)。で、『満足できない! 満足できない!』って、いろいろ試しながらずーっとやってきて」

■今って、ディスコビートとかファンクなビートって「これやっておけば今っぽいでしょ」みたいに聴こえるところがある、つまりこの日本でも完全にトレンドになっているわけですけど。そういう感覚とは一線を画した、トレンド云々を越えてワクワクするような、かつ新鮮な驚きのあるダンスミュージックを求めてたっていうことだよね。で、そのためにはただ単にダンスクラシックとかジャンプ・ブルースとか、そういうふうに分類できちゃうダンスビートでは満足できなかったってことだよね。

「うん。それで結構悩んで、いろいろやってみて一番しっくりきたのが、このテンポのこのビート感だったの。その中で思いついたコンセプトが、いわゆるダンスクラシックの33回転のLPを間違って45回転で再生した、みたいな曲にしよう!っていうもので(*33回転、45回転というのはレコード再生時の1分間あたりの回転数のこと。33回転のLPを45回転で再生すると1音が通常よりも速く再生される。ちなみにテンポが速くなるだけじゃなくピッチも高くなるなどの変化が起こります)」

■ほー! その発想は凄く面白い!

「でも実際、そういうこと(33回転のレコードを45回転で再生しちゃうこと)って割とあるんだよね(笑)。で、その早回しみたくなったヤツがカッコいいな!って思うことは今までも凄くあったから」

■それこそ90年代にDJが33回転のレゲエのレコードを間違えて45回転で再生しちゃったことからジャングルっていうジャンルが生まれて、そこからドラムンベースに繋がっていったっていう話もあるんだけど、そのアイディアをコンセプトにして生演奏のダンスミュージックを作ったっていうのは面白いね。

「いろいろやっていくうちにダンスミュージックって一定量のBPMを越えると記号的なダンスじゃなくなって、しかもそれが実は凄くJ-POPに近づいていくっていうことがわかって――じゃあ、それをやったら面白いじゃないか!って。家の中でウンコしながら思いついて(笑)」

■ははははははははははは! 確かに考えを巡らせやすい時間ではあるけどさ、うんこしながら思いついたのが“恋”って!(笑)。

「うんこしながら、タンッタンッて手を叩いてリズムを変えていったら、『うぉー、キターッ!!』と思って。で、この速さで行こう!ってなった(笑)。だからね、実はこの曲って、BPMを落としてゆっくりにすると、クラシックなダンス曲になり得るんですよ。スネアとバスドラの関係とかも割とクラシックなダンスミュージックの作りになってるし。でも、それをこのテンポ感でやるっていうのを思いついた時にこれだ!と」

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA10月号 Vol.114』

Posted on 2016.09.15 by MUSICA編集部

RADWIMPS野田洋次郎のソロプロジェクト・illion再始動。
新作『P.Y.L』から彼のインナーワールドへ踏み込む

音楽との向き合い方が変わったんだろうなって思う。
音楽が自分の断片でしかないっていうか。
昔は無菌室でミニマムに作ってたのが、
今は意地でも種を保存しようとしてる感じもあるし、
でも同時に、そこまで気張ってるわけでもなく、
もっとナチュラルな行為の気もするし

『MUSICA 10月号 Vol.112』P.30より掲載

 

■先日RADWIMPSのアルバム『君の名は。』が発売され、さらに11月23日にもオリジナルアルバムがリリースすることも発表された中、illionのセカンドアルバムがリリースされます。つまり、なんと8月、10月、11月と3枚のフルアルバムを出すという驚異的なペースなんですけど。

「ねぇ? こういうのってギネスとかないのかな(笑)」

■これは多作モードなんですか? それとも、いつもこのペースで制作しているけど世の中にアウトプットされてないだけ?

「いや、多作モードだと思うな。ずっと作ってる感じです、今は」

■こうやってインタヴューするのは2015年6月の『ピクニック』以来になるんだけど――。

「あ、その頃からずっと作ってますね。その辺りで劇伴が終わったから……ん? 違う、劇伴の完成がほぼ見えたのが今年の4月とかだ。時系列わかんなくなってきた(笑)。『×と○と罪と』が3年前?」

■うん、あれが2013年12月上旬だから、そろそろ3年くらい経つ。

「ということは一昨年は何やってたんだ? あ、ツアーやって映画撮ってたのか。となると去年は……そっか、劇伴作ってたのと、対バンツアーもやってたんだ。智史(山口智史/Dr)が休養に入ったのも去年か……」

■そう考えると激動の3年間ですよね。

「ほんとですね(笑)」

■illionは、2013年の3月にファーストアルバム『UBU』をリリースして以来のアルバムなんですけど。これはいつ頃から取り掛かってたの?

「劇伴が終わった直後からですね。最初はEPの予定だったんですけど(7月発売の予定で告知もされていた)、作ってたら止まらなくなっちゃったんで、これは絶対アルバムにしたほうがいいなと思って。そもそもは日本でライヴをやろうっていう話があって、それが決まったから、だったらリリースがあったほうがライヴをやるモチベーションとしてもいいよねっていうことで、軽く作ってみようかな、みたいな始まりだったんだけど。で、“Miracle”っていう曲が去年の秋ぐらいになんとなくあって、他にもいくつか自分が今面白いなと思う音楽的な試みがあったから、それを試してみようぐらいの気持ちで始めたら、どんどん曲ができちゃって(笑)。そのほとんどがEPに入らないのかと思うと切ないなと思って、相談させてもらった感じですね」

■“Miracle”を作ったのは、まだライヴの話はない頃?

「いや、ちょうど話をしてたぐらいの時期かな。でも“Miracle”はillionやるぞっていうんじゃなくて、ふと家で曲を作ってた時に出てきた曲で」

■ファーストの『UBU』は、そもそも初めの段階としては、イルトコロニーのツアー後、『絶体絶命』を作る前にひとりでスタジオに入ってた期間に作っていた曲があって、その出口を作ってあげたいという想いがあったこと、プラス、震災の後に自分ができることをどんどん形に残していきたいっていう意識になったことが大きかったという話を前にしてもらったけど。今回の『P.Y.L』はどうだったんですか。

「うん、『UBU』はやっぱり震災が大きかったです。その作ってた曲をアウトプットしようって思ったきっかけも震災だったし。でも今回はそれとは全然違う動機というか……やっぱり、音楽との向き合い方が変わったんだろうなって思う。音楽っていうものを対象化するというよりは、自分の断片でしかないっていう感覚になってるというか。だからどこを切り取ってもらってもいいよっていう感じだし、どこを切り取ってもなんとなく自分で面白いなと思えるし。それがいいか悪いかわかんないけど、今はそういう距離感になってるから、それはやってしまおう、みたいな感じが強いですね。で、トラックメイキングみたいなことが面白くなってきちゃったから、その楽しさもあって。なんか初めて楽器を手にしたみたいな喜びで曲が作れている感じがある。それがこのillionのアルバムになってるっていう感じかな。昔は無菌室でミニマムに作ってたのが、今は意地でも種を保存しようとしてる感じもあるし、でも同時に、そこまで気張ってるわけでもなく、もっとナチュラルな行為の気もするし。今はほんと、ご飯食べる、トイレ行く、寝る、音楽作るっていうのが全部並列にある感じ。その中でも、このアルバムは特に今のモードを象徴してると思う。映画音楽やったりRADやったりプロデュースしたりっていう中で、一番ニュートラルな今の自分の状態を表してるアルバムかな。だから、初めて『聴きながら眠れる』アルバムが作れたなと思ってて。今まではそういう音楽を作ろうとも思ってなかった――意地でも聴けっていうか、聴いた人の耳を離さないっていう意識だったけど、今回はBGMとしても聴けるものになってると思うし。そのどっちにも行けるようになってきた自由さを感じてる」

■『×と○と罪と』もRADWIMPSの音楽の在り方を大きく拡張した、凄く自由な作品だったと思うんだけど、でもやっぱり、映画に主演したり『ラリルレ論』を出したりした頃から凄く風通しがよくなったというか、他者に対して積極的に開いていくようになった印象があって。それがここ最近の音楽活動にも表れている気がするんですが。

「それは凄いあります。人と何か話したりとか、1個、人が介在するだけで新たに引き出される自分みたいなものを最近より痛感しちゃうから。だから『P.Y.L』もトラックメイキングで何人かコラボレーションしてたり。11年経ってやっとそういう違うモードを知ったのは嬉しいことでした」

■そうなれたのは何故なんでしょうね。たとえば、ここまでRADWIMPSをやってきた中で、自分達だけで突き詰める音楽の形みたいなものがひとつの到達を迎えた、もうどこに行っても揺るがないものが自分の中に生まれた、みたいなタイミングがあったからなの?

「あぁ……あったと思う。たぶん『×と○と罪と』はひとつやり切った作品だったと思うから。だからあのアルバムを出した後で、事務所とも『正直、この先このまままったく同じ感じではやれないと思う』っていう話もしてたし。で、俺自身が開いてる時だったから、こうやって新海さんとの出会いもあったし…………でも、やっぱり10年やってきた自信はひとつ大きな武器なんだろうなと思います。気張り過ぎなくても自分らしいものができるっていう自信が今はあるっていうか。昔は自信のなさがモチベーションだったけど」

■だからこそストイックだったし、人と違うことをやりたいという想いが強かったところもあるよね。

「そうそう(笑)。でもようやく10年経ってちょっとは自信持っていいんだなって思えたし、自分を信じられる部分が増えてきたから、それを純粋に信じてやってみようっていうモードになれた。だから10年前の自分に比べたら相当優しいし(笑)、いい感じだと思います」

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA10月号 Vol.112』